2 婚約破棄の代償

 それはわたしが福岡に戻って数日後のことだった。


『加奈子ちゃん! ちょっとこれ見て! 大変なことになってる!』


 みさちゃんからメールが届き、載っていたURLを開いてみると、それは拓己のSNSアカウントだった。載っているのはわたしへの誹謗中傷だ。

 婚約中に浮気されたこと。指輪を持ち逃げしたこと。慰謝料を請求する予定だということが、拓己に都合の良いようにつらつらと書かれていて血の気が引く。


「加奈子ちゃん、この人と付き合ってたの? ちょっとびっくりしたー」

「みさちゃん、知りあいだったの?」


 みさちゃんの説明によると、彼女が良平さんと出会う前、合コンで一緒になったことがあるそうで。

 ものすごい偶然だと思っていたけれど、さらに結婚式に参加もしていた良平さんの上司――島田さんが、拓己とは大学の同級生だということを聞いて世間の狭さに驚いてしまう。そういえば出身大学は同じだし、年の頃も同じだったけれど、まさか学部まで同じとは思わなかった。

 それで、島田さんが拓己とSNSで繋がっていて、良平さんもこの件を知ったという。ただ、島田さんは拓己の性格を知っていたため、投稿自体には疑問を感じていたそうだ。


「知り合いに弁護士がいるらしくて相談乗るって言ってるけど、どうする?」


 わたしは思わず縋るように頼んだ。放置するとまずいと思ったのだ。




 そして翌日のこと。慰謝料の請求が内容証明で届いた。覚悟はしていたものの、脅迫文めいたものに見えて血の気が引く。

 おそるおそる開いてみて、わたしは唇を噛んだ。請求額は指輪代金の百万円、精神的苦痛に対する慰謝料の百万円。自分一人でもなんとかなるかもしれないという希望は打ち砕かれた。貯金を全て叩いても足りなかった。


 上原くんに相談しようかとスマホを取るけれど、気が重い。彼はきっとそれを全額払うというだろう。自分が彼の負担になるのはとても辛かった。

 だが、そのとき、スマホがブルリと震える。

 わたしは通知欄を見て泣きたくなる。まるで、彼にはわたしが不安になると働くセンサーでもついているのではないかと思った。


「上原くん……」


 声が湿ってしまって焦る。上原くんはするどいから、そういうのってすぐに気づいてしまう。だけど、


「加奈子さん。だから呼び方が違います。すぐに戻るなあ」


 なんてことないよ、とでも言うかのような穏やかな優しい声が響く。彼は続けて優しく促した。


「で、慰謝料の請求額は?」


 優しいけれど有無を言わせない感じだった。SNSを見てこうなることは予想していたらしい。わたしはまいった、と思いながら口を開く。


「……にひゃく、まんです」

「そっか。二百万」


 高額な請求にも上原くんはあくまで冷静だった。


「良平から聞いたんだけど、島田さんに弁護士紹介してもらおうと思ってる。さすがにふっかけ過ぎな気がするし、相場とかあるだろうし」

「うん。……そうだね」

「まさかそういうラインで繋がってるとは思わなかったけど、弁護士とか頼むの初めてだから紹介はかなり助かる」


 上原くんは笑った。その様子が全く無理がなくて、わたしは心底ホッとした。一人で戦わなくていいってわかると、こんなに救われるんだ。




 そして、数日後。彼の休日を待って弁護士さんに相談に行くことになったわたしは、市営地下鉄の天神駅にいた。

 スマホの表示を見ると、待ち合わせの時間まで一時間。事務所は中央区のオフィスビル。駅から歩いて十分ほどというところだ。

 少し早く着きすぎたかも。わたしは、ひさびさに天神の街をぶらぶらしてみることにした。

 地下鉄を降りてすぐの地下街は、昔のままの趣を保っている。天井は低く、照明はかなり絞られていて薄暗く、ここが地下であることを隠そうとしない。

 高校生の時にはここによく買い物に来ていた。田舎に住んでいると、服を買うのにも一苦労なのだ。だから一時間かけてここまで出かけた。若者向けのアパレルショップがぎゅっと詰まっていて、キラキラしていて、来るたびにワクワクしていたことを思い出す。


 だけど、地上に上がると目を見張った。

 街がずいぶんと様変わりしていて驚く。昔はスーパーが入っていたビルも複合商業ビルとなっている。片道五車線の広い道路と、そこを埋め尽くすバスがなければ、別の街に来てしまったと思ってしまいそうだ。

 ふらふら歩いていると、馴染みの老舗デパートが改装されていて、思わず引き寄せられる。そこにあったのが、見覚えのあるブランドだったからだ。

 入り口に立つ警備員の人に気後れしながらも、わたしは中に入った。平日だというのにカップルが数組で賑わっている。きらきらと小さくも鋭い光を放つダイヤモンドたちの中に、それはあった。

 思わず眉をひそめてショーケースを見つめていると、店員のお姉さんが話しかけてきた。


「なにかお探しでございますか?」

「い、いえ!」


 わたしは慌ててしまう。そうだった。普通は買いに来るのだ。

 焦りながらも、一つのリングに目が吸い寄せられる。お姉さんが穏やかに言う。


「ゆっくりご覧になってくださいね」


 それっきり別の作業に戻っていく。昔から店員さんがちょっと苦手なわたしは、胸をなでおろす。まず、自分の目で見て、一人でじっくりと吟味するのが好きなのだが、そのタイミングで声をかけられるとどうしていいかわからなくなってしまうことが多々あった。

 だから、こうして放っておいてもらえるとすごく助かる。さすがハイブランド。店員さんはその辺をよく心得ているらしい。

 再びじっと指輪を見つめる。

 ずらりと並ぶ値札を見る。


(あぁ)


 わたし、拓己の言うことを疑いもせず、鵜呑みにしてしまっていた。

 気がついたら笑いたくなった。ほんと、わたしったら、どこまでも間抜け。《ガワ》しか見えてないからこういう事になってしまうのだ。




 待ち合わせ場所で上原くんと合流したわたしは、オフィスビルの一室に入った。中には島田さんもいて、驚く。


「お久しぶりです。結婚式のときはろくな挨拶もせず、すみません」


 島田さんは人好きのする笑顔で言う。派手ではないけれど質の良いスーツをきれいに着こなしていて、品が良い。育ちが良さそうだ。

 一連の連絡で聞いた、みさちゃんの言葉を思い出して納得する。結構大きな会社の跡取り息子らしいのだ。修行として良平さんの会社を任されているらしく。いわゆる御曹司というやつ。ちょっとわたしとは縁のない話で、驚いたものだ。


「この度はありがとうございます。助かります」


 上原くんが頭を下げ、わたしも慌ててお辞儀をした。


「さっそくですが、こちら弁護士の高田くん」

「よろしくおねがいします」


 高田と紹介された男性は、ニッコリと笑った。線が少し細くて、リムレスのメガネが神経質そうだったが、あどけない笑顔で相殺された。


「婚約破棄に関して、慰謝料を請求されているとか」

「はい」

「実は、今回の場合、慰謝料を払わずにすむ可能性があります」

「え?」


 わたしは耳を疑った。高田さんのメガネが光る。


「そのへんを固めたいので、もう少し詳細をお話願えますか?」


 

 ***



「びっくりしたな」


 帰り道、上原くんが小さくつぶやく。


「不貞行為だから、全面的にわたしが悪いのかと思ってた」


 高田さんの提案を聞いてわたしはしばらく唖然とした顔をしていたと思う。彼は婚約の定義をひっくり返すと言ったのだ。


「プロポーズ、受けるって言ってなかったんだ?」


 わたしはうなずいた。婚約指輪をもらった時、わたしがうなずく前に拓己が話を進めてしまったのだ。だけど、拓己は了承されたという前提で話を進めていたし、そう思い込んでいたから、いまさら覆すのは難しいと思った。


「うん……でも状況的にオッケーしてると思うよ?」

「でも、仕事がだめになった後、彼の方から結婚は保留って言ったんだろう」


 上原くんは憤っている。

 思い出すと胸が悪くなる。仕事がだめになって慰めてほしかったのに、彼が言った言葉は『じゃあ、結婚できないじゃん』だった。

 両親への挨拶は流れたし、高田さんが言うには、その時点で婚約の話自体が凍結となったと考えてもおかしくないそうだ。その線で進めようかと思っているとのこと。

 そもそも婚約というのは、法的に明確な基準がないそうで。

 結婚の意志を両者で固めること。両親を交えて話を進めること。結婚式場の予約をすること。新居の購入をすること――そういった項目が多ければ多いほど、婚約という状況が認められるという話だ。


 そのため、指輪を贈られただけという状況では婚約に至らない。わたしが返事をしていない状況であれば、婚約状態とみなされず、慰謝料無しで指輪を返すだけで済む可能性が高いらしい。

 ちなみに相談料はかなりお安くしてもらえた。みさちゃんが島田さんに頼み込んだらしく、当分島田さんには頭が上がらない。

 だけど……。


「……わたしね」


 対岸に並ぶ屋台の明かりが川を照らしている。頼りないオレンジの光が、揺らめいている。

 わたしは大きく息を吸った。

 川の上を流れてきた夜風は、ひんやりと冷たかった。


「自分のやったことがいいことか悪いことかくらい、自分でわかるから。だから、争わない方向で進めてもらおうかと思ってる」

「だけど」


 上原くんの言うことはわかった。背負い過ぎだと彼は言いたいのだ。


「流されてたんだよね、ずっと。楽な方に楽な方にって。それに対するツケが回ってきたんだから、ちゃんと受け止めて自分を戒めておきたい。そのほうが、ちゃんと前に進める気がするんだ」

「加奈子さんって……さあ」


 上原くんが笑った。


「ほんっと真面目だよね」

「そうかなあ?」


 何度言われてもしっくり来ない。だけど、上原くんは呆れたように笑う。


「わかった。じゃあ、その方向で話を進めようか」

「うん」


 ありがとう、という気持ちを込めてわたしは手を握る。そして言った。


「ただ……あのね、ちょっと付き合ってほしいところがあるの」



 ***



 訪れたのは先程訪ねた宝飾店。フランス製のアクセサリーのショーケースの中、一つの指輪をわたしは指さした。

 シンプルな台に石が一つ。


「これ」


 上原くんはぎょっとしたような顔をする。その顔を見てわたしははっとした。


「あ、あの、違うの! これを買ってほしいとか、そういうんじゃなくて!」


 わたしのバカ!

 指輪選びがまだ保留になっているということが頭からすっぽりと抜けていた。


「いや、別にこれでもいいんだけど……」


 だから、違うって! 声が裏返る。


「えっと、これね、拓己にもらった指輪と同じデザインなの。で、石の大きさもそれほど変わらなくて。慰謝料請求が百万って書いてあったよね? だけど、この値段で」


 早口で説明すると、焦りのあまり額から汗が吹き出した。


「……ほんとだ」

「確かに石によって違いはあると思うんだけど、彼の言うような値段なのかなってちょっと思って」

「うーん……確かに」

「だからね。指輪はあのまま返せばいいかなって。鑑定書も貰わなかったし、査定額は購入額とは違ってくると思うし。高田さんも言ってたよね? 指輪を返すだけでいいって」


 わたしは、上原くんの顔を見て言った。


「ちゃんと、誠意は見せるつもりだから、慰謝料はきちんと払わないといけないと思う。だけど、今までみたいに全部拓己の言いなりになるのは違うかなって思うから……ちゃんと考える」


 慰謝料はきちんと払うつもりだ。だから、。だって、これは、婚約自体に誠意がないことの証明だ。それに対してだけは、わたしはきっと怒っていいと思うのだ。

 指輪は返す。慰謝料は払う。それでスッキリ解決だと思った。


「加奈子さんさあ。やっぱり真面目だよね」


 上原くんの目が笑っている。


「え、なんで」

「減額できたら全部自分で払おうとか思ってるだろう?」 


 わたしはぎょっと目をむいた。な、なんで、わかるの!? なんにも言ってないのに!?


「だだ漏れだって」


 わたしは思わず顔を抑えて目を泳がせる。すると戸惑った様子の店員さんと目があった。

 あ、めっちゃくちゃ込み入った話、してしまった! しかもこんな幸せを形にして売っているようなお店で!

 慌てたわたしはそのまま店を出ようとしたが、途中、ふと歩みを止めた。

 ショーケースに、マリッジリングが並べられていたのだ。


「こちら人気のタイプでして。今は婚約指輪兼結婚指輪としてお使いいただく方も多いのですよ」


 さすがというかなんというか、絶妙なタイミングで店員さんが話しかけてきた。あの気まずい話が聞こえていただろうに、聞いていなかったふりをして。そして、ちゃんとわたしが今、恋をしていることを知っている。

 エタニティリング。小さなダイヤが、ぐるりと一周ついているやつだ。

 婚約指輪とちがって結婚指輪はずっと身につけるもの。しまい込んでしまうようなものより、こういうのがいいなと思いながらも、分不相応だと諦める。慰謝料とか大変なのに、浮かれすぎ! 分相応に行きていくの、わたしは!


「いえ、いいんです」


 と言うと、わたしは店員さんに頭を下げ、上原くんを引っ張って店から立ち去った。



 ***



 高田さんに電話で考えを話すと、案外あっさりと方向転換をしてくれた。


「ただし、慰謝料百万は適正ではない気がするので……、もうちょっと頑張ってもいいですかね? せっかくご相談いただいたので、このまま呑むのは申し訳ないというか」


 人がいい高田さんはそう言って、適正な額を提案してくれた。今回の場合は、やはり離職の際の不信感が招いたことだという主張で行けそうらしい。

 だけど。


「いえ、あちらの言うとおりで大丈夫です」


 わたしは心遣いに丁寧にお礼を言う。

 そして指輪の件だけ、鑑定書、もしくは明細書を出してもらえるかどうかの打診と、それが叶わない場合、指輪の返却と慰謝料の支払いで和解としてほしいという提案を手伝ってもらうことにした。

 結果――。



「ほんっと、あそこまで小さい男って珍しいんじゃない? 加奈子ちゃん、元気だして。うっかり結婚しなくてよかったって思おうよ!」


 電話口の美砂ちゃんが早口でまくしたてた。

 鑑定書を出せと言ったことを、SNSで拓己が暴露し、暴言を流したのだ。


『鑑定書か明細書見せろだって。本当に反省してたら、そういう言葉って出てこないと思うんだけど。こっちは誠意を見せてほしいんだよな』 


 前回の投稿とセットになった投稿は、ネット上で軽い炎上をしていた。

 ただでさえ拓己に同情的な友人たちは、彼の一方的な言葉を信じ、こぞって彼を支持して、わたしを悪女と罵った。まったく面識のない人が、どこをどうやったのかわたしのSNSを探し出して悪意に満ちたコメントを書き込んだ。

 高田さんは対応がまずかったと平謝り。だけど、彼に非はないと思う。まさか、彼がこんな大人気ない対応をするなんて思いもしないだろう。長年付き合ったわたしだって信じられないくらいなのだ。

 見ていると悲しくなった。なにより、彼を好きだと思っていたわたしに幻滅する。

 SNSを見るたびに知らない人がどんどんシェアをしていっている。その数はすでに千を超え、拓巳への擁護が増えていく。わたしは世界中を敵に回したような気分だった。


『ひどいおんな』

『浮気したくせに』

『全身全霊で謝るのが誠意ってもんじゃないの?』


 頭の中に響く声は耳鳴りのよう。

 ため息がこぼれた。ここ数時間でどれだけのため息を吐いたことだろう。部屋の空気の半分がわたしのため息でできていそうだ。

 それでも泣くまいとぐっとこらえたときだった。

 玄関のチャイムが鳴った。父も母も仕事だ。心配させたくないからこの件に関してはまだ何も伝えていないのだった。

 億劫に思いながら下に降りて玄関のドアを開ける。そしてわたしは目を見張った。


「加奈子さん、海に行こうか」


 唐突に言い放ったのは、上原くんだった。


「え、ええっ!?」


 びっくりしすぎて声が裏返る。


「え、上原くん仕事は?」


 新学期が始まると、学生さんが学校に来るから、面倒をみるために普通に社会人のような勤務が始まっているはずだった。


「今日の分は夜にやることにしたから」

「え、でも」

「いいからいいから」


 こういうときには上原くんは譲らない。わたしのことを尊重しつつも、強引なのだ。


「……準備するね」

「スマホは置いてきて」

「……わかった」


 上原くんの意図するところがわかって、思わず胸が詰まった。



 ***



 九月の海は、前に来た時と様相を変えていた。

 まず海風は残暑を吹き飛ばしてしまったらしく、爽やかで、気持ち良い。だけどその分、波が大きかった。

 五十センチくらいから一メートルくらいの波が次々に押し寄せてくる。その波に次々に乗るサーファーたち。海水浴以外では来ないので、こんな顔も見せるのかと驚いた。


「台風でも来てるのかな? 確か、もうクラゲがいるんだよね」


 そのせいで、お盆を過ぎると海には入れないと頭の中にインプットされている。それ以外にも、お盆に帰ってきたご先祖様が連れて行くからとも言われた覚えがあるけれど、当時はご先祖様がそんなひどいことをするのかなと不思議に思っていた。

 そういうと、「こどもには効果的なのかもしれないけど、今はまず仏教を真面目に信仰している家がそんなにないし、効果が薄れてる気もするな」と上原くんは言った。

 そんな他愛ない会話の中、もってきたブルーシートを砂浜に敷くとそこにゴロンと寝転んだ。視界いっぱいに青空が広がる。真夏と違って、太陽の光は穏やかだ。暑さに惑わされがちだけれど、すぐそこまで秋が来ているのだと思う。


 それきり上原くんは黙り込み、ごうごうという風の音と波の音だけが辺りには広がった。沈黙はまったく重くない。

 わたしは目を閉じる。

 わたしの全身を蝕んでいた憂鬱さが風に流されて行く。

 ネットから切り離されたわたしには、非難は届かない。いつの間にか、罵詈雑言の耳鳴りはやんでいた。


「ほとぼりが冷めるまでは、切り放そう。気になっちゃうとは思うけど」

「……うん」

「大丈夫。加奈子さんを信じてくれる人は、絶対いる」


 涙が出る。上原くんは、そんなわたしの手をしばらくずっと握っていてくれた。



 ***



 スマホを放置して数日。わたしはその後すべての手続きを上原くんと高田さんにお任せすることになった。ちょっと離れないと病院のお世話になりそうだと心配されたのだ。

 だから、ただのんびりとテレビを見て、散歩をして、母の庭仕事の手伝いをした。それは穏やかな日々で、かつて疲れ果てて東京から帰ってきたときと同じく、わたしはゆっくりと回復をしていった。

 変化を知らせたのは、みさちゃんのメールだった。


『辛いかもしれないけど、ちょっと見て!』


 言われて見ると、拓己のSNSが炎上していた。拓己の言葉を引用して、理路整然と反論をした人がいたのだ。


『鑑定書渡さなかったら、相手の人、指輪の代金わかんないじゃん。当然っしょ』


 正論も正論だ。だけど同情で盛り上がっているときには届かなかった言葉が、今ちゃんと支持されているのだ。


『だいたい、こんな風に、一方的にネットに晒すとか卑怯なことしてるから逃げられたんじゃねーの? 自業自得じゃん』


 追い打ちをかけるような言葉もあり、それもかなりの人に賛同されている。

 そして。


『相手の人知ってるけど、すごく真面目な人だよ? 言い分を聞かないとなんとも言えない』


 声を上げてくれたのは、共通の友人だった。しかも、そのアカウントはこの騒ぎが起こってから作られたもののようだった。プロフィールに「Kちゃん、頑張れ」と書いてある。どう考えても、わたしのために作ってくれている。そのことに揺さぶられる。

 それを皮切りに、様子をうかがっていた仲間内からもぽつぽつと声が上がりはじめ、支持に押されてわたしの文句を言い続けていた拓己は、急に沈黙した。連続していた投稿も、パタリと止んでいる。それが、昨日の夜のことだった。

 ちゃんと見てくれてる人が、いた。

 わたしは思わず涙をこぼした。


「加奈子ちゃんみたいな人って、実は最強なのかもしれない」


 みさちゃんがホッとしたような声を上げた。


「良かったね」

「……うん」



 その後の交渉は驚くほどにすんなりと進んだ。高田さんが、行き過ぎたネットいじめに対して、名誉毀損を匂わせ、鑑定書を手に入れたのだ。けれど……予想通りに拓己は購入額の倍以上の値段をつけていた。それどころか、石のグレードがあまり良くなくて、売ってもそれほど値がつかないと聞いた。

 そういう経緯もあり、指輪代金は払わずに返却だけで済んだ上に、慰謝料は相場で済んだ。


 島田さん経由で聞いたのだけれど、この件で拓己は随分と友人を失ったらしい。けれど、さすがに同情はできなかった。


 そうして、わたしは自由を手に入れた。

 

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