リノがアイドルを目指す理由

「それじゃ、ウチらもう行くね」

「うん、お見舞いありがと。また学校でね」


 リノは病室を訪れた級友に手を振り、その姿を見送った。

 バタン、と扉の閉まる音が一人きりの部屋でいやに響く。リノは振っていた手をぽとりと白いシーツの上に落とした。


「また一人になっちゃった」


 生来、天羽リノは身体が弱い少女であった。高熱にうなされることも珍しくなかった彼女は、高校一年生となる夏に、とうとう入院する運びとなった。

 入院から数か月目となる今日は久しぶりにクラスメイトと歓談に興じることが出来たが、それでもリノの寂しさは拭えなかった。共働きの両親とは週末にしか顔を合わせることが出来ず、平日は日がな一日ベッドで横たわる生活。床擦れと発熱と寂寥感に苛まれるリノは徐々に痩せ細り、溌剌かつ美少女然とした姿は鳴りを潜めていた。



 ◆



「ねえ先生、散歩してきてもいい?」

「そうですね、天羽さんの体調も安定していますし、たまにはいいんじゃないですか。ただし────」


 移動は病院の敷地内だけ、一時間以内に戻ってくる、連絡用の携帯端末を手放さない、等々といった制限を設けられたが、リノは十分満足していた。

 ニット帽とマスクを着け、リノは手配された車椅子を操作して病院の中庭へと出ることにした。

 空は生憎の曇天模様。人影は少ない。吹き抜ける北風に身を竦ませるが、リノは幾分か憑き物が取れたような清々しい顔をしていた。車椅子からベンチへと移り、道中の自動販売機で購入した缶ココアをずずっと啜る。


「すみません、おとなり良いですか」

「え、ええ」


 横合いからかけられた声にリノはドキリと心臓を撥ねさせる。リノは咄嗟に返事をしてしまったが、あまり人を近づけたい気分ではなかった。

 場所を変えようと腰を浮かせ、隣に座ってきた人物を一瞥したところで、リノの身体は固まった。


(綺麗な人……)


 濡れ羽色の長髪と儚げに伏せられた瞳。薄桃色の唇は、ちびちびとコーヒーを啄んでいる。チークなのか熱なのか、染まった頬は色気を感じさせる。

 いつの間にかリノの腰は元の位置へと重心を戻していた。

 黒髪の少女も視線に気が付いたのか、リノとばっちり目が合った。


「……?」

「あ、ごめんなさい。不躾に見ちゃって」

「いえ、こちらこそ突然お隣に失礼してしまって、申し訳ないです」

「いえいえ」


 二人の掛け合いは妙なところから始まり、長続きすることもなく終わりを迎えた。

 暫く飲み物を啜る音だけが響く中庭。

 静寂を破ったのはリノだった。


「えっと、お姉さんはどうしてここに?」

「私ですか。今日は父の見舞いに来ました。酔っぱらって階段で転んじゃったらしくって、まったくお恥ずかしい限りで……」

「あははー、それは災難でしたね」


 少女は冗談めかして笑うが、言葉の端々に家族を心配する感情が見て取れる。

 リノは相槌を入れつつ、世間話を始めた。つい先ほどまでは「人を近づけたくない」などと考えていたが、無意識のうちにリノは少女を引き留めようとしていた。

 後にリノは、この出来事を「一目ぼれ」と評した。


「お姉さんは普段、何してる人なんですか?」

「えっと、実はアイドルしてます……まだ駆け出しですけどね」

「アイドル! すごい! 持ち歌とかあったりするんですか!?」

「あはは……まだ駆け出しなので」

「────あ、す、すみません!」


 一人で盛り上がるリノはハッと我に返る。初対面なのに興奮のあまり出しゃばってしまった、とマスクの下を赤らめて身を小さくした。

 そんなリノの姿を見て、少女はクスッと笑みを漏らした。


「自分の曲とかは無いですが、ちょっとしたパフォーマンスくらいはできますよ。見ます?」

「い、いいんですか?」

「はい、もちろん」


 少女はコーヒー缶を置き、トレンチコートを脱いだ。大きく三つほど歩みを進め、くるりとリノの方へ振り返った。


「はじめまして、エリナです! 今日はライブに来てくれてありがとう!」

「────っ!!」

「私のファーストライブ! 盛り上がってこー! それじゃあ早速一曲目────!」


 寒風が抜ける病院の中庭。二人だけの世界で、リノは確かにライブ会場を幻視した。


 ポピュラー音楽のアカペラの歌唱はリノの心を弾ませる。

 華麗なステップはリノの血潮をたぎらせる。


「すごい……」


 気づくとリノは眦から雫を零していた。

 見る者が見ればエリナのパフォーマンスは二流もいいところだろう。駆け出しの名にふさわしく、技術は拙いものだった。

 しかし、リノには確かに届いていた。エリナの気迫、思いやり、笑顔。

 リノは刹那の内に察する。エリナは自分を励まそうとしてくれているのだと。


 その想いはリノの人生を大きく変えた。


「ありがとうございましたー!」


 エリナが歌い終わり、笑顔でお辞儀をする。

 リノは震える足で立ち上がる。スタンディングオベーション。持てる力のすべてを振り絞ってリノは拍手を送った。

 エリナは照れ臭そうに頬を掻くと、ハッとした表情をした。


「すみません、私もう行かなくちゃ!」


 エリナは何かを思い出したのかトレンチコートを着込むと、コーヒーを一気に呷る。病棟の外壁にかけられた時計を確認すると、リノとエリナが出会ってから三十分は経とうとしていた。

 エリナはバタバタとした様子で荷物をまとめ、その場を離れようとした。


「あ、あの……お名前! 訊いてもいいですか!」


 リノは声を絞り出す。

 エリナは一瞬動きを止め、リノの顔を見つめる。そして、眩いほどの笑みを見せた。


「私の名前はエリナです。世界を笑顔にできるようなアイドル目指してます!」


 ◇


「ふんふん、ふーん♪」

「天羽さん最近ご機嫌ですね。いいことでもありました?」

「あ、わかります~?」


 エリナとの邂逅から数日後。リノはすっかりエリナのファンとなっていた。動画サイトやブログ、SNSを通じてエリナを追いかける。


 そして、リノはとある夢を描くようになっていた。


「あ、今度イベントがあるんだ……ねえ先生、リノの容態が劇的に良くなるクスリとかない?」

「それがあればとうに処方してますよ。ゆっくりですが快方に向かっていますし、慌てる必要はないでしょう」

「それって、どのくらいで治るんですか」

「うーん……退院だけなら一年ほどですね」

「完治は?」

「通院しながらの薬の服用で三年ほどでしょうか」

「三年って…………」


 ────────遅い、遅すぎる。


 リノは小さく唇を噛むと、俯いた。


「あの、相談したいことがあるんですけど────」






「この病気、手術で治るんですよね」


 場所はリノの病室。リノの言葉に担当医とリノの両親は驚きを見せる。


「どこでそれを……」

「自分で調べました。体への負担が大きいこととか、リハビリがキツイとか、承知の上でお願いします。この身体を治してください」

「しかし、内服薬で回復が見られますし────」

「時間がないんです。三年も待てません」

「リノ、何かあったの?」


 リノの両親は突然の娘の申し出に不安な面持ちをする。

 リノは彼らへ向き直り、真摯に見つめ返した。


「夢が出来たの。リノ、アイドルになりたい」

「ア…………イドル?」


 娘の言葉に両親は放心するしかない。

 いち早く気を持ち直した父が口を開いた。


「ま、まあリノがなりたいのなら僕たちは止めないが……それは薬で病気を治してからでも────」

「ううん、それだと遅いの。勝負をするなら今からしないと。無理を言っているのはわかってる。リスクも承知してるし、お金の負担をパパとママに強いるのも理解したうえで────────」


 リノは車椅子から立ち上がり、ゆっくりと膝を着く。その場にいた誰もが止めようとしたが、既にリノの額はリノリウムの床材につけられていた。


「この通りです。お願いしますっ!」






 結果的に、リノの手術は行われた。綿密な話し合いの上で行われた外科的処置は無事成功。

 しかし、リノの地獄は手術の後にやってくる。


「う、ギ、アアアアアァァッ」


 手術痕を苛む痛み、筋力の低下により四肢を思うように動かせないもどかしさ。こうなることが理解できていたとしても、十六の少女には耐えがたい苦痛であった。


「ハァっ、ハァ……っ」


 こんなとき、リノは決まってエリナのことを思い出す。あの日から願ってしまった夢を見る。

 エリナにとってはきっと何気ない日常の一片だっただろう。もうリノのことを覚えてすらいないかもしれない。でも、確かにリノは救われたのだ。俯きがちだった人生を変えたいと思えるほど、歌と踊りに心を揺さぶられた。


 ────単純な動機だ。自分が元気を貰ったから、自分も彼女みたいに人々の希望になりたいだなんて。子どもみたいな発想だ。自分で自分が嫌になる。こんなに苦しい思いをしてまで欲したものが叶うかどうかも分からない希望だなんて。


「お願い……勇気をちょうだい…………エリナぁ────────」


 この苦境を乗り越え完治を迎えたのは約一年後。リノが十七歳になってすぐのことだった。


「やっと、やっとスタートラインに立てた……!」


 リノは両親に頭を下げ、ダンススクールと歌の教室に通うことになった。

 血のにじむような努力を毎日続けた。リノは高校を中退し、通信制の学校へ転校した。かつて見舞いに来てくれた級友たちとは疎遠になった。

 リノは強い少女ではない。苦しくて悔しくて、潰れそうになる日もあった。

 自分を追い込み続けるリノを一番近くで支えたのは彼女の両親だ。資金を工面し、体調管理にも気を配った。リノが泣き崩れた時はそっと抱きしめ、新しい技術を身に着けるたびに頭を撫でて褒めた。


 この後に『天才美少女リノ』と絶賛される彼女は決して『天才』の一言で片づけていいものではない。彼女は『努力』の人だ。そして、そんな彼女を応援し続けた周囲の協力があってこそ『トップアイドル・リノ』は生まれた。


 ◇


 アイドルになるための特訓を始めてから一年が経つ頃、彼女はプロの世界で通用するだけの技術を身に着けていた。

 オーディションの日。すっかりお守りの様になったエリナの写真を胸の前で握りしめる。


「力を貸して、エリナ」


 脚の震えが止まらない。

 この二年間、辛酸を舐め続けた。失うものも多くあった。

 得られたものは少なくて、この機会を逃すと全てが水泡に帰す可能性だって否めない。


 ────────前だけ見ていればいい。自分の努力を信じろ。


 シッ、と鋭く息を吐いた。


「世界を笑顔にするアイドル、天羽リノ。リノが笑えてなくて、どうする」


 ニッ、と白い歯をのぞかせる。鏡で顔を見るとあまりにも不自然で、思わず可笑しくなってしまう。

 いつのまにか体の震えは収まっていた。


「恐れることは何もない。だよね、エリナ」


 リノは大きな一歩を踏み出し────────


 ◆


「うん、うん、近々そっちに帰るね。うん、紹介したい人がいて────ってパパ!? いきなり怒鳴ってどうしたの……ああ、違う、そういうのじゃなくて、いやそうなんだけど、大丈夫、うん、うん、はーい」


 リノは雑に電話を切る。どれだけ忙しい日であっても、彼女は毎日欠かさず実家へ電話をかけるのだ。

 リノのやり取りをベッドで聞いていたエリナは上体を起こし、その胸元を純白のシーツで隠した。


「ご両親、なんて言ってた?」

「来週の土曜日ならパパもママも家にいるって。挨拶に行っても大丈夫そう」

「き、緊張する。この前の十万人ライブより緊張する」

「あはは、もしダメなら駆け落ちする?」

「しないよ!? しないけど……認めてもらえるように努力する」

「先にリノがエリナの親御さんに挨拶してもいいんだよ?」

「それは嫌だ!」

「なにそれ、変な所で頑固だなー」


 リノはバスローブをするりと落とすと、一糸纏わぬ姿でエリナと同じベッドへと潜り込んだ。

 ピタリと張り付いた肌同士で熱を交換し合う。


「ま、来週の話は来週ね。まずは明後日のライブに備えて体調整えなきゃ」

「う、うん。おやすみなさいリノちゃん」

「おやすみエリナ」


 軽い口づけを交わし、二人は眠りへと落ちる。




 毎夜、夢の中でリノはステージに上がる。


 ────────皆を笑顔にできていますか。


 この願いは終わらない。

 その歌声を、想いを世界に届けるまで、彼女は────彼女たちは歩みを止めないだろう。

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二人組アイドルユニットの片割れが相方に劣等感やらなんやら抱いていたけれど紆余曲折の末にハッピーエンドになる百合 虹星まいる @Klarheit_Lily

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