第一章-9 チューンイン、ドロップアウト
直後、エトの機体は振り下ろされたハンマーを片手で受け止めていた――もげて、無くなったはずのその腕で。
人間が『恐怖』という感情を抱く要因の一つに『無知』がある。
知らないからこそ他人に恐怖するし、無知ゆえに物理・精神問わず様々な手段を講じてでも遠ざけようとする。
クトゥルフ神話、もしくはそれに準ずるテーブルトークRPGで上位者、あるいは旧支配者、またあるいは邪神。それらに出会ってしまった人間が正気を失って狂気に陥るように。物理的な手段で御退場いただくように。
科学に無知な人間が原子力とそれにまつわる物事に恐怖し、デマをバラ撒いてでも、周りからどれだけ科学的な意見で説得されようとも、排斥することをやめないように。
わけのわからない事象に対して、やれ魔法だの、奇跡だの、妖怪の仕業だのと理由づけするように。
K.O.Fのオペレーターであった彼も、『無知ゆえの恐怖』に陥りかけていた。
無理もない。周囲の不可製結晶体全てが突如として粒子化し、文字通り五体不満足となったはずの機体に集まったかと思えば、無いはずの片手でハンマーを受け止めていたのだから――それも、結晶体でできた青白い
彼は恐怖とともに、再生しつつある頭部を凝視した――龍とも悪魔にも見えるその顔を。
◇ ◇ ◇
――ぬるま湯の中にいるみたいだ。
それがエトの最初の感覚だった。
視界が回復する。
もげたはずの腕でハンマーを受け止めているという異常な光景が目に入った。それも、結晶体でできた異形の腕。でも不思議と疑問にも思わない。
――だって、再生するのなんて当たり前のことなのだから。
なんでそれを知っているのか、なぜそう思えるのか、どこからそれを知ったのかはわからない。でもそれがごくごく自然のことで、できて当然のことなのだ――と、自分の意識が、浸かっているぬるま湯が、声なき声がそう告げていた。
――恐れる理由なんて、どこにもなかった。
結晶体でできた異形の腕で上半身を持ち上げ、そして異形の脚で立ち上がった。
狼狽するK.O.Fの土手っ腹を思いっきり蹴り飛ばす。
なすすべもないまま、そいつは壁に思いっきり叩きつけられた。
何というパワー。何という反応性――
手元にはハンマーと引きちぎられたK.O.Fの右腕だけが残っていた。
――今の状態でも十分戦えないことはないだろう。
――でも不安だ。さっきまでとは違って折れようが砕けようが再生するだろうが、内部骨格がむき出しの状態じゃ心もとない。
それならばと言わんばかりに
――これで、ようやく戦える。
手を握ったり開いたりして具合をしっかりと確かめた後、ちぎった腕を捨ててハンマーを持ち直し、K.O.Fにゆっくりと近づいていく。
こちらの意図に気づいたのか、残った左腕に――大方サブウェポンとして装備したのであろう――ハンドガンを握って、ひっきりなしに弾丸をばらまき始めた。
VAF用
『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』ということわざを体現するかのように数発命中コースに飛びこんでくるが、いずれも機体の周りに滞留していたICPが弾いてしまう。
そして何の躊躇もなく、ハンマーを胴体に振り落として
◇ ◇ ◇
――〈クラウディア〉船内
「……もう、潮時だな」
艦長は小声でこう漏らした。
状況によっては破壊するように、とあの指令にはあった。しかし、大破したはずのあの機体が周囲の不可成結晶体を使って手足を再生し始めるというのなら話は別だ。このような異常現象が起こった時点で作戦は破綻していた。
このようなことはどこからも知らされていなかった。
「現時点をもって作戦を中断。これ以上被害を拡大する前に生き残った機体を回収しろ」
「……よろしいのですか?」
「同じことを言わせるな」
「失礼しました」
――オリオンの機体のAIがリアルタイムで送信してきた、機体側の『解釈』も含めた戦闘データ。
最新鋭の機体を一機失う結果にはなったが、このデータを確保できただけでもまだ僥倖とも言えよう。
一連の戦闘データを研究部に送るなり、戦術AIに学習させるなりすれば、対抗策も自ずと出て来るからだ。
「機体回収完了しました。大破したオリオン機の処理も完了しています」
「……よろしい。一八〇度回頭。現空域から離脱する。あのクソな技術屋共に今回の件について抗議を送る。用意しておけ」
そして彼は、一部結晶体が消失してむき出しになった地表をを見下ろして、こんなの聞いていないぞと改めて心の中で悪態をつくのであった。
◇ ◇ ◇
エトが地上に出た頃には他のK.O.Fは皆撤退していた。そして目の前にはこちらに銃を向けるVAF四機。機体にペイントされているロゴはアドミカ――やはり味方だった。
交戦の意思はないと両手をあげようとする。しかし、突如『ぬるま湯』から引き上げられ、思い出したかのように結晶体の侵食が進み、血反吐を吐いた。
――血で赤く、紅く染まったディスプレイとコンソールを見ながら、前のめりに倒れていく感覚を、さっきまでの全能感を感じながら、彼の意識は暗闇に沈んだ。
意識を失う直前「……馬鹿…………」というミィナの声が聞こえた――気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます