第301話

「なぜこんな簡単な人域魔法すら使えない!? この役立たずが!」

「……っ」

 才が物心つく頃には父親――天良寺てんりょうじ聡一そういちによる教育が始まっていた。

 教育とは名ばかりで、無理に人域魔法を使わせようとし、出来なければ体罰を行っていた。

 簡潔に言えば虐待である。

「いい加減この子に手を上げるのはやめて!」

 そんな才をいつも母である天良寺てんりょうじ日波ひなみは庇っていた。

 しかし、腐っても聡一は人域魔法師。その気になれば。

「黙れ! こんな欠陥品を産み落とした欠陥女の分際で私に意見するな!」

「熱……っ!」

 室内にも関わらず聡一は才を抱き締め、庇う日波の背中に火を放つ。

 服は当然焼け焦げ、毛先も燃えている。

 これは一度や二度ではない。

 だから晒された背中には元々火傷の痕があり、新しいモノと古いモノが幾重にも重なっている。

 髪も元々は伸ばしていたが、才の教育が始まってからは何度も燃やされて短くなってしまった。

 こんな仕打ちをされているにも関わらず、何故日波は警察に訴え出ていない。

 正確には訴えに行けない。

 何故なら日波は天良寺の家に監禁されているからだ。

 夫である聡一に、閉じ込められているからだ。

 天良寺の家は山の中にあり、外に出たとしても、セキュリティによってすぐに逃げたことがバレる。バレてしまえば人域魔法を使う聡一からは逃げられない。

 加えて日波は元々孤児で、身寄りがない。故に誰と連絡を取れなくとも疑問に思う者はいない。

 そして、才がいる。

 才を連れては逃げ切れる確率は下がる。一人で逃げようとすれば、いや逃げ切れたとしても才を残しては害が及ぶだろう。

 こんなの、八方塞がりも良いところだ。

 日波には逃げ場所がなく。手段もなかったのだ。

「このクズ! 無駄飯食らいの役立たず!」

「ぅ……っ! んぐぅ……っ!」

 火傷を負った背中を踏みつけられる。

 傷が深いのか、何度も重ねた結果なのか、日波はそれがどういう痛みなのかわからなくなっている。

 踏みつけられて痛いのか、焼けているから痛いのかわからない。でもそんなことはどうでもいい。痛みには変わらないのだから。

 何より。

(この子が蹴られなければ良い! この子が無事なら良い!)

 捨てられたからこそ。日波は才を見捨てられない。

 無理矢理引き取られて、結婚して、孕まされて産んだ子供。

 それでも自分の子供。

 自分が産んだならば、それだけで守る理由になる。

(母親は自分の子供を守るものだもん! 私の親みたいに絶対見捨てたりしないんだ!)

 意地に近くとも。多少不純だろうとも。彼女にとっては唯一すがれるものだ。

 もしもここで見捨ててしまえば、彼女の心は壊れるだろう。

 肉体は死なずとも、心は死んでしまうだろう。

(私はこの子にしてやれることなんて盾になる以外ないんだ!)

 しかし、彼女に出来ることは少ない。

 一つは盾になること。少しでも自分が聡一の暴力の受け皿になること。

 もう一つは側にいること。孤独感を才に味合わせないこと。

 彼女が才に出来たのはこの二つくらいだ。

 だけれど、すぐに片方は出来なくなってしまった。

「クズ! ゴミ! 死ね! 死ね!」

「……」

 何度目か。何十か。何百か。

 聡一からの暴力と、監禁生活によってボロボロになった日波にはいつしか病魔が巣くっていた。

 監禁されていては病院にもいけない。病気と知ってもそれが感染するものでなければ医者も呼んでもらえない。

 で、あれば。いつしか肉体に限界が来るだろう。必然的に。

 それでも耐えていた。無理矢理才の側にい続けた。

 才を守ることだけが、彼女にとっての彼女の存在理由だから。

「かあ……さん?」

「……」

 才がいつものように庇われていたときに異変に気づき小さく声をかけてみた。

 しかし反応がない。

「死ね! 役立たず!」

「……」

 罵倒にも、暴力にも反応がない。

 当然だ。この日受けた暴力をきっかけに日波の肉体は限界を迎えたのだから。

 背中の痛覚が失われ、さらには二度と立てなくなってしまったのだから。

 彼女はもう。この日以降。盾になることさえ出来なくなってしまった。

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