第3話

「ご主人さま、徳順が参りました。」

 いつものように徳順はすぐにやってきた。

「入りなさい。」

 下男に促されて部屋に入ってきた徳順に、若銓は先程の魚や海藻を見せた。

 徳順は、即座にそれらの名前を答えた。巽庵は、逐一書き取っていった。徳順の告げた名称は、すべて俗称である。そのため巽庵は、正式名称を調べて書き取った名前の後に付け加えた。そして、それぞれの特徴や食用になるものについては、その調理法まで記した。

「先生、この魚は羹にすると美味いです。夕食のおかずにするといいです。」

 徳順がこう言うと、巽庵は下男を呼び海産物を渡した。今夜の巽庵の食膳には魚の羹が並ぶことは間違いないだろう。

 記録作業が終わると、巽庵は徳順と共に再び海辺へ出掛けた。水揚げが終わった浜辺はがらんとしていた。

「今日は何をするのですか?」

「貝殻を拾い集めよう。」

 二人は子供のように貝殻を拾い始めた。

 昨日は岩場に行き海藻の分布を調べ、その前は漁師のところへ魚の群れについて訊ねに行った。巽庵は、自分の目と耳、手と足を使って調査を行なった。学問とは、もともとこうしたものだと確信していたためだ。

 日は、いつしか西に傾き始めた。巽庵は腰を伸ばして沈み行く夕日を眺めた。彼は本土にいる弟・茶山(丁若鏞)のことを思った。彼も又、一人で流謫生活を送っていた。

「そろそろ帰ろうか。」

 徳順に声を掛け、巽庵は家路をたどった。

 復性斎に戻った巽庵は、夕食を済ますと机に向かった。これまでの書き付けを整理するのである。こうして彼の一日は過ぎていった。

   ・・・・・・・・・・・・・・     

 歳月は流れ、巽庵の海産物の記録は三巻の書物に纏められた。彼は、この書物の名を「黒山島の魚類の系譜」を意味する『玆山魚譜』とした。「黒山」を「玆山」としたのは、「暗黒」を意味する黒の字を嫌ったためである。黒山島はけして「暗黒」の島ではないと思っている彼は、黒と同じ意味を持つ玆に置き換えたのである。

 完成した書物を前にした巽庵は、その間のことを感慨深く振り返った。

 当初思ったよりも、遥かに多くの海産物が、この島の近海には存在していた。これらは姿形はもとより、その性質も多種多様だった。ある種の魚類には回遊性があることも、この島に来て初めて知った。

 漢陽にいた頃の巽庵にとって海産物とは、ただ食膳に並ぶものに過ぎなかった。しかし、この数年の調査を通じて、魚や海草が食膳に運ばれるまでには、様々な物語りがあることに改めて目を開かされた。

「まったく、この世の中には、私の知らぬことが、まだまだ多く有りそうだ。」   

 こう呟いた巽庵の脳裏に、以前読んだ西洋の書物の一節が浮かんだ。

「学問とは、創造主である神がこの地に残した言付けを識る行為である。」

 西洋人は、このような思想の下で様々な学問を発展させた。彼らは果たして「言付け」を聞いたのであろうか?

 『玆山魚譜』が完成した翌年(一八一六年)巽庵は配流地である黒山島にて世を去った。『玆山魚譜』を著述したことで、彼も「言付け」を耳にしたのであろうか? このことについて巽庵は一言も語っていない。


 今のところ、丁若銓著『茲山魚譜』の完本は見つかっていない。断片的に伝わっている同書の内容は二百年近く経った今日の視点から見ても高く評価されている。       

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玆山魚譜 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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