第27話「結末」


 ミラーが率いる派兵部隊は、作戦通り見事に囮役を演じてくれた。


 颯爽と森から派兵部隊を連れて現れると、北と南を包囲していた反乱軍に一撃を加え。想定通り、反乱軍は若干の混乱を挟んで、西側へと兵を殺到させた。作戦は順調だ。


「敵もおそらく、何かしらの罠を仕掛けていると思います。ですが相手にせず、ひたすら敵の本陣を目指してください。刃が届けば、私達の勝ちです」


 ロクスレイは手に馴染む弓のカラクリがないため、派兵部隊の一般兵と同じ弓を使っている。特別な仕様はなくとも、この混合弓は頑丈で強い。これなら、思う存分戦うことができる。


「罠の正体が一つでも分かればいいのだけど、何かヒントはないの?」


 ミリアがそう贅沢な注文をするので、ロクスレイは記憶の中から敵の陣地を思い出す。


「柵が多く、堀の多いこと以外何も。落とし穴を仕掛けるくらいはしてくるでしょうが、こればかりは攻めてみないと何とも」


「つまり、出たとこ勝負ね」


 ミリアはぎゅっと手綱を握る。やはり緊張しているのだろう。初戦を潜り抜けたとはいえ、まだまだ戦いについては若輩だ。肩に力が入るのも納得だ。


「ミリアは、ただ生きることと味方に歩調を合わせることだけを考えてください。それさえできればまずまずと言ったところです」


「あら、優しいのね。でもお情けの点数は要らないわ。私だって黒百合騎士団の端くれ、頑張ってやろうじゃない」


 軽口を叩く余裕があるなら、ミリアは大丈夫だろう。


 他の二人の様子を見ると、メイは馬を使わずにロクスレイの傍で立っている。メイの戦闘スタイル的には、そのほうがあっているのだ。それに脚も速い。例え騎乗していなくとも、遅れは取らないはずだ。


 もう一方のウィルは飄々としている。とは言っても、その正体はウィルの噛んでいる小枝のせいだ。小枝には酩酊効果のある酒の木から採取したもので、よく緊張をほぐすために新兵が使うものであった。


「ウィル。あまり噛みすぎると落馬した時に足腰立ちませんよ」


「どうせ足腰が立たないなら、ベットの上がいいっすね。アルマータ帝国の女性は肌が濃くて色がいい。これが終わったら娼館に出かけてもいいですかい?」


「……勝手にしてください」


 そうしていると、壁上の兵士が門の前で整列しているロクスレイ達に合図を出す。東の本陣が手薄になったのを見届けたようだ。


「諸君、ここまで城の中で耐え忍んだのはこの時のためだ」


 軍の先頭で、現国王が兵士に激を飛ばし始める。


「皆、長い籠城で羽を伸ばせず退屈していたであろう。だが今、神は我々に好機を与えてくださった。これより城を出て、反乱軍首領の首を取る! 奴の首を取った者は莫大な富と膨大な名声を得るであろう。それは王である私が保証する」


 現国王は戦いの恐怖を、賞金と名誉で焚きつけて士気を奮わせる。その効果はあったのだろう。ロクスレイは周りの軍から歓喜の高鳴りを感じた。


「では敵を征服しに行こう! 兵士よ。ただ進め!」


 東の跳ね橋が音を立てて下ろされ、城にいる兵士達が門を通り抜けようとする。


 こうして、戦いの火ぶたが切られた。


「兵よ! 敵は寡兵だ。進め進め!!」


 先陣を切る現国王の言う通り、陣地に立つ歩哨は少ない。こちらが打って出るのを見ると、慌てて本陣へ後退し始めた。


 城の兵士は自然と、敵の兵士を追いかけて進軍する。これなら勢いを維持したまま、本陣にたどり着けそうだ。


「……ですが、どうやら陣地そのものが罠のようですね」


 陣地を形成する柵は上手く兵士の流れを制御して、本陣に真っすぐたどり着けないようになっている。


 ただし、これは時間稼ぎだ。罠としては高度でも、兵士の歩みを止めるほどではない。


 ところどころに敵兵が配置されているものの、勢いづいたこちらの軍を押さえるほどの兵力ではない。


 これは決まった、と思った時だった。


 突然こちらの全軍が足を止める。何事かとロクスレイが周囲を見回すと、その正体が分かった。


「ふ、伏兵だ!」


 こんな荒野のどこに兵士を隠したかと思えば、なんと穴を掘って何枚ものシーツを被せただけの単純なものだった。


 夜闇で発見が遅れたのだ。そしてこちらの軍はただ敵の本陣だけを目指して進んでいたため、視野が狭窄していたのだ。


 あまりにも急な敵兵士の出現に、こちらの軍は動きを緩めてしまった。


「これは、まずいですね。伏兵が多すぎます」


 ロクスレイは騎乗したまま弓を張って、堀から這い上がってくる敵兵士のド頭に矢を撃ちこむ。その程度では、敵兵士の襲撃は止められない。


 これは完全に捕まってしまった。


「それぞれ円陣を組んでください。少しでも敵の勢いを殺すのです!」


 だが敵の兵士を食い止めたところで、それは延命措置だ。こちらの軍が敵の本陣にたどり着けなければ、勝利はない。


「――っ!」


「ロクスレイッ!」


 ロクスレイの鹿が腹を槍で刺し貫かれ、もがきながら倒れる。不運なことに、落ちた拍子でロクスレイは鹿の下敷きになってしまう。


辛うじて下になったのは下半身だけで済んだものの、これでは身動きができない。


「……ここまでですかね」


 ロクスレイは言葉と裏腹に、腕と指を動かして敵兵士を射殺していく。


 本当はまだ死ねないのだ。死ねない理由が周りにはあるのだ。


 部下のメイ、ウィル、ミラーはそれぞれ有能だがそれぞれ足りないものがある。一人では活かすことのできないその能力を発揮するには自分の力が要る。


 ミリアもまだこれからの人物だ。誰かが傍で支えて、その行く先を見届けなければならない。


 そうだ。生きる理由はたくさんあっても、死ぬ理由はないのだ。


「――私は負けられないのです! 無念のまま死んでやるものですか!!」


 ロクスレイは矢が尽きたなら、腰の剣を抜いて槍を捌く。剣戟を受け止め、斧の一撃は身を捻って躱す。


 死ねぬ。死なぬ。死にたくない。ロクスレイは心で吠えていた。


 だが現実は重く覆いかぶさる。


 ロクスレイの上へ敵兵士が馬乗りになり、完全に動きを封じられてしまったのだ。


「まだ――」


 無慈悲に、敵の剣がロクスレイの心臓を刺し殺す。


 その間際だった。


「恩を返す前に死ぬ、な。我らの恩人」


 鈍重な一撃が馬乗りになった敵兵士の胴体へめり込み、紙のように吹き飛ぶ。


 乱暴にロクスレイの上の鹿をどけると、彼らはロクスレイの腕を握って立たせてくれた。


「ブタミミ族の族長……どうしてここに?」


「ミラーという男が早馬で知らしてくれ、た。遠回りしたので間に合うか不安だっ、た」


「遠回り、と言うとこの敵兵士の囲い突破して!?」


「そう、だ」


 ロクスレイは頭を回転させる。今、敵兵士はこちらの軍という大きな獲物に群がる肉食獣だ。


 もし、その軍から抜け出して肉食獣の背後を通り抜けるならば、どうだろう。


 おそらく追撃はある。しかし目の前の肉をむさぼるのを止めて背後の敵に追いすがる者はいない。


 ならば、本陣までのルートを遮る障害はもはやない。


「声の届く者は私に続きなさい! 援軍が来た場所から敵の囲いを突破します!!」


 この敵兵士の襲来から抜け出せるなら、と多くの兵士がブタミミ族の開けた囲いの隙間を抜けていく。


 ロクスレイは、ブタミミ族の族長とウマムシに同乗して本陣へ向かう。


 ロクスレイに続く兵士は多くとも五十人、それでももぬけの空な本陣までのルートを、無人の野を行くがごとく通り過ぎて行く。


「この柵を曲がれば!」


 そしてついに、ロクスレイ達は本陣の天幕へと到着したのであった。




「ほう。本当にここまでたどり着くとはな」


 ロクスレイ達を待ち構えていたのは、天幕の中で数名の兵士と共に鎮座している反乱軍の女王だった。


 ロクスレイはウマムシから降りると、敬意を示して恭しく礼をした。


「ここまでです。反乱軍の女王陛下、そちらは数名。こちらは数十。勝てる見込みはありませんよ」


「どうかな? やってみなければ分からぬぞ」


「……」


 女王は戦うつもりだ。まっすぐ伸びた長い剣先をロクスレイに向けて、自ら先頭に立ちふさがる。


 今なら数の優位で潰せる。だが、ロクスレイには腹案があるのだ。そのためには、女王に死んでもらいたくない。


 この状況でそれが実現できるのは、一つだ。


「提案があります。私は女王陛下に決闘を申し込みたいと思います。受けてもらえますか」


 ロクスレイの周りで戦意揚々な兵士達は驚く。わざわざ不利な条件をこちらから申し込む必要はないのだ。


「ほう、よほど腕に自信があるのだな。良かろう。その提案受けてやる」


 ロクスレイは前に出る。これが、おそらく最後の戦いになることを信じて。


「ロクスレイッ!」


 後ろで、ロクスレイを心配してミリアが叫ぶ。


 ロクスレイはその不安そうな顔に、大丈夫ですよ、と無言で手を振った。


「では、こちらから参るぞ」


 女王は兜を落とし、絢爛な鎧を鳴らしながらロクスレイ一突きを浴びせる。


 ロクスレイは身を伏せて躱しながら、女王の剣を弾いた。


 ロクスレイの剣は刃が短い。それに対して女王の剣は真っすぐ長い。


 それは即ち、自ら敵の剣の間合いに潜り込まねばならぬということだ。


「シッ!」


 ロクスレイは普段使いしていない剣を袈裟に振るう。女王は最初から知っていたように、後ろに跳んでロクスレイの一撃を回避した。


「言うほどではないな。では何故自分から決闘を挑んだ? 腑に落ちぬな」


 剣の捌きは明らかに女王の方が速い。それに正確だ。数撃剣を交えただけで腕の違いを、ロクスレイは感じる。


 これは想定以上にやっかいだ。


 ロクスレイは周りに利用できぬ物がないか、洞察する。しかし天幕の中身は綺麗に掃除され、石ころ一つ見当たらない。


 足の裏で地面を感じても、砂の一粒も掴めそうにない。ロクスレイは打開策を見いだせず、女王の剣筋を受け止めるのが精いっぱいだ。


「足元が気になるのか?」


 女王はそう言うと、身を低くして回し蹴りをロクスレイの足に叩き込む。


 ロクスレイは咄嗟に女王の懐を掴む。けれどもすぐに振り払われ、完全に平衡を失い地面に伏せてしまった。


「ここまでよな」


 女王はためらいもなく、剣を捧げて振り下ろそうとしていた。


 ロクスレイは覚悟を決め、相打ちでも構わないと剣を握りなおした。


 そんな時、女王の懐から零れ落ちる物を、ロクスレイは見逃さなかった。


「コメン――!」


 それは女王に渡した石の精霊であるコメンだった。女王の懐を掴んだ拍子に緩んだところから落ちたのだ。


 ロクスレイは持ち前の器用な指先で、落下するコメンを摘まんだ。


「お返ししますっ!」


 ロクスレイはコメンを、女王の眉間を狙って放る。


 女王は反射的に、コメンを叩き斬った。


「しまっ――」


 女王に一瞬の隙が生まれた。


 ロクスレイは地面を踏み堪えて立ち上がりながら、女王の首に剣を吸い込ませた。


 ただし、そのまま叩き斬ることはしない。


「何故、斬らぬ」


 女王の首から一筋の真紅が垂れる。


 首を両断する寸前に、ロクスレイは剣を止めたのだ。


「私の勝ちです。これ以上争う必要はありません。降伏をお願いします」


「願われても困るな。私が降参しても向こうの国王が許さぬだろう」


「そこで再び提案があるのです」


 ロクスレイは女王が剣を仕舞うのを確認してから、自分の剣を女王の首から遠ざけた。


「女王陛下の存在は確かに国王にとって厄介な存在です。それと同時に、貴女は王族です。有能なうえに身分も高い、ならば有用しない理由がありません」


「理由なら多くあるだろう。私は国王にとって政敵だ。近くで生かすはずがなかろう」


「なので、貴女には遠くに行ってもらいます」


「追放か? それでも国王は――」


「だから、結婚してもらいます」


「――なっ!」


 女王は初めて動揺を露わにする。ロクスレイとしては良い提案なのにそこまで驚かれるとは、心外だった。


「そんなに婚約が嫌なのですか?」


「……いや、負けた以上断る権利は私にはない。私で良ければ、どうとでもしろ」


 ロクスレイは女王の返事に気を良くして、彼女の手を握った。


「何を言ってるの! 気でも狂ったの!」


「ロクスレイッ! 私というものがありながら」


 後ろで外野のミリアとメイが煩い。けれども、結婚は女王の身柄を保証するのに必要不可欠なのだ。


「貴方にはフサール王国の王子の誰かと結婚してもらいます」


「ぬっ」


 女王はロクスレイのその一言に面食らったようにする。


 ロクスレイはその反応に、何か場違いなことを言ったのではないかと、確認する。


「確かに相手を見ずに結婚するのは心苦しいでしょう。ですが、フサール王国へアルマータ帝国との政略結婚相手としてくれば安全です。国王も、フサール王国の反乱軍である貴女の勢力を鎮圧するには命を奪うだけでは十分ではない、と理解するでしょう。

 国内には貴女が死んだとしても貴女を殉死者として戦う、新たな指導者が出てくる可能性もあります。そうなれば王族は滅亡。国王とて、王族最後の王になりたくないでしょう」


「た、確かにな」


「なので国王が貴女を祝福して結婚させたとしたらどうでしょう。国と国を越えての結婚、祝福しない方が不自然です。国内の反乱分子も女王が自分の意思で嫁いだとあれば、納得せざる得ないでしょう。

 いっそのこと、この戦いで王子と出会って一目ぼれした、と捏造してはどうですか? ロマンチストな逸話はより広まり、受け止めやすいのです。きっと、国民も大喜びなはずです」


「そうだな。そうであろうな。私の早とちりか」


「なんです? やはり決闘の結果を反故にするつもりですか?」


「いや、こちらの話だ」


 女王は納得したように、ロクスレイの手を握り返した。


「では、フサール王国とやらに厄介となろう。当然、協力してくれるよな」


 女王はロクスレイの手のひらを握りつぶしながら、結婚の申し出を受け取ったのであった。

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