7.ウトピアクアの蝶

- まえがき -

ほとりは、炎竜から明日架とツバメを救いたかった。


しかし、宿してしまった海の力に、ほとりの手は震える。


最後に、ほとりは、自らの羽を広げて飛ぶ。




 炎竜が炎を一度吐いた。


 地面一帯を覆う黒みを帯びた流動体は、たちどころに紫色の蒸気に変わる。しかし、その場からは、炎々と燃え上がる。


 凄まじい勢いで火炎が広がって、どんどん大地が灰と化していく。


「浅葱ほとり。一刻も早くあの炎の竜を止めよ」


「どうしてここに」


 羽はボロボロで年老いた蝶人フィロメーナが、上空からほとりの横に降りて来た。


「新しい島の誕生だ。冥土への土産に見ておこうとね。だが、このまま劫火が進めば、島の存在そのものがなくって、元も子もなくなる」


 フィロメーナがそう言っている間にも、灰になった地面が、どんどん崩れていく。


 炎竜は、まだ炎に包まれていない方向に向かって歩き、炎を吐いて、延焼領域を広げていく。


 ほとりの手はまだ震えていた。


 島を、全員を助けたい。


 ほとりを乗せたクジラが炎竜に向かって動き出した。


 ――いったい、どうする気だ。


 ほとりは精霊と問いに答えない。ただただ、炎竜に近づくことだけを考えていた。


「明日架先輩」


 炎竜の顔が、ほとりの方に向いた。


 ほとりは、声が届いたと思い、明日架の意識があるのだと感じた。


 その直後、口を開けた炎竜が炎を吐き出した。


 ほとりとクジラは、その炎に包まれる。


 とっさにクジラの精霊が、水の羽で包み込み、炎から身を守る。


 ――海の水を動員せよ。島の炎を消すには、それくらいする必要があるぞ。


 海の力を心置きなく使えば、浄火も島の毒も流せる。しかし、ほとりはそれを望むことはできなかった。


 見渡せば、ユーリたちみんなが、まだ蝶人の救出を続けている。炎の蝶人たちはまだ飛んでいた。


 それが終わるまでは、海の力を呼び寄せるわけにはいかなかった。それが終わるのと、島がなくなってしまうのが早いか、わからない。


 炎竜は、ほとりに向けて火を噴くことをやめない。


 クジラの水の羽も蒸発し、次第に薄くなっていくのが見てとれた。


 ほとりは、一旦引くことにして、クジラとともに炎竜から離れていく。


「炎竜だけ、明日架先輩とツバメさんを助けたい」


 ――緻密に海の力を制御しなければ、ならないぞ。


 ほとりは、まだ震えている自分の手を見て、やはりそれはできないと確信した時、視界の隅で、何か光るものがあった。


 視線を向けた先に、大地に落ちたままのクリスタルの剣があった。


 ほとりは、大地に降り立ち、剣を拾い上げた。剣に自分の顔を写り込む。


 不安な表情の後ろに広がる光が見えた。それは、自分の背中に生えている水の羽だった。


 ほとりは、ハッとして、剣を握ったまま海辺まで走り戻り、精霊の胸びれから頭によじ登った。


「海に潜って!」


 ――わかった。


 精霊は、一言だけ言うと、沖へ向かいながらぐんぐん深く潜っていく。


 ほとりは、クジラの潜水で、猛烈な海流に流されないようにしゃがみ込んで踏ん張った。しかし、羽を広げ、羽だけは水の流れにまかせておくと、どんどん羽は広がりを見せる。


 それは、クジラよりも、精霊の羽よりもずっと大きな羽になる。


 精霊は、上に頭の向け、いっきに浮上していく。


 尾びれを振って、ぐんぐん昇っていく。


 その間も、ほとりの羽は、限界を感じさせず、広がっていく。


 海中から海面を突き破って、海が爆発したかのように精霊が飛び上がる。


 そのまま上昇を続けて、島の真上にほとりと精霊はやってきた。


 大きな羽を生やしたほとりは、両手で剣を握り、剣を前に突き出した。


 そして、精霊は、島に向かって頭から急降下する。


 ほとりは、精霊の頭を駆け降りる勢いのまま、精霊の顔を蹴って宙へ飛び出し、滑空する。


 精霊は、水の蝶が炎竜に向かっていく姿を見届けて、また上昇して行ってしまった。


 ほとりの水の羽は、島全土が包めるほど大きかった。ほとりの急降下に遅れて、雨のように水が落ちてくる。


 ほとりの羽には、たくさんの水が蓄えられていた。


 ほとりに気づいた炎竜が、大きく口を開けて、炎を吹いた。


 ほとりは躊躇することなく、まっすぐ炎に突入する。蒸発する白い煙が、炎竜へ向かっていく。


 まるで、ほとりの突き出しクリスタルの剣が炎を切り裂くようにして、炎竜の口に中を突き進む。


 勢い衰えることなく、いっきに炎竜の中心で光るベレノスの光に、クリスタルの剣が突き刺ささる。


 ググッと、固い抵抗がある。


 しかし、ほとりは、羽をはばたかせ、さらに力を剣へ注ぎ込む。


 炎がほとりにまとわりつくが、ほとりに触れると蒸気に変わっていく。


 剣にひびが入り始めるが、それよりも早くベレノスの光に入ったヒビが、いっきに全体に走り、砕け散った。


 クリスタルの剣が、ベレノスの光を突き抜けると、クリスタルの剣は折れてしまった。


 そして、ほとりの大きな水の羽が、炎竜を包み込んだ。


 ほとりは、炎の中ですでに気を失っている明日架とツバメを、左右の羽でそれぞれ包み込んだ。


 その直後、炎竜は、真っ赤な炎をうねらせ、それを包み込こんでいた水の蝶の羽もろとも爆発してしまった。


 一帯には真っ白な煙を広がり、ゆっくり天へ昇っていく。


 そして、サーッと大地に水が降ってくる。


 炎竜が消えると、ほとりは、炎と蠢く流動体の消えた大地に、頭から真っ逆さまに落下していく。


 水の羽で自分を守るだけの余力は、もうなかった。


 二人だけでも守ろうと、両方の羽に意識を送り、しっかり明日架とツバメを水の羽で包み込む。


 地面に衝突する寸前、蝶人が、空中でほとりを抱えた。


 意識が朦朧とする中、ほとりは蝶人の顔を見た。


「マノンさん……ありがとう」


「それは、私たちのセリフだから。ありがとう」


 マノンが微笑んだのを見て、ほとりは意識を失った。

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