88頁目 コルヒの農園とお手伝い

 ライヒ王国に入国してから一ヶ月と少し経った。三月もなかばになったことで、ようやくこよみ通りに暖季らしい気候となってきた。もう半月程でカレンダー上では暑季だけど。

 あれから私は、討伐とうばつ依頼は最初に受けた鉄大鬼オーガ種の中の戦鐸鬼せんたくきと呼ばれている個体と戦ったのみで、それからは主に採取さいしゅ依頼や調査依頼、それも怪物モンスター相手の調査ではなく、土地や土壌を調べる、もしくは直接学者が行くのでその護衛という、まるで地質学者の真似事まねごとのようなことを中心にこなしていた。というか、こなすことしか出来なかった。

 一番の理由として挙げられるのが、最初の歴戦戦鐸鬼の単独討伐という偉業いぎょうが関係している。ギルド側の不手際ミスだったとはいえ、まさか冒険者登録初日の異国からの冒険者に単独で歴戦戦鐸鬼を受けさせるなんてということが、ギルドだけでなく冒険者間でも問題になったらしい。

 冒険者は命を落とすこともある危険な職業だ。しかし、その命を繋ぎ止める最初の大事な要素は正確な情報だ。その情報の正否せいひによって同じ依頼でも難易度がガラッと変わる。その対応の為に、私にはしばらく討伐依頼を受けさせないという処置がられた。

 そして、それに合わせて、銀ランク以上の高ランク冒険者も奮起ふんきしたと受付の兎型獣人の男性は言っていた。そう、この受付の人、何とかこの仕事を続けられることが出来ていた。良かった。私がギルド長に直談判じかだんぱんしたのもそうだが、私が依頼ボードを眺めている間にアネモネの相手をしてくれるような優しい人なので、是非ぜひとも続けて欲しかったのだ。

 アネモネはこの国の言語が話せないので、他に共通リトシ語けんから来た人がいない限りは、話せる相手は私と言語魔法の使い手しかいないことになる。他に言語魔法の伝手つてなどないので、この男性がクビになってしまうと本当に話し相手がいなくなってしまうところであった。

 とりあえず、私のような余所者よそもの冒険者 (しかも女)がいきなりふらりと現れて、単独で歴戦の鉄大鬼種を討伐した話は私の意図いとしないところで広がり、冒険者達のやる気スイッチを押してしまったようだ。元々真面目に活動していたが、何と金ランク推奨すいしょう依頼も積極的に消化されるようになったとか。

 冒険者はロマンがあるが、それは命あってこそ。だから少しでも安全で確実に稼げる依頼を求める為、仮に金ランク冒険者だったとしても不確定要素がみられるようなら金ランク依頼は見送られることがある。そうなると、金ランク保持者が少ない現状、どうしても金ランク依頼は余ってしまうことになるのだ。しかし、今回のことでライバル心を刺激されたのか、そういった停滞ていたいしていた依頼も順調に消化されるようになったことで、好循環こうじゅんかんを生んでいるようだ。

 私が討伐依頼を受けられない、二つ目の理由と言って良いのがこれだ。皆が一様に討伐依頼を受注するので、そもそも私が受けられる依頼がない。これに限る。

 ということで、余っている採取や調査などの依頼をこなすことが増えたということだ。滞在費たいざいひ稼がないといけないからね。

 そして現在、私とアネモネは依頼によって町の北部、歩きで四半刻三〇分程度、馬車でその三分の一という近場にあるとある農場に来ていた。

 農場と言っても、見渡す限り木、木、木。木ということは野菜ではなく、果物農家かとも思うが実は違う。ここは、以前王都スクジャの喫茶店で飲んだコーヒーもどきの原材料である。

 詳しい話を聞くと、普通のコーヒーは確かに存在しているらしいが、やはり南の方の熱帯、亜熱帯地方で栽培さいばいされていることで、この北の端っこに位置するライヒで流通することは少ないらしい。

 海上輸送は時間が掛かるし、陸路も一度に運べる量に限界がある。空路なんて当然ある訳もなく、そもそもどこから運ぶのかということになる。海路も陸路もいずれも怪物との遭遇そうぐう考慮こうりょすれば、安定した輸入は望めない。となれば嗜好品しこうひんの輸入に力を入れるよりも、生活必需品せいかつひつじゅひん、もしくはそれに繋がる素材の輸入に予算も手間も掛けた方が建設的だ。

 しかし、嗜好品がなければ心の健康は保てない。水と食料さえあれば生きてはいけるが、楽しみがなければ人として死んでしまう。テレビゲームもインターネットもなく、気軽に大勢の人で簡単に楽しめる物。音楽や芸術などもあるが、やはり食であると考える。

 生憎あいにくと、この国の方針で禁酒禁煙法が施行しこうされている為、そういった嗜好品がないことから益々ますます人々は窮屈きゅうくつな思いをしているだろう。そこで、元々栽培されていた私がコーヒーもどきと呼んだ飲み物を広く浸透しんとうさせるべく、農場の大規模拡張が始まったのだとか。

 一部のマニアックが栽培し、飲んでいたくせになる香りと苦味の飲み物、この国でコーヒーと呼ばれる物である。まぁ本物を知らなければ、これがコーヒーと言われて出されれば信じるしかない。物そのものはなく、あくまで噂で香ばしい香りに苦味と酸味がじった独特な味という情報だけがあれば、あぁこれがコーヒーかと普通の人は疑いもなく飲むだろう。

 私は前世に飲んでいた記憶があるのと、栽培地の知識も本当に触り程度であるがあったことで違和感を持つことが出来た。よって、そういった前情報がなければ私も普通にこういう飲み物だと疑いなく飲んでいたと思う。

 ちなみに、本来のコーヒーの豆は、アカネ科コーヒーノキ属に属している木かられる実の中にある種がコーヒー豆となる。一方で、こちらで栽培されているのはキータ科コルヒ属に属している寒冷地でも育つ木で、その実の種を加工してコーヒーにするという点は同じである。

 そこで、私とアネモネが何をしているかと言うと……


「お母様、いっぱい採れましたわ」

「私も沢山たくさん採れたわ」

「負けませんわよー!」

「いや、競争じゃないし」


 雑草を抜きに来ていた。

 ここにいたった経緯としては、受注出来る依頼が少ないことと、現在宿泊している宿屋の緊急補修の為に娘を宿に置いてくることが出来なかったことがある。ギンゼルさんやギルドに預けるのも手であったが、アネモネ本人が「お母様のお手伝いをしたいですわ!」と言ったことで、ギルド側がなんとか冒険者でなくても受注出来そうな依頼を探してきて、というかどこで見つけてきたのか日雇いのバイトのようなものだった。

 町中まちなかの仕事であればそれなりにバイトは募集すればある程度の人は集まるものの、徒歩四半刻以内という郊外で、しかも農業ともなれば募集しても中々応募者はおらず、ギルドに依頼が回ってきたということらしい。

 現場に到着すると、ここのところの安定した気候の影響で、草が伸び放題となっており、対処が追い付いていないのだとか。確かにこの広さを少人数で管理するとなると大変であることは想像にかたくない。

 多少の雑草は、すぐにコルヒの木に影響をおよぼすことはないものの、それも限度があり、ここまで広がってしまうと必要な養分が横取りされてしまい、すると実が付かず、コーヒーもどきの素材となる種も収穫出来ない事態となる。


「お母様は何をしているんですの?」

「ん~? 草の調査よ」

「?」

「あ、気にしないで。草むしりしようか」

「はいですわ!」


 そう言って駆け出して、元気に次から次へと草を根から抜いていく。

 私も同じように草を除去しつつも、時折見慣れない草を見つけては薬草事典と見比べつつ、一致しなくてもサンプルとして数本を小さな巾着袋きんちゃくぶくろに詰めて腰に巻いたポーチに放り込んでいく。

 普段使っている背負い袋リュックサックや武器を所持したまま仕事をする訳にもいかないので、一時的に農家に預かってもらい、その代わりに背中には抜いた雑草を入れる大きなカゴを背負しょっていた。ちなみに、アネモネにはその身体に合わせた、小さいカゴが渡されたが、そんなサイズのカゴまで常備しているのだと感心した。

 時々、草を指でこすってつぶしその液体を見つめたり、根っこをそのままかじったりする姿を農場関係者に見られた時はドン引きされた。薬草になり得るか、その成分を確かめているだけで、変態でも変人でもないですよ。

 そうやって一々調査をするなどして手が止まる為、どうしてもアネモネのペースに付いていけない。結果、すっかり遠くまで行ってしまい、ただでさえ小さい身体が余計に小さく見える。


「お母様―! 遅いですわよー!」

「ごめんごめん」

「いやぁ元気な子ですなー」


 そう言ったのは、私の隣でコルヒの木のメンテナンスをしている農家のおじいさんだ。それに私も首肯しゅこうする。


「そうですね。自慢の娘です」

「うむ、本当に良い子じゃな。言葉は分からないが、あんたさんのことが本当に好きと見える。良い母親なのじゃな? というか、母親に見えんがの。精々せいぜいが年の離れた姉くらいか」

「ふふっありがとうございます。エルフ族は歳を取るのが非常に遅いので、私これでも成人しているんですよ。生きた年数だけでも皆さんよりも上ですし」

「とてもそうには見えんがの」

「熟女じゃないですよ?」

「何も言っとらんがの」


 そんな冗談をはさみつつ、終始なごやかに作業を進めるのであった。

 太陽が真上に来た頃、昼休憩に入る。農家の人達は昼食と言っても付近に飲食店などがある訳でもないので基本お弁当であるが、コーヒーは従業員特権ということで飲み放題らしい。

 私にはお弁当はないものの、アネモネ用には一応出発する前にサンドイッチとジュースを買っておいたので、食べる様子をコーヒー片手に眺める。


「あんたさんは食べないのかい?」

「私達エルフ族は、基本的に朝だけ食べたら一日の食事は終わりなんです」

「なんと」

「ただ、この子は食べることが好きみたいですので、お昼も食べていますが。私の場合は、必要最低限の量を摂取出来れば、後は魔力が補助してくれるので食べる必要がありません。というか、体質で胃が受け付けないので食べられない。が正しいですかね」

「何ともまぁ……」

「不便に思ったことはありませんが、好きな時に好きなだけ食べられるということが出来ないということだけは、少しだけ残念ですかね?」

「まぁそうじゃな。ワシらも好きな物は多く食べたいからな。まぁ歳だからそんなに食べられないが」

「私も最初の頃はこの体質に疑問は持っていませんでした。便利でしたし、そういうものだと納得もしていました。ただ、冒険者を長くつとめていますと、故郷ふるさとにいた頃よりも多くの食と出会う機会があり、食べたいのに食べられないというのは、何というかもどかしく感じることがあります。その点で言えば、この子はうらやましいですね。体質はエルフと同じなのに、拒絶反応きょぜつはんのうなく摂取出来ます。駄目ですね、子を羨む親というのは」

「そうでもないぞ。最初から完璧な親などいない。そもそも完璧な存在など世界のどこにも存在しないとワシはそう思っておる。後悔と成長を続けていくのがワシらヒトじゃ」

「なるほど、勉強になります」

「ほっほ。歳はあんたさんの方が上かもしれんがの。親としての経験はワシの方が上じゃな」


 そうやって農家のお爺さん達と話していると、隣で「ぷはーっ! 美味おいしかったですわ!」と元気に言うアネモネの姿があった。


「アネモネ? 食べ終わった時はどう言うんだっけ?」

「あ、頂きました! ですわ!」

「うん、よろしい」


 別に娘にまでカラマ神教を強要するつもりはないが、自然と共に生きるエルフ族として、自身のかてとなる食べ物を与えてくれる自然には、常に感謝と敬意を持つべきだと思っている。まぁ精霊だけど。

 別に私がいつもやっている「今日もお恵みをありがとうございます。この糧をこの身、この心にきざませて頂きます」という挨拶はしなくとも、せめて最後の「頂きます」くらいは言うべきだと思う。心で感謝して、それを言葉にすることで周囲にも感謝の気持ちを伝える。それは人だけでなく、土や空気、水や動植物などあらゆる自然に対してだ。そういう姿勢が大事だと思っている。

 前世では、子供の頃は手を合わせて「頂きます」「ごちそうさま」と言う習慣はあったと思う。しかし社会に出て、仕事に追われるようになると、いつの間にか言葉はなくなり、次第に気持ちもなくなっていったように感じる。

 記憶はほとんどない。ないのだが、何となくそんな想像をしてしまう。ただお腹を満たすだけ。栄養を摂るだけ。そんな空虚くうきょな食事は食事と言わない。それをこの前世と何もかもが違う異世界に生まれたことで実感した。エルフ族である以上、食と接する時間は他の種族よりも少ないかもしれない。しかし、だからこそ一食一食の大事さというものを実感したのだ。


「食べ物というのはいくらでもある訳じゃないの。土があって空気があって水があって。日差しがあって暗闇があって。暑さがあって寒さがあって。沢山の自然の中で成り立っている恵みなのだから、大事に食べようね」

「分かりましたわ!」


 自然の存在そのものである彼女には伝わるだろう。笑顔で答えた娘の頭をそっと優しくでるのであった。


「これも美味しいですわ!」


 いつの間にかコルヒジャムという物を舐めていた。

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