Chapter 1: 色々な黒

 ガタン ゴトン





 色が変わる





 菜種畑が広がるフォルンの黄緑色の田舎風景から、まだ上が白いアペロン山脈を通り抜け、赤い煉瓦造りの街並みに差し掛かった。淡い桃色の霧が立ち込める林の外れにいた鹿の群れは、徐々に歩行者に変わって行く。




 灰色




 違う客室で誰かが窓を閉め忘れたのか汽車の煙の匂いが微かにし、列車の振動が上の荷物にも伝わる。誰かが通路を走る。子供の笑い声が聞こえる。





 そう。あれから十年も経った。




 私はガラス越しに外を眺める。反射から見える自分の赤毛は、三つ編みに結ってあり、右肩から胸まで垂れている。少しあどけなさが残る緑目の十四歳の女の子が見つめ返す。全体的にややシンプルだけど、袖や膝下に刺繍が入った赤茶色のドレスは新しく、まだシワもあまりない。


 最近、この様な服が都会で流行っていると叔父が送ってくれたが、似合っているかな?



 汽車は地下に潜り出し、空が徐々に遠くなっていく。



 フォルンから北西の位置にあるボロンは地下都市でもあり、共和国でもある。地図では一見小さいが、奥深く、エヴォン大陸深層まで広がっているらしい。伝承によればオブディアンはその下層に位置する。





 景色が、黒に変わり……



  ……自分の鼓動が速くなる。





 胸にそっと手を当てる。


 静まれ。静まれ。と、自分に言い聞かせる。




 うん、無理みたい。




 だって、立ち上がって馬鹿みたいに叫びたいから。やっと、やっとボロンに行けるのだよ?




 ワクワクしていた私はきっと年齢より幼い子供に見えたのだろう。向かいに座っていたとあるおばあさんが、クスッと笑っていた。途端、私は耳まで熱くなるのを感じ、座り直す。『あくまでも目立たないように』とボロンの叔父さんが書いていた事を思い出す。箱にしまった帽子を顎までかぶりたい。



 私はフォルンから一晩汽車に揺られ、隣国のボロンで商会を経営している叔父の元に行く。あの書き方だと私が何をしでかすか、おじいさんを通して察していたのかもしれない。



「もう、私のバカ……」

 私は呟く。綺麗な服を着ても、見た目だけ。決して裕福ではない家庭で育った私にはそれに似合った行動は出来ないと半分思う。




 客室の緑の木製のドアがガラガラと音と一緒に開き、駅員らしき人物が覗き込む。背が低く、茶色のちょび髭を生やした若い男性だった。その人の後ろにはもう一人……子供位に背が低い。朱色の紐を首からぶら下げ、胸辺りにテーブルの様に箱を広げていた。



「後、数百ベリルで国境に差し掛かります」



 その声は、私の喜びに拍車をかけた。



 後、もう少しの辛抱。



 天井のオレンジ色のライトが二人目の駅員の帽子を照らす。そこから見える耳は細くとんがっていて、色は少し緑がかっている。目は黄緑色。胸下には「ドゴグ」と金色で書かれた黒色の名札があった。それは、長年勤務のベテラン駅員だけが持っている名札だった。



 ゴブリン?



 たまたま目が合うと、その駅員は遠慮がちに斜め下に目線をそらした。そして、私の眼の前にキラキラと映ったのはその駅員が持っていた箱。箱の中には赤いフェルト状の布が敷き詰められていて、精巧な作りの指輪とボタンが無数あった。



 そう、それ!



 駅員の声が続く。

「ここボロンでは、魔法使用禁止条約の為、外部からのお客様、特に魔法の国フォルン王国からのお客様に魔力キャンセリング魔具を装着して頂きます。金属アレルギーの方は、こちらのボタンを服の内側につけていただきます」



 まだ新しい駅員かな?最後にかけて早口気味になっていた。



 渡されたのは、燻し銀色の指輪だった。三本の細いつるが絡み合う指輪の所々には歯車の模様があり、砂つぶより一回り大きい赤い小さな石が埋め込まれていた。石は普通の鉱石と違い、底から湧き出るような光が見られた。




 魔石




 魔石は洞窟や魔獣から出る石だった。フォルンにはあまりなく、高価だった。ボロンは産地だが、殆ど自国で消費する為、国内ではかなり流通していると聞く。そして、それを使った魔具や乗り物がボロンには沢山あると聞く。


 後ろにいた駅員は活版印刷された紙を取り出し、前の者にすっと渡した。若い駅員は軽く礼を言いながら受け取り、黒い文字を指差しながら説明した。



「魔法に関して一般使用はほぼ全面的に禁止されており、魔具によって無効化されています。ボロン在住の幹部の方や政府関係者は緊急時のみ使用可能です。一般の方は事前に魔法省に手数料の小切手とともに申請してください。許可書の発行手続きは数日から二週間ほどかかる事をご了承ください」



 簡単な説明をするとボロンの首都の地図を私や他の乗客に手渡した。指輪は思ったより重く、冷んやりとしていた。





 魔法を使うのはこれまで。





「ーー以上ですが、後ほどご不明な点などございましたら、観光省の窓口にお越しください。ボロンでのご滞在をお楽しみください」




 指輪をコロコロと手のひらで転がして興味津々に見つめていると、誰かが声を荒らげて何かを言ったのでふと見上げる。ネクタイを締める中年の男性客のお腹回りがぷるるんと振動する。視線は駅員の方に向いていた。




「こんな事は、聞いたことがない。ワシはこれでもポロネル伯爵の屋敷によく招かれる者である。そのワシが、これを付けないといけないのか?」




 ポロネル領土は確か--フォロンの南にあるほぼ僻地とも言える田舎にあった。滅多に聞かないので私も忘れがちになる存在。そこではあまりボロンの事は聞かないのかもしれない。ただし、魔力制限装置に関しては、フォロンの人々がボロンを旅行先に避ける理由の一つであった。フォルンで魔力を止められるのは、殆どの場合、罪人かそれだと疑われた場合のみ。その為、一時的とはいえ嫌がる者が多い。




 それを自らすすんで望む私は、一見変わり者かもしれない。でもーー




「規則ですから、装着されないと入国許可がおりません」と駅員が言った。



 伊達に共和国ではない。例えそれが他国からの王でもつけないとならないと言われている。



 男性は駅員を一度睨め付け、ため息をする。観念した様子であった。

「魔法が出来ない連中の発想だろうな」とブツブツ言いながらはめる。「そして、そこのゴブリンに持たせるな。汚れる」




 フォルンでは家畜を襲うのはゴブリンだと言われ、あまりよく思われてなかった。物知りの私の祖父は、山賊がゴブリンに扮して田舎で強盗していたのがきっかけだと言っていた。


『全ては黒ではない。黒に扮した白もいれば、その逆もまたあると思った方がいい』



 ーー見た目だけで判断するな。そう言いたかったのかもしれない。




「注意しときます」

 駅員は表情を一つも変えなく、返事した。

「では、失礼します」




 気のせいか、指輪をはめた後、あの男性の顔色が少し青くなっていた。乗り物酔いを防止する為の魔法でもかけていたのだろうか。でも、同情しないかも。




 気分転換に、私は客室を出た。汽車が揺れるので狭い廊下の両側の壁に手を当てながら赤子のようにおぼつかない足取りで歩き、端にある丸い窓に向かった。暗闇しかない地下は、景色がないかもしれない。でも、私は期待に満ちていた。客室から見る眺めと、高い位置の廊下の窓は違った方向からみえる。





 結局……廊下からの眺めは客室と変わらなかった。汽車の床は冷たい木製と鉄で出来た板が剥き出しだった。質素でただ走る箱。そんな感じにも捉えられるし、噂のボロンの鉄道とは違う。




 私、期待しすぎたのかな?




 指輪を親指と人差し指の間に持ち、またよく観察してみる。魔法と機械を融合した指輪。全体的にあまり目立たないように作られており、黄土色がかったガラスでカバーされた小さな針が何を示しているのかカチコチと動いている。なんて細かい歯車なのだろう。魔法でフォロンでは補っている所、ボロンでは技術で勝負しているのかもしれない。ツルは本物と見間違えるくらい精巧で、今にも若葉が芽生えそう。


 私の利き手は右なので、邪魔にならない左の薬指に通してみた。はめると無数の歯車が回り、指にぴたっとはまった。乾燥した冬によくあるピリッとした感覚が指にあった途端、体が重くなった。



「んっ」



 魔法切れ。それに近い感覚があった。目を閉じて調べてみると、胸の真ん中辺りに暖かい魔力が少しだけ動いているのがわかる。でも、指先に魔法を呼ぼうとしても何か見えない壁に当たるように魔力の流れが胸に止まる。風邪引き始めのように腕に鳥肌が立ち、寒気がする。未だに慣れない感覚にふぅとため息をついた。



「思ったよりキツイかも……」



 私はふらつきを抑えるために壁にもたれかかった。乗り物酔いまではいかないが、頭も重く感じる。私は深呼吸をした。吸った空気は冷たく乾いていた。




 でも、私は通路に出たかった理由がもう一つあった。



「こちらは完了しましたーー!」


「こちらもですーー!」


「完了!」



 駅員の元気な掛け声が電車内に響いた。以前、私に指輪を渡した駅員が歩いてきた。


「ボロン向けの車両に変換するので、客室に戻られた方が良いですよ」


 もうあの箱は持ち歩いてなく、若い駅員もいなかった。その姿は、噂にあるゴブリンではなく、自分の仕事が誇らしいベテラン駅員だった。私は、待ってましたと言わんばかりにボロン流に頭を下げてお願いした。それはそれで、油注ぎを忘れたブリキの人形の様にぎこちなかったと思う。



「ボロンの鉄道は、素晴らしいと聞きました。お邪魔にならなければ、一度拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」



 一瞬、返事がなかったので、失敗したのかと私は見上げた。すると、両手を振り、慌てふためく駅員がいた。

「駅員如きの私に頭を下げないでください。しかしながら……」



「お願いします!」

 私はまた頼む。



「はぁ、普通は終わってからですが」

 彼は、目を細めた。

「では、今日は特別ですよ」




 彼の案内で私は通路の片隅にある四角い模様の床に立つように言われた。両足がちょうど収まるくらい小さな場所だった。


「ドゴグさん、珍しいですね。見学者ですか?」

 早歩きで確認していた獣人の女性駅員が声をかけ、違う車両に消える。皆準備で忙しい。叔父の「目立たないように」が呪いのように脳内に浮かぶ。



 私、かなりお邪魔になっているね。



 でも、ドゴグさんの方を見るとニコッと笑い返された。


「何が起こっても慌てないでください」


「はい」と私は返事する。



 ちょっとぐらいは、いいかな?



 ドゴグさんはピーっと甲高い音色を立てながら笛を鳴らした。その合図とともに駅員達が各車両の後方の壁に取り付けられた黒いレバーを引いた。




 ガコン




 数秒たち、何も起こらないのに私が首を傾げていると、ドゴグさんは長い黒い爪である場所をさす。



 絵?



 壁に飾ってあるふんわりとした色彩で描かれた絵は細かいパズルの様になっており、掲げた傘を持った女性のタイルが自動的に動いている。そして、その中から徐々に現れた魔法石が黄金色に輝いていく。



「今から重力を操作します」



 急にお腹の下の部分がくすぐったくなる感覚があり、ふわっと体が浮いた。私はスカートの端を慌てて押さえ込み、目の前に広がる光景に目を丸くした。



 魔石の横に取り付けあった金色の歯車が動き出し、壁が広がっていった。廊下の幅が腕一本ほど広くなり、床では赤いカーペットが向こうの端からパタパタと音をたてながら伸ばされて来る。ただの黒色の模様の壁は、金色に輝く。シンプルな造りの車両は途端、明るい豪華列車になった。



 これは全て魔法ではなく、魔石を燃料とした機械の動きだというのだ。



 茶色の天井は大人の身長の約半分くらい高くなり、板が左右にスライドして窓が現れた。金色の縁が施されたそのガラスは大きく、ステンドグラスの様に不規則でも外側に緩やかなカーブがかっている。洞窟の天井が見える。



 星空?




 動く汽車で無数の流れ星の様に私の頭の上を過ぎ去って行く。それも、小雨の後に空高く浮かぶ虹の色だった。




 私は思わず、ため息をした。


「きれい……」




「実はーーあれは、虫の幼虫の光です」


 ドゴグは手を重ねて私に説明する。


「実際は青白い光ですが、このガラスは何枚もの薄い層で出来ており、表面の凹凸もありますね。それによって、この虹色を出しているのです」


「えっ?魔法やガラスの色では無いのですか?」

 私は、天井のガラスを触りながら聞く。触った所では凸凹は分からない。


「実は、光るニジムシをヒントに作られたそうです」


 ニジムシはフォルンでもお馴染みの虹色に光る豆ぐらいの大きさの虫。果物などの葉を主食とする。




 私は思った。フェリル族の洞窟はこれよりもっと綺麗なのだろうか?



「もう、終わりますよ」


 ドゴグさんの手助けでゆっくりと床に降りていく。私の茶色のショートブーツを履いた足が床にトンと着地した。



 この後、何度も私はお辞儀した。


「ありがとうございます。素晴らしいものを見せて頂きました」



 ドゴグさんは名刺を私に差し出した。

「もっと面白い物を見たければ、ボロンの環境省に訪れてみると良いですよ。知り合いのマーカスに頼めば、洞窟の見学ツアーでもしてくれると思います」




 私は、笑顔で答えた。



「はい、是非!」




 私の心が踊った。




 ♾♾♾



 ボロン奥深く、都市の下には廃墟化した古い街があった。


 家並みの間には地面がなく、黒い闇が待っていた。石を落としても跳ね返ってくる音は聞こえない。都市の騒音は聞こえず、人気もない。だが、空気は生暖かく、上からの不法投棄で所々アンモニア臭が立ち込める。その為、引火性ガスが溜まらない様に、大きな卵色の三角形の羽根が回る装置が作動し、換気している。



 錆びた金属網の床を誰かが手慣れた足踏みで歩く音がする。重い音とともに白い埃が舞う。


 全身黒に包まれた細身の男が機械の調子を見に来ていた。


 黒いトップハットの下に一見カラスの嘴の様にとんがったマスク。長めのコートの背中には黒い革でできた長い筒をたすき掛けで背負っている。両手には手首程までの長さの黒い手袋をはめていた。見える指先は光を見ぬように色白く、成人男性ほど大きくない。



 彼は辺りをゆっくりと見回す。





 全身が黒いこの男は死神の様に異様な雰囲気を出していた。だが、彼は特に気にしてなさそうだった。



 横下から二つのオレンジ色の光が灯った。ブロンズ色の機械犬の眼だ。


 狼にも見えるその金属体は滑らかな流線型。所々赤色や青の錆でくすんだ部分もあった。それは床から起き上がり、側に立っていた人物の左手を鼻でツンツンと突いた。



「ーー待たせたな」



 犬は、尾を振る。


 ゆっくりと羽根が回る。




 上を見上げるも、何年も変わらぬ眺め。




 これが、彼にとってのーー

                    『日常』





 ポツポツと雨が降った。恵みの雨か?




 だが、この地下には雨雲はない。あるのは霧や煙突からの煙だ。



 黒いコートが所々煙を立て、熱を出す。例え、服がケーブサイダーの糸でできているといえ、このままだと溶けていく。





 





 男の背後からズズズと低い周波数の音を立てながら、砂埃まみれの巨体のソレがゆっくりと現れる。



 男が振り返ると黒いマスクの目から血のように赤い光が漏れていた。




「ポイントC1673ー67。残留個体と遭遇。戦闘に入る」




 歯車が動きだした。

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