宇宙人

雨蛙

第1話

四月。私の通う高校では、新入生は必ずと言っていいほど先輩から忠告を受ける。曰く、「天文部室には近づくな。」

そのあおりを受け、新歓の時期にも関わらず私の所属する天文部にはほとんど新入生が来なかった。そして、興味本位で覗きに来た新入生もその忠告の理由となる人物に追い払われてしまった。その人物とは、早瀬 愛。私の隣で埃っぽいソファに寝転びながら分厚い学術書をつまらなそうに読んでいる、天文部部長。私の先輩である。

「そんなにじっと見つめてきて、構って欲しいのかな、けーちゃん?」

先輩は私の視線を感じ取ったのか、読んでいた本をパタンと閉じてこちらに軽薄に笑いかけた。埃が窓からのひかりを受けてキラキラと舞っている。ちなみに、先輩は顔はとてもいいのだ。ソファに腰掛けながらこちらに笑みを向ける美しい女性。まるでなにかの映画のワンシーン。人によっては羨ましがるような状況なのかもしれない。しかしながら、彼女はミステリアスな美女なんかではなく、早瀬 愛。天才的な頭脳を持ち、通り魔的に人の心を傷つける危険人物だ。

散らかった部室の資料を片付ける手を止め、大きく息を吐く。

「先輩のせいで今年は新入部員が入らなかったなって思ってたとこです。」

現在の部員数2人。これでは、来年は確実に廃部になってしまうだろう。先輩は卒業してしまうから関係ないかもしれないが…

「えー、普通に対応しただけだよ。」

先輩は何が悪かったのかわからないという顔で首をかしげる。わかっている、これは本心からの言葉だ。



先輩が数少ない入部希望者にかけた言葉を思い出す。ある女の子は父親が天文学者で自分も将来はそうなりたいと語っていた。

「えっ、そんなことも知らないの?ちょっとでも天文学に興味あるなら知ってるはずだと思うんだけど…。あっ、もしかして本当は天文学者になんてなりたくないのかな?」

彼女は痛々しい笑顔をつくって帰っていった。


ある男の子は噂を聞いて興味本意で来ただけだった。

「君ってなんかつまんないね。私は君に興味はもうないから、帰ってくれていいよ。」

彼はなんでそんなことを言われなきゃいけないんだと怒りながら帰っていった。



先輩は、人の気持ちがわからない。



「私、またなんかやっちゃった感じ?」

先輩はソファから体を起こして座りなおすと、困ったような顔でこちらを見た。

「やっちゃいましたね。ちょっと自分の発言を思い返してください。本当にわかりませんか?」

沈黙。3秒、5秒。

「全部思い出せるけど、なんでかわからない。」

少し不貞腐れたように唇を突き出す。答えを催促するように上目遣いでこちらを見る先輩と目が合う。困惑と期待。この人は貴重な「わからない」を楽しんでいる。だけど、わからない自分を嫌ってもいる。だから、何度自分が傷つけられたとしても、私は説明するしかないのだ。もう一度、小さくため息。無言で先輩の前にパイプ椅子を置き、勢いよく座った。ギッ、っと椅子の軋む音がした。

「説明します。ちゃんと聞いてくださいよ。」


私はどんな表情をしているのだろう。できればしっかり呆れた顔になっていてほしい。


「ありがとう、けーちゃん。」


目を細めてフワッと笑う先輩はまるで子供のようだった。









十二月。気温が一気に下がった日だった。カーディガンの袖を伸ばしながら、部室のドアを開けた。

「おはよー、今日は寒いねー」

「なんでいるんですか?」

ソファーの上で毛布に包まり、顔だけを出した先輩がいた。眠そうに目を擦っている。

「昨日は星が綺麗だったから、ついね。」

悪びれる様子もない。この人は本当に受験生なんだろうかと疑わずにはいられなかった。「勉強しなくていいんですか」と聞こうとして、やめた。この人に勉強なんて今更必要ないのだ。さっさと部室に入ろうと思い直してドアを閉めた。



「先輩はどこの大学に行く予定なんですか?」

マフラーを脱ぎながら、今まで聞けていなかったことを口に出した。何故か、先輩の方が見れなかった。

「先生に勧められた外国の大学かなぁ。私みたいな人がいっぱいいるんだって。」

そう言った先輩が出した大学は世界でも最高峰の大学の名前だった。先輩の学力を考えればそこ以外ないだろう。先輩の声は弾んでいた。顔は見ていないからわからないけど、きっと期待に満ちた目をしているんだろう。なんでか、その顔を見たくない、と思った。先輩はあれで寂しがり屋だから。自分と同じレベルの人がたくさんいる場所をずっと望んでいたんだろう。その願いが叶うなんて私としても喜ばしいことだ。そのはずだ。



「ねぇ、私って宇宙人なんだって。」



後ろからかけられたあまりに突拍子もない言葉に思わず先輩を見た。いつのまにか毛布から抜け出て、パイプ椅子に座っていた先輩はいつものように軽薄に笑っていた。

「それは、誰かに言われたんですか?」

宇宙人。先輩をそう評する人には何人か会ったことがある。

先輩は私の質問には答えず、私の目をじっと見て言った。


「もし、私が遠い宇宙のあの星に帰るって言ったら付いてきてくれる?」


先輩の表情は変わらなかった。軽薄な笑顔を貼り付けていた。けど、この世の真理をあらかた見抜いてしまったその目は私を見透かすようで、値踏みするようで、すがるようで。ああ、これは先輩の悪い癖。心の自傷行為。私はわかっている、この行為の意味を。それでも、私の吐く嘘なんて先輩には簡単に見透かされてしまうから。先輩に正面から接することが私のささやかな抵抗だから。私はこう答えるしかない。

「ついて行きません。行けません。私は宇宙では呼吸ができないから。」

随分と平坦な声だった。

「そっか、けーちゃんは人間だもんね。」

答えの分かりきった問題の答え合わせみたいな雰囲気だった。先輩の表情は変わらなかった。いつも通り、どこか諦めたような雰囲気だった。治らない傷を直視した後のこの雰囲気。私は先輩のこの雰囲気がたまらなく嫌いだった。


きっと、先輩は今の私の気持ちなんて少しもわかっていないんだろう。熱い生き物が胸で暴れるようなこの苦しさを、キュッと締め付けられるような悲しみを、真夏の日差しに刺されるようなこの渇きを。それに安心して、悲しくて、自分でもよくわからない。それでも、私は、抵抗する。

先輩の前に立って、先輩を見下ろす。それから、少しの緊張を振り切って口を開いた。

「確かに私は人間です。でも、私は先輩がこの星で生きていくための手助けができます。先輩を地上に縛り付けることができます。だから、そんな、自分で自分を傷つけるようなことをしないでください。」

私の声はいつも通りだった。だけど、絶対に目は逸らさなかった。人の気持ちがわからないこの人に、少しでも気持ちが伝わるように。本気だけでも伝わるように。


先輩は驚いたように、薄く口を開けたままで固まっていた。ストーブの音だけがやけに大きく聞こえる。しばらくすると、まるで咀嚼するかのように口を閉じて、のどが動いた。視線を落として、言葉を確かめている様子だった。すると、パッと音がしそうなほどの勢いで先輩は顔を上げる。


「けーちゃん、ありがとう。」


その顔はいつかの笑顔と然程変わらないはずなのにやけに大人っぽく見えた。少しの諦めと喜びが私を襲う。本当は、私も、先輩もわかっているのだ。私では先輩を救えない。私はヒーローですらないから。何の才能もない、ただの人間。あの星に手を伸ばすほどの覚悟も、愚かさもない、ただの人間。それでも、先輩に必要とされたい、汚い人間だ。

なんとなく、確信がある。きっと、世界中のどこに行っても、先輩は宇宙人のままだ。ずっと、先輩は独りのままだ。宇宙で息のできない私ができることは、先輩を地球に縛り付けておくことだけ。隣にいることだけ。いつか、先輩を救ってくれる誰かが現れるのを無責任に待つだけ。それは私がいらなくなるということだけれど。


願わくば、まだもう少しだけ。

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宇宙人 雨蛙 @ama_gaeru

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