7.消える火

- まえがき -

食事は、固形物に水を一滴垂らすと、瞬時にパンのようなものに変わった。


栄養の塊がお腹に溜まるだけの物。夜は、腐死蝶が活発化する。


翌日、昼になっても腐死蝶の活動はおさまらず、ほとりたちは外に出れない日が続き、ついにピラミッド内部の火が消える。




#生きるための食事


 ミズホは、二往復して汚染水を汲んできた。日が傾くにつれて、腐死蝶の活動は活発になり、ミズホも追い回され、肩で息をするように帰ってきた。


 汚染水は、下層にある汚染水処理機構につながるパイプに流された。汚染水施設と地下でつながっていたパイプは、ミズホが行なったインボルクの浄火の影響を受けて、破断されていた。


 仕事を終えたミズホが戻ってきて、夕食になった。


 マノンがほとりの前に、四角く黄色い固形物が乗った皿を置いた。


 たった一口で、食べきれてしまうほどの小ささで、二人は普段からこんな貧素な食事しかできていなのかと、ほとりは静かにそれを見つめていた。


「ほとりさん、このままでは硬くて食べられません。このまま食べませんから」


 マノンが抑揚なく言った。


 二度まばたきをしたほとり。


「これに水を一滴、垂らすんだ」


 ミズホが言うと、マノンが水の入った瓶を傾け、ほとりの固形物に水をひと雫落とした。水が瞬時に固形物にしみていき、バンと破裂した。


 皿の上には、何倍にも膨らんだパンのようなものに変化し、湯気を上げていた。


「見たとおりパンに近い食べ物だよ。非常食用に開発されていたもので、栄養はこれ一つで十分なんだ」


 目を丸くしているほとりに、ミズホが言いながら、自分のそれを小さく裂いて、食べ始めた。


 ほとりも真似るようにして、数秒前まで固形物だったものを口にした。食感は、やわらかいパンそのものだった。


「味がないんですね」


 それが率直な感想だった。


「昔は、味付けするアンプルもあったんだけど、生産機は壊れていて、もう作ってはいない」


 ミズホが申し訳なさそうに言った。


 ピラミッド島で生きるために、栄養の塊をただ食べているという感じだった。食事を楽しむのとは別次元だった。




#夜のピラミッド島


 味のない食事を終えると、お腹はいっぱいになったがただ重く、満足感はあまりなかった。


「どうしてもここを離れることはできませんか?」


 ほとりは切り出した。


 ミズホとマノンが一瞬、目を合わせて、マノンが口を開きかけると、ミズホが手で制した。


「食事のあとで悪いが、今の外はこんな状況なんだよ」


 ミズホは、手の甲で壁を叩いた。壁が透明になる。月明かりで思っていたより明るく、夜の砂漠は、夜空色に染まっていた。


 デフトは夜に活発に活動する。そう聞いていたほとりだったが、言葉が出なかった。


 蝶人といえば、聞こえはいいかもしれない。しかし、ぼろぼろの羽を生やした腐乱した人々が、大群で宙をさまようように飛んでいた。まるで天国を探しているかのように。


 月光に浮かび上がるデフトが、ピラミッドに勢いよく近づいて来て、ほとりは怖れを感じ、身をこわばらせた。しかし、デフトは、ピラミッドに接触してくることはない。


「これがピラミッド島の現状。これほどの人々がまだ、まともに生きることも、死ぬこともできずにいる。


 私は最後まで、ここにいるつもりだよ。私に帰る場所はないから」


「私もここから離れるつもりはありません。勝手に私をここへ送り込んでおいて、いまさら、戻れと言われても、虫のいい話」


 マノンの怒りが込められた言葉だった。


「ミズホさんの妹さんを悪くいうつもりはありませんが、生徒会は、私情と権力を混同させて行使するのはいかがなものかと、私は思います。


 いまさら集団活動する気はなく、デフトがいるとはいえ、ここは静かでいい」


 マノンの言い分の一端が少しわかったほとりは、勝手に生徒会の所属とされ、予言の子として特別扱いを受ける自分の胸が苦しくなった。


 ミズホを世話するためにただ選ばれたマノンの首元には、スカーフがなかった。セリカ・ガルテンに戻る意志がないことが、はっきりわかった。




#活発な黒い蝶人


 ほとりは、階下の部屋で寝るよう連れられて来た。


 床にほとんど厚みのない布を引いた。直に寝そべるよりは良かった。


 横になったほとりは、壁から揺らぎのぼる炎を見つめ、天井上で横になっている二人を思った。


 二人はこんな硬い床に毎晩寝て、デフトしかいない乾いた島で、日々、同じことを繰り返し、生きている。元の世界はおろか、セリカ・ガルテンにすら、戻る気はない。


 なぜ、理想水郷を目指しているのに、逆に向かってしまっているのか。気持ちは、きっと同じはずなのに……。


 もし、この島からデフトがいなくなって、汚染水も止められたら、ここでまた理想水郷を目指してくれるのだろうか。


 デフトをいなくさせる方法は、何かないのだろうか。水に弱いことはわかっているが、この島では、水は貴重で、すべてのデフトを倒す量は、オアシスの水だけで足りるのかわからない。


 それに汚染水を止める方法も、今日来たばかりのほとりには、わかる術はなかった。


 思考を巡らせていたほとりは、しばらく眠りにつけなかった。


 時計は当然なく、日の光もピラミッドの中では感じることはできない。壁を叩けば、外の様子がわかるが、大群のデフトを目にしたくはなかった。


「――さん。ほとりさん、起きてください」


 マノンの声で、目を覚ましたほとり。


 いつの間にか眠ってしまっていたのだと気づいた。


 一つ上の部屋に向かうと、深刻そうな表情をしたミズホがいた。その理由はすぐにわかった。


 すでに、壁は透明になっていて、強い朝日が差し込んでいた。そして、太陽が出ているにもかかわらず、デフトの大群が飛び回っていたのだ。


「夜ほどの数ではないけど、昼間にしては異常な数のデフトだよ。こんなの、初めてだ。


 デフトの活動がおさまらないと、ほとりを帰すことはできない。これでは、私たちも単独で外に出ることもできない」


「わかりました。でも、この原因はいったい……」


 ほとりが聞いた。


「わからない。ほとりがここへ来たことによる一過性の興奮なのか、別の要因があるのか……。


 少し様子を見てみるしかない」


 ミズホは、外を見つめたまま、黙ってしまった。


 ほとりは、さらに二日間、ピラミッドの中に留まることになった。その間、ミズホとマノンも外に出ることができなかった。


 汚染水を補充できなかったため、三日目の朝には、ピラミッド内部の火は消えてしまっていた。


「デフトたちが、汚染水施設に向かってる」


 外を眺めていたミズホが気づき、自分も汚染水の施設に行くと言い出した。


 当然、マノンがそれを止める。


 ピラミッドから見える遠くにある汚染水施設。何かに気づいたデフトから順に、向かい始めていた。空に黒い線を引くように。

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