第460話

 遥か昔。千年ほど前だろうか。

 更なる太古より昔から鬼と呼ばれる異形を束ねる私は煙の中に進むと辿り着ける花街を作った。

 其の花街には身分など関係ない。あるのは客。居着くは色を売る花と、花を守る鬼のみ。

 其が街の花々は手折れぬ。鬼が守るから。病に冒されることもない。私が手塩にかけて育てた桃を食らうから。

 故に、其の花街は知る人ぞ知る幻の名所にして。天上の耳に届かない下々の憩いの場となった。

 誰が言おうか。安らぎと快楽をくれる花園の存在を。奪い、殺すことを常とする野蛮人どもに。惜しむは必然よ。

 仮に知らせようものならば。手にしようとするならば。いくら兵を揃えたところで我が一振りにて國ごと屠りたもう。

 故、あの場所は。あの時代は。戦乱戦禍耐えぬ日ノ本に対し。随分と華やかにして静けさを保っていたように思う。

 戦国と呼ばれる時代ときから、江戸が終わりを告げる日まで色を売り続けられれば。その悠久の安寧も少しは浮かびやすかろうに思われ。

 けれど、一時いっときだけ。一人わたしだけ。平穏とも言い難く。また災いとも言い難い一ヶ月間ひとときが在った。

 むしろ、私は其の数千年の刻を生き抜いてきた中で言えば刹那に等しき日々を。確かに幸福と感じていた。今まで忘却の彼方に行方を眩ましていたけれど。思い起こすことが出来たのならば。かけがえのない代えがたき日々と、胸を張って言えよう。

 けれど。きっと、其れを福と思う女はそうはいなかろうとも思う。

 想像してほしい……とも軽くは口にできない。されたことを言えばそれは凡人にとり、不幸であり災難なのだから。

 けれど、まぁ、当人たる私が善しとする故。心を広く持ちになれ。

 私がされたこと。それは手篭めというに等しい。現代いまに直せば強姦というところ。

 花街の中にあった我が城にて。突如一人の男が参じ。その場でこの身を穢した。

 いえ、穢れたなどとは露にも思わない。

 醜女しこめたる我が身を。数千の刻を過ごし、大樹すら幼きに思ふ我が身を。

 ただの、か弱い人のように。普通の女のように扱ったのだから。

 其れが力によって圧したものだとしても。どれほど胸を高鳴らせたことか。どれほど歓喜に震えたことか。どれほど焦がしたほどか。

 どれほど……涙したことか。

 醜い化物の私が。他の普通のか弱い女の如し性の捌け口にされたことがどれほど喜ばしいことかわかるまい。

 きっと、誰も解るまいて。解ろうとも思わなくて宜しきかな。

 そしてなにより、伴侶にすると仰ってくれたことが。夢現がわからなくなるほどに。私の心を荒らしたことか。嵐を、もたらしたことか。

 そんなの。七千と余年生きてきて、はじめてだった。

 そんなの……。そんなの……。嬉しい以外の気持ちも。形容する言葉も。見つかるまいよ。

 だから、良い。善い。佳いのだ。

 例え其れが千年も昔としても。また会えたのだから。また、この口を食ろうてくれたのだから。

 現在いまも尚、女として。見てくれてるのだから。

 私は、わたくしは。あの方を愛しこそすれ、恨むことはない。手篭めにされたことも、今や良き思ひ出。

 ……けれど、許せぬことはある。憤りを抱いていることはある。

 あの方にではない。

 あの方との日々を忘却うばった者に対して。

 許さない。許さない。許さない。

 決して許さぬ。

 腹を切れ。素っ首差し出せ。さもなくばこの手で五体四肢五臓六腑に至るまで完膚無きまで木端微塵に斬り刻んでくれる。


 我が名は煙魔神薙羅。


 の首をもぎ取る刹と畏れられし神秘きしん

 

 其の名に恥じぬよう。


 貴様アノンも屠ってやる。


 待っておれ。


 我が身。我が魂が。


 貴様のちからに至るのを。


 待っておれ。


 震えながら。


 待っておれ。


 必ず。


 報いてやるから。

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