第523話
「……」
彼女は定期的に遠出をしなくてはならない。遠くへ赴く理由は根城にしている山のことを知らない。または来れない地に住む捨て子を迎えるため。
他の鬼では足が遅い。体が持たない。だから彼女しかこの役目は担えない。
故にこれは隙。つけこまれる明確な弱味。弱点。起こり得る事態。
少し目を離した隙に。少し離れただけで。
よくあること。彼女に限らず。どんな人間にもあること。
子供から目を離した隙に事故にあった。ちょっと離れてただけで風邪が悪化した。
人って不思議。頭が良いはずなのに。可能性があるってわかるのに。それでもこう考える。
――自分たちには関係ない
――自分たちの身には降りかからない
――起こることは知っててもまさか自分に
そんな平和ボケしたような考えを持つ。だから備えに対して甘えを起こす。怠りを呼ぶ。不幸を招く。
ある意味で、これは自業自得。
悪いことをしたらしたヤツが悪いのは当たり前だけど。
悪いことがわかっていて、起こってほしくないと思っていながら、備えを怠るのならば、それもまた悪いこと。
だから彼女を擁護することはできないし。擁護できる人間も残っちゃいない。
いるのは胸に抱えた生まれながら体が弱いだけの赤子のみ。
「…………」
声は、上げない。涙も、流さない。赤子を、抱いているから。
ただ、沈黙を持って。悔いる。恨む。怒る。
激情は静かに燃ゆる。胸のうちで静かに燃ゆる。
誰にも見えない焔の激しさは目の前に広がる山火事が如く激しい。
けれど今は蓋をしなくてはいけない。
恨焔で、赤子を焦がさぬように。
「……ふぅ」
目の前の惨状に驚きはしたものの。一度蓋をすると決めたならまずは現状の把握に努めなくてはいけない。
赤子が煙を吸わないように近くには寄らない。けれど視覚の優れた彼女ならば遠目でもわかることは多々ある。
例えば不自然に砕けた骨。恐らく拷問でもされたのだろう。隠した子供の居場所を吐かすために。
例えば逆さ吊りの焼死体。誘き出すために使われたのかも。
そして何より目につくのは、境内のど真ん中。少し火から離れた場所で伏せている元好敵手。
「巴……」
正座からそのまま倒れ込んだような体勢で息絶えている。
手には小刀。敷かれたのは火で渇かされた血の絨毯。体の下から除くのは臓物。
すなわちそれは、腹を切ったということ。それも自ら。
恐らく、自分の命を対価として他の子供たちの命を乞うたのだろう。
あぁ。手に取るようにわかる。わかってしまう。
それ故に彼女は苦労している。
燻る焔を抑え込むのに。とても苦労している。
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