Chapter 2: ボロンの日常

 見上げると産まれたばかりの雛鳥の殻のように、四方から街を不規則に覆う鼠色の洞窟の天井。苔や蔦が見える。金属の骨格で出来た駅の屋根がその真下で聳え立つ。


 沢山の煙突から蒸気が出ている。空気は澄んでなく、街特有のツンとした匂いが漂う。都会の生暖かい空気は決して心地よいと思うものではなかったけれどーー




 ここにも風がある。




 風を受け、駅の屋根のアイボリー色のパネルが時々カタカタカタと動き、プロペラが回る。



 目を覆うその手にはめた指輪が赤く光る。憧れていたここボロンへの通行券。魔法封じの指輪。





 ーーずっと不思議だった。


 何故、ボロンでは個人での魔法使用が禁止されている事ーー




 自分で確かめないと分からなかった。


 別にこの指輪から私の魔力が吸い取られている感じはない。ワインの栓のようにただ止められているだけ。



「一つの仮説はやはり違ったね」



 フォルンでは噂が流れていた。観光客の魔力を吸い取りそれをボロンの原動力にしている。それを信じた者もいた。



「魔法が使えない理由ができた?その方の可能性があるかな……」




 私の祖父は主に時計や機械を扱う商人だったが、色々な事を知っていた。いつも笑顔で教えてくれた。


 ただ、時々満月もない静かな夜に南東の山の方を向きながら、ちびちびとお酒を飲んでいた。その時、隣には誰もいないのに置かれていたもう一つのお酒のコップ。




 小さい私にはそれは誰のためだったのか分からなかった。その為、水だと思って口にしてしまった。初めての酒の熱い味の驚きですぐに出した私と慌てた祖父。あの時、庭には蛍が舞い始めていた。



『アンジェラは大人になってから』



 答えてくれなかったけど、あの時の祖父の目線は私ではなく、奥深いオブディアンにある……そんな気がした。





 ガスランプからぶら下がる道路識を見る。こちらの方であっているかな?私の足は石畳の上を進む。



 荷物は駅から叔父の所へ先に送った。100シェルの硬貨一枚毎に5分間自動的に動く蜘蛛型の機械が宅配してくれた。200シェルで新聞が買える値段なので、600シェルで送れたのはかなり経済的だったかもしれない。向こうに立つ大きな時計台の時刻を確認する。夕方まで叔父は忙しいと聞いていたので、まだ沢山の時間がある。ポケットに入れていた地図を広げた。



 観光客がする事第一位:



 私は、赤い丸が書かれた地図に指をさした。



「まずは、ここのフレッズパンケーキ!」



 ♾♾♾




 カツン カツン



 うっぷ。食べ過ぎちゃった……



 駅の観光案内所に教えもらったボロン名物のパンケーキは、ふわふわでバターの香りがたっぷり。そして、その上からかけた黄金色の蜜がとろーりと端から落ちる。ほっぺたが落ちる程美味しかったけど、流石に五枚は多すぎでした。


 革靴の木の底が地面に触れるごとに金属音が鳴り響く。度々、スーツ姿や異国調の服の人々とすれ違い、たち篭る水蒸気の中を行く。螺旋状の外階段を登り、ドアを開けると、フェンス以外何もない木製の床の屋上に到着。


 屋上の中心部分に不器用に刺さったパイプがあった。そこからぶら下がったサインが唯一、ここがバス停だと私に伝えた。丁寧な様で何故か不規則。ここ全てに作り手の手作り感がある。



 空を見上げると機械が無数に飛び、鯨に見えるものや蜘蛛、鳥などが動いていた。



 フュルルル


 シュッシュッ


 グイーン グイーン



 ここでは、故郷であるフォルン王国のアラスクスでは決して見かけない機械が沢山あった。赤銅やブロンズ色のパイプが動き、水蒸気が出るとガタンガタンと動き出す魚や昆虫の形をした乗り物。形は様々だけど、規則的な動きはしていた。時々差し込む太陽の光が、キラリとその側面を黄色く光らせる。



 近くには数名がベンチに座りバスを待っていた中、ドワーフの親子がいた。


「ママ。あれちょうだい!」

「ダメよ、モモ。後、もう少しだから待ってなさい」

「ママ、バスはまだかな……」

「そうね。もうすぐだから待ってね」母親は小さな女の子にせがまれて小さな赤い絵本を取り出し、読み出した。私は、フォルンにもある光景で思わず微笑んだ。


「むかしむかしあるところに、魔王がいました」


 ここでも魔王は普通の童話の主人公として紹介されていた。フォルンでは魔王や魔獣は悪の象徴。善は勇者など対抗する人々だった。魔王や竜などの大きな魔獣は倒されておしまい。姫は助かり、冒険者と結婚。めでたし。めでたし。



「ある日、魔王は腹ペコでした。大きなカステラは出来ないかとお友達の人間の王様と相談し、火炎砲で竜の卵の生地を焼きました。それは大きな、大きな黄色いカステラでした」




 あれ?何かが根本的に間違っているような気がする。



「ママ!モモも食べたい! モモより大きなカステラ!」

「そうね。でも、竜は保護されているから、エルルクの卵で小さめのカステラを今度作ってみましょうね」

「うん!」



 プシューッ



 水蒸気が漏れる音が出て、あんこうの形のバスが横に止まる。先からぶら下がる緑色のライトは停まると赤に変わる。先程から周りを行き交うあの色々な形の機械にもあったが、側面に露出した掌の大きさの魔石が光る。ドアが右からスライドして開く。運転手は、青眼の黄土色の土で出来たゴーレムだった。運転手から低い声が出ると思ったら、鈴のように高い声が聞こえた。



「はい、急がず慌てず乗っても大丈夫だよ。後130.05秒あるからね」

「バロン商会までお願いします」

「405シェル。6ストップ目」


 運転手が窓付近にある深緑のボックスを人差し指かもしれない物でさす。私は銀と赤銅色の硬貨を入れると、穴が空いた黄色のチケットが出てきた。そして、中央付近の赤紫色のクッションがついている座席に座った。見た目より少し固めだったが、ひんやりとした木の椅子に直接座るより座り心地は良い。


「次ーー!」

「ピペットベーカリー」

 ドワーフの女の子が言った。


「150シェル。母さんと買い物か?」

「うん!」

「次ーー!」


「環境省」

「590シェル。お父さんにお届けものか?」

「まぁ、そんなもんだ」

「次ーー!」


 あの親子が奥の方に座る。他にも数人いたが、あまり混んではいない。


 ガタガタガタガタン


 ギュイーン


 木枠の窓から下を見ると金属製の脚が出た事がわかった。カニの様に節がある。意外と振動はあまり伝わらないけど、前より上昇していた。


 本当に不思議。汽車でも見たのに、いまだに不思議。機械であるのに、魔石で動くこの乗り物。洞窟に住む大きな魔獣や壁から当たり前の様に取れる魔石にもこの様な使い道があるとは誰が思いついたのかな。



 行き交う機械。



 しかし、バロン商会に行く事は私を憂鬱な気分にした。今まで考える事も避けていた事。心配性の叔父だから、きっと知らない誰かとの縁談を勧めに来るだろう。


 私は、深いため息をついた。



 ふと、私はバスが動いていないのが気づいた。



「十数台数台前に衝突事故があったので、渋滞しています」

 運転手の声が聞こえた。



 キーーーーン


 何なの?この耳鳴りは?


 キョロキョロと周りを見ても気づいている人はいなかった。私だけだった。



 何か嫌な予感がした。



『魔石が壊れるとどうなると思うか、アンジェラ?』祖父が言った。


『ヒビが入るの?』


『違うな。魔石は、高圧力で固まった魔力だから、一つでも亀裂が入ると……』



 ーー魔力暴走ーー



 爆発。前兆は甲高い音と祖父が言っていた。




 私は立ち上がり、運転席に行った。


「あのーー魔石から魔力が漏れているかもしれないので、ここから離れられますか?」

「大丈夫ですよ。ボロンで使う魔石は殆どバロン商会のお墨付きですから」



 えっ?叔父の?それだったら、尚更黙っていられない!



「私を降ろして!何とかするから、ここから出させて!」

「困りましたね。それは出来ませんよ。お客さん。停留所まで待たないと」




 キーーーーン




 音がさらに大きくなった。魔法が使えない。指輪が全然外れない。


「お願い!」


 何がお淑やかよ!何が魔法無効化よ!


 私は、ドアを蹴り倒そうと足に力を入れた。すると、気分が悪くなって……



「うっ」



 窓にギリギリ間に合いました。


 ごめんなさい。パンケーキさん……



 ガチャン クリック クリック 



「一人で盛り上がっている所、申し訳ないが」


 声で振り返ると、同年ぐらいの黒髪の男の子がバスの真ん中で立っていた。焦げ茶色のキャスケットにブロンズ色のゴーグルをのせ、彼の手袋を嵌めた手には大きな金属の筒があった。歯車が無数あり、オレンジ色の魔石が埋め込まれたそれには羅針盤の様な部品がついていた。



「窓、開けるぞ」



 ぶわっと生暖かい風が入って来た。彼は慣れた手つきでヒョイっと窓枠から顔を出し、顔を傾け、カチャンと音とともに出てきたスコープを覗き込んだ。魔石が一瞬光ったと思うとそれを撃った。




 ドーーーーーン





 筒状なものが飛んだと思と、透明な緑色の巨大スライムが突然空中に現れ、ぱくっと数台前を飲み込み、ぺっぺっと乗り物や人を不味そうに吐き出していった。



 えぇっ?!



 人々は、叫びながら下の方に張ってある白い網に落ちていった。


 一方彼は、外の様子を見る事もなく、煙があがる筒をふっと吹くと窓を閉め、筒を黒いバッグにしまい、平然と席に座った。



 スライムは、ついに事故車両を飲み込むとプルプルと震えた。空中に飛び、次の瞬間、スライムが青く光り、爆発した。



 青緑色のスライムの破片が窓にべちゃっとへばりつき、ダラーと垂れた。赤色だったら、ホラーだ。



 ゴーレムは何も無かったようにワイパーでスライムの破片を落とした。そして、バスがまた動き出した。



「……」



 誰も騒いでない。これが当たり前なボロンでの日常。私は、何もできなかった。



 私の緑眼と先ほどの男の子の眼があった。ルビーと言っても不思議ではない透き通った紅色。そして彼ははっきりと、間違えなく私にこう言った。




「帰ったらどうか? ゲロ女」

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