89頁目 コルヒジャムと思惑

 ライヒ王国で出回っているコーヒー、厳密にはコーヒーではないのだが、それに似た飲み物の元となる種が出来るコルヒの木を栽培している農場で雑草取りの帰り道。娘のアネモネの手には、好意でいただいたコルヒジャムが入った瓶があり、ニコニコしながら小さな両手でつつむようにして持っていた。

 コーヒーもどきとなるのに必要なのは、あくまで種だけであり、果肉は捨ててしまうことが多い。何故なぜなら、種の占める割合が大きいゆえに食べられる部分は少なく、また種を取り出す際にどうしても形を崩してしまうことから品質にも問題があり、売れないとなれば自分達で食べるか捨てるしかなかったのだとか。

 以前はそれで良かったのだが、近年、大規模拡張が行われたことによって、実の量も増え、捨てる場所にも困る事態となった。そこで思い付いたのが、煮詰めてジャムにするということだった。砂糖の入手は難しいので、ただの果物を鍋で煮詰めただけの代物しろものではあるのだが、元々寒い地域で育つ植物で、その実に寒季を乗り切る為の糖分が含まれていたことで、本来のジャムよりは甘みはひかえ目であるものの、コルヒの実本来の味と甘さを楽しめる一品となったのだとか。

 それを二つ。私とアネモネの分をいただいたのだ。ちなみに、アネモネはあの昼食でコルヒジャムを丸ごと一瓶ひとびんを舐めきってしまった。ジャムだけでだ。

 そんな良いことが多いジャムであるが、残念ながら市場しじょうに出回っていない。理由としては、あくまで農場はコルヒの木を育ててその種を出荷する為の場所であり、従事者も基本的にその業務にたずさわっている。つまり、ジャムを作るのに必要な人員を確保することが出来ないのである。

 私も一口だけ、ティースプーン半分の量を舐めたが、くどくない甘さでパンに塗るだけでなく、ケーキなどのお菓子や、一部のいため物などにも使えるのではないかと思った。砂糖を使っていないので保存食としての価値はないが、寒季の間だけならば日持ちはするだろうし何より美味おいしい。勿体もったいないと思うが、私は別にこれをどうこうするつもりはない。

 他国の冒険者は他国への過干渉かかんしょうを避ける。という暗黙の了解がある。下手へたに首を突っ込んでトラブルに発展させ、混乱を引き起こしたり迷惑を掛けたりするような事態になれば所属国家の信頼に影響があるからだ。

 この存在を私が広めるとしよう。そうなると、国の経費によって拡張された農場だ。当然国が関与してくるのは必然。国を動かす事態に私が関わることは避けるべきである。かといって、農場関係者も国に打診するつもりはないのだとか。

 まだ安定した生産数に見合うだけの実の確保が出来るのか、専門の製造所をどこに造るのか、予算や収益の見込みなど、事前に算出しておかねばならない事案が多いからが理由だそうだ。そういうのは、国から学者を派遣はけんしてもらって調査をするのだが、その調査を行うに当たり、場合によっては一時的にコルヒの木の栽培を停止しなくてはならない事態になることもある。以前、農場の拡張の際も調べたはずだが、また別の結果が出ないとも限らないし、その土地への影響も調べる必要があるので、現在農場として使用している区画も土壌どじょう調査を行う必要が出ることもあるのだとか。

 そういったことを避ける為に、少なくともしばらくは現在の状態を維持すると言っていたが、彼等ももう大分だいぶ高齢である。この世界の平均寿命が前世よりも低い以上、早めに後継ぎなどの対策に講じていなければ手遅れになってしまう。

 だから私は何も言わない。


「ん? これは何ですか?」

「……」

「えぇと……」

「後はそちらの好きにして」

「えー……」


 そう何も言わないのだ。

 現在ここは王都スクジャのギルド。いつものごとくすっかり顔馴染みとなった兎型獣人の男性受付に、私がもらった分の瓶をカウンターに置いてそう告げた。相手からしたら何が何だかサッパリ分からない意味不明な状況であろうが、ここで私が変に口を出してしまえば、この案件が私主導のものとなってしまう。それを避ける為にはギルドが主導になってもらう必要がある。

 国を動かすのに最も手っ取り早いのは、冒険者ギルドを動かすことだ。何故なら、国にもよるが、国へ上がってくるギルドからの税金は少なからずとも国庫へ影響する程の金額だから、ギルドからの要請であれば無視出来ないのである。


「ふむ……何となく分かりました」

「……」

「ふぅ、本当に何も言わないのですね?」

「責任とか嫌ですからね」

「大丈夫ですよ。これはこちらで預かります。ここからの話は、依頼報酬ほうしゅうの話と世間話にとどめましょう」

「ありがとうございます」

「それとその前に、宿屋の臨時整備、終わったそうですので帰れますよ?」

「良かったです。ありがとうございます」


 それからは、本当に報酬の話と世間話をする程度で、相手からこちらの言葉を引き出すような話を振ってくることもなく、終始なごやかに話を終えた。

 ギルドを出た私達は、一週間ぶりにギンゼルさんの工房へ顔を出すことにし、足を向ける。

 飲酒暴行で実質死罪と変わらない扱いのダンビの森の刑。それを私の手助けがあったとはいえ、課題を達成して無事に生きて帰ってきたことで無罪となったギンゼルさん。元々は鍛冶師かじしをしていた人間族の男性で現在もその職務を全うしている。

 しかし、無罪になったとはいえ、一度は有罪になった元犯罪者だ。元でも犯罪者という経歴が付けば、必然人の目は厳しくなり、依頼をしようという人は中々現れず、以前の顧客こきゃくも半分以上が離れてしまったのだとか。

 しかし、あれから一ヶ月以上。コツコツと真面目に毎日働くことで徐々に依頼が増え、以前とまではいかなくとも、それなりに生活出来る程度には仕事が出来ているようだった。


「お客さん増えて良かったですね」

「本当だよ。全部あんた達のおかげだ」

「いえ、森で助けたのは確かに私達でしたが、それからはあなた自身の頑張りじゃないですか」

「まぁ、努力もしたが、それだけじゃなねぇんだ」

「? と、言いますと?」

「あんた知らないのか? 今ギルドじゃあんたの噂で持ち切りらしいじゃんか」

「え? あ、あぁ……あのことですか」


 鉄大鬼オーガ種の中の戦鐸鬼せんたくきと呼ばれる個体。その歴戦れきせん個体を単独で討伐とうばつしたという話だ。


「それとどういった関係があるのですか?」

「その噂のあんたが、出入りしている工房があるということで噂になってんだよ」

「まさか」

「いや、本当だ。実際に数組の冒険者から、フレンシアさんの通う鍛冶屋はここかと聞かれたからな」

「はぇー」


 私の知らないところで、何やら不思議な出来事が発生しているらしい。つまりあれだ。前世で言うアイドルや俳優がおとずれた場所をファンが聖地巡礼せいちじゅんれいと称して突撃するとかいうそういう感じのものだ。ファンとかいらないし。いやファンではないか。ファンじゃないよね?


「また看板娘みたいな扱いですね」

「ん? 経験あるのか?」

「ジストでも以前ね。臨時での雇われ店員だったのですが、やっぱりそこそこ新規の人は来ていましたね」

「その容姿なら仕方ないって。エルフ族ってだけでも話題の種なのに、おまけに美人で強いと来たもんだ。これで噂にならないなんてあり得んな」

「んー私も一応、長いことちやほやされていましたから、全く自覚ないということもないのですが……」

「自覚はあるのか」

「それは……まぁ、いくら鈍感でも直接的、間接的関係なしに数十年。ずっと言われ続けていたら、流石に意識くらいはしますよ」

「俺ぁそういうのに無縁だと思ってたがな」

「無理に否定し続けるのも、逆に気を大きくするのも自身の存在をとぼしめる行為ですから。主観的、客観的の評価に差が生まれるのは当然ですが、その誤差ズレを少なく出来るよう努力すれば、いずれは正統な評価となるのではと思っています」

「何か具体策とかあるのか?」

「ありませんね」

「ないのか」

「私は、ただ私のしたいように冒険者稼業かぎょうを続けていくだけです。犯罪行為にさえ手を染めなければ、何でも好きにやっていくつもりですので、そこに対する評価とかは、私自身の気持ちとしては関係ありません。査定さていに響きますので、あまり変なことばかりすると冒険者ランク下げられちゃいますけどね」

「そ、そうか……ちょっと犯罪の件は、まだ俺の心に刺さる」

「そのくらいが丁度良いのですよ。いましめがなくなってしまえば、人は同じあやまちを繰り返します。忘れないということが大事で、覚えている限りは繰り返すことはありません。罪悪感があればですけど」

「あぁ、忘れないよ。自分の罪とあんた達への感謝は」

「ふふ、ありがとうございます」


 喉元のどもと過ぎれば熱さを忘れる。という言葉が前世の日本にはあったが、どんな壮絶そうぜつな悲劇を体験しても、時間と共に記憶はうすれ、忘れていく。そして忘れた頃に同じことを繰り返して悲劇を生む。


「ところで」

「あん?」

「先程の私が美人云々うんぬんの話ですが、もしかして私、口説くどかれました?」

「へ? え、いや、違う。あぁ、うん違う……美人なのは確かだけど、そこには感謝しかなくて、それ以上の好意とかはなくてだな……それに子持ちだし」

「あら、私が一人だったら口説いていたと聞こえますが?」

「い、いや、そういう話ではなくてだな……」

「ふふっ」

「はぁ、あんまりからかうなよ……心臓に悪い」

「すみません。つい面白くなってしまって」

たちが悪い」


 工房で私達二人が並んで話をしているが、その視線が交わることはなく、二人してある一点を見つめながらの会話であった。

 二人が見つめていたのは、アネモネが工房の中で不要となった素材を使って、おもちゃを作って遊んでいる様子であった。危ないことをしないように見守る意味も込めて、ジッと見つめているが、割と大人しく遊んでいるのでホッとしている。


「ところでギンゼルさん」

「何だ?」

「ギルドで聞いた話なのですが、蝕戦鬼しょくせんきの素材を確保する為には腐食に耐性がある道具や入れ物がないといけないのですよね?」

「そうだなぁ。まぁ何に使うのか知らんが。もし今後、蝕戦鬼の体液を入手する予定があるのであれば、きんの器とかが有名だけど高いし重いからな。一般的には、そういうのに耐性のある怪物の素材を使った道具とかの方が、まだきんよりは安いしお手軽だぞ?」

「今あるのですか?」

「いや、今は取り扱っていない。持ち込まれてもないな。何だ、蝕戦鬼と戦う予定でもあるのか?」

「ありませんよ。まだ討伐禁止令けていないですし」

「まだ続いていたのか。長いな」

「えぇ、ですけど、情報を集めることは出来ます。双侍鬼そうじき脂番鬼しつがいきの話は大体まとまりましたから、特徴を聞く限りは一番厄介やっかいそうな蝕戦鬼の話でも聞こうかと思いまして」

「だが、俺に聞くのは筋違いだろ? 俺は鍛冶師だ。冒険者じゃない。それに、素材の話だ? そういうのは狩ってから言うもんだ。というか本当に狩るのか? つうか狩れるのか?」

「さぁ? でも、そう簡単にやられませんよ」


 自信満々に告げられて、ギンゼルさんは「はぁ」と感嘆とも呆れとも取れる溜め息をく。

 私の強さは分かっているつもりである。過大評価も過小評価もしない。情報を集めて、そして以前狩猟しゅりょうした歴戦個体である戦鐸鬼の強さをかんがみて、いけると判断したまでだ。と言っても、今後、討伐依頼受注禁止令が解除されたとしても、単独での受注は難しいだろうというのが、いつもの受付の男性の話である。

 普通の個体の討伐依頼だと思ったら、またうっかり歴戦個体と戦うハメになるのではないかと危惧きぐしているのだそうだ。うっかりって何だ?

 それを避けるべく、今後は私に限らず討伐依頼は単独でなく複数人、パーティでの受注が条件となるようにギルドの中で取り決めがあったそうだ。

 単独行動は好き勝手出来たが、パーティ行動ともなると、色々と面倒事が増えるので嫌なのだが、だからといって拒否出来る立場にないので仕方ない。受け入れる他ない。

 問題は、どのようにしてアネモネを連れて行くかということだが……今の宿屋を出て、ギンゼルさんの工房で寝泊まりさせてもらおうか。ここ一ヶ月ちょっと、彼の為人ひととなりを見つめ続けていたが、やはり最初の印象同様に悪い人ではないみたいなので、アネモネを預けたことにして口裏を合わせることが出来るだろう。もし秘密を破ったらどうなるかは、彼の想像に任せよう。


「ふふっ」

「うぉ、何だ? 何かすごい寒気が」

「大丈夫ですか? もうすぐ暑季ですよ?」

「ん? あ、あぁ、何だか分からんが、今急に何かが……」

風邪かぜを引かないよう気を付けて下さいね?」

「お、おう。あれ……?」


 もう一つくらい、バレてはいけない秘密を打ち明けるのも良いかもしれない。アネモネを連れて行く件を言ったところで、強さは問題ないにしてもどうやってとなる。そうなると、秘密を打ち明けなければ納得しないだろう。

 話さないという選択肢もあるが、そこから生まれるのは疑問である。そして疑問は疑念に、疑念は脅威や恐怖に、恐怖は伝染でんせんする。

 最初に彼女の強さを見せ付けたおかげで、ある程度受け入れられる耐性は出来ているはず。ということで、彼にはアネモネが精霊であることを話すこととしよう。

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