33頁目 手入れと剣
「それでは、こちらが今回の
「はい、ありがとうございます」
王都ギルドで依頼を達成した私は、
出会ってその日に友人となった、同じエルフ族のフィアことロゾルフィアの店の臨時店員の経験を終えて数日。暑季もすっかりと進み、いつの間にか五月に入っていた。
暖季の始まりである一月の上旬に旅に出てから、既に四ヶ月以上も経っていることに、月日が経つのは早いなと年寄りっぽく思ってしまうのは、人間の精神が残っていることによる
「さて、まだ昼前だし、もう一つくらい近場なら依頼こなせるかな? あーそれよりもまずは、一回宿に戻って装備の手入れかな」
このナイフも長年使っている物で、最初は動物や
ここまで使い込んではいるものの、いや、使い込んでいるからこそ手放す気にならなかった私は、解体用ではなく採取用のナイフとして引き続き使い続けている。
「ただいま戻りました」
宿へ戻り声を掛けるが、中は
「お帰りなさい。昼食はいかがですか?」
いつもの
「いえ、私は朝しか食べませんので」
「
「エルフ族ですから」
「不便ですね」
このやり取りをするのも何度目だろう。
食事時は必ずこの食堂にいるので、その辺りの時間帯に宿を出入りすると
食べられないことはない。気分が悪くなり、最悪戻してしまうことがあるだけだ。
「そういえば、フレンシアさんにお手紙が来ていましたよ?」
手紙。母への手紙は先日出したが、返事が来るには早すぎる。そもそも返事がここに届く頃には、おそらく王都を離れているだろうから返信不要とも伝えている。
ちゃんと伝わるかは分からないが……
どちらにせよ、私の元に母から手紙が届くことはない。ということは……
「もしかして」
宿屋の店主が
手紙が
「ついに完成した」
手紙の内容はただ
「うん、本来すべきことを見落としてはいけない」
呼吸を整え、作業台代わりのテーブルに道具を広げて、その上にナイフを置く。
「ここかぁ……うん、大丈夫。研げばまだ使える」
愛着があるので、手放すには惜しい。
刃が欠けてしまった理由は簡単だ。私の切り方が悪かったというだけ。先日柄を新調したばかりで
「学ばないなぁ」
そもそも採取用のナイフは、
見習いとはいえ、ルックカの
私の剣やナイフも新米時代。つまり二〇年前に買った物だ。つまり、当時は見習いだったあの若い鍛冶師も、まだベテランと言うにはまだ若いかもしれないが、後進を育成する立場になっているのでかなりの腕になっていると思われる。
「こんな感じかな」
研ぐついでに、柄の握りも少し調整するが、こればかりは実際に使ってみないことには使い心地は分からない。
柄を交換しては、その度に刃が欠け、それを修復し使い続けることで手に馴染み、そしてしばらくすると柄が使い物にならなくなるので、交換して……を繰り返す。物はいつか壊れるとはいえ、だからといって簡単に手放すには惜しい。だからこうして使い続けていたが、剣も砕けてしまったし、いよいよ買い換えの時期なのかもしれない。
「うーん、まぁ今の柄が使えなくなったら考えるか」
刃の状態、柄との接続部などの確認を終えてから、左太もものベルトで固定された収納スペースに入れると、今度は腰に差した一回り大きい解体用のナイフを取り出す。最近は採取の依頼ばかり受けていたので使う機会はなかったが、採取用ナイフ同様、毎回チェックと手入れは欠かしていない。
投げナイフも変わらないが、こちらは自作の物で買うことはなく、また適当に怪物の骨などで作った
あくまで先端が
「なくても困らないけど、あると便利なんだよね」
整備点検を終え、改めて手紙を確認した私は「良し」と無駄に気合いを入れて宿から出た。
昼過ぎで、気温も上がっているのだろう。日差しの中を歩く人の姿は少なく、立ち止まる人は皆、
エルフ族は寒暖に耐性、つまり気温変化に
今の服装は、コートがないのでノースリーブのエルフの民族衣装にホットパンツ。髪型も首の後ろでまとめた一本結びにしているので、見た目は涼しいと思う。
今の服装のまま寒季を過ごせと言われても、問題ないと思うし、そもそもルキユの森では年中この格好だ。雨の日には裸で外に出て身体を洗う風習なのだから、今更だが。
周りの様子を眺めながら歩いていると、目的の工房が見えてきた。相変わらず、中からはガンガンと金属を叩く音が聞こえてくる。
「こんにちわー!」
音に負けないようこちらも大声で呼ぶと、ピタリと音が止み、工房の奥からのっそのっそと出て来たのは、いつもの不機嫌そうな表情のドワーフの老人鍛冶師、ガローカさんだった。
「作業中にすみません。あの、仕上がったと手紙でありましたので、受け取りに来ました」
「ん」
一言だけ言って、また奥へと歩いて行ってしまった。取りに行ってくれたのではなく、取りに来いという合図であることは、この工房の常連のベテラン冒険者から聞いた話だ。
しかし、彼の歩き方はどこか変であった。一見何も変わらない普通の歩行であるが、微妙に重心がズレる時がある。また、時折右腕を
「怪我でもしているのかな?」
本人に聞こえない程度の声量で
彼は、一つの作業台の前で立ち止まり、目線だけこちらへ向けた。そこに注文の品が置かれているらしい。ガローカさんの隣に立ち、台の上に置かれた物を見る。
「すごい……」
思わず声が
作業台の上に
剣の柄も、無駄な
吸い寄せられるように手に取ると、あまりの軽さに驚いた。
「嘘っ?」
本当に剣なのだろうかと疑ってしまうくらいに軽い。以前使っていた剣がおよそ三ツィル程、一.二キログラムくらいか少し上だったと思う。しかし、この剣は鞘込みでも体感で二ツィルだろうか。そうなると、ますます抜いてみたくなる。
「ごくり」
思わず
「キレイ……」
何度目の
「?」
今の感覚は何だろう。確かに今、剣を抜いたと同時に風が吹いた。気のせいではない。
どういうことかと思い、答えを知るであろうガローカさんへと視線を向けると、目を大きく見開いて固まっていた。
「ガローカさん?」
私の呼び声で気が付いたのか、すぐに表情が戻ってこちらを
「どういうことですか?」
「……」
先程の風は、何かを探るかのように私に触れた気がするが、思い込みだったのだろうか。しかし、確実に彼は驚いていた。しばらく待つが、答える気はなさそうだ。
「これは……
ちらりと視線を彼へ向けるが、相変わらず黙りだったので、その文字を一つ一つ目でなぞるようにして読み上げる。
「ノッ……タス。ノッタス? これは銘じゃない。この剣そのものの名前?」
しかし、違和感が拭えない。この剣の本当の名前じゃない気がしてならないのだ。何度も心の中で
「
ゆっくりと、もう一度声に出して読み上げる。
「ノトス」
その瞬間、待っていましたとばかりに、剣からブワッと風が吹き、工房内で暴れ回る。私は慌てて少しだけ剣身を
その意味を察し、目を閉じて思い切って鞘から抜き放った。
翡翠鳥の羽毛を素材としているが、まさに羽のように軽い。そして、剣身の周りに目には見えないが、わずかな気流の乱れが生じているのが感じられた。
「これが、私の新しい剣……ノトス」
名を呼ぶと、嬉しそうに私の頬を見えない手が撫でる。
ノトスとは、ギリシア神話に登場する南風の神様の名前である。もちろん、前世の話であり、この世界にはギリシアなんて名前の国は過去にも現在にも、私の知る限り存在していないはずであり、更にそんな神様が登場する神話も聞いたことがない。
他にも北風はボレアス、西風はゼピュロス、東風はエウロスとされ、四人合わせて風を表すアネモイと呼ばれている。
言い伝えによると、北風ボレアスは厳しさと荒々しさを持ち、西風ゼピュロスは春と生命の息吹を届け、南風のノトスは力強く破壊を振りまき、東風エウロスは不吉と同時に
なるほど、ガローカさんが何を思ってこの剣をノトスと名付けたのかは分からないが、確かに破壊者である翡翠鳥の羽毛から作った剣なのだから、四神の中ではノトスが一番ピッタリな気がする。
「ありがとうございます」
剣を鞘に収めると、剣がまとっていた風は
すると、先程のガローカさんの不自然な歩き方や動作などが脳裏に浮かぶ。
「もしかして、ガローカさん。この剣のせいで怪我を?」
質問の体を取っているが、ほぼ確信に近い。それを汲み取ってか、彼は静かに頷いた。すると、ずっと真一文字になっていた口がわずかに開く。
「久々にやりがいのある仕事だった」
「え?」
真っ先に思ったことは、この人
いや、もはやコートではない。
「これって、カワセミ?」
どこかで見たことがあるシルエットだと思ったら、私が先日
ジャケットを広げると、背中にも同じデザインの刺繍が大きく
「格好いいかも」
刺繍を指でなぞると、その感触にまたも疑問符が浮かぶ。
「この糸って、鉄火竜ですか?」
もしそうだとしたら、この色に近い鉄火竜を、以前遭遇したことを思い出した。
「私が討伐した、あの鉄火竜ですか?」
しかし、あの鉄火竜は赤っぽい鈍色だったはずだ。それがここまでキレイな紅色の糸が生み出されるのだろうか。だが、目の前のドワーフの老人は「ふん」と鼻を鳴らすのみ。肯定の意味だと思う。
だとすると、このノトスの剣の柄と鞘に用いられている紐も、同じ鉄火竜の糸を何本もまとめた物ということになる。
更に、柄と鞘に使われている素材。これが何かは分からないが、まさに羽の軽さを誇る剣身を抜きにしてもこの軽さ。そして翡翠鳥の剣を納めることが出来る力量の持ち主。そして、鈍色に輝く革。
ここまで考えた時、とある怪物が思い浮かぶ。遭遇したことはないが、本などで読んだことがある。
ジスト王国では鉱山や鉱脈が豊富にある地形から鉄火竜が多くいるが、他国になるとその比率が変わり、別の竜種が幅を利かせているとあった。何種類かの内、この剣の素材となっている怪物に最も近いものとなると……
「
鉄火竜が炎を
しかも別名で銀と付くが、実際は鈍色らしい。しかし、光が反射したら銀色にも見えなくもない。蜃気楼も光の
「あれ?」
ここまで来て気付いてしまった。材料費、とんでもないことになっていないだろうか。
一応、鉄火竜と翡翠鳥の素材は自前だが、銀楼竜は違う。それに、加工の際に怪我を負う程の危険を
「えぇと……おいくらでしょうか?」
「……」
少し考える素振りを見せ、右手を出した。立てられた指は三本だった。
「さ、三〇ロカンですか」
高い。高いが相場からすれば安い方だし、依頼して達成してくれた以上は支払わない訳にはいかない。日本円にすると八一〇〇〇〇円といったところだろうか。財布を取り出そうとしたところで、ガローカさんは首を横に振った。
「も、もしかして……三〇〇……ですか?」
ちょっと、それは払えない。確かに翡翠鳥の剣、ノトスは魔剣となってしまった。
魔剣自体はない訳ではないが、希少で、ほとんど市場に出回ることがない。そもそも扱える人が
とりあえずローンを組めないだろうかと考えていたところに、彼は首を振って、指を三本立てた後、下を指差す動作をした。
「さ、三ロカン……?」
コクリと頷いたのを見て、驚いて腰が抜けてしまった。
高いは高いが、これだけ高級な素材に、非常に高い技術、そして魔剣と
「ちょっと、それは安すぎるのでは?」
だが、気難しい表情のドワーフは、首を縦に振ることなくゴツゴツとした手を出した。
私は、それ以上何も言うことが出来ず、財布から金貨三枚を取り出して、大きな手のひらに
それを確認し頷いた彼は、工房の出入り口を指差した。
「えぇと、ありがとうございました」
「大変な剣もらっちゃったなぁ」
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