東の国の呪術師たち―纏繞の人々―

須能 雪羽

開幕之前

第零話:桜花繚乱ニ旅立ツ娘

 神代の昔。今では『天喰てんくらひ』と呼ばれる巨鳥が大海に浮かび、身体を休め、そのまま死した。その姿がこの国、飛鳥あすかの土となり、多く棲まうあやかしの元となった。

 それは神官の語る伝説で、その成り立ちを見届けた者など誰も居ない。少なくとも、見たと言い張る者は居ない。


「逃げろ!」


 中央の住人とは違って、語尾の上がる独特のイントネーション。田舎ののんびりした言葉として、微笑ましく思われることも多い、この地域の方言。それがこの上ない緊張を帯びて、早口なのが恐怖の色を明確にする。

 どこにもかしこにも、妖は理由もなく存在しない。人や動物と同じようにむくろを持つ者は、そのなりに応じた場所を好んで潜む。持たぬ者、既に滅んだ者にも、やはり好む風があるのだろう。

 しかしどちらにせよ、その理を解き明かした者はまだ居ない。少なくとも、尋常の人の中には居ない。


「山さ行げ!」

「山なんてへえっだら――」

「お社がある。あっごならへいぎだ!」


 その村を最初に襲った異変は、村人の急死だった。最近疲れ気味だ、というようなことを言い出した者が、老いも若きも関係なく、一日か、二日ほどで死んだ。

 それが十人にも被害が及ぶと、次は生きた人間が消えた。先ほど小屋に入ったはずなのに、次に覗くともう居なかったとか。山菜を採る籠を茂みに残したまま、持ち主が帰ってこないとか。

 高台から見下ろす少女は、その成り行きを知っている。防ごうともした。だが彼女の力では叶わなかった。木の幹を掴む手に、僅か力が篭る。


「ひいぃ! とうちゃ! かあちゃ!」

「あんたぁぁ! あの子が!」

「無理だ、あぎらめれ!」


 また一人、少女よりも年少の男の子が喰われた。まず下半身を呑まれて、悲鳴を上げる猶予を故意に与えたような、むごい死に様だった。

 ただそれは、穿ちすぎというものだろう。あれにそのような知恵があるとは思えない。男の子を喰った、どす黒い蛭のような化け物に。


「山へ! お社へ!」


 壮年の男が、逃げ惑う村人たちを誘導していた。だが大声に反応したのか、その男も呑み込まれる。


「そっちは……」


 思わず一歩踏み出しかけて、小さく声が漏れた。届くはずがない。届いたところで、少女にはなにも出来ない。村に近寄るなと少女を遠ざけたのは、村人たちだ。

 少女は知っている。あの化け物がなにか。

 奇妙な男たちが、お社を訪れたのだ。一人は妙に年老いた風貌で、荷物持ちらしい二人は青年だった。

 年寄りは世の中に多く居る。しかしあの爺さまは、どうもおかしい。まるで立ち枯れた古木に人の形を与えて、それが動いているかのようだ。


弥勒みろくさま」


 爺さまはそう呼ばれて、尊大に頷いてだけ答えていた。

 青年の差し出した鼠の腹が、つうっと指で撫でられる。するとぱくり、二つに割れた。手足も口も縛られた鼠が、痛みに騒ぐ。

 爺さまは懐から、ビー玉ほどの大きさのなにかを取り出す。殻の風合いからすると、植物の種に見えた。

 それは鼠の腹に押し込まれ、そのまま社の軒下へ埋められた。


「娘。そなたは獣の子か? ならば見逃してやろう。要らぬことをせぬならばな」


 隠れていたつもりだった。草木に紛れた少女を見つけるのは、熊や猪にも出来なかったのに。

 返事を待たず、爺さまは去る。それから数分ほどで、種は芽を出した。腐った血の色をした不気味な植物は、周囲の生き物を喰らい始める。蟻や蚰蜒のような小さな命を吸って、それは少しずつ成長していった。

 それから七日も経たぬのに、この有り様だ。育った根が離れた村にまで、直接届くようになった。

 少女の親がまだ生きていたころ、少女に石を投げたのは村人だ。それ以上に近付けば殺すと、刃物も向けられた。

 けれども少女は、ただ村人に危害が加えられるのを良しとしない。植えられた種を、掘り起こそうと思った。

 だが社の周りには、爺さまが守りを残している。ふわふわと浮かぶ、獣の口だけの存在。狼や戌や熊のあぎとだけが、牙を剥き出して辺りを威嚇し続ける。これはいわゆる命を持った者でない。ゆえに、実体がない。

 それでも少女には、対抗する術があった。滅ぼすのでなく、和らいだ気持ちを与える力が。

 しかし、及ばなかった。成功すれば、それらは皆、友となるはずだ。しかし涎を垂らし、近寄る何物をも徒らに傷付けようとする意志を覆せなかった。支配している爺さまの影響力が、それほどに強いのだ。


「土地神さまに!」

「守っでもらうべ!」


 村人たちはお社を頼りに、山道を駆け登る。一人、また一人と、犠牲者は増える。それはそうだ。彼らは知らないが、向かっているのは化け物の本体が居る場所なのだから。

 世に、獣人と呼ばれた者たちが不当に差別されることを禁止する、と。そのような決まりごとも出来ている。

 しかし少女はその事実を知らなかったし、その恩恵も受けていない。中央から遠く離れたこの村の人々は、自分たちと異なる存在を受け容れようとしていなかった。

 自身とその周りに流れた血。多くの人数で睨みつける眼。罵る怒声が、少女の足を竦ませる。


「人を愛で、人に愛でられれば、私たちは永遠を生きられるのよ」


 母の言葉が、少女の胸に勇気を与えた。永遠などという、見返りが欲しいのではない。その生き様が素晴らしいのだ。

 自分も母のように生きるんだ。少女は走りだした。もう噛みつかれようと、血を抜かれようと、この身体が滅ぶまで戦うと決めた。

 ――が、それも叶わなかった。


「こら、ガキ。うろちょろしてたら危ねえだろうが」

「戦おうとしたんですね。でももう大丈夫。僕たち、というかこの人がやってくれます。任せてもらえますか?」


 腕を掴んで止められた。誰だ。

 村人とは全く違う、妙な服装の若い二人。年長の一人はまだ分かる。剣術とか、武道をする者の衣服に近い。

 もう一人、少女と同年代くらいの少年のそれは、初めて見る格好をしていた。全身に革のベルトが取り付けられて、もしもあれを全て締め付けたら、彼は動けなくなる。

 それはともかく、どうもここの事情を知っているらしい。だからと任せていいものか。逡巡している間に、二人はもう随分と先へ行っていた。その後ろに涼やかな風が軽く巻いて、桃色の花弁が渦を作る。


「みんなを、助げであげで……」


 山桜の咲き誇る丘の上から、起こったことを見届けた。

 どこから現れていつ合流したものか、二人組は四人組になっている。先ほどの二人に加えて、女性が二人。彼らはお社を目の前に、悠々と歩く。武器を携えているのは、少年だけ。短めだが、刀であるらしい。


真白ましろ。薙ぎ払え」

「畏まりましたぇ、ヌシさま」


 年長の男が言って、女性のうち艶やかな赤い着物を着たほうが答える。彼女は風に靡かせるように、裾を一振り。するとそこへ炎の波が生まれ、浮かぶ顎へと押し寄せる。

 見えていたそれらは、言葉通りに焼き払われた。少女では手も足も出なかったのに、一瞬で。

 だが。あの化け物の種以外にも、なにか仕掛けがあるのだろうか。新たな顎たちが、またすぐに地面から湧きだしていく。


「ちっ、めんどくせえ。おい、任せてやる」

「任せてやる、って――分かりましたよ。紗々さしゃ縛縄紗ばくじょうさ!」

「主さま、分かりましたぁ」


 もう一人の、淡く光る薄衣うすぎぬを巻き付けたような女性。少年の言葉に答えて、踊るように、絡みつくような長い両腕が艶めかしく動く。

 その動きに従って、地面には極めて細い金糸のような線が引かれていった。それは交差して、巨大な網となる。敷かれた顎たちは、それより上に浮き上がることが出来ない。

 合わせるように、少年は手にした紙片を顎の湧く地面へと投げつけた。


「戒める者。我は解く者、締める者。縛る鎖は、我が意のままに!」


 唄でも吟じるような、緩やかな高低。

 網の上に、少年の放った紙片が舞い降りる。網目は顎たちを押さえつけ、地の下へと押し返していく。そしてそのまま、蓋となった。

 お社を取り巻くように、数え切れないほど上がっていた瘴気が消え失せる。だが、その密度では他と比べ物にならなかった、一つだけが残っている。

 それも危機を察したのだろうか。何度も根を振り上げて襲いかかるが、着物の女性にことごとく焼かれていた。


「この場に遊ぶ、種々くさぐさの者どもに申し付ける。集え」


 年長の男が、掴みかかるように右腕を宙へ伸ばした。あの化け物に対しようとしているのだろうに、言葉には全く堅さがない。

 よほどさっきの、少女に向けられた言葉のほうが緊張感らしきものがあった。

 だが男の言葉に、少女ではそこにあることさえ判別の付かなかったあれこれが、意識をもたげる。

 獲物を狙う鷲の爪のような指の間に、それらが集まっていくのが分かる。一つひとつは、それほどでない。だが集まると、膨大な力を感じる。


「――襲え」


 それだけのもの。言ってみれば爆弾のような危険物を、男はあっさりと解放した。

 それらはまだ、この世の何者でもない。ただそこにあるだけの、意識の欠片のようなもの。

 そういったことの語彙など知らない少女が、なんとか導き出したのは精神力という言葉。科学では認められていないそのエネルギーが、人を喰らう化け物の核を破裂させた。


「さて、宿で飯でも食うか」

「良うございますなあ、ヌシさま。妾の酒もあるなら、なお良いですなあ」

「おいしい地酒があるそうですよ、真白さん」

「それは重畳。紗々も一緒に飲むと良いですなあ」

「いいんですかぁ、真白さぁん」


 なんの後腐れも感慨もないように、四人はお社に背を向けた。賑やかな彼らが去ったあと、しばらくしてようやく村人が辿り着く。

 彼らは破壊し尽くした。ただし物理的にでなく、霊的に。実体のあった化け物の亡骸も、もはや若木が朽ちたようにしか見えない。


「助がっだぁ……」

「こごに居りゃ安心だや」

「んだなぁ」


 村人はなにも知らない。その時を区切りに、なにも起こらなくなったのも、お社のご加護だと噂する。

 彼らが纏式士てんしきしと呼ばれていることを、少女は間もなく知った。どうせ人を愛でるなら、ああもなりたいと少女は思う。

 少女が十五の歳。山村に山桜の花弁が舞うころだった。

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