第25話「反乱軍の女王」
ロクスレイ達の派兵部隊はディアーヌ部族連合の領地から北東に進み、下三日月回廊という三日月山脈を両断する道に入った。
そこは切り立った崖に挟まれながら、派兵部隊が四列ほどしか通れない狭く細い道であった。
もし、ここで前と後ろを塞がれれば、おそらく派兵部隊の全滅は間違いない。ロクスレイ達は十分周りを偵察させ、落石を恐れながらも何とか下三日月回廊を通り抜けることができた。
「どうやら反乱軍には私達の存在は露見していないようですね。もし気づいていたら、必ずここに伏兵を置いていたでしょう。運はこちらに味方しています」
ロクスレイはそう周りを励ましつつ、下三日月回廊を抜けた森の中へと侵入していった。
「この森を抜ければ、アルマータ帝国の首都であるマウロ城塞が見えてくる。俺は一旦森の中に派兵部隊を隠し、様子を見るのがいいと思うぞ」
「では、そうしましょう。引き続き案内を頼みますよ」
派兵部隊は木の枝を掻き分け、草を踏み荒らして前に進む。しばらく行くと、トーマスが派兵部隊の停止を推奨し、ミリアはそれに同意して派兵部隊の進軍を停止させた。
トーマスに手招きされ、ロクスレイ達は少数でついていく。すると、森の先へ抜けて広い荒野へと出た。
荒野はわずかな低木だけで見晴らしがよく、快晴の青い空がいっぱいに広がっていた。地平線は永遠に続いているかのような錯覚を与え、アルマータ帝国の広大さを彷彿とさせた。
そして、その荒野の象徴のように、一つの大きな人工物が土地に根差していた。
「あれが城塞都市、マウロ城塞だ」
トーマスが示すように、巨大な石の壁に囲まれた城塞がロクスレイ達の眼前に鎮座していた。その出で立ちはテムール広しといえど、見たことがない巨大な建造物だ。建設には百年以上かかった歴史的な物なのだろう。
ただ、その城壁も今はところどころ傷つけられている。それは周りを完全に囲んでいる軍の攻城兵器によるものだろう。つまり、マウロ城塞はまさに城攻めをされている真っ最中であった。
「さて、これからどうする。ロクスレイにミリアよ」
反乱軍は甘味に集まる蟻のごとく、大勢が城塞都市を囲んでいた。これをどうにかするには、包囲を破壊するしかない。だが、明らかに派兵部隊の戦力は足りていなかった。
「現時点で包囲を解くのは無理でしょう。ただし、勝つための作戦は一つだけあります」
「ほう、それはいかなる奇策だ?」
トーマスは興味深そうに、ロクスレイの顔を覗きこんだ。
「今はまだ話せません。それにその前にやることがあります」
ロクスレイは意を決したような顔で、一つの提案をした。
「私とトーマスで反乱軍と交渉をします」
ロクスレイの提案に、その場にいた者は驚愕した。
「それは無謀よ。何を考えているの!?」
まず反対したのはミリアであった。
「確かにこの提案は向こうにこちらの存在を知られ、奇襲が難しくなるでしょう。ですが城塞都市と連絡が取れない限り、たった二千の派兵軍では勝ち目がありません。包囲の突破が不可能な以上、これしかないのです」
「私が言ってるのは、そんなことじゃないのよ!」
ミリアが激高するのを、トーマスがまあまあ、と落ち着かせた。
「しかしロクスレイよ。反乱軍と交渉して簡単に通してくれると思うのか? こちらの作戦など向こうにはお見通しだと思うぞ」
「一応表向きには別の理由で入城するつもりです。ですが、こちらの意図はすぐに気づかれるでしょう。だからこそ、交渉はトーマスと私で行くのです」
ロクスレイは自分の親指にはめられた金色の指輪を指し示した。ミリアはロクスレイの意図が分からないようだが、トーマスは気づいたようだった。
「なるほど。フラスクのくれた<ギフト>を使えば、少なくとも殺されることはないというわけだな」
「殺すことも捕らえられることもない……フラスクの話した前者は実証済みです。おそらく、後者も可能でしょう。貢物も二人と荷車があれば持っていけます。失敗しても、失うのは金目の物と情報くらいです」
「好機を得る代償としては目をつぶれるリスクだな。俺は賛成だ。軍団長のミリアの意見はどうだ?」
ロクスレイとトーマスがミリアを見ると、彼女は不満そうにしながらロクスレイを睨んでいた。
「……他にいい案が思いつかないわ。仕方がないけど、許可するわ」
ロクスレイは承諾を得て、にこりと笑った。
「では、決まりです」
最初の接触で反乱軍から攻撃を受けないか心配していたものの、それはあっさり回避された。
ロクスレイが白い旗を掲げながら包囲に近づくと、斥候らしき部隊が近づき、ロクスレイと会話をした。
ロクスレイの要求を受けると、斥候部隊はここで止まるように言い、踵を返して包囲の中に戻っていった。
待つこと一時間、再び斥候部隊が戻って次のように命じた。
「女王様は謁見を許可された。武器を私達に預け、ついて来い」
ロクスレイは斥候部隊の後に続き、森とは城塞都市を挟んで反対側の包囲へと案内された。
案内された場所には強固な野営陣地が築かれ、一際小高い丘の上に建てられた立派な天幕が張られていた。そこが、反乱軍の言うところの女王が滞在しているようだ。
「入れ」
斥候の一人に促され、ロクスレイとトーマスは天幕の中へと進む。そこには、作戦のための机を間に置き、老獪な将軍や威風堂々とした戦士が座っていた。
その中心に、場違いなほど壮麗な鎧に身を包んだ女性がロクスレイに話しかけた。
「お前が、壁の向こうの住人という者か」
女王は毛先まで真紅のロングヘア―を垂れ提げ、整った顔立ちにあるバラのような瞳でロクスレイを見つめていた。女王は華奢な体格にも関わらず、ロクスレイを威圧する。
それは持って生まれた貫禄なのだろうか。ロクスレイは気圧される感覚を覚えながらも、挨拶を交わした。
「私はフサール王国から来た外交官、ロクスレイ・ダークウッドと申します。特使であるミリア・サトクリフの代行として参上しました。まず、御目通り感謝いたします」
「世辞は良い。どうせこの私を討つための軍を連れてきたのだろう? 隣に居る元戦争帝王のトーマスがその証拠。それが何のためにここへ来た?」
ロクスレイはぎくりとする。確かに派兵部隊の存在を気取られる危惧はしていたけれども、こうも容易く見透かされるとは思っていなかった。この女王はどうやら、ただのお飾りでもないようだ。
ロクスレイはごまかすかどうか迷う。けれども、女王の瞳はそれを良しとしない鋭さがあり、偽りは逆効果だと悟った。それでも、機嫌は取って損はないだろう。
「ですが、私どもとしてもこの戦に介入することは気乗りしていません。ですので、こうして贈物を持って話し合いの場所をもうけさせて頂いたのです」
「持ってきた荷台の荷物の事か? まさか、あの程度の物がフサール王国の誠意なのかな。それとも、私を馬鹿にしているのか?」
これでもタルーゴ共和国に持って行った貢物の倍は持ってきたつもりだった。それにも構わず、女王は厳しく指摘する。どうやらただ宝石を見せるだけで喜ぶ性質の人間ではないようだ。
「いえ、こちらは私個人のお気持ちです。お気に召さなかったでしょうか」
「……ふむ。ならば仕方がないか。壁向こうならばもっと物珍しいものがあるかと思って期待していた。許せよ」
女王の落胆にロクスレイは慌てる。このまま不興を買ったまま交渉しても、反乱軍にとって飲みがたい要求を受け取るはずもない。
ロクスレイは悪あがきのように何か貴重なものがないか考えていると、ポケットにある違和感に気付いた。
「コメンが動いている……?」
石の精霊であり、死後の魂の象徴であるコメンは吉兆と凶兆を報せ、導くといわれている。
時には動き、時には鳴き声を上げるそれはどうやら女王の目にとまったようだ。
「ほう、それは何だ?」
「これは、テムールにとって物珍しくもない物です。女王様には似合わないと思いますが――」
「構わん。渡せ」
女王の圧力に負けて、ロクスレイは大人しく近くの兵士にコメンを渡した。
女王はそれを受け取ると、物珍しそうに眺めて手の平で転がした。
「おお、動く動く。それに鳴きおるぞ。面白いな。これは」
女王はいたく満足したようであった。
「これは貰って構わんよな」
女王の頼みに、断れるわけがない。
「どうぞ。気に入っていただけたなら感謝の極みです」
女王は満面の笑みで、コメンを懐にしまう。珍しいとはいえ、動いて音を立てる石ころを欲しがるなど物好きにもほどがある。この女王、想像以上に厄介なようだ。
「して、要求は何だ?」
満足した様子の女王はロクスレイの頼みを聞くつもりになったようだった。
「私どもは――」
ロクスレイは一瞬、どう言いつくろって入城を可能にするか考えた。しかし、女王の鋭い視線に気付く。ここでは、下手なおべっかいや嘘は通じそうにない。
仕方がない。ロクスレイは正直に自分の要求を話すことにした。
「――包囲されている軍と連絡を取るために入城したいと考えています」
ロクスレイの言葉に女王の配下たちがざわめく。あまりに正直すぎたか、露骨な企みに気分を悪くしているようだ。
ただ、女王は違った。
「うむ。率直でよい。続けよ」
女王は配下に静粛を命じ、ロクスレイの言葉を続けさせた。
「ですが、私もすんなり入城させていただけるとは思っていません。そこで一つ、役割を頂戴したいと思います。包囲されている軍に、降伏勧告の使者として参上したいのです」
ロクスレイは交換条件を提示する。動機としてはあまりに対価が少ないが、これくらいしか思いつかない。
女王は少し考えたようにして、何か思い立ったように口を開いた。
「どうせ向こうと連携を取りたいのだろう。だが、それくらいなら構わぬぞ」
女王の言動に配下たちは驚く。けれども誰かが物申すことはない。それほど、女王の権力は強いのだろう。
「私とて油断しているわけではない。もしそちらが策を講じるのであれば、この戦が長引かなくて済む。そうすればタルーゴ共和国に弱みを付け込まれる隙が少なくて済む。それに北のトウゴー族の対策も取れるしな」
包囲戦は必ずといっていいほど、時間がかかる。それこそ数か月、数年に及ぶこともままある。女王は時間がかかることによる外敵の侵略を危惧しているらしい。
「私とてアルマータ帝国の国民だ。国益を第一に考えれば、負けるにしろ勝つにしろアルマータ帝国のための手段を講じる。自分の存命ばかり考える王子とは違っておるのでな」
それは器の大きさか、はたまた単なる机上の空論なのか。どちらにしろ、この女王は壮大に物を考えるようだ。ロクスレイとしては都合のいいこと、この上ない。
「その代わりに人質を貰おう」
「人質、ですか」
「なに、実際に人間を要求するわけではない。貴様の珍しい弓と、鹿を置いていけばいい。代わりの馬も用意しよう。どうだ」
おそらく、いや絶対に女王は人質が欲しいのではなく、変わった物を欲しがっているだけだ。
それでも、それはかなり譲歩してくれたと思ってもいい。
「奪うだけなら強制的に接収してもいい。これは貴様に対する敬意だ。どうする?」
ロクスレイに選択の余地はない。
「……大事にしてあげてください。弓の名はカラクリ、鹿の名前はヴェッリと申します」
「うむ、大事に至そう」
女王は再び嬉しそうに、ロクスレイへ笑いかけた。
「良い話し合いであったぞ。入城のため、三日だけ一部の包囲を解こう。ただし軍は通さぬ。そこまで譲歩したつもりはないからな」
女王はそう告げて、今回の会談は終了した。
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