第80話:地底ノ怪人ハ誘惑ス

「仙石は既に侵入しておる由に」

「そっか。まだ狙いは分かんないよね」

「残念ながら」


 第二防塔。外観は普段と変わりない。だが内部にはもう、生きた人間の気配がなかった。

 占拠が目的というなら、既に達成している。しかしそれでは、防衛システムに介入したのと繋がりがない。

 まさかこの近くに大軍が伏せられていて、その兵力をここから通そうと?

 それが仮説としてすぐに思い付きはするが、あり得ない。

 白鸞は領土のほぼ中央に位置している。ここまで他の都市の防衛網に干渉されず、進軍することなど不可能だ。

 唯一可能だとすれば、全員が纏式士である場合。


「むしろそっちが、あり得なくはない――か」

「なにか?」

「いや、なんでもないよ。監視は続行出来てる?」

「防塔に入るまでは。侵入後、兵部の者どもの巻き添えを食ったようです」


 防塔内の監視システムは、式術によるごまかしが効きにくい。面道ならばどうとでもなるが、同行してきた中には相性の悪い者も居る。

 人数と役目を分けて侵入するべきか。それとも捕捉されることは覚悟の上で、速攻を決めるべきか。


「国分どのと俺と、それぞれ一人ずつ付けて入りましょう。どうせ外からの監視も要る」

「それがお勧め?」

「そう考えます」


 相手が仙石統尤でなく、たかが知れた者ならそれが最善手に疑いない。手の内など知らずとも、面道が単独で圧倒することが可能だし、最も有効だ。

 しかし事実はそうでない。

 この状況は、全て察した上でおびき寄せられているのではないか。あの荒増をして敗北を喫した相手なら、察しているかなど問題にもせず、返り討ちにするのではないか。

 あるいは、この状況と考えているものが、全てまやかしではないか。


「ねえ」

「なにか」


 防塔を見上げたまま、面道は問う。仲間の先頭に立ち、即ち無防備な背中を晒して。


「転送基地にさ、猫が居たんだよ」

「おりましたな」

「猫ってさ。誰かを警戒して逃げたあと、またすぐそこでお茶会を開くのかな」

「――さて。猫の習性には詳しくないもので」


 五人五様の刃が抜かれた。

 裏切りに遭うのは初めてでないが、やはり落胆による精神的な疲労感が強い。

 少しでも回復するかと考えて、深呼吸も兼ねたため息を、ぷーっと。殊更に大きく、吸って吐いた。


「どこで気付かれましたか」

「気付いたってほどじゃないよ。仙石くんが、そこまで監視に気付かないかなって。倒した相手が誰かも気にしない、能天気じゃなかったと思っただけ」


 そう思うと、猫のこともちょっとおかしいのかと気になった。しかしその程度だった。藤堂ではないが、猫の習性には詳しくない。


「我らの仕事は、あなたをここまでお連れすること。妙な気を起こさず、おとなしくご同道願いたい」

「あんたたちに言うまでもないけどさ」

「――ん」

「初手の心得は攻めること。攻めて、攻めて、攻め手がなくなればまた攻める」

「受けを知らぬ、あなたそのもののようですな」


 太刀を抜く時の心持ち。その高低は切れ味に影響を及ぼすだろうか、と面道は考えることがあった。

 きっとある。式刀であればなおさら、主人の意を汲むのが刃であり、その度量の大きさに依って名刀と呼ばれたりする。

 それなら、自分の心にも攻め込めば良い。裏切られるその時までは、仲間を信じる。その攻めが効果を上げなかったなら、裏切った相手を敵として認識する。

 割り切れ、あたし。と、自身に呼びかけた。


「受けを知らない? それなら全部受けてあげるよ。全員でかかっておいで」

「いかに國分流相伝でも、それは驕りましたな」

「攻めるなら口でなく、刀にしなよ」


 各々が自身の得意とする型に構え直す。次にきっかけがあれば、息を合わせて向かってくる。

 面道の太刀は、居合いや抜き切りに適していなかった。刃が厚く長大で、反りも強すぎる。面道の剣筋は速いが、どうしても筋力の勝る相手に打ち負けることはある。その補助の為だ。

 五色の糸で飾り、その昂然とも言える居姿を柔らかい印象に工夫した。それが、剣姫にも女らしさがあったかなどと言われて、こそばゆくもある。

 目の前の五人より早く抜けば、彼らの武器を圧し折って面道の勝ち。遅ければ簡単に制圧されるだろう。

 式術は使いたくなかった。ほとんどが剣術の強化を目的としている面道のそれを使えば、誰かを殺してしまう。手加減出来るほどに生半可な相手ではない。


彩雲あやくもの最速を、測ってみようか」

「いざ」


 左手が鞘に触れる。ここまでは準備として認められたらしい。あとは右手。これを動かせば、あちらも動くだろう。

 先に奥歯を噛み締めて、呼吸が整うのを待った。

 ひとつ。ふたつ。

 吸って、吐いて。また同じにもう一度。次に繰り返したその先、そこが機会と見定めた。

 より大きく息を吸ったので、吐く息も音を鳴らすほど強くなった。


「ふうぅぅぅ」

「参る!」


 藤堂と誰かもう一人が同時に声を発して、間合いを詰めようとした。もちろん面道も腰を落として捻り、愛刀である彩雲を抜こうとした。

 ――しかし。

 ぐら、と。世界が揺れた。それは面道の主観であって、真実ではない。だが起こった事実は、面道や藤堂たちを諸共に地の底へ落とすに容易だった。

 地面が。正確にはその下に隙間なく伸びた木の根が、大きく隙間を空けて彼らを飲み込んだのだ。


「なにごとか!」


 落下する藤堂が声を上げたところを見ると、彼らにも予想外であるらしい。

 数十メートルを落ちて、面道は剣圧を下に叩き付ける。藤堂たちもそれぞれに、自身の技で落下速度を殺す。


「くだらぬことで、争うてもらっては困る」


 文字通りの地の底。そこへ待ち受ける者があった。


「伽藍堂……」

「いかにも」


 伽藍堂弥勒の姿を、面道は見たことがなかった。目撃証言や、似顔絵。当人であるとされた写真もいくつかあったが、どれも人相や風体が違うのだ。

 共通しているのは、ひとつ。枯れきったという印象を与える、老人であること。それが手がかりではあったが、その前に霊の気配が尋常ではない。

 人には人らしい霊。猫には猫らしい霊の波長のようなものがある。大抵の妖にさえ、そういうパターンのようなものはあるのだ。

 目の前の厳しい表情の老人は、そういったものを百も二百もごちゃまぜにしたような印象を受けた。形こそ人間に近いものの、およそその範疇ではないとすぐに察せられた。


「儂も忙しい。用件はひとつ。これを見よ」


 伽藍堂は、自身の背後にある土色の壁を指した。単なる土の壁じゃないかと、最初には思った。

 けれども意味のないことを言って、からかおうという風にも思えない。左右の奥、上下を隈なく見て、はっきりとは分からないながらも理解した。


「木、ね。しかも妖の」

「そのとおり、茅呪樹という。これを用いれば、白鸞を壊滅させられる。同じものを塞護にも拵える」

「それで飛鳥を転覆させようっていうの?」

「まさかな。それほど容易いなら、儂もこれほど長いこと苦労せずに済んだ」


 腕や脚が僅かでも動く度、パキパキと小枝を折るような音が聞こえる。茅呪樹とかいうこれとは違うが、以前に古木の妖と出会った時に似ていた。


「詳しく知りたいなら協力せよ。せぬなら自由にはさせてやるが、安全は保証せん。まあ戻ったところで全滅の憂き目よ。そういう意味では、ここに居ったほうが安全やもしれんがな」


 くっくっ、と笑っているのだろう。枯れ葉を握り潰すような、乾いた音しかしなかったが。


「仙石くんはどこ?」

「奴か、塔のてっぺんに居るわ。あれの邪魔をしようと言うなら、容赦は出来んが?」

「一緒に帰ろうって口説くつもりだけど、それは邪魔したことになる?」


 伽藍堂はなにかを言いかけて、一度口を閉じた。呆れた為か、なにか思案を巡らせているのか。それとも枯れた脳では、動きが遅いのか。


「奴の目的に、儂は協力してやると言った。奴も儂に協力すると誓った。儂はともかく、あれは他で成し得ることでもなかろう。女が色目を使ったところで、靡くとは思えんがな」


 凛とした佇まいの面道が、色香を武器にすると考える者は稀有だ。いかに人の域を外れた怪人であっても、その見積もりまで狂ってはいまい。


「三度の飯より、唹迩退治が好きっていう馬鹿も世の中には居てね。仙石くんはまたそれとは違うんだろうけど、どうにかしてみせる」

「ほう……」


 太鼓の縁を叩いたような、カッカッと笑声が跳ね落ちた。気難しげな表情は変わらないので、どうにも不気味だったが。


「ならば好きにせい。失敗したなら儂がどうこうする前に、あ奴から手酷い仕打ちを受けようがな」

「どう転んでも、あたしは無事じゃ済まないってわけね」

「そういうことだ」


 伽藍堂は藤堂たちに、それまで手出しは無用と命じた。彼らもなにを見せられたのか、忠誠ではなく畏怖の表情で応を返す。


「では楽しみにしていよう」


 その言葉が聞こえた時には、もう老人の姿はなかった。ずっと見ていた筈なのに、いつ居なくなったのかもよく分からない。

 残された面道たちの頭上に、赤い雫が落ち始めた。血の臭いの正体がなにかなど、考えるまでもない。考えたくもなかった。

 なんとも言えぬ沈黙が、面道と藤堂たちとの間に横たわる。

 幾ばくか。互いにあれこれと気持ちを整理するだけの時間を使って、次に言葉を発したのは藤堂だった。


「国分どの。正気か」

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