61頁目 脱獄と夜のスップ草原

 楽しくも非常に疲れる魚人島の滞在を終えて本土に戻ってきた私は、荷物をまとめて出発の準備をする。

 夕方であるが、まだ教会のかねが鳴る前だからか食堂にいるのは数組の冒険者が食事を楽しみながら談笑している程度で、あまり人はいない様子だ。

 オカマの店主を呼んで、今日までの料金を支払って宿から出た。何でも、この宿が元々は牢獄ろうごくだったことからチェックインする時は入獄にゅうごく、チェックアウトする時は脱獄だつごくと呼ぶのだそうだ……せめて出獄しゅつごく出所しゅっしょって言わない?


「それじゃあ、北へ」


 今日出発する理由は特にない。いて挙げるなら、ウェル山脈へ行くのに寒季只中ただなかでの登山は厳しいので少しでも早く行きたいというのと、今日が八月一日だから何となく丁度良いという自分自身でもよく分からない区切りからであった。

 町中まちなかは帰宅ラッシュから大通りを中心に多くの人や馬車が行きっていが、外とを繋ぐ城門に辿たどり着くと、入る人はいてもこの時間から外に出る人はいないのか、待ち時間もなくすんなりと出ることが出来た。

 スップ草原に出ると、グリビまでの道を戻る形で進む。途中、日が沈む前に町に入ろうと足早に移動する商隊などとすれ違いながら、のんびりと歩く。時折、もうすぐ日の入りなのに外を彷徨うろつく姿が珍しいのか、何人かの人から目を向けられるが好奇こうきの目にさらされるのは慣れているので気にせず歩を進める。


「今日は昼寝をしたから一晩歩き通しね」


 日没後は、グリビで買った魔石灯ませきとうを取り出して灯りを付ける。ランタンのような形なので、背負い袋リュックサックなどに取り付けたり、地面に置いて使えたりするので便利だが、懐中電灯のように指向性のある光ではない分どうしても遠くまで照らすことは出来ないので、やはり頼りになるのは自身の持つ感覚である。


「ノトス」


 周囲に誰もいないことを確認してから名前を呼ぶ。

 その声に反応して、喜びを表現するかのように風が舞う。

 この数週間は、全く戦闘らしい戦闘はなく、仮に戦闘になったとしても弓矢や魔法で解決出来、魔剣ノトスというチートアイテムを使用するまでもなかった。魔力制御が上手くいかないと燃費が悪すぎるという点でも、中々にあつかいにくいので、ついつい使い慣れた手段に頼ることがほとんどであった。

 このことに関して、ノトス側から不満の気配は感じられなかったが、やはり出番がなくてひまなのだろう。普段過ごしている時も退屈からか、私が読んでいる本のページを風で勝手にめくるといった悪戯いたずらを仕掛けてくることがしばしばあった。

 この子には申し訳ないが、使い手である私の力量不足だ。移動の中で、時間を見つけては魔力制御の修行を、新しい魔法開発と平行して進めているが進展はあまりない。

 タルタ荒野で鎌足虫かまたりちゅう覇王竜はおうりゅうと戦った時に比べたら、十分及第点きゅうだいてんだとは思うが、それでもやはり力をセーブしなければ魔剣としての能力を十全に発揮することが出来ない。


「ごめんね」


 こんな力のない人が主人で。

 そっと魔石灯の静かな光に照らされたことで怪しく鈍色にびいろに輝く、銀楼竜ぎんろうりゅうさやでる。

 すると、鞘に収められた魔剣からの返答か、柔らかく、今の季節には似合わない温かい風がそっと私の頬へ触れた。まるで、気にしないでと言ってくれているかのようで、安心する。


「ありがとう」


 うん、もっと自信を持たなければ。この子に選んでもらったのだ。ならば、しっかりと扱えるように頑張る。これしかない。いつまでもノトス自身の制御に頼り切りでは駄目なので、キチンと自分自身で制御を行いつつも全力全開で戦ってもバテないようにする必要がある。

 気合いを胸に、暗闇がつつむ街道をただ歩く。

 時々、光に引き寄せられてか膝下ひざしたくらいまでの大きさ粘性体ねんせいたいスリーンムが草原から顔をのぞかせるが、こちらが起きている限り害はないので気にせずに歩く。粘性体がいるということは、ある意味でこの草原は安全であるという証拠しょうこなのだ。


「粘性体だから顔ないけど」


 独り言に慣れるとセルフツッコミも増える。こういう時は寂しいとは思うが、かといって依頼でもないのにパーティを組んでゾロゾロと移動するのはしょうに合わない。

 粘性体は常に狩られる側。新米冒険者のサンドバッグにされ、肉食動物や怪物モンスターえさとなるなど、一応怪物のカテゴリに属しているものの、非常に弱い立場だ。それゆえに粘性体が多くいるということは、ここが彼等にとって安心して過ごせる場所である。つまり天敵がいないということで、人にとっても安全であるということになる。

 まぁ、サンドバッグになるのはそう頻繁ひんぱんにある訳ではないので、彼等もここを離れることはないのだろう。彼等といっても性別があるのかはいまだに不明である。


「危険性がなければじかさわってみたいんだけどね」


 多くの生物から狙われる怪物であるが、全く脅威きょういではないかというとそうでもなく、眠っている生き物に音も気配もなく接近してから、おおかぶさってそのまま消化してしまうので油断出来ない存在だ。

 もちろん生き物だけでなく、土地フィールドの掃除屋として死骸しがい排泄物はいせつぶつなど何でも食べてくれるので、町の周りが悪臭に包まれることはない。町中での排泄物は外に捨てて処理する地域もある。

 そんな静かに行動する彼等には沈黙の捕食者サイレントキラーの称号を与えよう。え? ださい? キラーなら捕食者ほしょくしゃじゃなくて殺戮者さつりくしゃだろう? ノトスからの抗議こうぎの気配を感じたので撤回てっかいすることにする。というかそんな言葉どこで覚えたの? というかしゃべってないよね? 不思議な剣である。

 そんな冗談をつぶやいたり、思考したりしながらおだやかな夜道を歩く。

 目指す場所はラスパズ村。一角獣いっかくじゅう白雷獣びゃくらいじゅうとの戦闘を見届けてから寄った村だ。

 ウェル山脈へ行くには、このスップ街道沿いの集落の中ではラスパズ村が一番近い。その為、一旦あの村に立ち寄って支度したくした方が良いと判断して、すぐに北上せずに来た道を戻ることにしたのだ。


「昼間に通るとにぎやかだけど、夜はやっぱり静かね」


 周囲に聞こえる音は、私の足音以外では風が草原を撫でるものや、時折動物が移動するもの、そして乾季となって涼しくなったから鈴が鳴るような小さな虫の音がちょこちょこ聞こえる程度。

 この自然の音だけで安眠出来そうな程の耳心地の良さだが、ここで熟睡じゅくすい

 してしまうとたちまちに粘性体に食べられてしまうので却下きゃっかだ。それに昼間に寝たので眠気はない。


「暇だし、魔法の練習でもしようかな」


 練習といっても直接撃ち出すものではなく、使いたい魔法をイメージして、それに合わせた呪文もしくは術式と呼ぶものを構成していく作業だ。ここでバンバンやっていたら色々と目立つし迷惑だろう。


「やっぱり改善するとしたら移動系統かな。疑似ぎじ身体機能向上は身体への負担ふたんが大きいし、疾風迅雷しっぷうじんらいは魔力の消費が激しすぎるし同時に発動する威力いりょく向上も過剰かじょう過ぎる」


 移動にのみ魔力をいて、それでいて魔力の消費も身体へのダメージも軽減させるもの。


「難しいわね」


 ジスト王国女王ヨウラン様の娘、セイリンちゃんの移動魔法なら使いこなせば呼吸をするように瞬間移動とか出来るのだろうけど……やっぱりあの魔法はチートよね。


「私の魔法も十分強い部類に入ると思うけど、アレ見せ付けられちゃったらなー……それに雷耐性ある怪物、意外といるし」


 雷という莫大ばくだいなエネルギーを受けても平然としている怪物とか相手にしたくない。まぁ雷と言っても魔力によって生み出されるものであるから、純粋な自然現象の雷という訳ではなく、その威力も数段落ちる。それでも強い魔法であることには変わりない。

 福次効果ふくじこうかの筋肉の痙攣けいれんによる麻痺まひも、鉄火竜てっかりゅうなどは、すぐに立て直してきたので、筋肉ではなく神経を焼き切る方向で考えなければならないか。一応、あの時もそれを狙って魔法を使っていたが、効果が薄かった。威力不足か、他に原因があるのか。

 いずれにせよ、電気信号をくるわせて脳を混乱、あわよくば脳をショートさせることが出来れば一気に戦闘は楽になるが、どんな呪文をつむげば形になるのか見当も付かない。


「思考がズレちゃったわね。とりあえず移動。ノトスを介するから魔力の消費が激しくなるのであって、自分自身の魔力のみで解決すれば問題ない訳だから。当初の予定通り、私自身が雷になるという方向で考えますか」


 夜はまだ長く、道もまだまだ続く。思考は終わりを見せないまま、ラスパズ村へ向かうべくその前に点在する集落を目指すのであった。

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