32頁目 手紙とじゃれ合い
店番の代行を始めて数日が経過した。仕事にも慣れてきて、店の常連客や仕入れ業者との世間話を行う余裕も出て来た。仕入れ業者が品物を届けに来た時には、当然驚かれたが、事情を説明すると「いつかやると思ってた」と呆れながら呟いたのが印象的だった。事件の容疑者が住む近所の人のインタビューとかで、こんな感じの感想が放送されることがあるのを思い出したからだ。
「最初は心配だったけど、まぁ割となんとかなってる……かな?」
とはいえ、私がやっていることと言えばただ店を開き、ずっと店内をウロウロし、接客し、そして夕方の
「表面上はそうなんだけど……」
ちらりと、受付の後ろの棚を見やる。そこには様々な書類が押し込められ、日々の売り上げも、適当な引き出しに入れられている始末。金庫の番号を聞いていないのだから仕方ない。持ち帰ることも出来ないから
「はぁ」
溜め息が出る。表面上は現状維持が出来ている。しかし、本来店を構えている者ならば、日々記入をしなければならない
「というか、紙多くない?」
王都に来てしばらくしてから
「もしかして、製紙技術が向上して安価での量産体制に入ることが出来ているってことかな?」
もしそうならば、とても嬉しい。何故なら紙の値段が下がれば、それに合わせて本の値段も下がり、気軽に手に取ることが出来るようになる。紙の質こそは、まだまだ前世のコピー用紙には遠く及ばないものの、書く分にはそんなに不便はない。
この世界での文具は、付けペンやその派生である羽ペンが多く
私が使っているのは、ペンはペンでも筆ペンのようにペン先が日本の筆のような形状をしているインク格納型のペンで、何となくこんな感じという
ボールペンやシャープペンに慣れ親しんだ現代人であった私では、携帯に不向きかつ書きにくい付けペンや、携帯出来るがやはり慣れない感覚の万年筆は手に合わなかった為、特注で筆ペンっぽい文具を作ってもらったのである。
値段は万年筆よりも上で量産にも向かないが、手に馴染み書きやすいし携帯も可能であったので、現在まで
以前、異世界転生は不便も楽しむべきだと
あくまで私が注文したことと言えば、万年筆のペン先を金属ではなく、多少硬さのある動物の毛にしてくれと言ったくらい。先端の部分、前世単位でほんの数ミリだけ柔らかくしてもらっている。その他の変更点はないはずだ。
紙質が十分に良いとは言えない為、普通のペンで走り書きをしたりすると、時々引っかかったり、破れたりしてしまうが、ペン先を筆のようにすることで、破れる心配なくスラスラと書けるようになった。ただ、
「
一人で思考し、一人で突っ込んでいるが問題ない。
現在、素材屋ローゾフィアの店内は
「楽しみだなぁ」
昨日の夕方、宿へ帰ると店主から渡された物だ。気軽に手紙を伝言手段として
「剣もうすぐかー」
防具の加工は
「あのガローカさんがね……」
そう手紙の主は、あの人嫌いでほとんど口を利かないガローカさんである。
優しくない訳ではないが、普段から機嫌が悪そうな表情をしていて言葉数も非常に少なく、作業をしながら注文を聞くので接客態度も悪いことで有名だ。
昔からお世話になっている私が言うのもなんだが、当時関わることがなければ私も注文を
「楽しみだなぁ」
それはともかくとして、新しい武具である。随分と時間が掛かっていたのでやはり難しいのではと心配していたが、
特に、あの翡翠鳥の羽毛を使っての剣だ。どのような物になるか想像も出来ないが、出来ればあの美しさを壊すことなく、上手く調和した剣になって欲しいと願う。まぁ加工を行うのはあのガローカさんであるので、それ程心配はしていないのであるが。
「あー落ち着かない」
いけないいけない。ちゃんと仕事をしなければ。
仮にも店主からしばらく店を任された身だ。あの出掛ける直前のフィアの様子を見るに、任されたというより押し付けられたようにも見えなくもないが、切っ掛けは私だ。責任を持って役割を果たす義務がある。
それからは、落ち着きを取り戻し、座りながら本を広げて、のんびりと来客を待つのであった。
「結局、あれから来たのは二人だけか」
教会の鐘の合図で
「フィア、まだ帰ってこないのかな?」
どれ程の期間、店を
「今日も帰ってこなかった」
遠くで鳴り響く鐘の音を聞き、受付の椅子から腰を上げる。フィアが店を飛び出して行ってから既に十二日が経過した。こちらの世界では六日で一週間なので、二週間経ったことになる。
在庫のチェックや、品物や棚の簡易的な整理を行って、各種防犯用の術式も確認するが、こちらは
「ふぅ」
溜め息を吐き、扉に掛けられた営業中の看板を裏返して準備中へとし、店を出て施錠をする。今日も一日、無事に終わった。
しかし自分で
一応貯金はまだまだ豊富にあるが、手に付けるつもりはなく、現時点での財布の中身だけでやりくりしていたが、後一週間もすれば宿代を払うことも厳しくなる。
「困ったなぁ」
そう呟き、歩き出そうとしたところで、遠くからガラガラと音が聞こえてきた。
「荷車?」
何か重い物を運んでいるようだが、辺りを見渡してもそのような影は見当たらない。音は、通りの周りの建物に反射しており、正確な位置や距離がつかみづらい。
「こっちかな?」
だが、野生児である私達エルフは、直感で音のする方を察知することが出来る。音源が近付いてくる。もうすぐそこの角を曲がるだろうと思ったが、一向に姿を現さない。
「あれ?」
すると、来ると思っていた反対側から声が聞こえてきた。
「シア-! お待たせ-!」
ライム色のセミロングの髪を揺らしながら、エルフっぽくない健康的な小麦色の肌をしたフィアが眼鏡の奥の目を輝かせながら、大きな荷車を引いてやって来た。
というか、直感外れた。森や自然と違って、町中だから思うように感じられなかったのかな。旅をする時は常に雷魔法の電流網を
「やれやれ」
反省点は今後に生かすとして、まずはこの店主をお迎えすることにしよう。店の鍵を開けて、裏から
「おーありがとう!」
「お帰り」
「ただいまー!」
出て行く時にはウマを借りると言っていたが、荷車は引いていなかった気がする。途中で借りたのだろうか。しかし、これ程の量とは、いくつもの
しかし二週間も店を空けてとは思っていたが、逆にこれだけの素材を集めるのに往復の期間も含めて二週間で行ったというのは、非常にすごいことだと思う。
「しかしいっぱい採取してきたね」
「そりゃぁ売り物だからね! 今後も一年に何回かは採取に行きたいかな」
「その時はちゃんと臨時でも良いから、ちゃんとした店員を
「えー、シアがいてくれたら防犯にもなるし、売り上げにも繋がるし、
一矢二羽とは、こちらの世界での慣用句だ。意味は前世の日本で使われていた
「防犯はともかく、売り上げには関係しないかと」
「えーそんなことないよ。シア可愛いから」
「うーん、えぇと、ありがとう」
容姿を
このフレンシアの容姿は、私から見ても十分魅力的だと思う。しかし、産まれた時からこの身体に宿っていた魂は私自身の物ではあるが、やはり本来のフレンシアとしての魂がどこかにあって、それを押しのけて私が入り込んだ、偽りの姿なのではないかと思うことがある。そうなると、私であるが私でないこのフレンシアとしての姿を褒められても、嬉しいと素直に思うことが出来ず、逆に申し訳ないと思う気持ちになったりする。これは一二〇年生きてきたが、未だに変わることがない。
「それじゃあ、運ぼうか」
「分かった。シアもありがとうね」
「良いよ」
よいしょと
「これ、何ツィルあるの?」
「さぁ? 多分四〇ツィルか五〇ツィルくらいじゃない?」
「そりゃ多いね」
ツィルとは、この世界の、少なくともジスト王国含めた周辺国で使われている重さの単位である。
単位として確立してはいるが、その重さの基準は曖昧な部分があり、一応
基準が明確になっていないということは、重さによって値段が変動する取引の場合に困るはずなのだが、私の知る限りの歴史の中では特に問題になっていると聞いたことがなく、現在まで
ちなみに、一ツィルあたりの重さは前世のキログラムに合わせると、大体四〇〇グラムから五〇〇グラム辺りである。今運んでいる籠が、四五ツィル前後ということは、おおよそ一八キログラム前後ということになる。
この基準に最も近い単位で挙げるならば、ポンドである。一ポンドあたり約四五三グラムであるから、ポンドに置き換えて計算すると分かりやすいが、先にも述べた通り、基準が非常に曖昧なのだ。よって、ある程度の目安にはするが、あまり重要視していない現状である。
金貨や銀貨など
あくまで、人間族達の経済の話に、エルフ族である私が口を出すべきではないのは理解しているが、前世は人間だったのだ。その辺りは変なモヤモヤが残るが、気にしても仕方がない。こればかりは、国のトップがちゃんと考えた上でお
「これで全部かな?」
「そうだね。ありがとー」
あれから二人で何度も荷車と倉庫の間を往復し、荷物を運び込んでいった。作業を終える頃には日はすっかりと落ちてしまっていた。
辺りは点火職人が一つ一つの街灯を回って火を点しており、その光が点々と町の一角を照らす。各建物からは
「それじゃあ、私は宿に帰るね。明日、今度はお客として来るから、割引の件、忘れないでね」
「分かってるよ。いやーそれにしても助かったよ」
「臨時休業にすれば良かったんじゃ」
「それも考えたけど、一応常連さんとの付き合いもあるからね。そう簡単に休みには出来ないのよ」
「その割にはアッサリと私に押し付けて飛び出して行ったけど」
「気のせい気のせい」
「はぁ……」
彼女と会うのはこれで二回目。そうたった二回である。こちらから提案したことであるが、初対面でいきなり店を押し付けてそれから二週間放置である。そして今日帰ってきて、一緒に作業して今まさに別れるところ。しかし、この短時間でフィアのことは結構分かってきた気がする。彼女のペースに巻き込まれると、こちらが被害を受けるということがよく分かった。今後の教訓にさせてもらおうと思う。
しかし、これでようやく本来の依頼をこなすことが出来るようになる。収入がなかったので、節約生活を
「それじゃあ、また明日……いや、明日以降かな。とりあえずお金欲しいから、ギルド行きたいし」
「あ、そっか。ごめんね。何日も空けちゃって」
「気にしてないよ」
「本当?」
フィアの疑問に笑顔で頷く。
「元はと言えば私のせいだからね。でも、もし私がエルフじゃなくて人間だったら、食費が足りなくて
「やっぱり気にしてるじゃない」
「まぁねぇ」
ニヤニヤとした表情を隠すつもりもなく、わざとらしく「あ、そうだ」と思い出したように口に出す。
「割引の件、ちゃんとお願いね」
その言葉にフィアは首を傾げる。ついさっきも同じことを言われたからだろう。きっと念押しのつもりだと思っているのだろう。実際、私はそのつもりでいる。
「え? それは元々の契約だったから当然だけど……え、もしかして、更に値下げしろと?」
「さーて、どう
そう、私はあくまで、ただの念押しのつもりである。ただ、これまでの話の流れから、単なる念押しと捉えるかどうかは、相手次第だ。これで相手が一枚
「うわぁ、性格悪いって言われたことない?」
「うーん、ないと思う。言われる程、あまり他人と関わっていないと思うし」
「反応に困る。はぁ、これが『
「その二つ名はやめて。それに本性とは失礼ね」
結局彼女は、更に割引を行うことを了承したようだ。
ちょっとほったらかしにされすぎたことによる仕返しのつもりでの皮肉からの交渉だったが、受け入れられてしまい逆に申し訳ない気持ちになる。しかし、今更なしにするというのもせっかく交渉に乗ってくれた相手に悪いので、契約成立ということにする。
鍵を返した後、少し雑談を
「二週間、ずっと放置されてたから、その書類とか
「え?」
次の反応が来る前に、私は急いで店を出て走り出した。その直後、背後から「えええー!」と叫び声が聞こえた気がするが、気のせいだ。耳が良すぎて幻聴が聞こえたに違いない。
大通りに出、後ろを見て追っ手がないことを確認して足を止め、走ったことで多少乱れた衣類を軽く整えて歩き出した。
「次会ったら
仕方ないと思うが、元はと言えば店のことを色々放置して飛び出した店主が悪いのだ。と、心の中で言い訳しつつ、明日からの予定を考える。
「防具はもう出来てるみたいだし、剣ももうすぐって書いてあったから、楽しみだなぁ」
遠距離戦なら雷魔法に弓矢、ライフル銃があるから問題ないが、接近戦は剣頼りだ。
一応雷魔法で接近戦を行ったり投げナイフを近接で用いたりすることも出来るが、耐魔法性能が高かったり雷属性の
「剣、どんな感じになるのかな」
懐から、何度も読み返した手紙を取り出して眺める。
「でも、もう二週間。流石に時間掛かりすぎだよね……そんなに加工が難しいのかな」
いや、彼には失礼だが、あの工房が繁忙期になる様子が想像出来ない上、特に大規模討伐や、ましてや他国との戦争などの情報も出ていないので繁忙期の線もないだろう。
「私が気にしても仕方ないことかもしれないけど」
心配ではある。しかし、ここで様子を見に行くことは、彼を信用していないことになる。職人、特に頭に頑固が付く種類の人になると、当然プライドが高い。下手に
「とりあえず、装備は貯金から切り崩すとして……生活費は、依頼で稼ぐしかないね。まずは近場の採取クエストでもこなしていこうかな。怪物討伐はしばらく控えるしかないね。出来ないこともないけど、今回のような特殊な事例となると、やっぱり万全にしておきたいし」
そう決意をした私は、日が沈んで
「アリン……いえ、お母さん」
のんびりマイペースな人であるが、
「手紙でも書いてみようかな」
これまでは、紙は高く、気軽に手紙を送り合うことも出来なかったが、最近の王都の様子を見るに、少なくとも王都では十分
「まぁでも、お母さん文字あんまり読めないし」
エルフ族、あくまで私の知る限りルキユの森のエルフと、フィアのいた山のエルフの多くは
「まぁそれでも、何年も
そうと決めたのなら、明日は依頼の帰りにでも手紙を買いに行こうかなと決めたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます