12 まるで物産展のような

 色とりどりの火花を肴に梅ケ枝餅を頬張る。小さなクーラーボックスにはビールの他に缶酎ハイ、ノンアルコールカクテル、お茶も入っていて、どこか、猫型ロボットの四次元ポケットを思い出す。

 それから、もう一つ用意してあった大きなバッグから次から次へと出てくるのは、福岡の銘菓や珍味ばかり。


「この明太子味のおせんべい美味しい……」

「あー、それこの頃すごい売れてるみたいだよ。おみやげで持ってくと喜ばれるんだ――って、加奈子ちゃん食べ過ぎ」


 わたしは花火そっちのけになりかけているのに気がついてはっとする。

 みさちゃんはすでに焼酎まで入っていて、ほろ酔いでケラケラ笑っている。ペースが早いが、大丈夫だろうか。

 ふと視線を流すと、目が合った上原くんが口元を緩める。その笑顔が妙にあどけなくて、なんだかまともに見ていられない。

 わたしは空を見上げる。青い花火が打ち上がっていた。


「そういえば、昔さあ、あれは炎色反応でリチウムが赤とかなんとかぶつぶつ言い出した奴がいたんだけどさ、エネルギーとか分子軌道が云々言い出したのには参ったな。どうでもいいって。チョーイタい」


 みさちゃんがぼそっと呟く。同じような経験はあったけれど、当時はマナーだと思って黙って聞いていたわたしは苦笑いをする。


「やっぱりイタイのかあれって」


 とぼそっと呟く上原くんにわたしが首を傾げたとき、


「その花火、一体、誰と行ったんすかね」


 ようやく良平さんが到着した。不満気な顔にみさちゃんが「げっ」と口を押さえる。

 きっと元カレとかそういうことなのだろうけれど、だからといって喧嘩になるという様子ではない。

 えへへ、とごまかし笑いをしながら、みさちゃんはビールでわかりやすく媚びを売る。良平さんもそれでサラッと流してしまうらしい。不機嫌さはもう微塵もなかった。


 うわあ……すごい。


 きっと今は絶対ないと思っているからこそのことだ。信頼関係が垣間見えて、わたしは羨ましくなった。

 自分だったら、そんな些細な隠し事だけでもごまかしきれないだろうし、拓巳だったら、きっと過去の男の影を見つけるなり、どこまでも追及しそうだと思ったのだった。


「ってかさあ、一番距離は近いのに着くのは一番最後とか。貧乏くじ引きまくり」


 座ったとたんに良平さんの缶ビールは空になる。どうやら夫婦で酒豪らしく、次々に缶が空いていくが、この暑さだからわたしも気持ちはわかる。

 良平さんはぽん、とたこ焼きをシートの真ん中に置き、「なんでここ博多物産展みたいになってんの?」と首を傾げる。そうしながらもたこ焼きを口いっぱいに頬張ると、大きな音を合図のように楽しげに空を見上げた。

 美味しそうにものを食べるのは兄弟でそっくりだ、と思ってちらりと見ると、上原くんと目が合った。


 また?


 と思いかけて、はっとする。

 彼は花火を見ずにを見ていた。

 なぜ何度も目が合うのか。その理由に気がついたわたしは、じわじわと目を見開いた。

 彼は目を逸らさない。真っ直ぐな視線が心に刺さる。心の中をどんどん覗きこまれるような心地がして、目を逸らしたいのに、逸らせなかった。

 心臓が暴れ続けてだんだん息ができなくなる。そして、その真っ直ぐな眼差しに古い記憶が触発されて浮かび上がる。

 そうだ。あの時も、彼はこんな顔をしていたのだ。


『おれと、付き合ってくれない?』


 高校生の頃の上原くんが、まるで今言ったかのように耳元でささやく。

 わたしが体の中に溜め込める熱の許容値は既に限界が近く、今にも振りきれそうだった。


「――ふうん?」


 良平さんの声で我に返って、わたしはようやく上原くんを視界から追い出す事ができた。

 良平さんは、何だが面白そうにわたしと上原くんを交互に見る。気になって見ると、上原くんは少し気まずそうにしていた。


 そのとき、どおん、と一際大きな花火が打ち上げられた。

 金色の火花が闇に溶けていく。皆、名残惜しそうに眺めている。

 もう終わりかな? 最後だったかな? そんな言葉が周囲に溢れだした頃、よっこらせ、と良平さんがブルーシートから立ち上がった。


「みさ、帰るっすよ」

「ええー? もう?」


 みさちゃんが膨れている。


「サッサと出ないと混むんだから文句言わない。明日約束あるんだろーが」


 良平さんがみさちゃんの頬を突く。


「あ、そうだ。さくらんとことで赤ちゃん見せてもらうんだった」


 みさちゃんはふくらんだ頬をすぐに戻す。そしてえへへと可愛らしく笑うと良平さんにつづいて立ち上がった。

 多分、良平さんが来てから、わたしのことを忘れてしまっている。しょうが無いとは思う。――だって新婚ですから!

 だけどね、だけど――ちょっと待って!

 わたしは背中の上原くんを気にしながら、口をパクパクさせる。

 いや、みさちゃん、じゃあわたしはこれからどうすればいいわけ!!

 縋るように見ていると、みさちゃんはようやくわたしのことを思い出したらしい。


「あ、加奈子ちゃん、これからどうする?」

「か、帰る。一緒に帰るよ!」


 だが、みさちゃんはうーんと唸る。


「でも、うちってここからだと徒歩のほうが近いんだよね……駅とはちょっと反対方向なんだよ」

「そ、そうなの?」

「うん、りょーへいの会社の近くのマンション買ったんだよね」


 みさちゃんは破顔したあと、ふとわたしの後ろに目線を流す。

 せり上がる嫌な予感に彼女を遮ろうとしたけれど、一瞬遅かった。みさちゃんは上目遣いのおねだりモードで上原くんに言ったのだ。


「あのー、瑞樹さん。加奈子ちゃん駅まで送って下さいますかぁ?」


 そして嫌な予感は的中する。

 上原くんはなんの屈託もない顔で、みさちゃんに「いいよ」とあっさりうなずいたあと、いたずらが成功したような顔でわたしにニッと笑いかけたのだった。



 ***



「さあて。――駅までって言ってたけど」


 花火の熱がまだ焼き付いたままのような、熱っぽい目で見つめられて、わたしは怯んだ。

 眼差しに触発されて、むくむくと不安が膨れる。だって、花火大会のあとなんて、お持ち帰りにはこれ以上無いシチュエーションだ。

 ただでさえ真夏の空気には開放感がある。雰囲気もあるし、多少お酒も入っている。浮気心が動く気持ちも分からないではない。

 だけど少しホッとする。今日は、きっとホテルは満室だ。連れ込もうとしてもできるわけがない。そもそも駅までの道のりにはビジネスホテルさえもないのだ。天神や中洲あたりで降りずに家まで直行すれば、なんの危険もない。

 計算しつつ身構えるわたしに、上原くんはニッと笑った。


「おれ、車なんだよな。荷物多かったから」


 そう言うと彼は足元のクーラーボックスを指差した。そう言われてみればそうだ。あれだけたくさんの飲み物、男の人でも電車では運べない。

 だが、わたしはハッとする。


「え、でも上原くん、ビール飲んでたよね!?」


 ということは飲酒運転だ! わたしは叱る。


「運転、だめだよね!?」

「いや、おれ、ノンアルコールビールしか飲んでないし」

「え、あれそうなの? そうだった?」

「ん」


 断る理由を無くし、わたしは焦る。車にはまた別の危険が潜んでいる。


「ちょうどいいから――」


 さすがに車に乗るのはまずい。危なすぎる――わたしはとっさに断りの言葉で遮った。


「行きません!」

「長浜でラーメンでも食べて帰るか?」


 だが、上原くんの言葉が被さり、わたしは唖然とする。


「ら、らーめん?」

「豚骨ラーメン。本場のやつはしばらく食べてないだろ?」


 拍子抜けした直後、自意識過剰に気づいて自分をげんこつで殴りたくなった。

 雰囲気に呑まれているのは、わたし一人。頬に朱が走るのがわかる。わたしったら――なに考えてるの!?


「何を、、誤解したんだろうな」


 あわあわと口をおさえるわたしに上原くんが噴き出す。

 羞恥の中に安堵。そして落胆がわずかにだけど混じっている。

 交じり合った複雑な心境までも全部読まれている気がして仕方がない。

 愉快そうな上原くんを見ていると、あえて溜めを作って勘違いさせたんじゃないかと思えた。そして反応を楽しんでいるのではないかと。

 考えると久々の豚骨ラーメンの誘惑にもなびけないくらいに腹が立ってくる。


「行かないよ。電車で帰ります!」

「あっそ。じゃあしょうがない」


 相変わらず引き止めもしない上原くん。わたしは馬鹿にされている気になってきた。もう我慢の限界だ――そう思ったとたん、疑念と不満が口から吹き出す。


「なんで? こうして花火大会で一緒になること、企んできたんだよね? みさちゃんまで巻き込んで。なのに、どうしてそこで引いちゃうの?」

「べつに企んでないし」

「うそ」

「じゃあ、あんたのお望み通り、ホテルにでも連れ込めば満足?」

「望んでないし! ……やっぱりそういう下心あったんだ?」


 睨むと上原くんはため息を吐く。


「……。単に、あんたが喜ぶ顔を見たかった――っていう下心でも許されない?」


 傷ついたような顔にわたしは目を見開いた。


「みさちゃんを使ったのは悪かった。だけど花火、見たかったんだろ。楽しくなかったか?」


 問われて気がつく。今日、わたしは楽しかった。でも上原くんに直接誘われれば、絶対に行かなかった。諦めていた。

 だから上原くんは、あえて直接誘わずに、わたしが出かけやすいようにみさちゃん経由でのだ。


 わたし、勝手に警戒して――なんて自意識過剰。なんて恩知らず。最低だ。

 自己嫌悪で打ちのめされ、地面に埋まりたくなる。謝罪の言葉を探していると、上原くんは自嘲気味に笑う。


「あんたが気に病むことじゃない。おれにだって多少はあんたが言うような下心、あったし、さ」

「でも――」


 実行はしなかったし、彼はきっとこれからも以前宣言したとおりに、友人のラインを守ってくれると思った。

 思い返してみても、彼はわたしの本当に嫌がることは決してしなかった。そして、これからもわたしを尊重してくれる。

 知ってしまったら最後な気がして――必死で目をそらしていたけれど、彼がそういう人だとわかっていたはずだった。

 なのに、わたしはこんなふうに一方的に彼を詰った。何様だ。そう思う。恥ずかしくて、死んでしまいたい。

 彼が作ってくれていた、同級生という居心地の良い関係ががらがらと崩れていくのがわかって、わたしはさきほどの暴言を叩き潰したくなった。


「真面目なあんたには、いろいろハードル高すぎたみたいだな。すまなかった。――いいよ。じゃあ、ここでバイバイで」


 上原くんはそう言うと、わたしに背を向けて駅の階段を降り始める。


 まって。

 待って! 


 わたしはすさまじい焦燥感に駆られる。だって、ここでさよならしたら、もう次はない。二度と会えない。それがわかってしまったのだ。


「待って!」


 わたしは一歩階段を降りようとする。だが、それは上手く行かなかった。慣れない下駄を上手く操れずに足を踏み外したのだ。

 小さな悲鳴に上原くんが振り返ると、慌てて階段を駆け上がる。


「加奈子!」


 彼が叫んだのと同時だった。わたしは上原くんの胸の中にしっかりと抱きとめられていた。



 ***



 数分後。わたしは、借りてきた猫のようになって上原くんの車の助手席にいた。愚かにも足をくじいてしまって、自力で帰れなくなってしまったせいだった。


 渋滞中の国道を走る車の中には会話はなく、気まずい沈黙をFMラジオがかろうじて和らげてくれていた。

 だが雰囲気の良いバラードは、この車内にはふさわしくない。落ち着かない気持ちで外を見る。花火が終わった今、外は暗いし、あたりは車ばかり。見るべきところがない。

 手に汗をかいている理由は知っていた。一瞬抱き合っただけ。

 それだけなのに、体にはすさまじい変化が訪れている。化学変化ってこんなだろうかと思えるくらいに。

 背中は彼の腕の強さを覚えてしまったし、頬には彼の胸の硬さが残っている。

 胸の音が早い。のどが渇いてしかたがないのは一体何なのだろう。

 花火の熱が体のそこかしこでくすぶっている。そんな感じだった。

 飲み過ぎたのかも?

 そんな風にごまかしてみるけれど、限界だった。

 あの時。上原くんを追いかけてしまったせいで、もう、自分の心から目を逸らせなかった。


 ろくな会話もないままに車は進み、やがて国道から外れた。バイパスを通り、踏切を超えて、下道に出る。一気に車が減り、車内がより静かになった。

 さらに車は、ダムのそばを通るルートを行く。ここを抜けたら、家までもう少し。近道だと知っていても、人気ひとけの無さは心拍数を上げる。

 どくどくという音が車内に響いている気がして、FMの音量を上げたくなった。上原くんにこの音が聞こえないように。

 気がつくと、喉はカラカラだった。喉を密かに鳴らすと、上原くんは耳ざとく聞きつけて言った。


「後ろ、まだビールとかジュースとか残ってるけど」


 家まではあと少しだったけれど、わたしはひりつく喉に耐えきれずに、クーラーボックスに手を伸ばそうとする。だが、後部座席に置かれたそれには手が届かなかった。

 上原くんが路肩に車を止める。住宅街はすでに抜けてダムのそばまで来ていた。街灯はなく、あたりは真っ暗だった。車を降りようとする上原くんを制止する。


「わたし、自分で取るから」

 

 シートベルトを外して、後ろに身を乗り出すとお茶を取り出した。少しぬるくなっていたけれど、乾ききったわたしの身体は驚くほどすばやく水分を吸収した。

 飲んでも飲んでも、乾きが取れない。おかしい。まるで、欲しいのはこれではない、と身体が言っているようだった。


 ペットボトルが空になる。彼はどこか上の空でエンジンを掛けた。

 だが出発はしない。沈黙は今までにないくらいに重い。

 上原くんは小さくため息を吐く。わたしが視線を追う間に、彼は助手席側のシートベルトに手を伸ばす。

 意外に大きな体だと先ほど知った。それがわたしの体の上に覆いかぶさる。

 上原くんにはきっと他意はないのだろう。シートベルトをしてくれているだけ。

 だけど、普段の上原くんなら、前みたいに「シートベルト」と促したと思った。

 わたしだって、普段なら、自分ですると言えたはずだった。

 どうかしてる。そう思うのに、わたしの喉からは拒絶の言葉は出ない。代わりに縋るように近づく彼を見つめてしまう。

 だから、目が合うのは必然だった。

 直後、どちらからともなく唇が近づき、触れ合う。

 柔らかい感触が自分に移ると――


 干上がった喉がもっとと叫んだ。

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