第26話「最後の夜」

 波が引くように一部の包囲を解いた反乱軍はそのまま遠巻きに待機して、ロクスレイ達の動向を見守っていた。


 その間にロクスレイ達はミリア、ウィル、ミラー、メイ、トーマスを引き連れて反乱軍のいなくなった西の城門前に集まった。


 最初こそは包囲されていた軍は簡単に門を開けず。そのため、トーマスが所持していた王の信任状を矢文として届けて、しばらく様子を見ることにした。


 しばらくすると、包囲されている軍はこちらを味方だと信じたらしく。重い跳ね橋を急いで下ろして、ロクスレイ達を城内に招き寄せてくれた。


 城の中へ通されたロクスレイ達はトーマスの口添えもあり、さっそく現国王との謁見が許された。


「トーマスよ。遠征ご苦労である。そして、壁の向こうからよく来た。異邦人達よ。こちらから出迎えができず申し訳ない。して、良い報せはあるか?」


 ロクスレイ達は玉座のある縦に長い大きなホールへと通された。天井には宝石のように輝く燭台が煌めき、床にある朱のカーペットは石畳に良く映えていた。


 現国王は一際高い台座から、屈強な兵士に守られて鎮座しており。その身分を示す赤いマントと金の王冠は、現国王の若さの代わりに王としての権威を周囲へ知らしめていた。


「お招きいただきありがとうございますわ。私はフサール王国の特使である、ミリア・サトクリフといいます。こちらは部下の外交官、ロクスレイ・ダークウッド。その配下たちとトーマス殿の助力もあり、こうして参りました。

 また、私どもの他に銀鹿騎士団より二千名の援軍をこちらに連れてきましたわ。今は西の森に隠しておりますが、いつでも動くことが可能です」


「そうか。それは頼もしい限りだ」


 現国王は面と向かって失望の色を出さなかったが、その所作は不満をにおわせていた。それもそうだろう。現国王の戦力は援軍の派兵部隊を合わしても五千人、敵は反乱軍二万人。期待していた分、どうしても残念に思ってしまうのだろう。


 そこで現国王とミリアの話に割って入って、ロクスレイが発言した。


「挨拶の途中申し訳ありません。今不利な状況を打開する策が一つ、このロクスレイにあります」


「ふむ。発言を許そう」


「反乱軍はこの包囲の状況、油断があります。私とトーマスが交渉の際、敵の陣地の配置を観察したところ、反乱軍指揮官の陣地が手薄となっておりました。これはおそらく、こちらをおびき寄せて挟み撃ちにするための罠でしょう。

 それでもこの状況を利用するしか活路はありません。西の派兵部隊を囮とし、北と南の包囲から敵の軍を誘い込み、その隙に東との間隙を縫って兵を出すのが唯一の策だと思います」


 現国王はロクスレイの言葉を受け、しばし沈黙した後、言葉を返した。


「更なる援軍を待って反乱軍の包囲を撃破することはできぬのか?」


「……それは難しいでしょう。こちらのフサール王国は現在モグリスタ共和国と交戦中の上、タルーゴ共和国との二正面作戦の危機にあります。これ以上兵を援軍に割いては本国が危険に晒されてしまいます」


 何より、その時アルマータ帝国のため、犠牲となる兵士は数千以上になる。そんな大損害を、本国のためとはいえフサール王国の兵士に強制するのは難しい。兵士とて死ぬのは怖い。それも他国のためともなれば、兵の士気が上がるはずもない。


「しかし、フサール王国の援軍が難しくとも。アルマータ帝国各地はどうであろうか。時期を待てば、各地で私を擁護する者が挙兵するはずであろう。それを待っても良いのではないか?」


 ロクスレイは落胆した。この現国王には事態を自分の力で打破しようという気概がない。それはあまりにも日和見主義で、愚かなほど楽観主義なのだ。


 反乱軍の女王に会ったロクスレイは、どうしても目の前にいる現国王との、王としての器の違いを比べてしまう。けれども、それは内政問題。ロクスレイは己の任務を全うすることに力を入れるべきだ。


「……先の大戦を考えると、味方として挙兵する者は少なく、敵として挙兵する者の方が多いかと思います。何卒、再考をお願いします」


「なるほどな。しかし打って出るにはリスクが大きすぎる。もっといい策はないのか?」


 今の状況では安全な策など一つもなく、あるのは火中の栗を拾いに行く決死の作戦か、だらだらと敗戦を長引かせる籠城戦だけだ。


 現国王には、それすらも認められないようだった。


「もうよろしいわ!」


 この現国王の水を掴むような無意味な問いに、痺れを切らしたのは何とミリアであった。


「そちらがこの戦に勝つ気がないことはよく分かりましたわ」


 ミリアのその言葉に、現国王もその配下もざわめく。敗戦濃厚とはいえ、やはり率直に言われると動揺するらしい。


「私達とて負けるつもりの相手に加担する謂れはありませんわ。こうなっては、反乱軍の方へ味方する他、我々の生き延びる術は無くなってしまいましたわ」


「し、失礼にもほどがあるぞ! 特使殿!!」


 ミリアの言動に対し、現国王の配下達は声高にミリアを批判する。周りの兵士も、そうだそうだと同調して。ミリアを責め立てる。ただし、この戦は負け戦などではないと反論する声は聞こえてこなかった。


 そして王はというと、先ほどの慌てぶりを正して居直っていた。


「使者には敬意を払うのが常とはいえ、背信の恐れがある特使殿をこのまま帰すわけにはいかぬな。先ほどの発言、取り消さねば身柄を保証せぬぞ」


 ただちに捕らえろ、と命令しないところを見れば、やはり援軍二千を敵に回したくないのだろう。


 ミリアはそこに現国王の隙を見出し、口撃を続けた。


「いえ、発言は取り消せません。これが事実である以上、私とて二千の同胞を死地に導くことは致しかねますわ。例え私が捕まろうと、ここにいるロクスレイには不思議な力の加護がありますの。ご存じではないかもしれませんが、交渉において彼らを殺すことも捕らえることもできません。それが何を意味しているかお判りでしょう」


 ミリアの言葉に、またもや現国王達はざわめいた。どうやらフラスクに与えられた<ギフト>について現国王側も存じているようだ。


 ミリアはその反応に気分を良くし。反対に、後ろへ控えているウィルとミラーは青い顔をしていた。


 それは当然だろう。ミリアは良くても、巻き込まれて捕まるのはウィルもミラーも同じなのだ。それに比べて、境遇を共にするメイは動じない。これが女性の胆力というものだろうか。


「ま、待て。考えを改めよ。捕まればそなたの命も危ういのだぞ!」


「構いません。国王陛下が消極的である以上、私は二千の同胞を守るために犠牲となりましょう。選択は二つに一つです。信頼関係の維持を求めるならば、国王陛下に誠意を求めます」


 誠意、それは勝利するために活路を拓けということとであった。


 現国王は深く悩んだ後、目が覚めたかのように決心した。


「……分かった。特使殿よ。あなたの発言は私を叱咤し、勇気づけてくれた。今は勝つための多くの手段は残されていない。ここはそちらの作戦に全託しよう」


「勇敢な発言、御見それいたしますわ。やはり国王陛下は今の玉座に似合う御方。私どもも死力を尽くして、御手伝いしますわ」


 こうして、ミリアは深々とお辞儀をして、現国王の決断を祝したのであった。




「肝が冷えましたよ。まったく」


「どうして? もし私が捕らえられたとしても、ロクスレイは安全じゃない?」


「例え私一人が生き残ったところで、本国にどう報告すればいいと思うんですか! 守るべきはずの特使を置いて、自分の命惜しさに逃げ帰りましたとでも言うのですか!!」


「仕方ないでしょ。あの場の説得方法がそれしか思いつかたかったのよ」


 確かに、まさか現国王があそこまで戦いを拒否するとはロクスレイも思っていなかった。強行突破は最善とは言えぬものの、他の選択肢があるほど贅沢な状況ではないのだ。


 どこかの、絶理の箱の書物に書かれていた。自分の力で祖国を守ろうとしない者が、どうやって祖国を守れるのだろうか。


「……しかしあの弱腰な態度から決心を引き出した交渉力は感心しました。自分の身を顧みぬ点は問題ですが、それを差し引いても及第点です」


「――! ロクスレイならそう言ってくれると思ったわ。ロクスレイは、私の味方だものね」


 現国王の決定により、交渉の場はそのまま奇襲作戦の会議となった。会議といっても、ほとんどはロクスレイの提案通りとなり。早速、別動隊である派兵部隊を指揮すべく、ミラーは城をあとにした。


 残ったロクスレイ、ミリア、ウィル、メイは作戦を提案した手前、後方へ逃げることはできず。奇襲作戦の最前線を戦うことになった。


「どう転ぶにしろ。この戦いで結末が決まります。作戦の決行は明日の夜。包囲が再構築される前夜です。派兵部隊の夜襲で敵兵が誘い出された隙を突きます。これが、今できる最良の戦略でしょう」


 奇襲と言っても敵の備えがないわけではない。敵の本陣の兵が少ないとはいえ、堅牢な陣地に行く手を阻まれている。城攻めではないにしろ、攻略は難しいだろう。


 それでも、この戦いは負けられない。一度きりのチャンスなので退くこともできない。まさに不退転の戦いになる。


 ロクスレイも、他の誰かも命を落とすかもしれない。それほど、この戦いは激しいものとなるだろう。


「でも、勝てばフサール王国が挟み撃ちに会う危機を回避できる。そうなれば、私達の勝ちね」


「そういうことです」


 ミリアは活路を見出した、希望にあふれた顔つきをしている。ロクスレイ以上に、ミリアは覚悟が決まっているようだ。


「そこで相談なのだけど、戦いに勝ったあかつきには約束したいことがあるの」


「約束、ですか……」


 ロクスレイはその言葉に、初戦の後のミリアの酒乱を思い出す。まさか今は酒が入っていない。無茶な命令ではないはずだ。


 ロクスレイが動揺を隠していると、ミリアはポツリと口にした。


「私を、褒めて欲しいの」


「褒める。ですか」


 ロクスレイは何のこともない、ちっぽけな願い事を言ったと思った。けれどもミリアの事情を察した時、それは彼女の本懐であることに気付いた。


 ミリアはこれまで外務大臣の父を持ちながら、政略結婚や政治家の道を行かずに放蕩していた。黒百合騎士団に入ったものの、そこでも飾り物だと国や世間に疎まれて、誰からも称賛を浴びたことがなかった。


 ミリアの願いはきっと、何かを成し遂げたいわけではない。ミリアなりのやり方、彼女らしさを、ただ褒めて欲しかったのだ。


「……ただ褒めるだけでいいのですか?」


「うん」


 ミリアは人見知りな少女のようにこくりとうなずく。それ以上に言葉は要らないように、気恥しいさを隠すように。


 ロクスレイは少し考えた後、ある提案をすることにした。


「では代わりに、私も勝った時にお願いしたいことがあります」


「それは、何?」


「いつか私が困った時に、助けて欲しい。私とていつまでも安定した地位にいるとは限りません。そんな時、有望な特使殿に立場を保証されれば、将来安泰です」


「それくらいなら構わないわよ」


 ミリアの返答に、ロクスレイは笑って快諾した。


「では、交渉成立です。必ず戦いに勝利して、成し遂げましょう」


「そうね」


 ロクスレイとミリアは固く握手をした。それが契約成立の証、戦いへの決意表明。もう、後には引けないのだ。


 そして夜は更け、朝日が昇り、日が扇を描いてまた夜が訪れる。


 それが、この遠征の最後の夜となるのであった。

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