序章

世界樹を望む『楽園』より。

 目を凝らすと、青い空を突き抜けて宇宙にまで手を伸ばさんとする世界樹が見えた。


 海上都市『エリュシオン』、モジュール7 学術研究区。エリュシオン総合科学大学。

 ――食堂。


 窓の外を覗くと、たくさんの高層建築物がそびえ立ち、さらにその奥にはそれよりも巨大で、天まで届かんばかりの――実際、天まで届いているわけだが――高さの建造物が見える。


 この世界に唯一健在する、世界で初めて建造された軌道エレベータ。

 名は『ユグドラシル』。


 神話において多く語られる世界樹ユグドラシルの名を冠せられたそれの幹には、数多の広告やエレベータの運行状況などが表示された立体映像ホログラムよって飾り立てられていて、生い茂る木のようにも見える。


 初めて宇宙に到達した宇宙飛行士は『地球は青かった』と言い残したという。

 なら、宇宙から見た今の地球は一体どのように見えるのだろうか――といち大学院生である静馬エトは思いを馳せながら――


『――先日、モジュール76でセーフガードによる地下VAFフレームファイトの摘発が行われました。

 その際、数機のVAFに抵抗され、セーフガードの機体三機が大破したとのことです。

 三十年前に発生した大析出とそれに伴う楽園戦争の影響によって、開発が凍結されたモジュール76を始めとするいくつかのモジュール――通称廃棄街ロストエリアには、以前より犯罪者や不法入国者が多く……』


「あーあ……やっぱりニュースになってるよ。どうすんのエト」


「どうすんのも何も俺だって立派な被害者だぞ」


 『廃棄街ロストエリア』。

 荒くれ者だらけの区画、あるいは楽園に一番近く、しかし楽園では無い所、またあるいは辺獄の一部――と言われている場所の一つであるモジュール76で起きた騒動のニュースを友人のアルマと共にうんざりした思いで見つめていた。



◇ ◇ ◇



 エリュシオン。


 『唯一残された楽園』または単に『楽園』とも呼ばれているそこは、大析出ブロウ・アウトと呼ばれる大災害によって滅ぶ以前より建造され、そして復興の最中にあるこの世界に唯一存在する軌道エレベータ『ユグドラシル』を中心として造られた海上都市である。


 そしてそのユグドラシルを取り巻くように建造・接続された大小含めた数多の人工島メガフロートの集合体もである。ある人工島には市街地が設けられ、またある人工島には食料を得るための工場などが設けられ、またまたある人工島には……


 全てが自己完結できるよう、設計・増築を繰り返していった楽園エリュシオンの上空からの外観は、さながら雪の結晶のように見えるだろう。


 そんなエリュシオンの学術機関の一つであるエリュシオン総合科学大学の食堂で、そこの一学生である静馬エトは友人であるアルマ・レイノフ=サッチと名物のカンパチ丼をつついていた。


「まったく……、あのとき一歩間違ってたら僕たち仲良く警察セーフガードのお世話になってたんだけど、そこらへんなんか申し開きでもある?」


 と、彼は四角い眼鏡のレンズの奥で、顔をしかめて精一杯の抗議を主張した。

 対する彼は――


「あの強面のおっさんマフィアどもに腹かっさばかれて内蔵抜き取られるよりマシだろ。巻き込んだことは申し訳ないけど、悪いのは全部あいつらだから」


 ――と軽くいなす始末だった。


 先日突如として行われた、セーフガード廃棄街支部によるガサ入れから端を発する騒動は苛烈を極め、モジュール76全体――一五〇平方キロメートルほどの面積の人工島まるまる一つ――が戦場となったと言っても過言ではないほどであった。


 アルマは砲弾・銃弾が飛び交うあの戦場をよく生き延びれたもんだと内心真っ青になりながら、自分の運の良さと、友人の腕に深く感謝するのであった。


「わかってるけどさ……聞けばお前、あれが初めてじゃない上に、その原因がエグザウィルのリーダーと知り合いだからって話みたいだけど」


「どういう訳か、いつの間にかそうなっててさぁ。腐れ縁ってやつ?」


「腐れ縁って……」


「実を言うと、この大学にいるぞそいつ」


「えっまじ!? なんで廃棄街のボスがこんなところに」


「さぁな。昔セーフガードとドンパチやって廃棄街に逃げ込んだ私設自警団崩れとは言え、そこの住人とは違ってエリュシオンの国籍を持ってるからな。入学しても何らおかしくはない。だろ?」


 カンパチ丼を食べ終えてそう返したエトは味噌汁を一口。


 ――うん、美味しい。


「まぁ、とばっちりで死ぬのは御免だよ」


「そうは言うけどさぁ……仮にもセーフガードの英雄の息子なら、エグザウィルの元リーダーの息子と関わるのは避けたほうが良いんじゃないか?」


「そこらへんの見極めは出来てるつもりだよ……多分」


「多分ってお前……」


 食堂から出ると、島国・赤道圏国特有のじめりとした暑さと磯の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


「――そういやアルマ、古代文明かなんかの研究で、近いうちどっかに調査に行くとか言ってたな。お詫びといっちゃなんだが手伝ってやろうか?」


「どうせタダとは言わないんでしょ」


「友人から金巻き上げるほど俺は冷血漢じゃねーよ。帰ったときにおすすめの飯屋に連れてってくれれば」


「わかったよ。ちょうど人手が足りなくてね。VAFフレームが扱えるやつが欲しかったんだ」


「よーし! ならぴったりの人員じゃないか。――で、行き先は?」


「楽園から遠く離れた小さな無人島だよ」

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