第496話
「お待たせしました」
「……いえ」
雪日が座ったまま振り向くと、対面に座り封筒を一つ差し出してくる。
「これは?」
「我が家に伝わるある人からある人への手紙です。と言っても原本は第二次世界対戦後に書かれた物なので、そちらは何度か複製した物になります」
手に取り見てみると、多少年季の帯びた紙ではある。しかしそれでも数十年程度のもので、数百年物とは言い難い。
「中を拝見しても?」
「えぇ。是非。私は前に中を読んでいますが、至って普通の手紙ですので。気構えることはないかと」
「なるほど。では――」
拝啓、姉君へ
と、気取っては見たものの。恐らく俺が書いたと知れば呆れるか馬鹿にしたように笑うだろうから砕けさせてもらうよ。
さて、何から書こうか迷うところだけれど。まず、姉ちゃんとの思い出を記そうか。
恐らく届くことのない手紙だろうが、俺の子孫たちが残すなり勝手に読むかもしれないし。
俺としては長く俺の武術が残るなら、姉ちゃんのことは知っていてほしく思うからさ。
今思い返すと、当時は鬱陶しく思う姉ちゃんはしっかり者だった気がする。
よく母さんの手伝いもしていたし、まだ八つのガキだった俺の遊び相手もして。十の頃の女とは思えないくらいちゃんとしていて、自分の比較すると今でも恥ずかしくなる。
働いて働いて。飯もそんな食えない時勢。俺に自分のぶんまで分けてくれて。お陰で元気の有り余るがきんちょだった俺はよくチャンバラをせがんだよな。
ま、姉ちゃんに勝てたことなんて一度もなかったけど。
しっかり者で世話焼きなのに、勝負事には一切合切手を抜かなかった。
だから悔しくて悔しくて。何度も挑んだけど。勝てなくて。
日に日に痩せ細るのもあの時は気付かなかったくらい。力強い存在だったんだよ。
そんな日々を過ごす内、目標を持つようになったんだよ。
いつか姉ちゃんを倒して、そんで姉ちゃんを守れるくらい強くなるっていうな。
戦時中だから尚の事守る側になりたいってなってたんだろうなー。ガキでも男だったから。
でも、俺たちの住むところにも空襲があって、チャンバラなんぞ意味ないんだなと思い知らされた。
あの日、姉ちゃんはいち早く空襲に気付き、俺と母さんに覆い被さって守ってくれた。
瓦礫の下敷きになることはなかったけど、燃えた木材が姉ちゃんの背中を焼いて、足を潰しちまって。
でも、泣き言言わずに母さんに俺を連れて避難してくれって叫んで。
俺は残ろうとしたけど、母さんは泣きながら俺を抱き上げて姉ちゃんを置いてった。
守りたかった姉ちゃんに、最後に守られた日になった。
飯を食わせてもらって。遊んでもらって。空襲から守る盾になってもらって。
俺は、もらうだけで、恩返しすらできなかった。
あのあと、俺たちは無事に防空壕までたどり着いたけど。俺は母さんを恨んだよ。なんで姉ちゃんを置いていったんだって。
したら母さんにぶん殴られて、私だって置いていきたいなんて思ってない。でも、雪日はもう駄目だった。でも、あの子のお陰で私もお前も無傷。だったらあの子に気を取られてお前を殺す事になったらそれこそあの子もかばった甲斐がない。私達が生き残るのがあの子への手向け。ってさ。
子供の頃には納得できなかったけど。戦争が終わって。大人になって。子供ができて。それで漸く母さんの気持ちを完全に理解できたよ。
本当に、俺はどうしようもなく、無力で馬鹿なガキだったんだな。
ここまでは姉ちゃんとの話を主にしたが、その後の話をしよう。
空襲が終わった後。家に戻ったけど全部焼けちまってて。姉ちゃんの体もなかった。
だから、俺。姉ちゃんは生きてるんじゃないかって思ってさ。病院に行ったんだよ。
でも、あるのは顔もわからないくらい焼け爛れた死体ばかりで。姉ちゃんくらいの女も何人もいたけど。確かめる術はなかった。
きっと、あの中に姉ちゃんがいたんだろうな。けど、確かめられないなら、姉ちゃんがあの中にいないってこともあるって漠然と思ってた。希望にすがってた。
いつか元気になって、ふらっと帰ってくるだろうって。
でも、俺が大人になって色んな道場を渡り歩くようになっても。
物好きの嫁を娶って子供ができても。
皺と白髪が目立つようになってから自分の流派を作っても。
姉ちゃんは帰って来ず。これを書く頃には俺も七十を越えちまったよ。
正直、こんなガキのように書くのは恥ずかしくも思う。
けど、もし、姉ちゃんが生きていたとして。
俺が死んだ後に姉ちゃんが帰ってきてこれを読んだなら。
きっとこういう書き方のが良いと思ったんだ。
そのが、姉ちゃんも読みやすいかなってよ。思ったんだ。
ほら、女のが寿命長いことも多いだろう。だから姉ちゃんがあの空襲から生き残ってたら或いはとね。
望み薄とわかっていても。この年になっても。なんでだろうな。姉ちゃんなら大丈夫って。不思議と思ってんだよ。
どっかで生きてんだろって。あんなに強い姉ちゃんなんだからって。
チャンバラごっこから卒業できず、延長で流派と道場まで立てちまった。いつまでもかわんねぇ俺なんかよりずっと大人で、凄かった姉ちゃんなんだからと。
姉ちゃん。会いてぇな。最後に一目。会いてぇよ。
でも、俺もこの年だし。色々体もがたついてきてよ。病にもかかってるらしい。
だから、きっと姉ちゃんが生きてたら会えず仕舞いなんだろうよ。
でも、もし、死んでいたら。なんて言いたかないけど。もし姉ちゃんが死んでたら。あの世にいるんなら。これで会いに行けるよな。
姉ちゃんに会えると思ったら、死ぬのも悪くねぇ気がしてきたよ。
つーことで姉ちゃん。死んどいてくれ。これを読まないでくれ。
妻を残すのも。子供たち。孫たちも心配だが、俺がいなくても生きていけるだろうから未練はない。
姉ちゃん。なあ姉ちゃん。最後までわがままでごめん。死んでいてくれなんて書いてごめん。
でもよ。それくらい会いてえんだ。
こんなこと思ってたら地獄行きかな。姉ちゃんはきっとお天道さんに昇ってるだろうから会いに行けないかな。
もう、わかんねぇや。ボケが始まってんのかもな。
だから、最後に一言綴り。締めようか。
姉ちゃん。ありがとう。
俺は姉ちゃんのお陰で幸せだったよ。
敬具
和宮内 雪日様へ
和宮内 陽介より
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