第620話

「――そういえば」

「はい?」

「まだ雨粒は二つしか落としとらんかったね」

「はぁ、確かに。しかし既に雨降らす太刀は――」

「ふぅむ」

 煙を寄せ、人差し指で中をこねなぞる。

 すると。

「……? …………!?」

 魄嚥桃の四肢に一本ずつ切り傷を残す。

「ほれほれ」

「二度目は食らうつもり毛頭ありませぬ」

 その後も煙の中で指を振り回し、斬撃を作るが、一度で感覚を掴んだのか全て影で阻まれた。

(良い。これは便利。これがの力かっ)

 今まで半端にしか干渉を受けず。即ち力は貰わず。しかし、頭の中にシステムからの恩恵がどのようなモノかは流れてきて。さらにはその昔、神薙羅同様に異歪者ディストレイと戦ったことがある。つまり、影がどれほど強力かはよーく知っている。

 だからこそ、今まで拒否はしつつも。強力な盾であり矛である影を手に入れた高揚感は中々のものがあり。

「ははははははは! 傘にしては上等が過ぎますなぁ此れは!」

「せやなぁ。ほんま面倒よそれ」

「やはり存じていますか。ふふ。ではいくら雨を振らせてももう意味はないとわかりますね? なれば次はこちらの番」

「……!」

 念のため、首から下を影で包み込みながら、同時に神薙羅を向かわせる。

 精密さと範囲を捨て、速度重視がために両の手を消してかわし、お互い地に降りる。

「次は……大きくいきましょうか」

 次は足元から。影は瞬く間に広がりを見せ、先の肉のように津波を象って襲いかかる。

 けれど。残念ながら。

「もう通じんねん。それ」

「……!?」

 腕を一振り。それで十二分。影は消し飛ばされた。

「やはり、対処法もご存じで」

「まぁ。そやね」

「ではこれは?」

「ん……」

 屍たちが動き出した。が、これも先程までとは異なる。

「これ、は……」

 屍は肉塊が押し固められたモノでなく、目や鼻など部位はないが綺麗に人型を形作り、そしてなにより。

「これは……また……。面倒な……」

 幾千。幾万の屍兵しへいはそれら全てに――。

「一度に、これらのを飛ばし、中の肉を散らすは無理なのでしょう?」

 影を纏わせていた。それもご丁寧に全てに己の細胞にくへんを忍ばせた上で。つまり外から纏わせたのでなく、屍兵の内から出している。

 外からではどんなに細かく丁寧に纏わせても一枚の布に等しい。垂らされている糸を切れば全て無くなる。

 故、対策として一体一体が影を出せるようにした。

「即席にして思い付きにしては中々かと」

「うん。そやね。誉めたるわ」

「やった♪」

「せやったらこっちも考えがあるわ」

 どこにあるかわからない。それに該当するモノがどこにあるかわからない。

 だから。

「これはまた……壮観ですな」

「そやろ」

 全て呼び寄せた。神薙羅じぶんの力が含まれているモノ全てを。先ほどまでは還元するにしても一つずつ……多くても掌に収まる程度のモノを。今度は山の如く積まれたそれを。

(これで、なんとかなるやろ)


 ――天鎚


 全て壊した。

「なる……ほど……」

 還元される力は凄まじく。神薙羅は一つ確信する。

「なるほど……」

 今だけならば。

「成程」


 ――今だけならば間違いなく。リリンですら殺せる、と。


「いやはや。折角頂こうと思っていたのに酷いことを。それで? 如何に力は増そうと耳障りな声が聞こえなくてはは――」

「御託はいらんからぃ」

「……では。進軍開始」

 言葉の圧が上がったのを感じ、気を引き締めつつ黒屍兵を差し向ける。

「それで? 今度はどういたしますか? 潰すか。斬るか。飛ばすか。はたまた留めるか。お好きなように」

「ほんならまぁ――」

 一瞬。意識をに繋げて。コンマ一秒にも満たぬ刹那で用事を済ませる。

 そして。

「留める、で」

「………………………………はい?」

 手は動かさない。手どころか体は一切動かさない。

 が、黒屍兵は一体足りとて動けずにいる。

 何故か?


「動かし方? コツ? あんなもの全て感覚によるものだ。説明なんてできようはずがあるまい。だがまぁ、貴様――いや、お前なら我の感覚を共有してやれば十分だろう。他の誰でもないお前だからこそできるだろうさ」


「如何にして、その領域に?」

「知り合いに教えてもらってん。コツ」

 神薙羅の足より広がる影。これが足止めの正体。

 還元されたマナを含め今のマナはリリンを凌駕する。それだけで影を扱う下地はあるということ。

 そして、今しがた意識をリリンへと繋げて影の使い方を共有した。それも元の存在を辿れば同じモノ故にできること。才と感覚の共有をしたとしてもリリンほどの精密性はなかなか難しい。

 が、リリンと神薙羅は花菜という存在が元。だからこそリリンと同レベルの精密性を持った影を使える。

 そして今影を使ったことで、わかったことも。

(確か、影といえど全て同じやない。マナの強い方が押し勝てるんやったね。それもはっきりと。優劣は明確だとか)

 リリンとて影の押し合いでは才に及ばない。マナの質は才のが上だから。

 そして黒屍兵はピタリと動きを止めた。神薙羅の影によって。

 それ即ち同格か格上でなくば叶わない。

 もし少しでも魄嚥桃が勝っていれば、兵の歩みは阻まれつつも止めることまではできない。

 だからこそ。止めたことが何より格を証明する確たる証拠。

「強そうやったのに。雑兵ほどの役にも立たんかったね」

「……お陰様で」

 魄嚥桃は決して弱くない。むしろ、リリンを苦戦させるほどの実力は有している。

(私は強い。元々強いっ。それが誇りを捨て、穢らわしいモノにまでこの身を許したというのに!)

「何故貴女はそこまで高みにおられるのですか!? 母上!!!」

 声は怒号。しかして顔は悦に浸っているようで。同時に安らぎも感じているような。

 例えるならば、女のみに許された愉悦と母に抱かれ微睡みにたゆたう赤子の穏やかさを持ち合わせたような。

 その顔は複雑にも見え、けれど単純無邪気にも見えて。

 それが。


「ははうえ!」


「…………」

 それがとても辛い。

 やいばを交える度に胸を劈くようで。

 早々に終わらせたいという気持ちを抑えながら勘を取り戻すことを優先して。

 けれど、そろそろ限界が近い。

「……おや? 雑念ですか? 追い詰めてるというのに」

 影で空気を掴んで体を引っ張り投げて神薙羅に肉薄。

 が、刀を持つ魄嚥桃の手首を掴んで軽々止める。

 手のひらには影を纏わせていて、接触部からは傷を負うことはない。

 どころか、影の性質の一つ。どんなものにも貼り付けること。それを用いて距離を取ることを禁じた。

「……隙かと思っていたのに」

「残念。ちょっと夕飯どないしよか考えてただけや」

「けれど良いのですか? これだけ近ければこちらにも機会を作ることに――」

 言い切る頃には首から上は神薙羅の張り手で消し飛ばされていた。

 その一撃の勢いは返り血も許さないほど凄まじく。周りの動きを止めていた黒屍兵たちも巻き添えを食っていた。

「ぃ……ぃゃはゃ………………確かに頭を散々ちりぢりにされると攻防共に叶いませんな――」

 言い切れば首がなくなる。

 首の断面が蠢いて頭を戻して口が開き。

「……しかし、何度首を飛ばしても幾度も生えてきますが。決着つける気はおありで? それとも手詰まり――」

 そしてまた飛ぶ。

 何度かこのやり取りを繰り返して。悪戯に時は重ねられていく。

(勘は……もう取り戻しとる……。いや、リリンちゃんのお陰でそれ以上の鋭さを得とる)

 それでも時間稼ぎの如く首を飛ばしているのは。

(これはうちへの罰や)

 愛してる。未だ愛してる。

(この子はいくら殺しても苦しさを忘れてもうてる)

 我が子のように愛していた娘が、実の娘に等しい存在だったのだから。

(せやけど、うちは痛いよ)

 どんなに非道な行いをしても、幽閉するしか出来なかった。

(我が子を殴って心痛まん親なんておらへん)

 それほど愛していた。

(子供かてそうや。ほんまなら苦しいはずなんよ)

 はなばなれになって。寂しくさせて。辛い思いをさせて。

(でも、この子は殴られてもどこか喜んどる)

 他の反逆者たちを食らって。喰らって。らい尽くして。システムの介入もより深く許していって。

(うちがそうさせた。この子を壊したのは……)

 自分。それが神薙羅にとっての罪。

 自分が辛くて我が子を殺せず。ただ辛い思いをさせ続けたという罪。

 早々に殺して上げれば良かった。そうすればこの星の見張りも必要なくて。

(あぁ……うちの我儘わがままで無意味な時を刻ませた子らもおるんか……)

 自分に科す罪と罰。

 罪は先延ばしにして娘たちを傷つけ、無駄な時間を過ごさせたこと。

 罰は愛する者を殺し続けること。

 己の心が痛みを感じなくなるまで。

 故に首を飛ばし続ける。ひたすらに。



 罰が始まり、首を飛ばして数十を超える頃には言葉を聞いてられなくなって。数百に上る頃には顔は歪み、涙が止められなくなって。千回ほど首を殴り飛ばしてようやく涙が止まり。胸の痛みも薄れてきてしまった。

(……はは。これ以上は罰にならんな)

 なら、最早生かす理由はなく。頭が治るのを待って最後に言葉をかわす。

「――おや? 少し見ぬ間にやつれましたか?」

「……」

「それにお疲れのご様子。ではここからは――」

「白音」

「――――」

 少し晴れた目で。疲れた顔で。枯れた声で名前を呼ばれる。

 それだけで。満たされた。満たされてしまった。

「はは……うえ……」

「もう、ほんまにおしまいや……」

「………………はい」

 抱き締められて、抵抗する気が霧散してしまった。

(嗚呼……喰らわずとも……)

 顔から悦が消え。泣くのを我慢する子供のように眉と下唇を寄せて。

「はは……う……ぇ……」

 遠慮がちに着物の袖をつまんで。

「ひっ。……ぅぐ」

 控えめに泣きながら口だけは笑みを浮かべ。

(ただこうされるだけで)

「ぁぁ……」

(満たされるのに。どうして)

 あの時、牙を剥いてしまったのか。

 抱き締められるだけで幸せなのに。それ以上を求めてしまったが故に失われた年月。そして永久に取り戻す機会は消え失せ。

「さよなら」

「はい……お元気で……」

 神薙羅からの侵食を受け入れてシステムより与えられ、花菜より与えられた不死性を手放した。

 死ぬことができるようになったところで。

「最後はどうか……このまま……強く……」

「…………うん」

 神薙羅の力一杯の抱擁。最早耐えきれる肉体はそこには無く。首から下の骨が砕けて内臓を貫き、使い物にならないようにして。

 やがて静かに息を引き取った。

 魄嚥桃――白音の最後の顔は、母の腕に抱かれて眠る子供そのもの。幸せと安らぎの中で長い命に終止符を打たれる。



 決闘というには呆気ない終わり。

 けれど母娘喧嘩としてならば、それなりに良き結末と言えるのではなかろうか。

 共に歩めなくなった二人だけれど。最後に娘は愛する母と共にいれたのだから。

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