駄目だと分かっているからこそ
樹は、正月も三が日のうちからバイトに入っていた。学校も部活も休みで、特にうちにいたところでやることもないし、どうせ人手不足なのでシフトに入ることにした。
昼間の勤務も別に苦痛ではないが、普段あまり一緒に入ることのない主婦のパートたちとの仕事なので、ちょっとめんどい、程度には思っていた。
なにせおばちゃんたちはおしゃべりだ。それぞれ好き放題しゃべっていて、お互いに話がかみ合っていないがそれで満足そうな様子だ。
案の定、だれかのうわさ話をしているのが耳につく。
「あの子は店長のお気に入りだからねえ」
「でも、所詮はバイトでしょ。でも、自分は社員並みに認められてると勘違いしてそう」
「それはでも、店長が悪いよねぇ」
今日は話の内容から察するに律子のことらしい。
「でも、あの子は裏表があるよ。私はそう思う」
したり顔でそういうのは典子だった。いつもうまいこと言って律子に仕事を押し付けているくせに。裏表があるのはお前の方だよ。
心の中でそう呟いた。
「あら、樹君、おはよう」
「あ、はい」
ようやく樹がいることに気が付いたらしいおばちゃんたちがかしましく声をかけてくる。
「年明け早々バイトも大変ね。」
「一緒に初もうでいく彼女はいないの~?」
「いないっす」
余計なお世話だ。彼女がいたところでお前たちには言わねえよ。
律子は一部のパートのおばちゃんから疎まれているらしいことはなんとなく分かっていた。律子は相手が年上だろうと何だろうと、気になったことははっきり言う。そんなところが気に入らない人もいるのだろう。
かといってそれを陰でぐちぐち言うのは卑怯だし、反論するなら直接言えばいいのに。
でも、律子は店長のお気に入りなのかもしれない、というのは樹も感じていた。お気に入りというか、なんかある。はっきり何なのかは分からないが、店長と律子の間にはなにか独特の雰囲気がある。
店長が仕事を頼むと、律子は断らない、というか誰の頼みもよっぽどのことがない限り断らないのだが。店長から指示があると律子は心なしか嬉しそうに見える。
律子は店長のことが好きなのだろうか。でも、店長は奥さんもいるし、っていうか奥さん妊娠中だし。まさかね。
でもなにか、もやもやしたものを感じる樹であった。
☆
大学の冬休みは意外と短い。1週間ほどの冬休みを終えて律子は地元から一人暮らしの自宅に戻ってきた。心なしか冷え切っているような気がする。
ノートパソコンの乗ったデスクと、テレビ台、セミダブルのベット。この部屋で暮らし始めた時は、友達や、もしかして交際相手がこの部屋に遊びに来ることがあるのかなあと妄想していた。以前に付き合っていた相手は何度もここに来た。
徹は、一度も来たことはないし、誘ったことも1度もなかった。駐車場で待ち合わせ、バーに行く、ホテルに行く。せいぜい、郊外のレストランに行く。彼と会うときは大体パターンが決まっている。大学生との付き合いとは違う世界を見せてもらっているのは確かだが、やはり地に足がついていない気がする。実家のコタツ、ミカン、母や弟がいる居間。
どちらも同じ地平にある世界で、どちらも私の居場所。にもかかわらず、今の律子には別世界のことのように思える。
メッセージアプリを開いて、徹に連絡をする。いつも徹からの連絡を待っているばかりなので、律子からアプローチすることは珍しいことだった。
「あけましておめでとう、実家から戻りました。会いたいです」
会いたいなんて、言ってはいけないと思っていた。いつ関係を切られても、逆にこちらから切ってもお互いに文句は言えない。そんな関係だということは分かっている。だけど、今この、1度だけしかない21歳を生きる自分と、わずかながらでも大事な時間を共有している相手だとは思っている。永遠に続くなんて思っていない。だからと言ってなかったことにして切る捨てることはできない。徹からの返信はない。既読にもならない。仕事中かもしれない。妻の実家に行っているのかもしれない。
☆
2月の半ば、律子は就職活動に奔走していた。実際に採用に関わる選考は4月以降だが、今のうちにできるだけ説明会やグループワークなどをこなして経験を積んだり情報収集をしておきたい。
まだ若いと言っても、1日に何社も会社を回ったり、書類を書いたり、面接を何度もうけるのは骨が折れた。
特に、今日の面接は堪えた。
「この会社でしかできないことって、何だと思っているの?」
1対3の個別面接。律子はある会社の最終面接に来ていた。いくつも「今回はご縁がなかったということで・・・」というメールを受け取ってきた中でようやくこぎつけた最終面接だ。
できるなら1つでも内定を取って安心したい、というところだ。
「御社の展開している事業が、私の将来的にやっていきたいことと合致していて」
「それは、分かってる。だからここを受けに来たんでしょ」
面接官が表情をピクリとも変えずに迫ってくる。
「うちの会社の特徴をとらえたうえで、具体的に何をやりたいのか、を聞きたいんだけど」
パニックになるな、冷静に、自分に言い聞かせながら、何とか言葉をまとめて返答した。
「あと、総合職を希望してるけど、」
「はい。ぜひとも総合職でやらせていただければと思います」
「それだと、地方への転勤も可能性としてはあるけど、それは大丈夫?」
「はい、もちろん、大丈夫です。」
別の面接官が書類を眺めながらため息をつく
「いまいち、熱意がこちらに伝わってこないんだよねぇ」
いわゆる圧迫面接というやつだろうか。多分、わざと答えに窮するような質問をして、こちらが対処できるのかを見ているのだ。3人の面接官は妙な威圧感を醸し出していて開始時から少しも笑わない。試されているのだけだ、と自分に言い聞かせるが、やはり空気は張りつめている。緊張感から余計なことを言ってしまわないように神経をとがらせた。
とりあえず、今日この面接が終わったら、何かおいしいものを食べよう。
どのお店にしようか、テイクアウトにしようか、頭に思い描きながら、面接の残りを何とかやり過ごした。
手ごたえのない面接と言うものは、そうでないものの何倍も人を疲弊させる。最寄り駅について、重い足を引き摺りながら律子は歩いていた。
わざと相手を圧迫して反応を見る、それに対応できたかできないかで、そんなに社会人として必要なスキルが図れるのだろうか。もちろん、仕事をするなかで嫌な相手と関わらなければいけないこともあるだろう、自分の本音とは裏腹に笑顔を保たなければいけないことは分かっていた。そんなのは接客のバイトでもやっていることだ。でも、意地悪な相手はうまく受け流し、いいお客さんには笑顔で接する。それは特に苦も無くで来たのだが。やはりわざと意地悪なことを吹っ掛けてためされるようなことは慣れないなあ、そう思いながら歩いていた時だった。
ハンバーガーチェーン店の一階、窓際に樹がいるのが見えた。制服を着ている。勉強中なのだろう。参考書らしきものを開いてノートに向かっていた。
しばらく立ち止まって見ていたら、樹が顔を上げ、こちらに気が付く。急にう笑顔に嬉しそうに笑顔になった樹は、自分の隣の席を指さしている
「隣に座れってか」
そう呟いて、まあ、とにかく何か食べようと思っていたところでもあったので律子は店に入った。
律子が隣に座ると樹は広げていたノートや参考書をざっとまとめてリュックにしまった。
「勉強もういいの?」
「いいのいいの。明日の塾の宿題だから後でやれば。大体終わったし」
そして、勝手に律子のトレーからポテトをつまむ
「おいこら。勝手に」
「いいじゃん。腹減ったよ」
「今日スーツなんだね。就活?」
「うん。まあね」
「決まりそう?」
軽くうつむく
「だめなの?」
「今日のところは落ちたなあ、多分。質問にちゃんと答えられてないし」
「律子さん優秀なのにね」
「そんなことないよ」
「だって、いろいろやってるでしょ?サークルとか。バイトも頑張ってるし、勉強だってできるんでしょ」
「なんか、そういう、一生懸命やってるから報われるとかそう単純じゃないみたい」
「せちがらい世の中っすね」
樹は、無邪気な声で言う。ふいにスマホの着信音が聞こえる。樹のスマホなようだ。電話に出た樹がぶっきらぼうに答える。
「なに?今食ってるよ。あ?そのうち帰るって」
適当に電話を切る樹
「彼女?」
律子が聞く。
「んなわけないじゃん。親だよ」
彼女なんかいねぇし、と樹が不貞腐れたように言う。少し沈黙があったあと、急に真顔になった樹が律子に聞く。
「律子さんって、店長と何かあるの?」
急をつかれた律子は何も言えなかった。なぜそんなことを言うのだろう。
「いや、そんなびっくりしないでって。前に、律子さんがこの近くで車に乗り込むの見ちゃって。運転席にいるの店長っぽい気がしたから」
「いや、別に」
「別にって。やっぱりそうなんだ。否定しないんだね」
律子は立ち上がる。
「帰るわ」
半ばやけで、その場から立ち去ろうとしていた。
「待って」
樹が、律子のそでを引っ張って止める。以外にも強い力で惹かれて反動で律子は椅子にすとんと座った。
「もうこれ以上詰めないから。ごめんって。今聞いたこと忘れて。もうちょっといてよ」
思いもよらず切実な樹の様子に、律子は帰ることができなくなった。樹は悪くない。私がこんなずっとふらふらしたままでいるからだ。
「店長の車だよ。私が乗り込んだの」
樹は黙っている。
「こんな先輩、幻滅するよね。ごめんね」
樹はテーブルの上でこぶしを握り締めている。
樹が、自分に対してどんな思いを抱いてくれているのか、知っていた。でもずっと、気づかないふりをしていた。話しやすい、弟みたいな存在でいてほしい、勝手にそういうポジションに置いていた。佐伯だけではなく、年下の樹にまで、自分は甘えているんだ。そう思った。
「樹には分かんないと思うけど、まあ大人にはいろいろあるんだよ」
冗談のつもりだった。そっちだって所詮大学生のくせに、そう言ってくれるだろうと想定してだ。でも今日の樹は何か違った。
「いい加減にしろって」
樹は真顔だ。
「俺は、店長嫌いだよ。所詮、バイトなんて店を回す機械みたいなものとしか思ってない気がするから」
多分、それは本当なのだろう。樹はいろんなことを見抜いている。もしかしたら律子以上に。佐伯は愛想がいい。誰にも人当たりがよく接する。一方でそこに感情は入ってなく、ただ自分が動きやすいように人間関係を作ろうとしているだけだ。
不自然なくらい明るいファストフード店の店内。レジの呼び出し音や店員の声が遠くなる。ちょっとした静寂が二人の間に訪れた後
「ごめん。言い過ぎた。まあ、所詮バイトだから。そんなもんだよね」
樹の一言がきっかけで、何事もなかったような、いつものような雑談を二人は始めていた。
☆
「最近、樹と仲いいみたいで」
佐伯がタバコを吸いながら言う。嫌みだろうか、ホテルの部屋に二人でいるのに、高校生バイトとはいえ他の男の名前を出すのは無神経とは言わないのか。いつもなら流すようなことでも今日は律子は癇に障った。
「別に、元々弟みたいなものだし」
先日の樹との、ファストフード店でのことが響いているのもある。でもそれだけではなく、今日も就職活動の面接の結果2つの会社から「今回はご縁がなかったようで」の通知を受け取っていたことのほうが堪えていた。樹とはあの日以来、以前にもまして気軽に話せているのはまあ間違いない。
「嫉妬してくれてるの」
僅かな棘も含みつつ、また佐伯を試している。
「何歳差だと思ってんだよ」
佐伯は鼻先で笑った。
佐伯がタバコをかき消し、ベットに座っている律子の隣に座る。手と手が重なる。
「ねぇ、もし、私が就職で地方とか、海外とかに行くことになったら、どうする」
律子にとっては、何か東京にこだわる理由があるわけではない。ただ、佐伯は何というだろうか、ということは、あの時考えないではいられなかった。
「まあ、仕事ってそういうもんだからな」
佐伯は言う
「俺が、行かないでくれって言える立場でもないし」
「そういうことじゃなくて」
それでも、そばにいてほしい、理不尽でも、柄ではなくても、そう言ってくれれば収まる話なのに。そこまで考えて我に返るのだ。そんなことを言える立場ではないのは私の方なのだ。
佐伯が律子を抱き寄せる。首筋に口づける。そのまま、ベットに倒される。樹の時みたいに「帰る」といって立ち上がったら佐伯は止めてくれるのだろうか。行かないでと言ってくれるのだろうか。
でも、体が動かない。二人の呼吸が少しずつ荒くなる。律子のバスローブの隙間に佐伯の手が滑り込む。こうなるともう、全てどうでもよくなってしまうのだ。身を任せるしかなくなるのだ。
私に選択肢なんか与えられていない。拒否することもできない。こんな時でも佐伯の手は、唇は優しいから本当に困る。
どうして、駄目だと分かっていて逃れられないのだろう。
駄目だと分かっているからだろうか。
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