第百四十八話:仕切り直し

 精神世界の思念から表層へと浮かび上がり、俺は遂に封印から真に解き放たれる。


 意識が体の神経と繋がっていくのを感じる。

 神経が繋がり、肉体が呼応し、それに応じて体の自由が取り戻されていく。

 長き冬眠から目覚めた熊のように、現実世界に戻って来たばかりの意識はまだ不確かで、俺はおぼろげな意識のまま立っていた。


 起きた瞬間、どうやら俺の体からは何故か研究室の隅々まで満たす眩い光を発したらしい。それはどうも、鬼神が俺の体から抜けた時に起こった現象のようだった。


 証拠として、何時の間にかこの研究室に入り込んでいる、全身鎧を纏ったフェディン王と見慣れぬ高貴な貴族を思わせる魔物、それもかなり高位と見られるであろう悪魔が目を手で覆い、呻き声を上げていた。

 その間に、フェディン王に迫る影が一つ。

 目が眩んでいる最中ながらも、気配を察知したフェディン王は盾を使い、攻めてくる影の攻撃を受ける。

 甲高い金属同士が衝突した音が、辺りに鳴り響いた。

 受けた後はそのまま盾を相手に押し付けながら叩きつけ、敵を弾き飛ばした。

 

「光に乗じて攻撃を仕掛けてくるとは姑息。だがその程度の攻撃で我が装備を貫けると思うたか!」


 ようやく目が慣れたのか、フェディン王は迫って来た者に対して叫んだ。

 しかし、自分に襲い掛かって来たのが貞綱ではなく、ショートソードを持ったフォラスである事に気づくと、目を丸くしその後歯噛みした。

 即座に背後に迫りくるもう一つの影に向けて、振りむこうとする。


「遅い」


 フェディン王の振り向きざまの横薙ぎの斬撃を潜り込んで躱し、下から斬り上げる形で両腕の肘から先を斬り飛ばす。

 斬り飛ばされた腕は血を撒き散らしながら宙を舞い、やがて地面に落ちて転がった。

 勿論、斬られたフェディン王の両腕からは拍動に合わせて血が噴出している。


「ぐ、むうううっ」


 激痛に身悶えしながら、膝を着いてうずくまるフェディン王。

 次いで貞綱はまだ手が握っていた剣を蹴り飛ばし、そしてフォラスは指に装着されていた二対の神が残されし指輪を回収する。


「言ったであろう。如何に神器が素晴らしいものであったとしても、最後は戦う者の技量と心構えが全てを決すと」


 神器という言葉を耳にして、どうやらフェディン王はイル=カザレム王家に伝わる伝説の武具を装備しているらしいことに気づいた。

 強い光によって目が眩み、視界を失っている最中においても、迫りくる脅威の気配を察知できたのは、普段戦いの中に身を置かぬ王としては見事であろう。

 多分に武具による手助けがあったのかもしれないが。

 そして、余裕があれば背後から迫りくる貞綱にも気づけたかもしれない。

 フォラスは気配や殺気を殺す術は身に着けてはいないだろうが、貞綱は身に着けている。

 とはいえ、如何に気配や殺気を殺した所で、ごくわずかにその残り香は残ってしまう。

 伝説の武具とやらであれば、その残り香すらも装着者に感知させられただろう。

 

 だが、貞綱が言うように如何に武具が優れていても、結局は使い手がどう使うかが肝要だ。

 そして一度心を乱してしまうと、中々それを立て直すのは難しい。

 王は自分が策にはまったと気づいた瞬間、すぐに対応しようとしたのは流石だとも思ったが、貞綱とフォラスの方が上手であった。


「しかし、咄嗟の策であったろうに二人ともよく動けたものだ」


 俺が言うと、貞綱が答える。


「若の肉体が光を放った瞬間、某は即座に目を覆ったが為にあまり光の影響を受けずに済みました。フォラス殿は上手く某の影となる位置に立ち、光をまともに見ずに済んだのです」

「幸運だったと言うしかないの。故に、儂と貞綱殿はお互いに目で意思疎通を図り、行動に移した。魔術師が近接攻撃を仕掛けるなど夢にも思わぬだろう。これがもう少し戦いに慣れた冒険者などであれば、儂の突撃にすぐに違和感を覚えただろうがな」


 おかげでこうして、古代遺物も回収できたわいとフォラスは指輪を手に装着する。


「形勢逆転と言った所か」


 フェディン王に追い詰められていたらしい貞綱は、わずかに口の端を歪めて王の前に立つ。

 うずくまるフェディン王の腕は、よく見れば傷口が徐々に塞がりつつあった。


「ほう、そのような効果もあるのか。だが腕の再生まではなされないのであろう。斬り飛ばされた方も持ってこなければな」

「ぐぐっ」

「貞綱、殺すのか」

「正直、迷っております。今ここで殺せば背後から襲われる事はなくなりましょうが、それではこの国の民が混乱の渦に巻き込まれる事となりましょう」

「そなたが見張るか」

「……現状はそうしましょうか。しかし、我らにこれ以上害をなすのであれば容赦なく殺します」


 そして俺は、もう一つの戦いが行われていた事に気づいた。

 

 貴族の風貌をした、高位の悪魔の背後には枯れ枝のような老人の姿をした男が回っており、手刀を首に突き立てようとしていた。

 恐らくあの男は、影法師であろう。

 如何なる事が起こってあのような姿になったのかはわからぬが、恐らくは生命力吸収エナジードレインでも受けたのだろう。

 しかし、影法師の手刀は首に突き立てられる事はなく、動きは止まっていた。

 よく見れば、影法師の心臓に手刀が突き立てられている。

 悪魔は振り向きもせず、右腕の関節を人間ではあり得ぬような角度で曲げ、背後から襲い掛かった影法師に向かってその一撃を放ったのだ。


「混乱に乗じての攻撃は驚いたが、残念であったな……?」

 

 悪魔が最後まで言葉を紡ごうとした矢先、影法師の体は黒塗りの影へと変貌し、にやりと笑みを作って消えた。

 影で作った分身であったのか。

 であれば本物は何処にいる?

 その答えは、悪魔の足元にあった。


 悪魔の影は一瞬だけ、本人が動いていないにも関わらずゆらりとその影を揺らめかせたのである。


「!」


 一瞬のスキを突き、飛び出した影法師は渾身の貫手を悪魔の心臓目掛けて放った。

 それはまさに、音を越えた速度にて放たれた一撃である。

 貫手は確かに悪魔の胸を貫いた。

 悪魔の体からは、血が噴出し地面に血だまりを作った。


餓魂執がこんしゅう……」


 今にも消え入りそうな声で、影法師は技の名前らしき言葉を呟いた。

 影法師の体からは禍々しい気が夥しい程に発され、全身全霊の力を貫手を放った右腕に込めている。

 額に血管が浮かび上がり、歯を食いしばる。

 戦い、敗北した相手の魂を喰らってきた影法師は、此度は悪魔の魂すら喰らわんとしていた。


「渾身の一撃、まことに見事である。この私が心臓を貫かれたなど、何時振りであったか。だが、そなたはまだ自分と相手の力量の差が如何なるものであるか、見極められなかったのが此度の不幸だ」


 瞬間、影法師は瞬く間にやせ衰え、枯れ枝のような体であった姿から更に無惨にも干乾びた木乃伊ミイラのようになってしまった。


「残りわずかな生命力も吸わせてもらった。悪いがこの手の術は私がもっとも得意としているものだ」

「……なん、だと」

「君はどうやら、魔の者と人間の混種であるのだろう。君が使う吸精、吸魂の術は私が基礎を作り、他の魔族に広めたものだ。故に、私にその術は通じない」

「……不覚」


 干乾び、地面に倒れ伏す影法師。

 もはやその死を疑う者は誰も居ないだろう。

 動かなくなった影法師を、壁際に蹴り飛ばす悪魔。


「さて、ようやく邪魔者の一つを片付けた、が」


 悪魔は宙に視線を移す。

 どうやらそこに、奴が現れるらしい。

 そしてようやく、ノエルとアーダル、アラハバキも意識を明確に取り戻し、立ち上がっていた。


 宙の一点に禍々しい気が渦巻き始める。

 それは瞬く間に旋風が如く荒々しく猛り、周囲に殺気を撒き散らす。

 やがてそれは、明確な形を成し実体を得た。

 

 俺の体からはじき出された、鬼神であった。

 しかしそれは精神体、魂の状態である。

 肉体を持たずとも現世に確固たる実体を維持できるのは、まさに荒ぶる神であるからこそ出来る所業であろう。

 これが人間の魂であれば、実体を持つどころか生前の姿形を保つ事すら難しい。


 地鳴りの如き、唸り声を鬼神は上げた。


 猛り狂う感情を吐き出すと、研究室は大きく震えあがる。

 自らが長き時に渡って、作り上げた肉体の器を取り上げられ、追い出された事による怒りは火山の噴火の如しである。

 怒りの感情のまま、鬼神はまず俺に向かってくる。

 姿形は、俺が鬼神と成った時の姿と同じである。

 すぐさま、俺は水の心と心止観によって動きを捉え、対応する。


 火炎の嵐の如き連撃は怒りに支配されている故、単純である。

 頭を狙い、首を狙い、心臓を喰らおうとし、なおかつ手足が邪魔と言わんばかりにつかみかかり引きちぎろうとする。

 どれもを受け、捌き、躱し、時には後の先を加える事で退ける。

 

 仲間もまた、各々の技で立ち向かう。

 アーダルは自分にそっくりな二重身ドッペルゲンガーを作り出し、鬼神に攻撃を加える。

 素早い忍者の気を纏った一撃は例え鬼神であれども、全く防がずに耐えられる代物ではない。

 しかし流石は鬼神と言うべきか、目にも止まらぬ一撃を捉え、反撃を加えようとしてくるのをアーダルは冷や汗混じりで紙一重、皮膚の薄皮を抉られる程度の際どさで交わしている。

 これでわずかでも気が抜けば、やすやすと頭を砕かれるだろう。

 肉体を持たないにも関わらず、鬼神は明らかに他の魔物とは桁違いに強かった。


 だがその鬼神の心には、わずかな焦りの色が伺えた。


『やはり肉体を得なければ、消耗は避けられぬ』


 呟くと、鬼神は一瞬の隙をついて俺たちの隙間をすり抜ける。


「ぐ、なっ」


 フェディン王を見張っていた貞綱を、体当たりで吹き飛ばす鬼神。

 そして目の前に立つと、体を霧に変化させてフェディン王の傷口から中へ侵入していくではないか。


「わ、私の中に入って来るな! 止めろ!!」


 絶叫し、白目を剥いて高熱にうなされる患者のように体を震わせて苦しむフェディン王。

 

「喰われたな」


 アラハバキがぽつりと呟いた。

 やがて動かなくなったフェディン王は、白目を剥いた状態で唐突に立ち上がってこちらにぐるりと目を向ける。

 その目は金色に輝いていた。


『流石に、我と繋がりのない者の肉体は中々馴染まぬが、無いよりは余程良い』


 そして腕を掲げると、無くなった肘の先から徐々に再生が始まった。

 すっかり元通りに再生した腕の機能を確かめるように手と指を動かすと、更に体が二倍、三倍に膨れ上がった。

 肌の色も赤銅色に色づき、額に角が二対生えてきた。

 鬼神と成った者の姿である。


 鬼神は首を動かし骨を鳴らしながら、改めて拳を握り構えた。


『まあ、よい。肉体は宗一郎を殺した後に改めて奪えば何とでもなる。仕切り直しだ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る