第145話

バトルパート


     天良寺才

      VS

     黒きモノ



「……メェアェェェェエア!」

 黒きモノは才との邂逅に悦び顔を出し、才達へ襲いかかる。

「抱えるぞ」

「……ぇ……ぁ」

 才は捌ききれないと見切りをつけ、煙魔に影を纏わせ抱きかかえて回避メインに転ずる。

 影を纏わせる事で回避の際にかかる負担を緩和。機転の利いた影の使い方を魅せていく。

「ぅ…………ぁ…………」

 それでも口などは覆うわけにも行かず、わずかな揺れが煙魔を刺激し、苦悶の声を漏らす。

(つってもこの有り様じゃやっぱ辛そうだな。煙魔の実際の戦闘力は知らないからなんともだけど。ここまで追い詰めるってあの生き物どんだけ強いんだ? バカみたいなマナしてるのはわかるが……。それは煙魔もだしなぁ~……。能力の相性でも悪かったのかな?)

「ぼ…………ん…………」

「ん? なんだよ。今ちょっと忙しいから後にしてほしいんだけど」

 影でいなし、身を幾度もひるがえしてかわしながらも冷静に分析を始める才に対し、煙魔は瀕死を押して口を開く。

「ぇぇ……から…………。わ……ては……ぇぇ……から……」

「あぁ~。そういうのね」

 自分を見捨てろ。そう煙魔は口にしている。才からすれば自分が帰る当てなくすじゃねぇか馬鹿かと言いたいところ。怪我人に追い討ちをかけるような真似なので口にはしないが、少しイラつきはする。

「ぼ……ん…………は……よう……はな……して…………」

「……チッ。うるさい。ちょっと黙ってろ」

「ん……む……っ!?」

 才の口が煙魔の口と重なり、言葉を発せないようにする。処女歴七千年間という筋金入りどころか釘でメッタメタに打ち込んだ喪女中の喪女は状況も状況ながら混乱通り越して発狂寸前。何よりも理解しがたいのは、醜女――ブスの中のブスである自分に接吻キスしている事。

「……ブチッ」

 口を塞ぐ。それだけが目的ならば指でも突っ込めば良い。だが才はそれだけじゃ足りないと判断した。、と。

「……っ!?」

 煙魔の口の中へ噛みきって出血した才の舌が入る。煙魔の口の中も自分ので溢れているが、才は煙魔の血が来ないよう無理矢理舌をねじ込む。

 煙魔の口の中へ溜まる大量の血。塞ぐ才の口。血は行き場を無くし、やがて飲み込まざるを得なくなる。

「ん……くっ……。……!」

 飲み込まれた才の血が煙魔の肉体を一時的に侵食。自己治癒力を爆発的に高め、煙魔の臓器と骨を戻していく。

(ついでに回収してみるか。もしかしたらくっつくかもだし)

 回避の最中。黒きモノの影が千切れた煙魔の腕を放置してる事に気づいたので回収。影で包み煙魔へ繋げようと試みる。

「~~~~~っ」

 痛みに顔を歪めるも、才の血で急激に高められた治癒力で細胞は離れた腕を引き寄せ繋がる。もうしばらくすれば骨も繋がり始めるだろう。

「……ん。そろそろしゃべれるか?」

「……う……ん。どんなカラクリか知らんけど……腕も繋がったし……。派手には無理やけど動けるくらいは治ったよ……」

 呼吸すらままならなかったのに、もう普通に話せるくらい回復している。さすがはリリンの血。

「そのまま自力でかわせるようになるまでジッとしてろ。下手なことされるほうがうっとうしい」

「……わかっ……た」

 気遣いとかではなく、本気で言っている。才は少しでも回避へ集中したいのだ。今だって上手くかわしているが、煙魔のように影を断って間を置く事ができないので、常にあらゆる方向へ跳び回らなくてはならない。なので会話すらも億劫と感じている。

「……ごめんな」

「あ?」

 それは煙魔も承知している。それでも口にしてしまった。煙魔の優しさとコンプレックスが煙魔の口を動かしてしまった。

「治す為いうても気ぃ悪いやろ? こんな醜女と接吻せっぷんなんて……。そ、それに、し、し、し、舌まで……//////」

(おうおう顔真っ赤にしやがって。謝るか照れるかどっちかにしろよ)

「別に。気持ち悪くもなければ嫌でもねぇよ。むしろ唇奪った俺が謝る側じゃね?」

(むしろ黙っててほしいのに話しかけられたほうにイラっとしたくらいだしな)

「でも……」

「はぁ~……」

 呆れ混じりの溜め息。

 才は良くも悪くも気を遣うのは得意ではない。人付き合いそのものが苦手だからだ。だから今も別に煙魔に対して気を遣ってるわけじゃない。

(薄々は気づいてたけど)

「だってお前、美人だし」

「はえ?」

 思わぬ言葉に呆然。それはそうだ。生まれた時から今までの気の遠くなるような時間ずっと自分を醜女ブスだと思っていたのだから。

 今仮面をしていないので当然才も顔を見ているし、顔を見た上で本音を述べている。

 晒された煙魔の顔。目はクリッと大きく睫毛まつげも長い。鼻は小さいが筋は通っていて潰れているわけじゃない。唇も薄く桃色で可愛らしい。骨格もエラ張っていないし、細い眉も特に手入れをしているわけじゃないが綺麗な形をしている。角さえなければ絶世の美少女と言っても過言ではない容姿なのだ。

 紀元前の美人の基準と今とでは違う。特に煙魔は日本人の骨格をしていないし加えて角も生えていれば迫害されてしまうだろう。

 だから煙魔は間違っていない。事実として過去彼女は醜かった。何かを間違えたとすれば、生まれる時代を間違えただけなのだ。

「こんな美人とキスできて得した気分だよ。唾液もやったら甘い匂いと味してるし。臭みゼロ」

「は、な、ぼ、なに、いうて……~~~~~~っ//////」

 言葉は理解出来ているが混乱する。いやむしろ理解出来ているからこそ血が沸騰するように感情が揺さぶられる。煙魔にとって美人なんて言葉は縁遠く。キスだって見た事はあるしどういう行為か知っているがまさか自分が経験するとは思わなかった。

「こ、こんな時にからかわんといてよ! イケズやわぁ!」

 とりあえず煙魔は否定してみる。長年の固定観念は中々拭えない。そして心の中で言い訳に入る。

(せ、せや! 坊は治す為だけにしただけで、気を遣わせんように戯れ言宣ってるだけ。坊は優しいええ子なんよきっと。だから本気にしたらあかん本気にしたらあかん……!)

「からかってるのは否定しないけど……」

「そ、そら見ぃ! や、やっぱり嘘なんやろ? やっぱり坊も嫌やったんやろ? す、素直に言って良いよ怒らんから! もう! ほんま焦ったわぁ~……っ!」

「やけに早口だな? あと、そこは事実しか口にしてない。……なんならもう一回するか?」

「~~~~~~~///////」

 耳元で囁かれ、さらに顔を赤くする。最早理解が追いつかない。

(……な~んか自分の発言を見返すとクズ男丸出しだな。処女の唇奪って。美人つって顔赤くさせて。嘘って言われたら。……うん。客観的に見て俺クズ男だな。反省はしない。してる場合じゃない)

「とりあえずその話は後にしろ。今はあの変なヤツの処理から!」

「……っ!」

「メェェアエェェェェエエエアア!

メァアエァァァエア!

      メェアエェェェェエアアアア!

  メェェアアアアアアエア!」

 舌を伸ばしよだれを飛ばしながら鳴いている。黒きモノは興奮状態だ。影も先程より激しくなっている。

 煙魔とやり取りしながらずっと跳び回っていた才。煙魔の頭からは飛んでいたが今は戦闘中。本来イチャイチャしている場合ではない。

「せ、せやね……。今はアレなんとかせんと……」

「つっても俺じゃ決定打とかないんだよな……」

 分析は不十分故に直感だが、才は黒きモノに勝てないと思っている。

 まず影の量。密度で上回っているが全方位から隙間なく攻められれば才も球状に展開せざるを得ない。そうなれは視界も気配も遮断される。自分の影だけならともかく、他者の影が全方位からくれば本体の接近はわからない。近づかれてマナの放出で防御を突破されたら詰み。

 その前に攻めれば良いのだが、才の攻撃手段はは影で潰したり殴ったり蹴ったりと。実に単純で規模の小さいモノしかない。影で潰そうにも弾かれるし、そこにリソースを割けば今度は防御が疎かになり結局詰む。

 だから才には手だてがない。かわしているのだって、黒きモノが気づくまでの時間の問題だ。

(リリンなら密度も量も勝っているから物量戦に持ち込むだけなんだけどな……。残念ながら俺はまだそこまで行けてない……。あ~マジでどうしよ?)

「……時間」

 どうしようか考えあぐねていると、煙魔が小さな声で呟く。

「時間があれば私の神器持って来れるよ」

「え? 持ち歩いてるわけじゃないの?」

「神器自体はぎょうさんあるんやけどな。小刀と煙管はいつも忍ばせてるんやけど。小刀はさっき刺してそのまんまやし、煙管は壊されてもうたんよね。まぁ煙管もこれまたぎょうさんあるからええんやけど。小刀も大したもんやないけど軽くて小さいから持ち歩いとっただけやし」

「へ、へぇ~」

 どう反応したら良いかわからない才。ようはほぼ丸腰で来てるという意味だからだ。そりゃ反応にも困る。

「とりあえず。神器ぶきがあればなんとかなるんだな?」

「うん。きっと殺して見せるよ」

 仮面がないからよく見える。自信というより確信を秘めた目。これなら任せられる。

「……物騒だな。まぁわかった。お前が戻るまで俺が相手しとく。時間稼ぎくらいは……たぶんできる。自信ないけど、やれるだけはやる。その代わり、ちゃんとあいつの相手しきれたらきっちり殺せよ?」

「ふふっ。そんな風に言われたら構えてまうわ。気楽に行かせてよ」

「……いや、マジで頼むぞ?」

 この後の事を考えるとさすがに不安になるので、軽口の相手をする余裕がない。

 その様子を見た煙魔は今度は安心させるように言葉に意志を込める。

「うん。わかっとるよ。必ず私が殺す。……せやから坊。生きて待っててや?」

「……善処します」

「嘘ついたら拳万やで? 一万回殴るよ?」

「死体でもやるつもりか? 死体殴したいげり反対」

「……ほんまに死んだらあかんからね?」

「じゃあ約束守ったら褒美くれ褒美」

「わかった。私のモノなら何でもくれたるわ。帰す時に」

「それむしろ先取りした俺に非があるんじゃ……別にどうでも良いけど。だけど何でも……ねぇ? それはやる気出るな。それじゃお互い自分の仕事に取りかかろう」

「ふふっ。せやね。あんまのんびりもしてられへんわ」

 煙魔の自信に釣られてか最後には才に軽口が戻っていた。

 そして万全とは言えないが出血しない程度に回復した煙魔から影を解く。

「いってきます」

「あぁ。待ってる」

「フゥ~……」

 肺に残しておいた煙を吐き、煙魔は姿を消した。

「さて、と。どうしたもんかなこれ。勝てる気まったくしないんだが……おっと」

 時を重ねる度に激しくなる黒きモノの猛攻。少しずつ避ける余裕もなくなってくる。

 不幸中の幸いなのは、この攻撃が煙魔に向かなかった事。全て才に向かっている為スムーズに送り出す事ができたのだけが救い。

「ま、やるだけやるかな。俺が勝つ必要ないし。つっても準備しなきゃ時間稼ぎすらままならないわな。……怖くてやりたかないけど、仕方ない――一割ほど残った人間の部分にお別れするか」

 才は微かに感じるリリンとの繋がりを辿り、かつてないほどに自分へ投影していく。より上の次元に立つ為に。



「へ? うわっ!」

(あ、あかん! 焦り過ぎて場所間違うた!)

 煙魔が移動した場所は神器の置いてある蔵……から数㎞離れた場所。

 焦りとダメージで座標を間違えてしまったのだ。

(煙ももう残っとらんし……。走っていくしかあらへんね……。あ~もう! ほんま阿呆やな! こんな時にやらかすなんて!)

 苦虫を噛み潰したような顔で煙魔は走る。まだダメージは抜けきっておらず、筋肉や内臓もあちこち痛めたままだがそれでも走る。

(やっぱり足がよう動かんわ……。どんくさいったらない……! このノロマ! もっとしゃんとしてや! 私の足!)

 遅いと言っても時速170㎞は維持して走っている。それでも煙魔にとっては足りないらしい。

(坊が待ってんねん! はよ! はよ! はよ!)

 直に触れたからこそわかる。黒きモノの力。あの程度ならば武装すれば問題なく殺せる。それは間違いない。

 だが武装すればというのが問題。今手元に瞬時に移動する為の煙管がないからだ。

 移動に時間がかかるこの状況で。己の足頼りのこの状況で。いつもより速く走れない事のなんともどかしい事か。

 もしもこの手に煙管があればと無意味な可能性しこうがよぎる。

(……嘆く暇なんかあらへん。今はただ走るだけや!)

 余計な考えを払拭して走るのに集中する。

(……坊の唇。柔らかいんやなぁ~……。でも頭カァーなって味はようわからんかった……。もっとちゃんと味わうべきやった……っ! 二度とない機会かもやのに! くぅーっ!)

 ……つもりだったのだが、まぁこのくらいは許してやってほしい。乙女の初めてという事で。



「メェェェェエアァァアエエア!」

「……っ!」

 才は黒きモノの影の猛攻を広範囲に広げた影を滑るように移動してかわしていく。なび

 移動しつつも影を壁にできるこの方法ならただ跳び回るよりも余裕ができる。

「メエアァァアエエア! メァエエエエア!」

(……興奮して喚き散らしやがって。ま、そのほうが付け入る隙があってこっちは得だけどな)

 才はジェットコースターのように激しく空中へかけ上がり、そして下る。

 襲い来る黒きモノの影を上手くかわし、防ぎながら接近を謀る。

「メァエェェェェァェェェァアア!」

「うるせぇ。近くで騒ぐな」

「メベッ」

 懐まで入った才は黒きモノの晒された頭に踵落としを極める。

 興奮して鳴き喚いていた。つまり黒きモノは影を纏っていない。無防備に攻撃を受ける。

「メェ…………」

「……させねぇよ」

「……メァアッ」

 すぐに気づいた黒きモノは影を纏いにかかるも、マナを放出して影を弾く。自分も影を使い、またやられた事があるのだ。対処法なんて文字通り身に染みている。

「オ……ラ!」

「ブアァッ!」

 身を捻って裏拳を叩き込む。顎関節が外れかけ、舌がデロンと飛び出す。

(……ここで踏み込んじゃダメだな)

 直感が働き追撃を躊躇う。その判断は正しかった。飛び出した舌には鋭い歯のついた口がいくつもついている。下手に踏み込めば食らいつかれて肉を削がれていた。

「ヴェェェェェァェアアアアアア!

 メェアァァア!

     メァェェエエァエアェェェェァア!

 メァェエエエエエァァァエアア!」

 案の定舌は才の方へ伸びてきた。腕へ絡みつこうとしてくる。

(……ここは普通回避。が、無難なんだろうな。だがあえて)

 ――受ける。

 無防備な才の腕へ舌は絡み付き、肉を食らい始める。

「……バーカ」

「……ヴァエッ」

 ただでくれてやるつもりなんてあるわけもなく。才は舌を掴み、思いっきり引っ張る。

「ヴォ! ヴェヴェア!」

 根元近くまで無理矢理引きずり出され、さすがの黒きモノも狼狽える。

 影やマナの放出で逃れようとするが才に相殺される。

(この距離。この規模なら問題ないぞ。さぁ覚悟決めろよ豚野郎。…………あ、山羊か)


 ――ブチンッ


 舌を引っ張ったまま顎を拳でかち上げ、自らの歯で舌を噛み切らせる。

「……っ! …………っ! ………………っ!」

 地団駄を踏む黒きモノ。これは痛がっているのではない。胴を斬られても平然としているような生物が痛がるわけがない。

 ただ、悦んで興奮していたところに水を差され怒っているのだ。

「ようやく静かになったなぁ~? 気分はどうだよド畜生。クハッ」

 リリンのような言い回しにイヤらしい表情。まぁこれはわざとなのだが。様になり過ぎている。よく観察している証拠である。

(つーかもっと自我とか持ってかれると思ったんだが。意外とイケるな。これ以上は踏み込むなって脳みそが言ってるから絶対行かないけど)

 絡み付いた舌をひっぺがしながら現状を冷静に分析。存在を大幅に変質させつつも自我を保つ。というかほぼ変わっていない。

 他の人間ならリリンの存在に飲み込まれているだろうが、才特有の存在の強さがあってこそ可能としている。

 本人も不思議も思っているが、リリンならばこう言うのではないだろうか。


「だから言ってるだろ? お前は特別なんだよ。我よりもな。いずれ我よりも強くなるさ」

 

 近道をして、ズルをして。無理矢理力を得てきた才。それでも未だリリンの真の力には程遠い。

 だがちゃんと近づいている。才は強くなっている。

 少なくとも、最早人の至れる域にはいない。

(もうとっくにわかってたし、人間やめたからって悲観するようはことじゃないし。むしろ自分のマナの密度と量が明確に、正確にわかるようになって心地が良い。人間のままこれを感じることができてたらまた違ったのかねぇ? ま、そんなことできたら苦労しねぇしすでに人間超えてるし今さらどうでも良いけど。むしろ今気になるのは……この頭どうしたらいんだろ? いつの間にか綺麗な金髪になってんだけど……。夏休みデビューで乗りきれるかな?)

「……っ!」

「っと」

 影を纏った黒きモノは才へ影を伸ばし遠ざける。離れたのを確認すると己を軸に影を重ね始める。

(アホなこと考えてる場合じゃねぇな。逆上どころか冷静さを感じる影の動き。的確だ。俺と距離を取るための最適な動かし方しやがって。ちょっと……ヤバイか?)

「……っっっ」

「は……?」

 黒きモノは重ねた影を一瞬で膨張させ、拡散させる。超広範囲に広がる影はまるで津波。逃げ場が……ない。

「んのド畜生……!」

(自然災害かよテメェは!)

 才は心の中で悪態をつきながら咄嗟に影を全身へ纏う。黒きモノを参考にした影の鎧。規模、攻撃範囲で負けていても密度で勝る才の影ならばこの巨大な影の津波は耐えられる。

 黒きモノを飲み込み荒野すらも埋め尽くしていく。

 飲み込まれた才は今のところ無傷。しかし。

(やっぱり気配がたどれない……。いつ……来る? どこから……来やがる?)

 ……五分経過。

(……? 来ない)

 ……十分経過。動きはない。

(……そうか! そういうことかよ! 厄介なこと思い付きやがって!)

 才の考えが正しければ、黒きモノはここから何もしない。この状況なら才は下手に動く事はできないからだ。

 何日。何ヵ月。何年と影の海の中にいれば大概の生物は耐えきれずに死ぬ。

 窒息死。餓死。衰弱死。どれでも良いが結果は変わらない。

 とにかく死んでからゆっくりと食らえば良い。

(今の体なら数ヵ月はこのまま耐えられるはず。だが向こうがそれ以上維持できないって保証もない。なによりこの状態で煙魔が来たときがヤバイ。影を展開して俺も縛り付けてる今はある意味万全の迎撃体勢。あいつが武器を持ってきたとしても反撃の余地がありすぎる。……根気比べは、ダメだ。詰む。せめてこっちが捕捉できてなきゃ勝機が薄くなる一方だぞ)

 才は覚悟を決めて上へ移動を開始する。

 影が肌に密着し、さらに上から別の影が圧迫しているので感覚が……ない。

 体を動かしているのに移動している気がしない。上下を間違えているかもしれない。

 それでも進む。なんとかして影の海から逃れ、黒きモノの位置だけでも見つけ出す為に。

(……っ! 影から出――)

「あ」

 影の海から顔を出した瞬間。才の影が弾かれる。

「……」

(まぁ、動いてるとわかりゃそう来るよな)

 上へ移動していると解るや否や。黒きモノは影を縮め塔のように形を変えつつ接近。待ち伏せをし、才が顔を出したタイミングで影を弾いたのだ。

「……っ!」

 舌のない今。もう鳴く事はない。

 無言のまま黒きモノは再び影で才を潰しにかかる。

「くっ! ――……」

 才も影を纏おうとするも一歩遅かった。先に黒きモノの影が才を包み、少しだけ上半身を潰す。影の中で外部へは漏れないが、あらゆるところが内出血を起こす。

(肋骨。頭蓋。脊椎。あとは右腕も肩からやられたか。内臓は……うん。圧迫されてダメージはあるがすぐに治るだろ。無視で良い。………………良かった。あちこちやられちゃいるが、まだ片腕が残ってる)

「……っ!?」

 才は影を弾きながら残った左腕を伸ばし黒きモノの頭を掴んだ。指は黒きモノの頭蓋へ埋まり、目から血が溢れ出す。

「……っ! ……っ!」

 黒きモノは才の手を離そうと暴れ、マナを放出し、影を伸ばす。

 だが才は離さない。

 暴れるならば腕力で抑え込み。マナを放出するならば相殺し。影を伸ばすなら影を纏うだけ。

(根気比べは分が悪い……。だけどそれは俺がお前の居場所がわからないって前提があるからだ。今左手に感じてる生暖かい気色の悪い感触が、お前がそこににいるってことを示してる。だったら手を離さない限り、俺はお前を捕捉できてるってことだよなぁ?)

 影の中で内心ほくそ笑む。あとやる事と言えば煙魔の帰りを待つだけだから。煙魔が殺す手段を持って来るのを待つだけだから。

(さぁ今度こそ我慢比べだ。……どれくらい耐えられっかな?)

 ただ影の中にいるだけならばそれなりの長時間耐えられる。だが今は脳の破損により思考力は低下している。

 思考力の低下は集中力の低下。頭を掴んでいる手を払わんとする黒きモノに抵抗するのにも必要なモノ。

 脳を回復しようにも左腕以外は影に飲み込まれ、これ以上潰されまいと影で自らを覆っている。

 そう。今の才に回復に割けるリソースは……ない。

 さらに大幅に自らを変質させ、より正確に、より多くの影を扱えるようになった。それでも足りない。決定的な何かがまだ足りない。

 それを得ようと、先へ行こうとする為に投影しようにも、やはり抵抗するので精一杯。そんな余裕がない。

 もう才に選択肢はない。煙魔を待つ事だけが才の出来る事に他ならない。



(やっと着いた!)

 煙魔の目に映るのは城に見紛う程に巨大な蔵。煙魔が過去手に入れた宝が詰められた文字通りの宝物庫。

 ここに煙管の予備と神器がある。

(角は生えへんかったけど、坊のお陰で体はほとんど戻った。これなら神器も振るえる。待っとってよ坊!)

「そこ退けぇ!」

 煙魔は蔵の入り口に立つ番人へ向かい叫ぶ。門番は見た事ない顔に狼狽える。煙魔の素顔を知る者はいないので当然の反応だ。

「うお!? 誰じゃ貴様!? ここを煙魔様の――」

「自分の物取りに来たんや! 何があかんねん!?」

「そ、その声は煙魔様!? 仮面はどう……」

「それどこちゃうねん! ええから退いて!」

「は、はいぃぃぃい!」

 ものすごい剣幕に慌てて入り口から離れる番人。ちょっと可哀想なくらい怯えてる。

(煩わしい!)

 煙魔はかんぬきごと大扉の中心へ手を突っ込み、勢い良く開く。閂は真っ二つになり、扉も壊れてしまったが気にしない。

「あ、あ~……扉が……」

(どこや!? どこにあるん!?)

 番人の嘆く声も耳に入らない。神器と煙管を探す為に蔵の中を奔走する。

(数百年振りに入るからどれがどこかわからへん! どこ!? ほんまにどこ!?)

「……っ! あった!」

 宝に埋もれながらも端だけ覗かせていた神器を手に取る煙魔。

 それは刃渡り2mを超える大太刀。確かにこの大きさでは持ち歩くのは不便極まりない。煙魔が小刀だけを忍ばせていたのも理解できる。

(太刀は見つかった! あとは煙管!)

 再び蔵の中を走り回る煙魔。時折太刀がぶつかってしまい蔵の中が荒れていく。

「あーもう! だから嫌いなんよこれ! なんでもうちょっと手頃な長さにせんかったんや!」

 今は無き制作者に文句を言うが、誰の耳にも入らない。

「お~。煙魔様荒れてんなぁ~。角折れてたしお召し物もボロボロだけど元気そう。いったいどういう状況なんだろ?」

 いや、一人だけ聞いていた。

 ずーっと蔵の見張りをしていて誰からも存在を忘れられ、黒きモノの襲来も知らされていなかった影の薄い番人だけが、煙魔の文句を耳に納めていた。

「まぁ、煙魔様が元気ならそれでいっか」

 彼女の呟きこそ誰の耳にも入らなかった。この場には彼女と煙魔しかおらず。

「ほんまにどこ!? 煙管どこ!!?」

 煙魔は一心不乱に走り回り煙管を探しているのだから。声なんて届くわけもないのである。

「……!」

(これも持っていっとこ。上手くいくかわからへんけど。試す価値はあるわ)

 煙魔は目に入った別の神器も懐へ忍ばせる。完全に黒きモノを殺す為に必要と信じて。



「……っ! ……っ!」

「……」

 煙魔が奔走している間も才と黒きモノの攻防は続いていた。

 お互い頭蓋を潰し合い、行動の全てが雑になっていてる。だが目的だけは忘れていない。

(弾いて……。抑えて……。また弾いて……。纏って……。弾かれて……。弾き返し……て……。次……は…………)

 頭の防御が疎かになり、徐々にだが才の頭が潰れ始める。

 このまま行けばこの我慢比べは才の負けになるだろう。

 才一人ならば。

「……っ」

 ピクリと才の指先が反応する。そして次の瞬間最後の力を込め黒きモノの頭部の上半分を握り壊す。

「……!?」

 頭蓋と脳の上部が散る。思考力は一時的に大きく低下。才以外へ注意を向ける事が困難になり、気配が増えた事に気づけない。

「よう……頑張ったなぁ~。もうええよ。もう、終わらせたるから」

 塔のように高くそびえる影よりもさらに高い空中に漂う煙から現れるのは大太刀を構え、煙管をくわえる煙魔。

 我慢比べは才の勝利だ。

「はぁ……っ!」

 煙魔は息を一つ吐き、気合いを入れる。すると大地は揺れ、地面が盛り上がる。

 影に阻まれつつも荒野に小さな山が出来上がる。

(黒いもんはどんなに強かろうが重かろうが関係なく穿つからなぁ~。最初しかこれやらへんかったけど。でも今は頭潰れて気が散ってる。ええ的やで?)

 才の作った隙を大いに活用し煙魔は能力をフルに使う。

 しかし、何故この世界で峰を作ったのか。

 それは煙魔がこれから行う事で明らかになる。

「……フゥ~」

 目を細め、深く息を吐き、鞘を捨て、煙魔は大太刀を構えた。


 荒ぶる土地神――一歩踏めば地を揺らさん。


 天たゆたう女神――姿拝めば天恵を得られん。


 静寂なる神獣――刹那の内に禍滅す。


 それら全てを断ち殺すその刀の銘は――


 ――神帝断殺不浄之御劔かみたつふじょうのみつるぎ


 振るう者の名は煙纏う鬼の王にして神の首を薙ぎし羅刹――煙魔神薙羅えんまかなら


 静かに放たれた剣閃は峰ごと黒きモノの胴体を裂く。

 大いなる一撃は影の塔を霧散させ、峰は煙魔の意思に呼応し形を戻す。

「……!?」

 影を伸ばして裂かれた体を繋ぎ治そうとするも煙魔は許さない。懐から扇子を取り出し宙を扇ぐ。


 ――………………


 強風。突風。烈風。嵐の如く激しい風が吹くと思われただろうか? 否。起こるは無風。風など吹かない。扇いだ手元ですら風は起こらない。

「………………………………っ!?」

 だがその扇子は確かに一つのモノを吹き飛ばしている。現在進行形で。

 扇子が吹き飛ばしているのはマナ。マナという概念を吹き飛ばしている。黒きモノの影は全て霧散し才も解放され、体は転がり落ちていく。

「……っ」

 黒きモノは標的を煙魔に切り替え、影を伸ばす。今度は吹き飛ばされずに済んだが煙を残し煙魔は姿を消していた。

「……!」

 麓より再び剣閃。今度は縦に裂く。

 これで二太刀目。もちろんこれで終わるわけがない。続けてあらゆる方向へ煙を吹きながら移動し、あらゆる角度から剣閃を放つ。

 一閃放たれる度に黒きモノの肉体は別たれていき、影を伸ばそうとすれば扇子で飛ばされ、最早治癒は不可能。

 ……何故峰を、山を作ったのか。

 それは測る為である。大き過ぎる力は煙魔でも加減が難しい。だから山の大きさで放つ剣閃の大きさを決めていたのだ。つまり――。

 

「……」

 バラバラにされ尽くした黒きモノは細胞レベルで諦めの境地へ達し、完全に沈黙した。まだ生きてはいるが、いずれ朽ち果てるだろう。

 黒きモノは認めてしまったのだ。煙魔という存在は完全に自らを凌駕する存在だと。

「フゥ~……」

 だが、煙魔は煙を吐く。バラバラにした黒きモノの肉体を別々の場所へ移動させる為に。万が一にも蘇生しないように。もう誰も害されないように。

(……この世界に置くわけにもいかんし。後で一個ずつ空の彼方へ飛ばさんとあかんね)

 落ちていた鞘を器用に太刀の先で拾い上げながら納め、才の元へ移動する。

 黒きモノが斬られている間に治癒はほとんど終わっている。さすがの生命力。

 だが精神的に疲れて寝転ぶ才。煙魔はそんな才に手を差し伸べる。

「坊。帰ろか」

「……あぁ」

 才は気だるそうに返事をして煙魔の手を取る。

 (結局、煙魔が全部片付けたな。それも思ったよりあっさり。……最初から本気でかかれば仮面も取れなかったんじゃないか? ケガなんて絶対しなかったろ。なめてかかるから痛い目見るんだぞ。反省しやがれ。……とか、口が裂けても言えないけどな。殺される。不死身だろうと煙魔がその気になれば死ぬ。絶対怒らせないぞ俺は)

 内心ビクビクしつつも、煙魔から手を離さない。出された手をこちらから離すのは気分を害する恐れがあるから。

 だがそんな心配は杞憂だろうと才はわかっている。

 そんな事をしてもまた気を遣って様子をうかがうだけだろうと。

「ふふっ」

 煙は出さず、手を繋いで歩き始める二人。少しだけ、こうしていたいと煙魔が思ったから。

 躊躇わず手を差し出す。その行為自体煙魔には珍しい事。

 才相手だからこそ。行った事。もう彼女は才の言葉を疑っていない。何故ならば。

(よう考えたら……死ぬほど醜女と思っとったらそれこそ死んでも口なんて重ねたくないものねぇ~)

 自分の容姿に別種の信頼があるからこそ才の言葉も信じられる。悲しいが……。

 まぁ、今後少しでも男女の触れ合い。その幸せを感じられると期待して。今は目を瞑ろう。


 唐突に現れた来訪者黒きモノは、もう一人の来訪者と訪れた世界の支配者に討たれた。

 その存在を謎に包んだままに。

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