第522話
学をつけ。作法を覚え。山に屋敷を建て。寺を建て。鬼の子を処分するための場所と銘を打ち。同族を集めて十数年。
巴の教えにより貴人の振る舞いを得て、武を学び、威厳を備え、顔は晒さずとも畏怖され、敬われるようになり、そしてそれに慣れた。
むしろ顔を晒さないからこそ、彼女は神が如く敬愛されているのかもしれないね。
最初の頃は大変だったようだけど。あらゆる時代を生きた彼女とその家族だ。十年もあったらいわゆる文明的、文化的な生き方にも板につく。
なんならほとんどが子供だしね。初芽などの例外は数名にも満たない。
いなかったわけじゃないけれど。彼女どころか初芽に及ぶ者が少なかったからね。寿命だとか。病気だとか。いつの間にかいなくなって、武者に殺されたとか。そんな理由で死んだ子たちのが圧倒的に多い。
だからいつだって、子供たちのが多いのさ。
今となってはより集めやすくなるようにもしたしね。
誘拐って手も使っちゃいるけど、基本的に人間離れした身体能力だったり、奇形児だったり、不可解な子は集まってくる。親が捨てに来てくれる。
その中には人間止まりの子ももちろん多い。身体能力だったりは重宝されたりすることが多いからある程度年を重ねたら手加減を叩き込んで人里に帰すこともあるし。不可解な子はいわゆる発達障害、場合によっては天才と言われる部類だったりするからこちらも教育次第で人間として生きていける。
だからと言っちゃあれだけど。必然的に、一番多く残る人間止まりの子供は奇形児。
西暦千年をちょいと越えた頃なんてのは医学の進歩もクソもない。
生まれながらに肉体の欠損があればそれだけで物の怪に奪われただとか、呪われた忌み子と言われ、捨てられる。
その他に多いとか、少ないとか、大きいとか、小さいとか、形が違うとか。そんなのがあれば全部物の怪のせいだったり。呪いのせい。
むしろ彼女たちのところまで捨てにくる人たちは良心的だよね。ま、お払いだとかをされて処分されてると思ってるんだろうけども。
なんにせよ、そうやって子供たちは集まるのさ。人も鬼も。
体の弱い人間の子も中にはたくさんいて、たくさんの死が隣り合わせ。
だからこそ、互いを慈しみ。助け合い。そして得られるはずのなかった温もりや穏やかさに包まれて過ごしていく。
そんな時間が長く続いてほしい。そう思うのは必然で。なんなら永遠に続いてくれと願うのは当然で。
けれど現実は残酷なもの。長くは続かなかったんだ。
だって、ヒトの心がわからない。変わり者もいれば。共に暮らす鬼や奇形児を毛嫌いする子も来てしまい、受け入れてしまうから。
綻びを、自ら招いてしまっているから。
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