第318話

「夕美斗、また成績上がったんだって? お兄ちゃんから聞いたわよ。最近勉強頑張ってるわね」

「兄さんと姉さんに教わってるから。二人のお陰だよ」

「その教えてる兄から言わせると、脳筋まっしぐらかと思ってたからここまで出来ると意外としか言えない」

「教えてる姉も同意」

「ちょ、ちょっと二人とも!? 酷くないか!?」

 食卓を囲む家族。ありがちな団欒。

 普通。あまりにも普通な光景。

 幼少期から武術の鍛練に努めてきた夕美斗は、武術をやめる代わりに普通の生活を手に入れた。

 今では寄り道もするし、学校の友人の家にも遊びに行く。至って普通の子供になっている。


 しかし、その場に瞬の姿はない。

 武術一色の中にいた唯一気にかけていた瞬が、いない。


 瞬はいつも同じ部屋にいる。

 幼い頃からずっとあの和室にいる。

 誰に言われるわけでもなく。自分から望んで。

 前までは夕美斗が訪れていたし、瞬もちょこちょこ歩き回っていた。

 だが、あの日を境に瞬は部屋でジッとしていることが多くなった。

 たまに父に連れられて出掛けては試合などをしているようだけれど、夕美斗は詳しいことは知らない。

 何故ならあの日以来約一年に渡り、自ら瞬の所へ足を運んでいないから。

 家族とも瞬の話をしていないから。

 知っているわけが……ない。



(そういえば……昔から瞬のこと家族みんなに聞いたことなかったかも)

 中学一年の冬。学校の帰り道でふとそんなことを思った。

 武術をやめてから約一年半。同時に瞬と距離を置いてからも一年半。さすがに心の整理も落ち着いている。

 妹に負けた程度でやめるなら本気じゃなかった。

 才能と出会うだけで嫌になるなんて真剣じゃなかった。

 そう思ったら割りとすんなり受け入れることはできた。

 だけれど、それでも整理がつくまでに一年以上かかっているので、瞬に対して考える余裕は出ても今さらばつが悪くて会いに行けない。

 情けない自分じゃ、天才の妹と正面から向き合えない。

 それでも可愛がっていたのだから、気になりはする。

(帰ったらちょっと聞いてみよ)

 夕美斗は軽い気持ちで家族に瞬について聞いて回る事にした。



「あの子のこと? 今だから言うけど、よくわからないわ。しゃべらないし、顔色変えることなんてないし。自分の子供か心配になっちゃうことだって……あるし」


「あ~あ~やめてくれ。あいつの話なんてしたくない。アンティークの人形みたいで気持ち悪いし、かといって脳筋かと思ってたお前よりも強いし。本当人間と思えない。あれと同じ屋根の下にいるだけでストレスだ」


「瞬? 別にどうでも良いわよ。生まれた時はそりゃあ可愛かったけど。今となって……というか、あの子が物心ついてからはお互い関わろうとしないし。あんたとだけだったでしょ? 一緒にいるの。……思い出したけど。あの子生まれた時すら泣いてるとこ見たことないわ……こわ」


「今更言えることなんて一つしかないぞ。あいつが和宮内家の悲願を叶えた。それだけだ。お前だけじゃなく、あいつに勝てる人間なんてそれこそ……魔帝くらいなのだから」


「……」


 話を聞いてみると、まるで腫れ物を触るような扱い。

 いや、それどころか普段の様子は父以外関わっていないように思える。

 食事も、着替えも、寝るときもあの部屋。

 風呂は昔は夕美斗がいれてやることも多かったが、今は深夜に勝手にシャワーだけ浴びてるらしい。

 一緒に暮らしているだけだ。同じ家で。

 文字通り。ただ、いるだけ。

「……っ」

 夕美斗はその事実に気づいて堪らなくなる。

 思わず、瞬の元へ足を運んでしまうくらいに。

(一年以上ぶりだ。自分からあの子のとこにいくのは)

 歩みは最初は速く。そして徐々に遅くなっていく。

(今さら会わせる顔なんて……。自分から避けていったのに……)

 部屋の近くまでいくと、立ち止まってしまった。

 昔の夕美斗ならば勢いそのままに瞬のところへ向かっただろう。

 だけれど、今の夕美斗は随分と臆病になっている。

 それは普段の生活からも現れていて、学校での発表など誰かの前で何かするような、そういう場でも怖じけてしまう弱気な性格になってしまった。

 夕美斗自身は気づいていないが、原因は人前で瞬と立ち合い、負け、逃げてしまったから。逃げた負い目が夕美斗を弱く変えてしまった。

 だから、今も冷や汗をたらしながら歯がガタガタ言わないよう食い縛っている。

「……んぅ」

「……!?」

 部屋から声が聞こえ、驚く。

 しかしすぐに瞬は起きている時に言葉を発さないことに気付く。

(今のは……)

 ゆっくりふすまを開けると、和服のまま寝転がっている瞬の姿が目に入る。

(寝てる……のか)

 安堵する夕美斗。自分から出向いたものの会う度胸がなかったからだ。

(つくづく弱いな……私は……)

 一人苦笑いを浮かべて俯く。

 そして踵を返して戻ろうと視線をまた少し上げると――。

「……っ」

 瞬が着ている物と、抱えている物が目に入った。

(私の……お下がり……。抱えてるのも私の昔着てた浴衣……)

 夕美斗は気づく。

 確かに夕美斗はあの日から瞬を避けていた。

 だけれど稽古中にも顔を出していたのに、一度足りとも瞬から夕美斗のところに足を運ぶことはなかった。

 きっと瞬は気づいていたのだろう。夕美斗は今自分に会いたくないのだと。

 無口で、無表情で、何を考えているかわからないけれど。夕美斗の事を大事に思っている事はわかる。

(なのに……私は……っ)

 夕美斗はさらに自分を恥じる。

 自分から誘って。負けたらいじけて。やめて。妹を避けるようになって。かと思えば気紛れに会おうとして。

 夕美斗は、そんな自分勝手な己を恥じる。

(……ダメだ。やっぱり会いたくない)

 そして重ねた。自分勝手を、重ねた。

(瞬……いつかお前の前に立てるようになるから……。それまで待っててくれ……)

 夕美斗はゆっくり踵を返して自分の部屋に戻る。

 その時の顔はまだ怯えや不安を抱えていたが、決意を秘めているモノだった。

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