第163話

 屋敷の自室。着替え中のカナラ。

 今も異界同士の繋がりを探り、明日には完全に才のいた場所も特定できる。

「今夜が最後なのにほんまなにしとんのやろ……」

 顔を赤くしながら苦笑いを浮かべる。そしてすぐに暗い表情に変わる。

「最後……これでもう……坊とは……」

 約束をした。約二年半後に男と女の関係になると。

 でも……それは口約束。叶う保証のないただの言葉に過ぎない。

 何よりも、才が帰れば才のと繋がりは途絶えてしまう。

 まず、カナラはここに留まらないといけない。

 今はほとんど他の鬼や元人間の娘達があらゆる役割を分担し、カナラは遊び歩いていても問題はない。

 だが先日の黒きモノの来襲のように、何時如何なる時に非常事態になるとも限らない。特に黒きモノが来た時はカナラ含めて全滅しかけた。才が時間を稼がなければ確実に全員殺されていただろう。

 カナラにとって、彼女達は家族。一人でいる時間の長かったカナラにとって絶対に失いたくない存在。守る為にも傍にいなくてはならない。

 そして才には他にきっと良いひとがいる。自分は必須ではない。いなくても支障のない存在。自分だけが、必要としている。

 天秤にかかるのは家族の安全と自分の恋心。

(そんなん……比べる必要もあらへんわ……)

 カナラは捨てたのだ。思い出だけを残すと決めて。すぐに覚める夢と割りきって。捨てる覚悟をしていたのだ。自分の心を。

 自分の体を差し出そうとしたのも。大胆な行動に出たのも。全ては夢だから。幸せな夢だから。覚めたら消える儚いものだから。

「ぅ……」

 思わず込み上げる。

 長い人生で初めての感情。初めての体験。初めてをたくさんくれた。その男と接点を持ち続け、共に過ごせるかもしれない未来。その可能性を捨てる事。心臓が裂けそうな程苦しく。それよりも辛い。涙が溢れるのは当然だろう。

 だけど、カナラは泣かない。必死で堪える。

(泣いたら……あかん。そんな時間勿体ないやないの。早く戻って夢の続きを見んと。あと少ししか見れないんやから……)

 カナラの夢。諦めていた恋の夢。初恋が望む形で実る夢。

 妻になりたかったわけじゃない。自分だけを見てほしかったわけじゃない。心の底から愛してほしいわけでもない。

 ただ、触れてくれたら。少しだけ時間を共有できたら。都合よくこの身を使って、尽くさせてくれたら。

 それが、どちらかの命が尽きるまで続いたら。それで良かった。

 だけど、叶わないだろう。繋がりが絶たれれば二度と会う事はない。こんな特に魅力があるわけじゃない自分に、執着する理由はないのだから。少し時間が来たらきっと才は忘れるだろう。少なくともカナラはそう思っている。

 だから……だから今この時間が、才といれる時間が彼女にとっては尊い。

(さ、はよ戻らな。坊をこの体に少しでも刻まんと)

 着替えを済ませて才の元へ戻る。

 瞳をほんの少しだけ潤ませながら。



「はい。ここ潜れば元の場所よ」

 朝になって完全に繋げることができたらしく、隠れ家の庭に桃色の煙を漂わせるカナラ。

 色々あったけどやっと家に帰れるわ……。

「ほんまに皆と顔合わせんでええの?」

「別に。特別仲良くなったヤツもいないし。強いて言うなら今目の前にいるし」

「……! も、もう。そないな事言っても何もでぇへんよ……?」

 いや出るんじゃないかな。艶っぽい吐息が今夜辺りに。

「はぁ……これからどないしよ?」

「なにが?」

「いやね? 坊帰るし。暇を持て余してまうなぁ~って……。寂しいわ~……」

 暇ならずっとオ○ってれば良いんじゃないかな?

 ってことでもないんだろうな。単純に俺が帰るのが寂しいんだろう。

 ……心の内でも自分で断言するの恥ずかしいなこれ。事実であったとしてもなんか自信過剰の自意識過剰っぽくてきしょい。

 だけど……そうだな。これも考えてなかったっちゃ考えてなかった。

 なにをってカナラとの繋がりのこと。

 他の連中は俺と縁があるし、あの部屋に住んでる。だけどカナラの口振りから察するについてくるつもりはなさそうだし。ってか立派な家があるし。家族もいるしな。大黒柱がおいそれと離れるわけにもいかないだろう。

 つまり俺が帰ると口約束を残して接点がなくなるんだよな。

 ……ふむ。このままだと約束がなぁなぁになりそうだな。

「それじゃあ坊。さよなら」

 ……あ~。なんか思い詰めてるけど笑顔で見送ろうという健気さが見え隠れする。こいつ表情隠すのド下手だから隠れてないけどな。

 はぁ~。まったく。こりゃあ二度と会わないのも視野に入れてたなこいつ。

 大方自分のことは忘れるだろうとか思ってたんだろうよ。

 ハッ。なめんな。

 お前は今までで会った中じゃ一番魅力的な女だぞ。そうそう忘れられねぇよ。

 なにより、約束させといて破られると思われるのもちょっとな。俺はできないことは約束しねぇよ。俺もお前と同じで自分に自信がなかったからな。なかったからこそできることしかしない。たとえそれが口約束でも。

 だから。お前のその覚悟。無意味なものにしてやるよ。

「カナラ。そういえばお前褒美くれるんだよな?」

「え? あ……」

 そう。褒美。あの化け物との戦いでした約束。生きて戻れたら褒美をもらうってやつ。そういやまだちゃんともらってなかったからな。ここで使ってやるよ。

「ごめん。忘れとったわ。帰り際で急がないとやけど。ええよ。欲しい物言って? ちょっとひとっ走りしてくるから」

「いや、ここにあるから良い」

「あ、ほんま? なら丁度ええなぁ~。坊は何がほしいのん?」

 最後に俺に何かできると知ってちょっと機嫌良くなったなとことん都合の良い女め。すぐにその表情崩してやるよ。

「俺と契約しろよ。契約魔法を使っての破れない約束をな 」

「約束? なんの?」

「俺とお前がした約束をちゃんとした形でするんだよ。ほら、手を置け」

 俺はグリモアを具現化させてカナラに触れるよう促す。

 つか久々に本の形で出したな。気持ちホコリ被ってそう。今グリモア出さなくてもマナ供給できるし、こうやって契約結んだり異界への座標記したりとかでしか使わないからなぁ~……。仕方ないんだよ。

「え、え? あの坊……それって」

「ほら」

「あ……」

 カナラの手を取りグリモアに触れさせる。

 さて、こっからだぞ。契約魔法は難しくないしよく行われてるが、自分手動で縁のあるヤツ以外とは初めてだから緊張するな。

 ま、失敗はしないだろ。細かい制御とかいらないし。ただ口に出す出してお互い受け入れたらそれで終わりだし。

「カナラお前は二年半後以降最低一度は俺にその身を捧げる。異存はないか?」

「あ、あの……」

「異存はないか?」

「ぅ……ぁ……」

 ……まさか泣くとは思わなかったな。つか顔伏せてるからどういう感情で泣いてるかわからない。

「なんだよ嫌なのかよ」

 尋ねてみると首を振る。じゃあなに。なんなの。なにが気に食わねぇの。

 ……なんかグズってる幼児に対する感情みたいだなこれ。こいつのが圧倒的年上なのに。

「そんな……こと……あるわけ……ないよ……」

「じゃあなんなんだよ……。なんで泣いてるのお前」

「う……くっ……。ぐず……。うれ……しいんよ……。諦……め……とった……がら……」

「あ、そ。それで? お前はどうしたいんだ? 契約するのか。しないのか」

「ずるぅ~……っ」

 ぐしゃぐじゃになった顔を上げて契約を受け入れるカナラ。これで俺とお前には繋がりができたな。

「これで俺に会いたければゲートを開けるだろ。グリモアを使った契約は特別だからな。……にしても不細工な顔」

「生まれづきやもん~……っ!」

「そら悪かった」

 泣き崩れるカナラを強く抱き締めて頭を撫でてやる。

 この時だけは年甲斐もなく、俺にしがみついて子供みたいに甘えていたよ。きっとこれもこいつにとって初めての経験ってやつだろうな。

「よーしよし。泣け泣け。鼻水つけなきゃ好きなだけ泣いて良いぞ~」

「うわぁぁぁぁぁあん! 坊のいけずぅ助平ぇ伊達男ぉ!」

 ……最後のそれはけなしてるのか? やるなら最後までちゃんとけなせよ。まったく。

 さて、契約をしたらすぐに帰るつもりだったけど。もう少しくらいこいつに付き合ってやるかな。



 泣き止んだカナラは才を見送った後も少しの間その場に立ったまま才の歩いていった場所を見つめていた。

「……ふふっ」

 才との出来事を思い出す。それら全てまるで夢心地だった。

 ただの夢だと思っていた都合の良い夢だと。

 だけれど覚めた今でも高鳴る鼓動。安堵。焦がれる気持ち。

 あぁ。何故貴方はそんなにも自分を喜ばせてくれるのだろう。何故にこうも昂らせてくれるのだろう。火照らせてくれるのだろう。

 いいや。最早理由なんてどうでも良い。

 彼は取るに足らない一人の女との約束を果たす為に。これからも会う機会を作る為に繋がりを作ってくれたのだ。

 ならば応えなければ女が廃る。

 カナラとて、自らを醜女と思っていようとも誇りまでは失っていないのだ。

 容姿以外ならば、多少女らしい部分もあるという自負くらいある。

 だからこそ、カナラはこれから才と会う為に必要な事を始める。

(ふふっ。坊は帰ってもうたけど。きっとすぐ会える。ま、それも私の努力次第やけどな)

「ふぅ~……」

 煙を出して屋敷へ戻るカナラ。道中、どうやって会いに行こうか策を練りながら。

(坊……。今度は私から会いに行くから。待っててな)

 今の彼女にネガティブな思考はもうない。

 あるのは、少し先の未来への希望だけ。

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