第421話 

バトルパート


  アレクサンドラ・ロキシー

      VS

   クレマン・デュアメル



 ――バキンッ


 アレクサンドラの拳が放たれた直後。ドローンに拾われた骨が割れる音。

 至近距離で放たれたアレクサンドラの大砲フィニッシュブローがもたらしたソレを聞いた瞬間。観ていた誰もが最高のイベントがたった数秒で幕を閉じたと思ってしまったろう。

 それはある意味で正しく――。

「あ~あ~。せっかくのセットが台無しじゃないか」

 ある意味で間違っていて――。

「酷いことをする女だ。いや、悪いのは――」

 砕けたのは――。

「この手だ……ってやつかな?」

 アレクサンドラの右拳――。

「まぁ、髪を乱したのはみぎだけど」

「ぅ……ぁあ……っ」

 そして今グシャリと音をたてて――。

「大した差はない。同じ君の手だ」

 決裂の握手をした左手も握り潰された。

「ほら、言うじゃないか。連帯責任って」

 右手の甲の骨には亀裂が走り――。

「大事だよね。責任とか礼儀とかルールって」

 左手に至っては人差し指と小指が逆を向き、中指と薬指にほとんど直角になってしまった。

(もう……両手がやられちゃったぜ……へへっ。フ○ック)

「私は知ってるんだよ。陰であーだこーだ言われてること……をっ」

「ぶふっ!」

 潰れた左手を握ったまま引き寄せて額をアレクサンドラの鼻頭に叩きつける。

 特にマナは使っていないが、両手への痛覚の遮断に集中していては防ぐこともままならない。

 つまりは単に、男が女の顔面に頭突きをかましただけ。体格差が、筋力差が、そのまま出てしまう。

 必然的に鼻は潰されて、鼻骨に亀裂が走る。

「おかしな話だよ。私はルールに反したことはないというのに。口だけは達者な外野は一体なんなんだろうね?」

「ぁぁ……ぁ……」

 肘から先の信号は遮断したものの、顔の方はそうもいかない。潰れた鼻だけの神経を遮断だけでも難しい作業というのに、すでにもっと酷いダメージを負った両手の方に集中しなくてはいけないのだから。

 しかもより最悪なのは、鼻血が詰まり呼吸が荒くなっていること。酸素が減ればそのぶん集中力は落ち、パフォーマンスは徐々に悪くなるだろう。

「じゃあ聞くがっ。私はルールに反したことがあったか……なっ?」

「……っ。……ふがぅ!」

 話しかけながら合間に顔面に頭突きを入れていく。

 時折鼻からズレて口に当たり、何本か歯が折れてしまう。

「ないよ。自分の持つ権利を行使しているだけで。横暴に見えてもそれは正当なんだ」

「はぁ……はぁ……――あぐっ」

 頭突きの衝撃で脳が揺らされて意識が朦朧とする。それによって痛覚が戻り、気付けとなって再び意識が戻る。

「そうだろう? アレクサンドラ・ロキシー。よくよく考えれば私は暴君ではないと認めざるを得ないだろう? 多少女性の趣味は特殊で、無理矢理手にしようとしたことはあるが、法に反さない範囲の手段しか取ったことはない」

「はぁ……はぁ……」

 クラクラする頭でも言葉が入ってくる。

「むしろ自分が気に入らないからと難癖をつけてこんなところに呼び出し……てっ」

「がふっ!?」

 言葉と痛みが――。

「人ってそうなんだよね。自分が正しいと思うと止まらない。大概の人間が自分が正しいと思うと平気で人を糾弾する」

 頭の芯によく響く。

「君も。他の人間も。人の趣味に口を出す権利があるのかい? 君たちはどれほど偉いんだい?」

「……」

 言い返せない。

「なぁ……答えてくれよ。私に教えてくれ。私の何が――」

「……」

 言い返せるわけがない。

「悪なんだい?」

「……っ」

 だって自分もそう思うから。

 でも――。

「なにが……悪か……。なにが正しいか……。んなこたぁどうでも良いんだよミスター。あんたは私にとってクズで。私の大事な生徒やその家族に害をなそうとした。だから止めたいってだけ」

「エゴイストだね」

「……そうさ。私……は、エゴイスト……さ。だから、あんたも悪って思うけど……私も同じくらいには悪いヤツって思うよ……」

 クレマンは自分に正直で、アレクサンドラも同じ。

 クレマンは自分の好みの女を手に入れるために少々強引ではあるものの合法的に動き、アレクサンドラは世間の価値観を用いて糾弾して意見を押し付けている。

「あんたも私も……。とびきりワガママなガキってだけだよ……」

 二人の違いなんて些細なモノで。似たようなことをしているだけ。

 二人とも、価値観を押し付けているだけ。

「人間皆ワガママなものだ。ただ、叶えられる力がない弱者がほとんどってだけで」

「デカイ話をしたら……自然保護云々もそうだしね……。勝手に壊して……勝手に増やして……。勝手に守ってるつもりで……。ワガママでとっても傲慢……」

「そして自覚がない。そう思うと、私たち二人はまだ自覚してる分マシなのかな?」

「直そうと……しない時点で……。大差なくね……?」

 だからアレクサンドラはこの試合イベントを自分への罰としている。

「そうだ……ねっ」

「……んぐっ」

 無様にやられることを良しとして、甘んじて受け入れようとしている。

 けどそれは――。

(もうちょっと情報引き出してからじゃねぇとなぁ!? 先生にもボーイにも顔向けできねぇよ! この血塗れの顔を自信もって突きつけられねぇんだよ! 噛ませには噛ませの仕事ってのがあっからなぁ!)

「……くちゅ」

「……?」

「ブフゥーーーー!」

 アレクサンドラは口に溜めた血を噴き出す。

 血飛沫ちしぶきはクレマンの顔を覆い、反応が遅れたせいで少しばかり目に入ってしまう。

(イエスッ)

 反射的にクレマンはアレクサンドラから手を離してしまい、その隙に距離を取る。

「ア~ディオ~ス♪」

 バックステップを踏みながら真上を蹴りあげて、すでに舞っている砂埃に加えて地面の砂も巻き上げる。

「んぬぅ……」

 赤い砂はクレマンの血で顔にへばりつき、拭いきった頃にはすでに――。

(当然ながら……逃げられたか)

 目の前から消えていた。

「やれやれ……時間稼ぎなんて無駄とわかってるだろうに……」

 ほんの一瞬。ほんの数分で分からせて見せつけたのであればこの台詞が口から出てしまうのも必然。

 見ている誰しもがこれは魔帝同士のギリギリの戦いではなく格差のある試合……いや、クレマンの今のアレクサンドラへの躊躇いのない行動を見ればこれから起きるのはきっと――。

(ま~た色々言われてしまうな。特にフェミニストがうるさそうだ)

 一方的で。残虐な。暴行の現場を見せつけられることだろう。



「はぁ……はぁ……。はぁ~~~~っ……ふん!」

 元々何に使われていたかわからないが、手頃なビルに逃げ込んだアレクサンドラ。

 思い切り口から息を吸って鼻から吹き出すと、ベチャっと音をたてて血の塊が吐き出されて鼻づまりは解消される。が、代わりに大量の血がダラダラと垂れていっているので油断はできない。

「はぁ……はぁ……いつつっ」

 手が動かせる範囲で神経を遮断しつつ懐に手を突っ込む。取り出したのは予め仕込んでおいた止血剤と包帯バンテージ

「んぐぅ……」

 まずは液状の止血剤を流し込み、鼻からの出血を抑える。

「はぐっ」

 次に、なんとか亀裂骨折や剥離骨折で済んでいる右手と歯は何本か折れてはいるものの辛うじて右犬歯側は噛み合わせられるので器用に使って包帯を伸ばす。

「ふぅ……っ。ふぅ……っ」

 そして反対方向を向いた人差し指と小指を携えた左手を元の形に戻しながら拳を象りグルグルに巻いて固定する。

(とりあえずこれで神経閉じてても殴れるね。)

 続けて右手も四苦八苦しながら包帯を巻いていく。

 指が一本も姿を見せていない左手と、前歯が折れた口では上手く巻けるわけもない。

 辛うじてできたのは糸を巻くようにグルグルにすること。それも、捻りなんかを無視したお粗末な姿だ。

「ハハ……ッ。ひっでぇ……。ま、やらないより良いっしょ……」

 固定しきれてはないにしろ、とりあえず拳としての役割くらいはこなせるようにはできた。

(にしても……思ったよりしっかり対策されてたか……。前のままだったらヤバかったねこりゃ)

 クレマン・デュアメルは人域魔法師ではなく、神誓魔法師。

 そして、その能力の詳細は政府公認のサイトで誰でも閲覧可能。

 普通は秘匿するものではと考えるかもしれないが、このクレマン・デュアメルの能力は別。

 隠そうがどうしようが、まともな対策が取れないと判断されたからだ。

(世界の天秤エキュリューバ・デ・モンド……存在価値に対して力が与えられる意味不明な神からの贈物ギフト) 

 クレマン・デュアメルという存在価値をいかほどかを神誓魔法を与える名のない神が判断してそれに応じたマナとマナを用いた魔法が与えられる。

 なんともふざけた魔法。けれどそれに留まらない。

(クレマン・デュアメルが意識した相手。その存在を今度は、そしてその相手からの害から守る盾を得るとかね。本当に神様が与えたズルってやつだね。ハッハー。OMG)

 前者である神の天秤が与えるは矛。後者である自身が創るは盾。この二種の天秤を合わせて世界の天秤エキュリューバ・デ・モンド

(しかも厄介なことに……その盾はが創る。本人が油断してようがバカだろうが傲慢だろうが関係ない。心の奥の奥は感情ふじゅんぶつの入る余地がない純粋な知識しかないからね)

 人間の頭の良さとは脳の性能差以上に使用されている範囲が影響している。

 仮に天才と言われる人がいて。凡人と言われてる人がいるとして。二人とも健康であるならば。潜在的な能力に差はない。

 ただ使いこなせているかどうか。脳の使用している範囲の広さしか違いはない。

 完全にリミッターを外せば差なぞ生まれない。

 そして、クレマンの盾はそのリミッターを外した部分で油断などの感情が入ることなく自らの培った人生ちしきによって作られてしまう。最早本人の意思とは関係なく。

(油断の塊みてぇなあの人格あたまで考えてくれたらいくらか楽なんだけど。それだとたぶんのほうがなくなりそ)

 どんな能力にも制限や制約は存在する。

 例えば氷巳ならば相手の存在マナよりも自分が上だとか、下だとしても干渉させてもらえなくては使えない。

 同様にクレマンは汎用性が高い代わりに自分の意思が介入できない。

 故に、たった一度だけこの隙をつかれて敗北を喫したことがある。

(人格おもてでも深層心理うらでも。あの男は紅緒をなめてた。弱いと決めつけてろくに調べもせず紅緒の魔帝になるための試合に臨んで負けた。つまり――)

 クレマンの知らない力を持っていれば活路はある。

 従来のクレマンの想像ちしきを遥かに越える力を叩き込み、意識を刈り取れば勝てる。

(へん。本番はこっからだぜロリコン野郎)

 先程のやり取りではまだアレクサンドラは見せていない。

 目眩ましの後では空間を曲げて一時離脱エスケープしたが、クレマンの知識には入っちゃいない。

 両手は潰されたけれど。出血も激しいけれど。まだこれからだ。

 ここからが本番だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る