第15話

「で、どういうことだよ?」

 部屋に戻り改めて尋ねる。リリンはベッドに腰掛け、自分の見解を話始めた。

「あの雌は貴様と違いそこそこマナを垂れ流しているのだが、少々違和感を感じてな。一つの生物からはあり得んマナの気配がした。二つが混じっているような気色の悪い感覚がな。あの感じは恐らく契約者の侵食を受けているのだろうよ」

「……侵食?」

 なにそれ初耳。それと何気にお前俺のことディスってなかった? 気のせい?

「我も魔法というものは詳しくはない。だが召喚魔法、契約魔法とは自らの魂や存在といったものに働きかけるものというのは理解できる。なれば、契約した相手とはなにかしらの形で繋がりができる。その繋がりを利用し、自分と相手の存在を併合、同化、融合、侵食させることも可能なのではないか?」

「お、おう……?」

 いまいちよくわからないんだが……。もっと噛み砕いて説明してほしい。

「要はあの雌が人間という生物、存在から別の存在になりかけているのではないか。というわけだ」

 俺の顔で察したのかわかりやすく言い直してくれたのは良いんだが……。お、おいおい。なにそれ実は結構ヤバイ状況なんじゃねぇの?

「もしもそれが本当なら学園側に報告とかした方が良いんじゃ……」

「あくまで我の推測。そんな不確かな情報で組織とは動くものなのか? 暇ならともかく他に用事があればよく知らんヤツの戯れ言なぞ我なら無視する」

 それも無きにしもあらず。あの学園長ならリリンの話は聞きそうだけどな。他の機関が関わるとなるとわからなくなる。

 同級生が得体の知れない生物になるとかなんか怖いからできれば回避したいんだけど。

「……フム。貴様なぜ深刻そうな顔をしている?」

「は? そりゃあ他人とはいえ人間じゃなくなるかもとか言われたら……」

「それのどこに不都合がある?」

「いや、人間じゃなくなるんだぞ?」

「それのどこに不都合がある? 貴様まさかとは思うが、人畜生がなにか特別な存在だとでも思っているのか?」

「……っ」

「脆弱なクセにプライドと数だけは一丁前の半端な生き物の分際で特別なモノだとでも? 客観的に見て、少なくとも我に比べたら大概の人畜生は特別とは言い難いのではないか?」

 ……言われてみたら、そのとおりだ。リリンに比べたら人間という生物は漏れなくゴミ同然の存在。

 だけど俺たちは自分達をなにか特別だと思い込んでいる。無意識下だろうが、そういう共通の認識があるのはたしか。事実俺は人間ではなくなるということがとてつもなく恐ろしいものと感じていた。

「仮に別の存在になれたとしよう。それでより強くなれたのならば良いのではないか? 進化とは生物の本能であり義務。淘汰されたくなければより上位の存在になるしかない」

 いちいちが正論過ぎて反論の余地がまったくない。

「と、言いつつも。正直我はそのあたりどうでもいい」

「……は?」

 え、ここまで話しといてどうでも良いのお前? 急な手のひら返しでビックリなんだけど。

「我の興味はむしろあの人畜生との戦いよ。普段ならばともかくとして、この縛られた状態ならばそこそこ楽しめそうなのでな。存在の侵食を行えるモノと契約しているとしたらこれほど興味深いこともあるまいよ。クハハ。戦いを前に心が踊るのも久しい」

 今までに見たことのない卑しく楽しそうな笑みを浮かべているリリン。戦いが楽しみで浮かべるその表情に背筋がゾクッとして嫌な汗が出ちまった。

 戦闘狂バトルジャンキー。それがリリンの本質なのかもしれないな。

「さて、貴様はどうする? 我はどうでも良いし人畜生は人畜生を特別視することにも疑問は尽きぬが。もしも侵食を止めたいのならば貴様は抑えられてる我の力を数億分の一は引き出さねばならぬのだが? なにせあの娘のマナ量から考えるに今の我では互角が良いところだからなぁ。+αがなければヤツの契約者を壊すにしろ屈服させるにしろ必要なのだが?」

 普段垂れ流されてる以上のマナをリリンに送り込め。ってことか。

 人域魔法を使って暴発させ、大ケガしたことある俺が意図的にマナを使う……。

 他人を特別でもなんでもない人間のままにするためにリスクを負うということ。俺がそんなできた人間みたいなことをするのか?

 ……やめた。ないわ。そんなどこぞの正義の味方チックな主人公的なもん俺らしくもない。

 そんな大層なことは大層な人に任せる。

「あ~。お前の持論聞いて俺もどうでも良くなっちまったわ。お前の言う通りあいつが人間やめるとしても俺には関係ないし。心配してやる義理もない。大事になったとしてもそれはあいつと学園の問題になるだろうしな」

 所詮俺は根暗で陰キャのただの学生。自分のことだけで精一杯だわ。だから――。

「ただ、あいつとは演習であたるらしいからな。心の準備くらいはしとくわ」

 それを聞いたリリンがニタァとこれまたイヤらしい笑みを浮かべる。

「そう。それで良い。シンプルで良い。戦いとは敵意やる気があれば成立するものだ」

「シンプルで良いってお前……。じゃあなんであんな話したんだよ……」

「貴様が聞いたからだろうが」

「そういや……そうか」

 うん。俺から聞いてるごめん。

 ついでにたった今疑問が浮かんでしまった。これだけは聞かないとたぶん今日は怖くて眠れなくなる。

「演習のことはもう良いんだけどよ。話の流れで一つ気になったことがあるんだが」

「なんだ?」

「契約してたら存在の侵食の可能性があるわけだろ? つまりそれってお前もやろうと思えば俺にできるってこと?」

「……さてな」

 意味ありげな間をつくるんじゃねぇよ! え、ちょ、マジで怖くなってきたんだけど!

「おまっ。ちゃんと答えろって!」

「フム。そろそろ食事の時間だ。行くぞ」

「待てやコラ。まず答えろよ! おい!」

 自分を特別に思ってるとかそういうのじゃなく単純に自我が消えるとかそういう話だとしたら普通に怖いので否定してほしいんだが!?

「クハハ。こういうのも面白いものだな。何事も経験してみるものだ」

「……からかったのか? からかっただけだよな?」

「さてな」

「からかっただけって言えや!」

 結局のところ。リリンは答えてくれなかった。

 どうしよう。今夜怖くて寝れないかもしれない。



 その日の夜。ジュリアナは夢を見ていた。

 真っ暗な場所を一人で歩く夢。

 ただ真っ直ぐ進み、進むほどに自分が闇に溶け込んでいくかのよう。

 それなのに……恐怖はない。むしろ心地が良いとさえ感じる。

 自分が自分でなくなり、感情そのものが失せ、生きてるだけで必ずあるしがらみ全てが消え去る。

(……消える? 何が? 自分が? なぜ?)

 そこに疑問を抱いた瞬間目を覚ます。そして徐々に夢の内容を思い出し、体が震え始めた。

 自分が消えることに恐怖を感じないわけがない。感じない方が異常。そんな異常な感覚に恐怖を抱く。

「すー……はー……」

 深く呼吸をして心を落ち着ける。そしてしばらくして最近のことを考え始めた。

(ここのところなにかがおかしい……)

 ジュリアナは本来理性的な人間。真面目で堅いところはあるが、仮に気に入らないことがあっても耐えられる自制心があった。

 にも関わらず才に絡み、サボったE組の男子に怒り、問題を起こしている。

 自分のやったことに後悔はない。後悔はないのだが、疑問が尽きない。

(なぜ私はこんなにも怒るのでしょう……? いいえ。聖人君子ではないのですから怒らないわけではないのですが。きっと前も同じことがあれば怒ってはいたはず。でも……ここまで酷い癇癪持ちだったでしょうか……?)

「……うっ」

 急に頭がクラッとする。時刻は深夜なのだしきっと眠いのだろうと彼女は再び目を閉じる。

(新しい生活にきっと疲れているのね。ゆっくり休めばすぐに……)

 心の声は途中で途切れ、彼女は夢の中に落ちる。疑問も……恐怖も……最近の自分の変化すら忘れて……。

 彼女は不安定になっていく。曖昧になっていく。

 その時は、刻一刻と迫りくる。



『実戦演習試合の時刻になりました。ただちに集合してください』

「行くか」

「クハ。待ちわびたぞ」

 端末に来た通知を見て俺とリリンは控え室から出ていく。

 結局特に何事もなく週末を迎えてしまったんだが、このまま平和的に終わってくれたら良いなぁ。望み薄だろうけど。

「ところでお前勝算とかある?」

 特に対策とか立ててきてないというか。俺にできることがほぼないからアレなんだけど。

「勝算? 考えたことはないな。強ければ勝つ。それだけのことだ」

 男らしいかよ。シンプルすぎるわ。

「まぁでもお前あの蔓みたいなヤツあっさり止めてたしなんとかなるよな」

 前に絡まれたときのこと考えたら実は余裕なんじゃないか? そもそもがこいつ規格外だし。多少弱ってても……。

「アレはまだあの人畜生が制御していたようだし、そもただの威嚇。参考にもならん」

 うっそ。ここに来て不安要素明確にしちゃう? やめて? 空気読んで?

「あれ?」

 負けることなんて俺にとっては日常的なこと。落ちこぼれだから当たり前だ。

 でもこれじゃなんか……負けたくないみたいな考え方じゃないか?

「どうした?」

「いや……なんでもない」

 ま、いいか。

 とりあえず今は演習場に向かわなきゃな。



『一年A組ジュリアナ・フローラ。一年E組天良寺才。これより実戦演習を始めます。準備をしてください』

「では、始めましょう。――アグニ」

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