第124話:彼ノ因縁ト其ノ怨念
誰も。助け起こしてはくれない。
粗忽さんや見外さんは、部下を何組かに分けて援護射撃を。人形の姉妹は手の届くところに居ない。
紗々は困ったという顔で、僕に手を伸ばしていいのか迷っている。
「ら、らいひょ――」
顎がおかしい。何度か手で揉んだり開け閉めしたりして、なんとか戻った。
「大丈夫。立てる」
ちょっとよろけたものの、すぐにしゃんとした。当たったのが踵であれば、そうはいかなかったけど。
荒増さんは、いつも無茶苦茶をしているようでいて――いや無茶苦茶には違いないのだけど。手加減をしていた。
今も本気でキレたという風だったのに、痛烈な痛みが走ったあと、さほどのダメージはない。
そうだ。僕はいつもそうやって、誰かに守られてばかりいるんだ。こんなことでは――。
「まあまあ、そう卑下することもない。お主を必要とする者は存外に居るものよ。喩えば、この儂とかな」
足下から湧き出すような寒気。気付いて、ビクッとした時にはもう、全身に纏わりつかれていた。
「伽藍堂――!」
「そうよ。儂の忠実な同盟者の、あの小僧がお主を見込んでおったのではない。お主を必要としておるのは、この老いぼれよ」
これまでだって、伽藍堂はさすが天下に悪名を轟かす怪人だと思っていた。それは他に例類ない霊のパターンと、密度のせいだ。
しかしこれは。たしかに僕に密接している筈の老人が、どこに居るのかさっぱり分からない。
希薄とは全く反対に、周りの空間の全てが伽藍堂という名の海になったみたいだ。
「遠江! てめえ、なにをボサッとしてやがる!」
「あ、あふふ……!」
寒い。怒声に謝罪をしようとしても、声にならない。
「やれやれ。思わぬ時間をとりましたが、ようやく茶番を終えられますか」
「そう言うでない。なにが起こったところで、霊の調整に役立つというだけよ」
仙石さんは、防戦一方と見えた演技をやめた。煉石の両手が静歌と鈴歌を握り、頭上から仙石さん自身を踏みつけさせた足が、引く手を吹き飛ばす。
「またこそこそ逃げられても面倒臭い。終わりにさせていただきますよ。出でよ、
手にした打刀の峰を、つうっと。仙石さんは撫でて呼ぶ。
姿を見せたのは、小柄な男。静歌たちと似たような体格なのに背を丸めていて、余計に小さく見える。
衣服に施された白と黒の、都市迷彩のような模様。それが全体をグレーに見せる。
「
御石と呼ばれた式徨は、全身をその衣服に覆っている。顔も見えなくて、男と思ったのも体付きからだ。
体格に見合った長さの両腕が、ぶんと振るわれる。ラウンジの奥に居る仙石さんのすぐ近く。こちらとは、それなりの距離があるというのに。
ドンドンドン。連続して、破壊音と重みのある落下音とがほぼ同時に鳴っていく。
「まだこんな芸を隠してやがったか」
「ええ。宴会芸のようなものです」
御石の腕は、長く。とても長く伸びた。ただしすぐに天井を突き破って、両手は仙石さんから最も遠い、僕の居るさらに向こうで結ばれる気配があった。
その腕からは、何百本もの柱が伸びて床を貫く。僕たちは御石の両腕で囲まれ、その柱で作られた檻に閉じ込められた。
「こんな物、あろうがなかろうが関係ねえ。俺が逃げ隠れする理由はねえからな」
「負け惜しみを、と言いたいところですが。先ほど退いたのは私ですからね」
「おい伽藍堂。俺が用のあるのはてめえだ。おとなしくぶっ殺されろ」
仙石さんが話している途中で、荒増さんは彼に背を向けた。もちろんそれは、伽藍堂に啖呵を切る為だ。
「
御石は深く息を吸う動作をして、口から礫を吐いた。当然にそれは、礫状の霊と言うのが正確だが。
弾丸のように撃たれた礫が、荒増さんの背にめり込む。
一瞬、顔をしかめて。けれども伽藍堂に向けた指を下ろすことはなかった。
「御石!」
指示に従って、礫が連続して放たれる。それも荒増さんは、意に介さないというポーズを崩さない。
「強情な――それになんの意味があると。煉石!」
隊舎の僕の部屋よりも面積の広い足。これはさすがの荒増さんも、両手で受け止めた。
でもまたすぐに伽藍堂へ。同時にそれは、僕を指してもいるのだけど。震える手から人さし指を一本出して、突きつける。
「俺は――俺が生きてるのは、俺のやりたいことをやる為だ。俺がやりたいのはな。俺がどうしてもやらなきゃいけねえのは、てめえに奪われた連れを取り返すことだ」
「はて。どれのことよな」
連れ。友だち。荒増さんを嫌う人は多いが、意外といい奴だとか面白いとか言う人も居ないではない。多之桶さんなどは、一緒に飲みに行ったりもするらしい。
でもはっきりと、連れなどと宣言したのは初めてだ。
「二十年前。てめえが攫った、
「さて。歳をとると、今朝の飯のこともあやふやでな」
ぞぞっと蠢く音がして、伽藍堂の顔が歪んだ。どうやらそれは、微笑みらしい。存分に皮肉のこもった、嘲笑に近いものだが。
知っている。伽藍堂は、荒増さんの言った誰かのことを。荒増さん自身のことを。
表情からの推測でなく。伽藍堂の思考が、僕の中に滑り落ちてくる。
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