3頁目 ルキユの森と小飛竜

 母の作った朝食を食べ終え、いつも通りに食器を洗う。その後の行動でいつもと違うのは、これから私は旅に出るということだ。

 支度を終え、忘れ物がないかをチェックするが、元よりあまり物を持っていないので大丈夫だろうと考える。旅行記などの娯楽本を持って行くことが出来ないのは、心苦しいが、流石さすがに父からゆずり受けた謎の大容量リュックサックでも、入りきらなかった為に泣く泣く諦めることにした。

 自身の旅行記を記す為の白紙の本の一ページ目には、早速今朝、このエルフの里について記述した。族長のジーさんにも旅に出ることを告げた。ジーさんは「うむ、分かった」と言っただけで、それ以外は特に何も発せず、その表情からも感情を読み取ることは出来なかった。しかし、七八〇歳にもなって早朝から畑仕事とは、果たしてこの人、一体何歳まで生きるのだろうか。


「それじゃあ、お母さん。行ってきます」

「行ってらっしゃい~気を付けてね~」

「分かってる」


 これからしばらく会えないというのに、お互いに交わす言葉は簡潔なものである。どれくらいの旅になるのか、自分でも予想が付かない。世界地図がある訳でもないので、実際にこの世界がどのような形でどのくらい広いのか、全く分からないのだ。

 一応、人間は、集落周辺の簡単な街道などをしるした地図は持っているだろうし、国の中央ともなれば、更に精密な地形図まであるのかもしれないが、一冒険者にそんな物を見せてくれるはずもないだろう。地図は国家機密に該当がいとうする。

 他国と戦争をするという時、特に侵略をする際には、地形の把握はあくは重要である。優秀な軍師や参謀さんぼうならば、地図を見ただけで有利な場所や伏兵の有無、補給路の候補などが分かるという。その為、優秀な測量士、特に距離や観測の魔法が扱える者は、人種や種族問わず重宝されると聞く。

 使える魔法は遺伝によることが基本な為、おそらく、代々国につかえてきている一族が存在していることだろう。結婚も、好きな人とではなく、きっと国が決めた同じ測量系の魔法を扱える異性と結婚させられるのだと思う。そんな生活、私にはとても耐えられない。一カ所でじっと生活することに耐えられなくなったから、こうして旅に出るというのに。


「よしっ」


 エルフの里の門を出、森へと足を踏み入れる。エルフの里の住人は、私を含めてこの森のことを森としか呼ばないが、人間族達は、他の森と区別する為にルキユの森と呼んでいる。

 森を歩いていると、採取さいしゅや狩りの時にいつも歩く場所であるというのに、やはり気持ちや覚悟が違うからか、全く別の景色に感じる。ちなみに、一回目の冒険者になるべく里を飛び出した時は、ただ我武者羅がむしゃらだったので詳しくは覚えていない。あの頃は若かった。まだ二〇年前だけど。それにエルフとしては一二〇歳もまだまだひよっこなのだが……現代日本に合わせると、高校生か大学生くらいの年齢だろうか。うん、確かに、立派なひよっこである。

 転生前も含めると私の精神は立派におばあちゃんを通り越しているはずなのだが、身体に精神が引っ張られているのか逆戻りしている感がする。まぁこの見た目で「わしぁ元気だぞぉ」とか言いたくないなとは思う。


「あ、薬草……」


 今回は採取が目的ではないので、荷物になる物は極力減らしたいのだが、職業病だからか、ついつい、いつものくせで目が行ってしまう。

 一年に数回、不定期であるが、大体季節の変わり目と中頃に商隊が通る上、その他にも護衛や討伐とうばつ、採取任務を受けた冒険者が通ることもあるので、深い森の中とはいえ、里から町まで続く所には自然と道が出来上がっているので、迷うことはほぼない。

 しかし危険が皆無という訳ではない。

 夜には視界が悪いし、昼間でも怪物モンスター遭遇そうぐうすることもある。特にこの森はえさも豊富で、寒季でも雪がほとんど積もらないという優良物件なこともあり、小飛竜しょうひりゅう闘飛虫とうひちゅうといった、準大型の肉食怪物が縄張りにしていたりするのだ。


「小飛竜は、準大型というより、普通に中型か」


 そんなことを考えながら歩いていたからか、遠くから、ギャアギャアと鳴く声が近付いてくるのを耳がとらえた。


「噂をすれば何とやら……」


 すぐに姿勢を低くし、しげみに身を隠す。

 息をひそめて様子をうかがっていると、バサバサと羽ばたく音が聞こえ、それが付近で消えた。どうやら近くの木の上に止まったようだ。音を立てないようゆっくりと目線を上げると、予想通り小飛竜リヨバーンが、周囲を警戒しているのか、せわしなく視線をあちこちへと向けている。

 寒季では食べ物が少なかったが、暖季に入り餌となる動物が多くなったことから、森に戻ってきたようだ。そして、私の近くに降り立ったということは、狙いは私だろうか。小飛竜は、獰猛どうもうな肉食怪物だ。一人で森を歩く私の姿を見て、襲いに来たのかもしれない。

 小飛竜リヨバーン。小飛竜と呼ばれているが飛竜種ひりゅうしゅという訳ではなく、見た目が飛竜に似ており、飛竜種よりも半分強の大きさということで、小飛竜と呼ばれている。

 基本単独で行動し縄張りの周りを周回しているが、繁殖期はんしょくきである暑季にはつがいで行動する姿が見られ普段よりも凶暴さが増す。生息域は温暖な地域全域で、森や草原関係なくどこでも現れるポピュラーな怪物とも言える。

 しかし、よく見る怪物だからと言って危険がない訳ではない。

 先程も述べた通り獰猛で攻撃的な怪物で、自身よりも大型の怪物相手でも、縄張りに侵入すれば攻撃することもある。

 主な武器は、足の鉤爪かぎづめと鋭い牙による噛み付きだ。また、鉄に近い堅さを持つうろこを生かした体当たりも強力だ。だが、しっかり装備を調ととのえ、三人以上のパーティで挑めば討伐はさほど難しくない。

 物理攻撃には鉄並の強度の鱗を持つ為に耐性がある一方で、魔法に弱いという点がある。飛び回り機動力はあるが、森の中など動きが制限されるような地形なら討伐が楽になる。

 小飛竜には火を吐くなどの遠距離攻撃はないので、しっかり距離を取って確実に攻撃魔法を当てることが出来れば、単独討伐も可能である。その為、これから向かう鉱石の町ルックカにある冒険者ギルドでは、単独もしくはペアで討伐出来れば、新米冒険者卒業という慣例かんれいがあったりする。

 私は父から受け継いだ雷魔法のおかげで、冒険者登録から数日で新米を卒業することが出来たことで、その後の依頼をこなすのに非常に手助けとなっている。

 生息域が広い怪物な為、いつ、どこで襲われるか分からない。商人にとっては、優秀な冒険者の護衛は是非とも欲しいもの。小飛竜は、暑季さえ避ければ基本的には単独行動なので、一つの商隊に冒険者を三、四人そろえれば、十分安全な旅路たびじを送ることが出来るようになる。

 つまり、私にとってはわざわざ隠れる程の相手ではなく、簡単に討伐することが出来る。しかし今回の私の目的は様々な種族の生活や文化の観察に加え、各地の怪物の生態調査も含まれている。よって、邪魔が入らない限りは、こうしてコッソリと様子を見ていきたいと思う。思いっ切り警戒されている時点で私が邪魔者であるのだが、そこは気にしない。狩人であるエルフ族は、我慢比べに強い。それこそ、飲まず食わずで三日、四日息を潜めることも余裕である。

 警戒を解き、巣に帰るタイミングで、気付かれないよう後を付けることにしよう。ルックカに到着するのは、何日も後になるが、元より行き当たりばったりの旅なのだ。一日や二日、一ヶ月くらい予定が遅れたところで、何も問題ないし誰も困らない……母が心配する期間が延びることは、一旦棚上げしておこう。

 どれくらい待っていただろうか、太陽が真上に上がってきたところで、小飛竜は諦めたようにグルルとのどを鳴らし、飛び立っていった。


「よしっ」


 小さくつぶやき、腰を上げる。追跡開始だ。

 荷物を多く背負っているが、こんなの障害にはならない。素早く、かつ気配をさとられないよう慎重に、しかし見失わないように追い掛ける。仮に見失ったとしても、私にはエルフ自慢の聴覚がある。これによりある程度離れていても、あの目立つ羽音は聞き漏らさない。

 街道から大分だいぶ離れた森の奥で、ようやく止まったようだ。私は荷物を下ろし、必要最低限の武器と、記録用の本とペンを持って更に接近を試みる。

 小飛竜の巣は地面に浅く穴を掘り、そこに丸くなって眠るようだ。周囲には、餌となったであろう動物の骨が転がっている。

 匂いによる探知を避ける為に風下かざしもへと移動しつつも更に接近し、近くの茂みへ身体をすべり込ませる。

 色は全体的に薄い灰色。中には濃い灰色の個体もいるが、個体差だろう。

 新米冒険者卒業で討伐目標にされることも多い上、その素材は防具として優秀なのでベテラン冒険者にも人気がある。それによる乱獲らんかくで数を減らしそうであるが、その分、小飛竜も繁殖期には卵を十数個産み、そのほとんどが無事にかえって飛び立つことから、多少の間引きをしたところで問題なさそうである。

 今、観察して分かったことは、目の前の個体はオスであるということ。いくつかメスとの違いがあるが、一番の違いは、足の爪の本数がメスよりも一本多い五本である。オスは、縄張りを主張する為に戦うことが多く、その為により攻撃力を高められるように自慢の鉤爪が前四本、後ろ一本の計五本、左右合わせて一〇本ある。また、身体の傷が少ないことから、まだ、さほど縄張り争いの経験がない、若い成体であろうと予想される。遠距離攻撃のない彼らが戦うとなると必然インファイトとなる訳で、そうなると自然と生傷が増えるものであるが、目の前で眠る個体は、まだキレイな身体をしている。ということは、この森の本来の縄張りの主ではないことが推察出来る。これは、もしかしたら面白い物が見られるかもしれないと、ワクワクしてしまう。

 昼間なのに無警戒で寝ているのは、油断か余裕か。いずれにせよ、一回この場を離れて、置き去りにした荷物の元へ戻り、改めて周りに見つからないようカムフラージュしておく。昼間であるが、木々が生い茂っているせいで、若干薄暗いが、森で生きてきたエルフだ。この程度の暗さ、視界の妨げにはならない。

 再度、小飛竜の巣の元へ移動するも、相も変わらず眠られている。


「のんきだなぁ」


 声に出さないよう呟く。

 それから、またどれだけ時間が流れただろうか。日が傾き掛けたところで、期待していたそれは起こる。遠くから微かに力強く羽ばたく音が聞こえて来たのだ。

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