第41話:其処ニ彼女ノ姿ハ無

 加速は苦しい思いをしても、スピードに乗ってしまえばそれほどではない。窓を閉めていれば、静音性もかなりのものだ。

 僕の呼び出した折り紙の――道読みの鳥は、ほぼまっすぐに飛び続けている。時に方向が変わるのは、追っている粗忽さんたちが大きく方向を変えたということだ。

 その道筋に、いわゆる道路はない。こちらがショートカットをしているからでなく、あえてそういう道を選んでいるように見える。


「このままだと、山岳地帯です。方向を失ってるんですかね」

「さあな。ステルス戦闘でもやる気じゃねえの」

「そんな、大昔の映画じゃあるまいし……」


 粗忽さんたちは、逃走している。それはつまり誰かに追われていて、戦うことが出来ないか、戦っても負けるか、そのどちらかだ。

 それを覆すために山地に入ろうというのなら、荒増さんの冗談もあながち誤っていないのかもしれない。ただしそれは、機械的な探知装置を備えた敵ということになる。


「人間相手はつらいですね」

「たぶんお前の嫌う相手だろうさ」

「どういうことで――っと!」


 危うく大木にぶつかるところだった。多少の枝なら、この車にはブッシュガードが着いている。しかし直径が数十センチもあるような、太い幹に衝突するのはまずい。

 いよいよ植生が濃くなってきた。ここまでは草原と呼ぶべき土地だったのが、一気に森林の景色だ。

 管理用なのか、一応は道らしき物がある。だが先行している人たちは、ほとんど直線に突き進んでいるようだ。若木を薙ぎ倒して、新たな道が数本作られていた。


「痛えな――可哀想にな――」


 きっちりシートベルトを着けて、それをぎゅっと握りしめていた萌花さん。首が固まってしまったかのように、正面だけを見据えていたのに。この車が枝を引っ掛ける度、先行車の折った幹を見つける度、さっとそちらを見ては痛ましげに目を伏せる。

 深くなるばかりの森の中で、一本の枝さえ傷付けないのは不可能だ。紗々が居ればそれも可能だったけども――今はなるべく避ける。それで勘弁してもらうしかなかった。


「――あれ、粗忽さんの車だべ!」

「あ、そうですね!」


 しばらく走ると、搗割が止められているのを見つけた。しかしおかしい。三台居るのだ。


「仲間と合流したんでしょうか」

「馬鹿かお前」


 こちらも速度を緩めて止まって、思ったままを言ったものの、たしかにそれは変だ。増援があって追われる立場でなくなったなら、こんなところでなにをしているのかとなる。

 しかも搗割は、二台が一台を押さえ込むように止まっている。どうやら中にも外にも、誰も居ないようだ。


「白鸞の衛士にも寝返りが⁉」

「当たり前だろうが。なんでないと思ったんだよ」


 ああそうか。だから荒増さんは、先に連絡をと言った僕に正気かと――。粗忽さんが白鸞に来ているのは、まだ誰でもが知っていることではなかったから。


「おい、あいつを消せ」

「は、はいっ」


 道読みの鳥は、僕たちが車を降りた少し先を旋回している。あれを頼りに粗忽さんを探せば、敵に居場所を教えてしまうことになりかねない。

 右手を拳に、纏式士としては印と呼ぶ形を、剣印で飛ばす。「帰り給え。ありがとう」と、式を自然に帰した。


「どうしましょう。僕の式だと、どれも目立ちます」


 他に人を探すことの出来る式術は、僕にもまだある。でも言ったとおり、周囲には気付かれずにというのがない。気配や霊を頼りに探すという方法もあるが、それで見つけられる範囲にはまだ居ないようだ。

 荒増さんの鋭い目が、ぎろっぎろっと森を見渡す。目の前には斜面が崩れて出来た、壁というか小さな山に塞がれた道。そこで行く手を封じられた搗割と、追手の搗割。それを囲むのは登りの斜面になった土地、豊かに葉を茂らせる木々。

 風はない。葉のくすぐられる音も、渓流が潤す音も運ばれてこない。地面の落ち葉が足音をさせはするけれど、まだ枯れていないそれは比較的静かだ。

 身を隠そうとする人にも、それを探す人にも、それほどいいコンディションではない。


「あの、おら……」

「あん?」


 おずおずと、萌花さんは小さな手を肩まで上げた。すかさず、きっと睨みつける視線に、びくっと竦む。だが彼女は下ろしかけた手をもう一度上げて、小さな声ながらもはっきり言った。


「おらなら探せるべ」

「たしかか」

「たしかかは分がんね。んでも出来ると思うべ」

「よし、やれ」


 たしかでなくてもいいなら、なぜ聞いたのか。その問答の不明確さが、少し気になった。まあでもそれが荒増さんなので、聞いたところで答えないし、そも答えのない可能性が高い。

 萌花さんは辺りを見回して、その中でいちばん大きな木に近付いた。幹に触れるのかと思えばそうでなく、その下の地面にちょっと見えている根に手を添えた。

 茅呪樹というらしいあの妖の声を聞いた時と同じに、たぶんそれは式術ではない。樹人として、木々と会話出来るのは普通のことなのだろうか。


「たぶん……」


 間違っていたらと、荒増さんの叱責を怖れているのか。萌花さんの声は、一層小さくなった。


「たぶん? お前の仲間は、そんなに信用出来ねえのか。お前が信用しねえものを、俺は頼りにするのか」

「んなことねえす! 木っこたぢゃ、みんないい子っす!」

「じゃあ早く案内しろ」


 馬鹿にしたわけではない。かと言って、逆を言って励まそうとしたなんてあり得ない。荒増さんはきっと、ただ思ったままを言ったのだ。

 そこのところを知る由もない萌花さんは、顔を赤くして張り上げた自分の声に驚き、荒増さんに勢い良く頭を下げる。

 それから彼女が示した先に、僕たちは向かった。焦る気持ちを抑えながら慎重に進むと、やがて衛士の制服であるショートジャケットの一団が見えた。

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