第107話:二人ノ向フ其々ノ道
輸送指揮車を、心那は急がせた。
纏式士に、細かな指揮は必要がない。大枠の目的だけ示せば、あとは個々の判断で動くのが常だからだ。
だがそれでは遊撃や特命には良くても、籠城戦の様相となった戦線維持が出来ない。立てこもる敵に、頭を出せばすぐに叩いてやるぞと示威し続けることが肝要だ。よって塞護の主戦力は、兵部ということになる。
「しっかりしなさい、馬鹿娘。あと少しですから」
「励ますか――貶すか、どっちかにしてくれる――?」
「あなたみたいな馬鹿は、死ななきゃ治らないとは本当のようですね」
朦朧としている面道の要望どおり、貶すほうに言語を統制した。どうやらそれは不評のようで、苦笑を買った。
大量の脂汗を代償にした笑みだが、まだ瀕死と言うには半歩ほど手前だと見える。
現場での指揮が不要でも、兵部との連携には心那の居たほうが良い。しかし重要度を天秤にかけて、面道を白鸞へと移動させる中途であった。
「わざわざ塞護まで――」
指揮車には、点滴をする程度の設備はあった。心那に、その心得もある。
万能と言われる纏式士にも、出来ないことはあった。その一つが、治癒に関することだ。
外傷を塞ぐだけなら火で焼くなどといった強引な手段はあるし、痛みを忘れさせる術もあるにはある。しかし物語に出てくる魔法のように、奇跡を起こすことは出来ない。
式士に出来るのは、あくまで自然な現象の再現や、その順番を入れ替えるようなことだけだ。
「いくらも経たない――のに。とんぼ返りっふっ! ……ね。ご苦労さま」
「減らず口は、痛みが引いてからにすることです」
意識を操作して、痛みを忘れさすことは出来る。しかしそれは、人体本来の治癒能力まで麻痺させてしまう畏れがあった。心那に、そこまで判断する知識はない。
いま出来るのは、兵部の従医が与えてくれた痛み止めの注射をしてやることだけだ。
「蕗都美統括控。指定の地点、まもなくです」
「分かりました。わたくしはそこで降ります、ありがとう」
白鸞の入り口は、どの方位からも茅呪樹に塞がれている。だが通り抜けねば、病院にもどこにも行けない。
運転をしてくれた兵部の男に礼を言うと、心那は苦しむ面道の頬を叩く。容赦のない盛大な音に、運転手もちらと一瞬、視線を向けた。
「っ痛ぅぅぅ――!」
「目は覚めましたか? さあ選びなさい、今ならどちらにでも送ってあげられます」
「答えは変わらない、かな。残念ながら。これはあたしの、けじめなんだよ」
痛かったのは頬なのか腹なのか、とにかく目をぎゅっと瞑って面道は耐える。それが次に見開かれたとき、さきほどまでの焦点を結んでいるかも怪しいものではなくなった。
爛々と。明るい輝きが、そこにはあった。常には荒増とよく似て非なるその目を指して、ろくなことを考えない馬鹿娘だと評している。
「――せいぜい、死なないように。生きる道は、
死の門からの逆順。意識してそう言ったわけではなかった。だが考えてみると、誰かの生死を左右する場面では、同じ選択をしている気がする。
きっと無意識の癖なのだろう。面道が皮肉げな笑みを浮かべなければ、気付かなかったのに。
腹いせにもう一度頬を張って、ちょうど停車した指揮車を降りようとした。しかし心那自身にも不思議な気紛れで、もうひと言だけ告げておきたくなった。
「どうせ糞尿として出すのだからと、食事をしないわけにはいかないのですよ」
「――え、えぇ?」
さきほど、行ったり来たりと言われたことへの返事だった。それにもう一つ意味を含ませてもいたが、どちらも分かりにくい。いまの面道のぼんやりした頭では、到底伝わるまい。
「ああ、そういうことね。心那さんに励まされるなんっ――て。その言葉を、家宝にしなきゃ」
「なんのことです? 病院で、頭も診てもらいなさいな」
言い捨てて、乗降口を出た。右手に鉄扇、左手に菊花も忘れてはいない。
二十歩ほども離れてくるりと振り返り、指揮車を視界に入れる。
「天の道と地の道と、繋ぐは人が霊の門なり」
始めるともなんとも告げず、式言を紡ぎ始める。問題ない、乗降口も既に閉まったし、運転手が面道の傍に向かったのも見えた。
「我が手にあるは、蚕の箸。絡むも
開いた結界を、指揮車を起点に向こうへ伸ばす。送る先は第二防塔。その姿は肉眼で、はっきりと見えている。
大まかな操作は菊花で。小麦粉の生地を伸ばすように、ぐいぐい突いて押し広げる。その先が達したなら、マシナリである鉄扇に防塔のデータを起こす。
それを見据え。なおかつ菊花に重ねて、指揮車を無事に送り届けた。
九門陣は範囲に入った者を問答無用に巻き込めるが、反対に誰かを意図的に外すことは出来ない。
だから指揮車を解放するまで、防塔に居たいくらかの敵に、手出しを気付かれてしまった。
だがそういう性質だと、面道も知っている。知っていて赴いたのだ。
「さて。それでは、わたくしも向かいましょうか。わたくしの戦場へ」
日傘であるかのように、頭上へ菊花を開く。心那はそのまま、日和に誘われた散歩の如く、茅呪樹の待ち構える前方へとゆったり歩き始めた。
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