第24話:触レタ手ニ或ル温度

 そんなセリフを言わせた当人が、自分であっては困る。杜佐がそのようなことを言って求めた温情に、荒増さんは情報を要求した。

 指定した時間が来れば自己崩壊するタイプのデータで良いから、あるリストをよこせと。


「そんな物をお渡ししては、やはり私の進退が……」

「俺の名が載った物を俺が見て、悪い道理があるのか?」

「いやそれは……」


 そのリストとは、公職に対する重要協力者の名簿だ。ただしその抽出条件に、縁故者を含む。

 そもそもそんな物は存在しないと、突っぱねれば良かったのだ。けれどこの杜佐は荒増さんに融通する意志だけはあると見せたかったのか、リストを用意することが可能であると示してしまった。

 この交渉は最初にあちらの不利で始まっているのだから、もうこうなると断る術はない。


「分かりました、くれぐれもご内密に。それから……」

「ああ、分かった分かった。お前ひとりをどうこうして面白がるほど暇じゃねえよ」


 文字通りの口約束など、なんの保証にもならない。しかし少しでも事態の好転や、安心を求めずにはいられないらしく、杜佐は引き攣った媚びる笑みを顔に貼り付けた。

 手袋をした左手の指に装着している、通常端末の素子を差し出した。指先のない指サックのようなそれを知らない人、などたぶん居ないと思うけど、もしもそうなら握手を求めているように見えるだろう。


「データはそちらに?」


 あからさまな猫撫で声が、僕にも向けられた。さっきの当てつけなのか、荒増さんは尊大な態度で頷き、顎で示した。

 ああ、この人が尊大なのはいつもだったか。

 あちらも同じく左手を出して、素子同士が触れ合った。ずれて離れるとエラーが出るので、指だけで握手をするような格好になる。

 だからまあそうなるだろうと思ったとおり、その感触に杜佐は一瞬の妙な間を持って、そのあと何度かちらちらと僕の左手に視線を忍ばせていた。


「邪魔したな」

「くれぐれも。くれぐれも兵部卿には、ご内密に!」


 返事をする代わりに鼻で笑って、荒増さんは兵部施設に背を向けた。杜佐はそれを微笑みながら、なにか別の感情を殺すように、歯をぎりっと鳴らして見送った。


「荒増さん、待ってください!」


 着いていこうとすると、萌花さんは顔を俯けて落ち込んでいる様子だった。あれだけはっきりと卑下されては、そうもなる。でもそう仕向けたのは荒増さんで、なんとなく程度にもそれが予想出来なかったと言えば嘘になる。

 ここまでではなくとも、萌花さんが喜ぶべき状況ではないのだろうくらいの予測はついていた。

 自分に言いわけをしても仕方がないけれど、それでいいと思ったのではない。自信がなかったのだ。

 なにに。となると、また言葉にすることが難しいけど。漠然とした言いかたをすれば、なにをするのが正しいのか、迷っているうちに後手に回ってしまった。


「萌花さん、ここに居てもなんですから。まずは行きましょう」

「んだ……」


 もう一度声をかけると、萌花さんは歩き出した。最悪の場合は手を引っ張ろうと出していた手も、彼女から握ってくれた。

 すると、などと前置くのも馬鹿馬鹿しいほどに当たり前だが、僕と萌花さんは手を繋ぐこととなる。とても、とても温かい小さな手だ。

 いわゆる牽引のためにと思って出した手だったが、訪れる結果の予測が不十分だった。僕はそのまま、うまく歩けただろうか。

 どうも同じほうの手足を出して歩いたように思う。

 ――荒増さんはどこへ向かっているのか、十分ほど歩いた。ただ同じところをぐるり回るのを二度繰り返したので、結果として兵部からそれほど離れてはいない。

 萌花さんのビルと同じような、一般的な居住用のビルの前で足が止まる。僕たちももうすぐ後ろを歩いていたので、同じく止まる。


「なんですか、ここ」

「開け」


 僕の質問には当然の如く返事がない。代わりに発せられたのは、式言だ。どうやら永続的に張られた結界があるらしい。

 荒増さんの右手は人さし指と中指だけが立てられた、剣印に結ばれている。それはそのままに、今度は振り返って「果てろ」と。


「いつの間に式を飛ばしてたんですか……」

「百年前」


 これはもちろん嘘だ。翻訳すると、そう言いたくなるくらい前からだよボケが、という感じだろうか。

 いつもならそのままが口から出るのに、今はなんだか機嫌がいいのかもしれない。


「なんだが?」

「たぶん式王子しきおうじです。式徨ほどではないですが、自分である程度のことを判断して行動してくれる使役体ですね」

「はあぁ、たまげだ物こしゃってらな……」


 式王子なら、目立たないように僕たちを護衛することが出来る。例えば、誰かがこちらを探すために放った式を打ち破ったりとか。

 その辺りの説明も含めて、萌花さんには素直な驚きも見えた。でもやはりさっきので、すっかり自信を失っている。新入隊式でのあれこれを、ようやく忘れてくれていたかもしれないのに。


「ま、まあ。とにかく入りましょう。入隊していきなり、なんでも出来るなんて人のほうがおかしいんです」

「はあ、そっただ人も居るべな」

「え――ええ、まあ。中には」


 しまった。藪蛇だった。

 なにを言えば良いやら、もう僕の言語能力は立ち往生だ。元の目的どおりに、握った手を少し強引に引いてビルに入る。


「来た様子はねえな……」

「ん、どなたかと待ち合わせてたんですか」

「国分のビルだ」

「国分さんですか……」


 その名を聞くと、四神さんの話してくれたことが、たった今聞いたかのように蘇ってくる。

 全ては推測だけれど、説得力のある内容だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る