第308話

 医者に診せる。聡一はそう約束した。

 そして才と、ついでに日波は天良寺の家を出てすぐに入院させられた。

 目覚ましい進歩を果たした現代医学のお陰で才はすぐに治療を終えたが、家にはもどらない。

 正確には、戻れない。これからは聡一が用意した安アパートで暮らす手配がされているから。

 結嶺はこの事を知らされていないので帰省しても会うことはない。

 才も二度と自分の足で行こうとは思わない。

 だから交流戦という機会がなければさらに期間は空いたかもしれない。

 いや、もしかしたら会えなかったかもしれない。

 あの、出来事がなければ――。



 才と日波が入院してから数ヵ月後。

 才はすぐに退院し、穏やかな生活を送っていた。

 まぁ、人と関わって来なかった為に通いだした学校ではぼっちではあるし。多少魔法が使える連中からは馬鹿にされる日々を送ってはいるので、前と比べてというだけ。

 それでも才にとっては穏やかな日常。過ごしていくうちに少しずつ人との接し方も覚えてくる。

 このまま母も回復して、落ち着いた生活をと思っていた時。凶報が入る。

 日波の容態が急変したと、病院から連絡が入ったのだ。

 元々、今まで生きていたのが奇跡というレベルで日波の体はボロボロだった。

 だが、才がちゃんと一人でも生きていけるようになるまではと懸命に生きてきたのだ。

 どんなに傷つけられても。どんなに蝕まれても。唯一強いままだった心。精神。それだけでなんとか生きてきた。

 だけれど、限界が来てしまった。

 心がどんなに強かろうが人間の肉体とは脆いモノ。長年蓄積した傷を癒すには天良寺の家を出るのが遅すぎたのだ。

 来るべき時が来た。なるべくしてなったとも言える。

 才もその事に薄々気づいていた。見舞いの時、顔を合わせる度に目に見えてやつれていく日波を見ていたら嫌でもわかる。

 天良寺の家を出て、緊張から解き放たれた才を見て、安心してしまったから。日波は役目を終えたと感じてしまったから。

 だから、才は病院から連絡を受けてもうろたえなかった。

 だから急ぎつつも静かに家を出て病院に向かった。

 最後の別れをしに。



「……あ、才。いらっしゃい」

「……うん」

 病室に入ると、穏やかな顔をした日波が寝たまま迎えてくれる。

 容態が急変したのに何故普通に話しかけてきたのか。

 それは一時的に脳から発せられる信号をいじっているから。

 痛みをなくし、しゃべる為に必要な器官を抑制しているから。

 しかし、長くは持たない。故に長期的な延命処置として使われない技術。

 なら何故今行っているのか。理由は単純。最後の別れをちゃんとするためだ。

 一時的に体の一部機能を抑制したら、その反動が一気にやってくる。

 すでにボロボロの日波は確実にその反動には耐えられないだろう。

 その反動で苦しみながら死ぬ……のは倫理に反する。

 だから昨今ではこの技術で別れをしたあとは速やかに安楽死させる決まりがある。

 つまり、どちらにせよ。この会話が日波と才の正真正銘最後の語らいになるのだ。

「いや~……久しぶりの仰向けは良いね。息もしやすいし。才の顔は見やすいし。ちゃんと病院に来てからも背中下にするの駄目だったから嬉しいわ~」

「……そっか」

「こんなにすらすらしゃべれるのも久しぶりだし。いつも才のお話聞いてばかりだったから今日こそは私がぁ~! って思ってたけど。ずっと寝たきりだったから話せることないや」

「……そう……だね」

「だからね? 一つだけ言いたいこと言って。終わりにしようかと思うの」

「……なに?」

 日波は一拍置いて、才に微笑みながら改めて口を開く。

「才。貴方魔法師になりたかったでしょ」

「……っ」

 普通なら。あんな家で、あんなことをされたらなりたいなんて思わなくなるだろう。

 しかし、才は自分がもし魔法が使えたらと幾度も思った。

 そうすれば日波は聡一に傷つけられることはなかっただろう。結嶺に負担を肩代わりさせることもなかっただろう。

 だから、聡一の関心があった頃から。家を追い出されるまでの間。魔法の勉強だけはしていた。

 だから結嶺の前でも使えた。

 だから、追い出す口実ときっかけを与えてしまったけれど。

 でも、子供が負い目だけでできないことを勉強し続けられるだろうか?

 どんなに責任感があろうとも投げ出すのではないだろうか?

 恐怖だとか、義務感だとか、そういったモノと一緒に憧れがあったから続けられた。

 どんなに酷い目に合おうとも、才の心の根っこには魔法師そのものへの憧れがあった。

 その憧れた気持ちを、日波は察していた。

「あの人の癇癪をなくすためにも、結嶺ちゃんの教育をなくすためにも、勉強続けてたのは知ってる。でも今は家を出ちゃったからもうやっても仕方ないってやめたのもわかってる」

「……」

「本当は……そういうのなくても魔法師になりたかったんでしょ? だったらこれからはその気持ちだけで目指しなさい」

「……」

 才は黙って日波の言葉を聞いている。

 何を返して良いかわからないのもあるが、母の最後の言葉を遮らないために。

「どんな形でも。端から見たら情けなくても。バカにされたってやり遂げなさい。偉そうなこと言えたもんじゃないけど。私だって才を守るってことはちゃんとやり遂げたんだから」

 背中を燃やされたって。火傷を蹴られたって。罵倒されたって。ひたすら盾に徹した母の姿を思い出す。

「私よりもダサい姿なんて早々ないでしょ? だから大丈夫。才能がなくたって、たくさん足掻いて足掻いて努力して。最後にやりたかったことやなりたいものになれたら良いから」

 ダサくなんかない。日波のお陰で今の自分があるんだから。

 そう言いたくても。今にも泣き叫びそうで。母の言葉を遮りそうで。言えない。

 だからせめて黙る。最後まで聞く。才は唇を噛みながら日波の話を聞き続ける。

「本当はこうやってプレッシャーかけちゃ駄目なんだろうけど。私ダメダメなお母さんだから許してね。それでも才が自由に夢を追いかけてほしいって思ってるから許してね」

 許すも何もない。それは日波が望んでることだから。

 日波の夢だから。

 誰にも否定なんてできはしない。

「私の言葉。無視しても良い。変に囚われちゃうくらいなら無視しても良いから。でも、才が本気で望むなら今の言葉全部で背中押してあげるから。だから――」


 ――頑張りなさい

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