第59話

 さて、現在六月。梅雨時季。雨がよく降るこの季節。午後の授業はいつも外で楽しい楽しい運動をしていますが、雨なんだからさすがにいつも通りというわけにはいきません。

「ぜぇ……ぜぇ……! ぜぇ……ぜぇ……!」

「じ、ぬ!」

「ブフー……! ブフー……!」

「キツい……! キツいってこれマジで……! バカじゃないのあの先生……!」

「はぁ……はぁ……」

「………………コポッ」

 いつもよりキツしい運動をしています。具体的にはバカみたいに吸水性の高いマスクとスウェット着させられて途中しゃがんだり伏せたり跳んだり転がったりと決まった動作を取り入れた上で走らされてる。あ、マスクと言っても風の予防に使われる物というよりガスを吸わないようにするタイプな。ズレないように耳じゃなくて後頭部で固定されてるからより口に密着して息がしづらい。ちなみにミケは布と砂だけで作られたジャケットとリストバンドとパワーアンクルをつけてる。そう。布と砂。よく水を吸います。超原始的なトレーニングをやらされてるんだよねあの筋肉達磨。……あ、コポコポ言ってるのはぶっ倒れた八千葉な。

「あと五セットやったら終了。勝手に帰れ」

「「「はい……!」」」

 先生はメニューだけ言い残し先に帰っていく。クソッタレ。この地獄をさらに五セットって鬼かボケ。もうかれこれ一時限分やってんだけど! ……えぇ、えぇ。わかってますよ。必要なことなんでしょやりますよバーカ。言うまでもないが、メニューをやり終えた後は全員が無言で数分間動けませんでした。酸欠状態だよやったね!



「お、おおう……」

 なんとか校舎内のシャワーを浴びてから自室に戻ったんだが、疲労感が半端なくてすぐ布団を敷いて突っ伏す。あ~ぎもぢいい~……。

「だ、大丈夫か? 随分と辛そうだが」

 ロッテが心配して近づいてくる。残念ながら今は人型だ。今は特に犬のほうが良かったなぁ~。抱き枕にしたい。

「大丈夫……。飯の時間に起こしてくれ……」

 仕方ないので抱き枕は諦めて仮眠を取ろう……。

 ……。

 …………。

 ………………。



 あぁ、この感じ。またあの夢か。暗くて苦しいあの夢。昼間でも見るんだなこれ。ただ今は筋肉痛のほうは消えてるので若干ありがたい。不謹慎でごめんな。


 ――ダレ?


 お前の知らない誰か。


 ――シッテルキガスル


 錯覚だよ。何度か繋がってるだけだ。


 ――シッテルキガスル


 ……あ、そ。じゃあ良いよそれで。


 ――サビシイ


 それは大変だな。


 ――アイタイ


 近々会えるかもな。


 ――……ホントウ?


 お前のいる場所がわかったかもしれないから。


 ――ホントウ?


 まだ確定したわけじゃないけど。


 ――アイニキテ


 まだちょっと難しい。


 ――アイニイク


 お前は俺のいる場所知らないだろ。


 ――オシエテ


 遠いところ。


 ――ワカラナイ


 だろうな。


 ――アイタイ


 待ってろ。


 ――マッテル


 良い子でな。


 ――ワカラナイ


 ……さいですか。


 ――アイタイ


 そのうちな。あ、呼ばれてる。もう行かなきゃ。


 ――……マタネ


 あぁ。またな。


 ――マタ……


 ――……


 ――…………


 ――………………サビシイ



「あ、おいリリン起こすのは儂の役目なのだが!?」

「うるさい。全然起きないじゃないか。我は早く食事を取りたいんだよ」

「……さっきからずっと色々食べてないか?」

「あれは間食。別腹。そら、早く起きろ」

「ぬぅおおおおおお!?」

 背中にいくつもの鋭い痛みが走って目を覚ます。リリンのヤツが爪先で乱打したらしい。元々小さい体でさらに細い指してるから突き刺さってめちゃめちゃ痛いんだが!?

「な、なにしやがる!? もっと優しく起こせねぇの!?」

「何度もロゥテシアが起こそうとしていたぞ。顔を舐めようともしてたな」

「ちょ!? バッ! ち、違うんだ! ま、前に飼い犬がそうやって起こす動画を見てだな……? なら儂もやってみようかなぁ~なんて?」

 ……普段犬扱いしてるけどお前どちらかというと狼とかの部類だろ? 良いのか犬で? 本当にお前はそれで良いのか? 誇りはないのか?

「……ハ、ハハハ」

 ないな。この犬に羞恥心はあっても誇りはない。でも可愛いからそのままでいてくれ。そして照れるならできれば犬のときで頼む。美女は心臓に悪い。

「起きたなら早くいくぞ。もう体は動くだろう?」

 そら動くけどよ。さっきの爪先乱打で筋肉痛に効くツボでも押してたんだろう。器用なヤツめ

「……はぁ。わかったわかった」

 体も楽になったことだしな。飯に行くのに億劫じゃなくなって良かったよ。……にしても。昼寝でもあの夢を見るって、実は繋がりが深くなってきたりしてんのかね? ……まさかな。



 ――……

 

 彼女は時折繋がるナニかに思いを馳せる。といっても彼女は言葉を知らない。純粋な意思だけしかない。喜怒哀楽が辛うじてある程度だろう。


 ――……


 繋がる時。決まったイメージが流れる。暗い中。身の内から焼き焦がされる苦痛の中。温かい光が視える。気がする。そんな事できないのに、手を伸ばしているような錯覚を覚えて、それに触れる。すると自分じゃないナニかが近くに来たような感じがする。繋がると、痛みが和らぐ。ほんの少しだけだが和らぐ。痛みだけじゃない。心も満たされる。意思の疎通ができるからだ。彼女は言葉を知らないから、直接感情を送り、彼が言葉にして受け取っている。そして彼から流れる感情言葉は複雑で、彼女は全てを理解しきれないけど、漠然と感じ取る。この時間は彼女にとっての至福。幸福。すぐに終わってしまう刹那の幸せ。でも彼女はそれで良いと思っている。だってまた待っていたら繋がるから。それに、彼は会えると言っていた。ならば待とう。待っていよう。どうせ待つ以外何もできないのだから。

 ……もし、彼女に表情を作る事ができたら。きっと想像を絶する苦痛を感じている中でも、微笑んでいる事だろう。彼女には今支えがあるから。心を育んでくれる細い繋がりの向こうに支えがあるから。



 生まれた時から彼女は一人だった。覚えているのは何もない白い場所。玩具もない。服もない。ベッドもない。眠って起きたら食事だけは置かれていて、食べて寝たらいつの間にか片付けられていた。そんな環境で過ごし続けた。自分の顔すら知らずに。言葉も知らぬまま。時だけが流れていた。

 ある時。白い部屋に彼女と食事以外の存在が入ってきた。目を血走らせ、彼女を見るなり狂喜と殺意を向け殺しにかかる男達。

 彼女は何を思ったろう? 初めて自分以外の存在に触れ何を思ったろう?

 ……彼女は喜んでしまった。自分以外の何かに触れて、見て、知って。喜んでしまった。その刺激は余りに大きすぎた。考えても見てほしい。生まれて初めて見るナニかがあったら誰でも興奮するものだろう。それが恐怖のようなネガティブな感情であれ、好奇心などのポジティブな感情であれ。興奮してしまうだろう。しかも彼女は。彼女の場合は。彼女にとって自分と食べ物以外の三番目のモノで。それがたくさんの殺意。強すぎる。刺激が強すぎる。だから。だから彼女のいた場所は――。


 ――滅んでしまった


 大陸全てが焼かれ生き物は絶えた。滅びをキッカケに彼女は閉じ込められる。彼女を守る最後の砦――鎧に閉じ込められる。彼女を白い部屋に閉じ込めていた人達が残した最後の遺産であり、兵器。彼女だけは守り通したかった。何故なら彼女を閉じ込めて、守っていた人達にとっては神の子なのだから。


 ――燃え輝く星の神の娘なのだから


 この事があったから彼女は今、苦しんでいる。もしも閉じ込められたままならば苦痛を感じる事はなかった。自分以外の動くモノを知らなきゃ寂しいという感情を知る事もなかった。自分以外のたくさんの同じモノ。自分で消してしまったモノを。また感じたいと、彼女は渇望し続ける。願わくば、繋がったナニかが同じモノであれと、彼女は暗闇の中で願う。

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