第146話
「煙魔様。お加減は如何ですか?」
激闘の翌日。包帯を巻いた雪日がこれまた包帯を巻いた布団に横になっている煙魔に話しかける。……ちなみに、雪日がいるので煙魔は予備の仮面をつけている。
「私よりセツのが重いやないの。私疲れとるだけやし。寝てたら治るよ。だから無理して侍らんでええんよ?」
才の血で肉体的なダメージは大体治っているが、マナを使いすぎて疲労しているのだ。
雪日の方はというと、影に飲まれて拘束された際に全身隈無く内出血と骨折を起こし、今も体はズタボロ。
煙魔の言葉は気遣いとかを抜きにして、事実として雪日のが断然重症なのである。
「……いえ、煙魔様の手を煩わせてしまったので。このくらいはと思いまして……」
「もう……。自分の事一番に考えなあかんよ? 変なところ真面目なんやから」
正座をし、顔を伏せて申し訳なさそうにする。
そんな雪日に仕方のない子と苦笑を浮かべる煙魔。
「……煙魔様。先日は申し訳ございませんでした!」
突然土下座をする雪日に今度はギョッとする煙魔。
(せ、
「な、なに? 今度はどうしたん? 先日? 昨日の事? それならもう……」
とりえず土下座なんてよっぽどなのだろうと話を聞いてみる事に。
先日となると昨日の事。黒きモノの存在を黙って自分達で処理しようとした事を謝ってるんだろうと当たりをつけてみる。
「いえ、あの男が訪れた日の事でございます」
「坊の来た日……。あぁ~……あの事」
違った。
雪日が謝っているのは才が来た日の事。雪日は男という理由だけで信用ならないとして斬ろうとした。
○○というだけで。これが煙魔の怒りに触れてしまった。
彼女は産まれてからずっと醜いだけで迫害された。
時は流れ、顔を隠して上等な着物を着ても、角を見られれば刀を向けられた。
ただ普通に馴染みたかっただけなのに。
だから嫌なのだ。決めつけられるのが。とても悲しい事だから。とても寂しい思いをするから。
だから娘のように可愛がっている彼女達には同じ事をしてほしくない。
ようはエゴ。わがままなのだ。
人であるならば誰しも雪日のような考えを持つだろう。
自分の考えが一番正しいと無意識に思うのは必然。だってそれがその人常識なのだから。煙魔もそれはわかっている。それでもつい怒ってしまった。
(さすがに大人げなかったなぁ~……。セツも気にしてもうてるし……。ちゃんと言ってあげなあかんなぁこれは)
「もう怒ってないよ。私もちょっと態度悪かったしなぁ~。ごめんな? セツ」
「いえ……! 煙魔様が謝る事ではございません! 私が早計で愚かなのがいけなかったのです! 事実あの男は煙魔様をかばい、
「……」
プルプルと震えて、少しだけ涙を溢す。悔しさ、情けなさ、申し訳なさ。負の感情が雪日の心の中で渦巻いている。
拾ってもらった恩人に悲しい思いをさせた事も。良かれと思って煙魔に黙り自分達で脅威を排除しようとし、返り討ちに合い。結局手を焼かせた事も。大事な人を守った男に無礼を働いた事も。
それら一つ一つが雪日にとっては腹切りモノの罪。今すぐ自分を殺してやりたい。
だけど、そんな事をすればせっかく生かされた身を無駄にする事になる。死の自由すら、雪日は捨てている。
だから謝る。頭を畳に擦り付けて謝る。それしか、彼女は自分に自由を許していないから。
(ほんま、難儀な子。拾った時から小難しい事と堅い事ば~っか考えとったなぁ~。ふふっ。懐かしいなぁ~。こういう時はいつも……そう。普通に言っても聞かんから頼み事して気を逸らしてやったっけなぁ~……。う~ん……せや、丁度ええし。セツに頼も)
「……なぁセツ。一つ頼み事があるんやけど。かまへん?」
「ぐす……っ。は、はい……。なんなりと……お申し、付け……くだざい……」
(……最後の方鼻水垂らしてへん? 久々に自己嫌悪入ってもうた所為か根が深そうやなぁ~。ちゃんとお願い聞いてくれるとええけど)
少し間を置いて、煙魔は口を開く。
……仮面と包帯を外しながら。
「あんな? 髪と角。切ってほしいねん」
「へ……?」
バッと勢いよく顔を上げ、煙魔の顔を見る。
(煙魔様の御尊顔……初めて…………)
昭和の初期に生まれた雪日の時代ならば、煙魔はすでに絶世の美人。雪日は頼み事を忘れ、煙魔の顔に魅入ってしまう。
(……我が恩人。……我が母。……そして、我が女神。なんと神々しく美しい……)
数百年の時を経て初めて見る妹分に成り上がっても心の中では母と慕う恩人の顔。涙が溢れても視線は外さない。外す事ができない。
「セツ……。そんな見られたら恥ずかしいよ?」
「も、申し訳……ございばぜん……」
「……やっぱり。醜いか? でも角切るとなると顔晒さんとあかんしなぁ~。我慢してくれる?」
困った顔になる煙魔に対し、首をブンブンと振る。
「どんでもございまぜん! お美じゅうございまず!」
「ほ、ほうか。そんな顔で言われてもピンとけぇへんし話し半分に聞いとくわ。とりあえず鼻拭いて?」
はいと返事をして鼻どころか顔全体を布で拭く。
「落ち着いた?」
「……はい。……それでなんですが、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
髪は女の命。彼女達の時代基準からすれば現代よりも遥かに切るという意味は重い。そして角には神経も血管も通っていて痛みを伴う。痛みで言えば指を落とすのに近いだろうか。
そんな事をしてほしいと頼むなんて。理由を聞かなくては行えない。気軽に行って良い事ではない。
「理由なぁ~……。大した事ちゃうねんけどな? 人に言うような事でもないねんけどな?」
「……」
急にモジモジしだす煙魔に不穏な空気を感じる雪日だが、とにかく答えを待つ。
「髪、ボロボロになってしまってみっともないやろ? ならいっそ綺麗に残っとるとこまで切ろう思てな? そんで角は……。その、治らんかったから。いっそ諦めて普通の人の子みたいにしようかな~って……」
治らなかった。という言葉を口にした時、才との口づけを思い出して顔を赤らめる。
雪日は煙魔の顔を見て、なんとなく察してしまった。
(あの男……。たった数日で煙魔様の御心を……)
男は嫌い。乱暴で自分勝手で。女子供を弱い邪魔者と言い手を上げるから。
それが雪日の中の男というモノ。
だが煙魔にとっては違うのか。はたまたあの男が特別なのだろうか。わからないけれど。少なくとも、煙魔が数千年隠し続けていた顔を晒して。その原因となる理由は才なのだと。雪日はわかってしまった。
初めて見たはずだが、その表情に覚えがあったから。自分が煙魔を見る目に、近い気がしたから。きっと煙魔は……。
(もしもそうなら。煙魔様が幸福を手にする好機であり転機なのだろう……。であれば、そのお手伝いをしなくては)
後悔などしていられない。自責などどうでも良い。そんな事よりも煙魔の幸福の前では塵芥に等しい。
「わかりました。僭越ながら煙魔様の
「出来るだけでええから。綺麗にしてな?」
「はい。全霊をかけて」
「……いや、そんな気張らんでええよ」
変に張り切る雪日の様子にちょっと引く煙魔。まぁ自責をやめたようだし、良しとする。
「どうでしょう?」
髪を切り整え、手鏡を覗き込む煙魔に話しかける。
「ん~……」
しかし表情は芳しくない。雪日は一気に不安になる。
「お、お気に召しませんでしたか……?」
「ん? 髪はええよ。童みたいになってもうたけど。うん。満足よ」
「では……」
「いやね? 数千年振りに見たけど変な顔やなぁ~って思て。他の子の顔はあんま気にした事ないんやけど。自分のとなると……。やっぱりね?」
他人の顔の善し悪しは気にしない。ただコンプレックスが強すぎて自分の顔は酷く醜いという固定観念に取りつかれてしまっている。
きっと彼女は雪日がどんなに誉めても、他の娘達が誉めても、納得しないだろう。誰に言われても本気にしないだろう。
現代において、絶世の美人だと言っても。彼女が受け入れる事はないだろう。一人の言葉を除いて。
「……では角の処理をいたしましょうか?」
「せやね。お願い」
煙魔は魅力的な女性だと自覚させる。それは自分の役目ではない。
今自分の出来る事をしようと雪日は小刀を手に取る。
(髪は納得いただけた。あとは可能な限り綺麗に、傷痕が目立たぬように角を斬り取ろう。あの男が思わず綺麗だと。口にしてしまうように)
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