55頁目 王都リギアと獣皮紙

 道中は特に何もなかった。もちろん完全に何もなかった訳ではない。様々な生物が息づく大自然だ。当然怪物モンスターや動物は闊歩かっぽしているし、時折襲い掛かってくることもある。だが、対処不能な事態にならなかっただけだ。


「あれが、王都リギア……」


 小高い丘を越えた所で、ついにエメリナの中心部が見えた。

 ラスパズ村を出発して一週間と二日。途中三つの村を経由してようやく城壁と海に囲まれた巨大都市を目にすることが出来た。


「あれが海」


 城塞都市じょうさいとしの向こう側に、一面の青が広がっている。


綺麗キレイ……」


 日の光に照らされて、キラキラと輝いて見える。

 その前に立ちはだかる堅固けんご要塞ようさい。まぁ丘の上から一望出来る程の高低差と距離だ。いざ戦争ともなれば地形的不利に悩まされるだろう。その為に周囲に多くの村を、防衛ライン用の拠点きょてんとして配置して守りを固めているのだとか。

 こんなこと、外国人の私に話して良かったのか疑問であったが、お酒をそそいで上機嫌となった兵士自ら話したことなのだ。

 仮に情報漏洩じょうほうろうえいで罰せられることになったとしても、向こうが勝手に話してきたことだ。私は悪くない。

 昨日立ち寄った村で、少しでも宿代をかせごうと、ラスパズ村でしたように酒場でバイトをしながら、そのついでに近辺の怪物の生態などの情報収集に当たっていた。そこに兵士数人に、新任だからお祝いとしてしゃくをしてくれと頼まれれば断る理由もない。

 隣に座ってそれぞれお酒を注いでやると、すっかり全員酔ってしまい、何も聞いていないのにあの城塞都市のことを教えてくれたのだ。

 やっぱり私は悪くない。


「ここから半刻程の距離かな」


 まだ一時間は歩くことになるが、ただ闇雲に歩くよりも目的地がハッキリ見えていた方が気合も入りやすい。何もない場所をひたすら彷徨さまよい歩くのも嫌いではないが、退屈すぎるのも考え物だ。歩く意外に何もすることがないというのも、精神的にしんどい。

 まだ森の中なら、様々な木々や草花をでて楽しめるのにと思うのは、私が森のエルフだからだろうか。

 普通の人なら延々と先の見えない鬱蒼うっそうとした森の中は、不安と恐怖でしかないのは理解出来る。これでも前世は普通の人間だったのだ。

 そんな私であるが、ここで生まれてすでに一〇〇年以上が経っている。精神が人間である以上は慣れる。住めば都ということわざが前世にあったが、産まれた時から街灯も何もない深い森の中で過ごしていれば、本当にそれが当たり前となる。


「まずは宿を取って、それからギルドに行って……それで海、かな。あ、でも本屋か図書館にも寄らないと……あぁでも海、早く近くで見たいなぁ」


 到着してからの予定を組み立てつつ、眼下に広がる城壁に囲まれた都市へ向けて歩き出す。

 見た目の印象としては、レガリヴェリアとは大きな違いはない。都市全体を高く分厚い石造りの壁で囲まれ、内側には数多くの建物がひしめき合い、その中心部に巨大な王城が建っているところも共通している。しかし、似ているようで全く違うのが、城壁の形である。


「形が不規則……でも、こっちの方が格好良いかも」


 ジストの王都は平地にあり、多少荒野と干渉かんしょうしているとはいえ広大な土地である為、規則正しいほぼ四角形の壁でおおわれている。対する目の前にあるエメリナの王都は、海辺ということと、周囲を丘に囲まれていたり、町自体も多少の起伏きふくがあったりすることから、ジストのようには造ることが出来ず、地形に沿って築き上げられている。

 近い物を挙げるとするなら、同じフランスの城塞都市であるが、レガリヴェリアはエーグモルトに近く、リギアはカルカソンヌに近いかもしれない。リギアは水辺ということもあり、一部分はスペインの古都ことトレドのような造りも混じっているなど、中々面白い形をしているので見ていて飽きない。

 あくまで造りが似ているというだけで、その規模は数万人が暮らす大都市であることから巨大な物である。それに水辺といってもトレドはタホ川という河川に隣接している一方で、リギアは海辺という違いもある。


「結構、人も多くなってきたね」


 王都が近いからか、複数ある門から伸びる道々に多くの人々が行き交っているのが見える。今私が歩いている街道も、グリビへと繋がり、その先にはレガリヴェリアがある。よって、人通りも多く、今日だけで三度、商隊とすれ違った。

 ジストと違って、本当に草花の多い豊かな土地である。それに町が近いからそこかしこに粘性体ねんせいたいスリーンムの姿が見受けられる。

 近くの草むらでは、人と思われる排泄物はいせつぶつむらがる粘性体の姿があった。ウマであれば道の真ん中で出すので、わざわざ草むらに行って用を足すのは理性ある生物のすることだ。

 目も鼻も口もなく性別さえも、そもそも生き物なのかも不明な怪物だが、何となくえさに有り付けたことに喜んでいるように見える。しかし、何でも飲み込める身体をしている割に、草花や土や石を食べる様子がないのは、一応何か線引きというか選別の本能があるのだろうか。もし、あれらの生態を研究している物好きがいたら、話を聞いてみたい気はする。

 王都に近付くと、通例の門での検問けんもんが行われていた。この世界にはパスポートといった身分を証明する物は少なく、精々せいぜいが国籍を示す国章を身に付けている程度である。しかし、冒険者にいたってはタグがそのまま身分証明書になり、世界共通で使用出来ることになっている。

 あくまで冒険者活動が認められた国に限るが、冒険者という名の便利屋は所属国でなくても金を落としてくれる存在なので、ほとんどの国で活動が認められている。

 あの人間族至上主義であるソル帝国でさえも、資金の調達ちょうたつの為に他国の冒険者の入国を渋々しぶしぶであるが承諾しょうだくしている程だ。

 獣人族を含めて世界にめる亜人の割合はほぼ半数程度と言われており、必然、冒険者の数もそれなりにいる。人間族の冒険者のみの入国を許していると、お金があまり回ってこなくなることからの措置そちだ。とはいえ無制限とはいかず、行って良い場所、入って良い建物などの行動に制限が付けられてしまうので、このんでソル帝国に行こうという亜人の冒険者は少ない。

 その数少ない亜人というのは私であったりするのだが、当初の予定としてはここから海沿いに南下してソル帝国へ入ろうと思っていたところ、先日のユニコーンの噂話を聞いて興味が沸いた私は、逆に北上してウェル山脈を目指そうと思っている。


「身分の確認をします。何か証明出来る物はありますか?」

「はい、確認をお願いします」


 順番が回ってきて、門番の衛士に首から下げたタグを見せる。


「冒険者でしたか。はい、確認出来ました。ようこそリギアへ。ギルドはこの道をそのまま道なりに行くと、大きな交差点にぶつかりますので、そこを左に曲がってすぐの所です。案内板がありますので、迷うことはないと思いますが、分からなかったら近くの人に聞いて下さい」

「ご丁寧にありがとうございます」

「ごゆっくり。はい、次の方どうぞ」


 門をくぐった私は、言われた通りギルドへ向かう。しかし、先に宿を取っておきたいので、道中に手頃な宿屋がないか物色しながら歩く。すると、とある建物の前で大量の紙の束が積み上げられている場所があった。

 紙の店だろうか。

 ジストだけでなく、ここでも広く紙が使われているのだなと思い、手触りを確認しようとさわってみると、慣れた触感ではないので思わず首をかしげてしまった。


じょうちゃん、どうした? それ買うのかい?」


 その様子を見ていたのか恰幅かっぷくの良い女性が、店の中から出て来た。


「いえ、ジストでは近年広く紙が普及ふきゅうしていましたので、エメリナでもそうなのかと思いまして。しかし、失礼ですがこれは紙……なのでしょうか? 触り慣れた紙とは何か違う気がしまして」

「なんだい嬢ちゃん、獣皮紙じゅうひしを知らないのかい?」

「獣皮紙?」


 聞いたことがない。羊皮紙ようひしのような物だろうか。

 説明を求めると、こころよく応じてくれた。

 話を聞くに、水幡獣みずまんじゅうという小型の草食種そうしょくしゅである怪物を飼育し、成長した個体の皮をいで加工するらしいのだが、その工程は羊皮紙と異なる。

 羊皮紙は皮を剥いで専用の水溶液すいようえきけて毛や油脂ゆしを取り除いてから、水分を含んだ皮を薄く引き伸ばして不要な部分をけずり取って乾燥させる。それから四角くカットしたりインクがにじまないよう加工したり仕上げを行って完成となる。

 対する獣皮紙は、主に水幡獣の皮を使うことが多いらしく、特に水辺の町では必需品ひつじゅひんなのだそうだ。何故なぜなら水にれてもいたまずやぶれず、インクも滲まないととても優秀なのだそうだ。

 加工の仕方は、皮を剥いだらまず火であぶって余分な毛や油脂を燃やす。元々体毛は非常に薄く、産毛うぶげ程度の物らしい。カバなのだろうか。毛や油脂は燃えるが、皮自体は耐火性、耐熱性があって燃えないので昔からこのやり方なのだとか。確かに特殊な液体に漬けて数日置くよりは楽だし時間の短縮も出来る。何せ剥いだ皮を地面に並べて野焼きのようにまとめて焼くらしく、効率的だ。しかし、ここからが面倒な部分で、ひたすら叩いては伸ばすを繰り返すらしい。

 ゴム質のような物なので伸ばすことは難しくはなく、前世時間で一〇分弱程の時間で良いのだが、一日置けば元の大きさに戻ってしまうので、形を覚えさせるまで毎日ひたすら叩いて伸ばす作業を続ける必要がある。

 十分に引き伸ばされ、形も安定したら、後は羊皮紙と同じように適正のサイズに切って表面に専用の薬剤を塗って完成とのこと。

 単純な作業のみで一度にまとめて製造出来るので価格はそこそこにおさえられているが、時間が掛かってしまう。それに体力が必要だ。

 また、獣皮紙に書く為のインクも特殊な物を用意する必要がある。

 通常のインクでは弾かれてしまって書けないという欠点があるらしい。だがそこで、インクにウロウの実をしぼって出る油と、ニチニチニチソウのつぶした根を混ぜることで解決するらしい。

 ニチニチソウではなく、ニチニチニチソウらしい。うん、分からない。毒性があり、それで獣皮紙の細胞さいぼうを破壊することでインクが乗りやすくするのだとか。そしてウロウの実の油の役割は乗ったインクを馴染なじませて定着させることにある。

 正確には細胞だとか毒性とかの話は出ていないのだが、話を聞くにどうやらそういった作用があることを理解して古来よりもちいてきたとのこと。科学的というより長年の積み重ねによる先人の知恵というものか。

 ウロウの葉は、食材や薬品を包むのに広く使われているが、実にそんな力があったとは知らなかった。知らずに食べていた。実をることで、中の油が良い感じに実に染み込んでこうばしくて美味しいのだ。

 ちなみに、リギアで主に使われる紙と言えば獣皮紙だが、ジストとの貿易で普通の紙もそれなりに出回っており、製本などでは主にパルプから作られた紙で行われている。獣皮紙に比べて耐久性は落ちるが、活版印刷かっぱんいんさつによる書物の大量生産が可能であるので、主に教会や学校で重宝ちょうほうされている。

 大工などの土木業にたずさわる職人は、レンガなどの石に石灰筆せっかいひつと呼ばれる、いわゆるチョークで書いてメモのように用いたりすることもあるらしい。消す時には書かれた部分を削ればまた書けるとかで、お金も掛からないのでまだまだ多くの人に使われていると聞く。ジストで言う木札きふだのような感じだろう。


「ありがとうございました」


 随分ずいぶんと話し込んでしまった。分からないことがあるとその都度つど質問をはさんでしまい、半刻程付き合わせてしまった。

 獣皮紙は興味あるが、インクとペンをセットで買わなければならないので、今回は見送ることにする。その代わり、迷惑料と情報料を込みで銀貨一枚、こちらの単位で一ピッコをチップとして支払いお店を後にした。

 次は宿屋探しだ。しかしそれもほぼ解決している。


「丁度良い宿屋も教えてもらったし、急ごうかな」


 聞き出した情報の中には宿屋や本屋についても含まれていたのだ。早速手に入れた情報を元にその宿屋へと向かうことにし、歩を進めるのであった。

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