第百四十七話:覚醒

 *ここで時系列が少し前に戻り、宗一郎の視点に戻ります。


 闇に包まれた後、俺に訪れたのは何も無い、全てが白く包まれた空間だった。

 白い世界から、何時の間にやら地面から俺の故郷の風景が生まれている。

 穏やかな、平和だった松原の地。


 父親が領地を馬に乗って見回っている。

 子供の俺はその後ろに、やや小さめの馬に乗ってついていく。

 小さい領土ながら、良く治められていて領民は父の姿を見るとその度に何かを言っては頭を下げたり、手を合わせて拝んでいたりもしていた。

 領地の視察から戻ってくると、母親が屋敷の中で幼い兄弟の面倒を見つつ、穏やかな笑顔を浮かべていた。

 

「宗一郎、帰って来たの?」

「うん」

「来なさい」


 言葉に誘われるままに、母親に向かって抱き着いていく。

 母は微笑みながら、俺の頭を撫でていた。

 母の手の感触を確かめながら、膝枕となって俺は何時の間にか眠っていた。


 すると、場面が変わり今度は俺と貞綱が道場で剣の稽古をしている。

 貞綱と、互角に渡り合っている。


「若も強くなられた」

「貞綱が厳しく鍛え上げてくれたからだ」

「その言葉、ありがたき幸せ」


 貞綱の剣にわずかな隙を見つけ、貞綱の打ち込みを弾き飛ばし、木剣の切っ先を突きつける。

 諸手を挙げて降参する貞綱。


「もはや若には敵いませんな」

「いや、本日はたまたま勝てただけだ。明日はどうか全くわからん」


 お互いに笑いあった。

 するとまた場面が転換し、今度は俺が城の天守閣から広がる松原の領地を眺めている。

 背後には年老いた父が立っており、遠い目をしながら同じように風景を見つめている。


「そなたに領主の座を譲り渡してから十年か。よく治められている」

「まだまだ、父上のようにはいきません。民草の心を理解するのは難しい」

「そのような事はない。民は皆、そなたに十分心を寄せている。何も心配する必要はない。そなたは今後、世継ぎを如何に作るかを考えれば良い」

「世継ぎですか」


 十年経っても俺には伴侶となる人がいなかった。

 いなかったというよりは、探す暇がなかったというべきかもしれない。

 父親から領主の座を受け継いでからというもの、家臣の支えがあったとはいえ、全てがわからぬ事だらけで、領主の役割に慣れるまでは考える余裕が生まれなかった。


 いや、俺には伴侶となる女性がいたような気がするが……。


 ふっと何かが頭によぎった気がするが、それが何であったのかは霞が掛かったかのように思い出せない。

 気のせいだろう。


「そなたには、松原の西の大国から娘を娶り、関係を強化してもらいたい」


 松原は強国ふたつにはさまれた地である。

 今まで、三船家はどちらにも与さずに勢力としてやってきたが、情勢も変わりつつある。 東の隣国はお家争いがあり、兄と弟で骨肉の争いを繰り広げているらしい。

 となれば、東の隣国を滅ぼす良い機会だ。

 西の隣国と手を組もうと言う考えも頷ける。


「三船家単独でやっていくのはそろそろ限界だと思っていました。同盟を結び、基盤をより盤石とすべきでしょう」


 基盤をより盤石に。

 いや、そもそも既に三船家は……。

 思い出そうとするたびに、やはり何かに思考を遮られる。

 穏やかに、しかし真綿に全身を徐々に絞めつけられているような感触がある。

 怪訝な顔をしている俺に、父は近づいてくる。


「何か気にかかる事でもあるのか」

「……いえ」

「余計な事を考える暇はないぞ。いずれ三船家は、日ノ出国すべてを支配するほどに大きくなる。今回の縁談はその第一歩だ」

「はい」


 父はそう告げると、天守閣から降りて行った。

 

 天守閣から眺める蒼天は、清々しい程に突き抜けている。

 太陽の輝きは眩いほどに煌めいている。

 鳥たちはゆっくりと空を飛び、天敵を気にする様子もなく大地に降り立ち、虫を啄んでいた。

 何もかもが都合が良い。

 何もかもが。


 余計な事を考える暇はない。

 余計な事を考える必要はない。

 余計な事を思い出すな。

 余計な事を……。 


 考えるな、何も。

 俺は三船家の将来だけを考えれば良いんだ。


 天守閣から降りる為に振り返ると、天井から光る糸が垂れ下がっている事に気づいた。

 いや、それは糸ではない。

 動いている。

 何かを探る様に。

 未知の生物であろうか。

 その割には、ひどく懐かしい気配を感じた。

 

 誘われるように、光る何かに手を触れた。


 瞬間、そこから全ての記憶が蘇って来る。

 頭の中に掛かっていた霞が全て晴れた。

 同時に、この世界がまやかしである事を悟ってしまう。

 ここは、俺の記憶を元に作った願望の世界だった。

 こうであってほしかったという幻。

 

 現実はそうではない。

 

 松原は戦火に焼かれ、三船家は戦に負けて追われ、消えた。

 俺以外の家族は死んだか行方知れず。

 領民もどうなったか、今の俺には知る由もない。

 俺は故郷から、国から逃げた負け犬だ。


 だが逃げた先で、居場所を見つけられた。


 それがサルヴィであり、冒険者という仕事であった。

 更に俺を支えてくれる存在が居た。

 ノエルとアーダルは言うまでもない。

 それとサルヴィで仕事を共にする人々、俺を慕ってくれる人々であった。


 もはやこの偽りの世界にいるべき理由はない。


 気が付けば、何時の間にか幻の風景は全て消え去った。

 虚無だけが広がっている。


 全ては諸行無常、常に同じであるものは存在しない。

 古き時代から続いた三船家の歴史は俺の代で潰え、一夜の夢のように消え去った。

 三船家の歴史は、俺の頭の中にしか存在しない。

 全ては儚く、塵のように容易く吹き飛んでいく。

 どんなに強固で盤石であるかのように見えても、何か一つの切っ掛けで崩壊してしまう。

 人の営みも、何時どんな切っ掛けで消えてしまうかわからない。

 だからせめて、俺は今生きているこの世界を守りたい。


 ――宗一郎、ここにいるんでしょ。目を覚まして――


 はっきりと聞こえた。


 俺は光る糸をしっかりと握りしめる。

 すると、糸ははっきりと人の形を成し始めた。

 ひどく見慣れた、しかし何年も会っていなかったかのような郷愁に襲われる。


 今、そちらへいく。

 待たせてしまって済まない。




 * * *




 目を覚ますと、俺の目に入って来た光景があった。

 即ち宙に浮かぶ無数の血走った目、鬼の腕と足、そして牙の生えた口が、三人に襲い掛かろうとしている。

 その三人とはつまり、ノエル、アーダル、得体の知れぬ金属の人間である。

 いや、あれを俺は知っている。

 アラハバキだ。

 俺を助ける為に、仲間が俺の精神の中に入る為に架け橋となってくれたもの。

 アラハバキがいなければ、俺は救われる事はなかっただろう。


「ノエル、アーダル、アラハバキ!」


 叫ぶと、無数の目が一斉にこちらに注目し、睨みつける。


『貴様らが余計な手出しをしたが為に、この男が目を覚ましてしまったではないか。全ての計画が台無しだ。断じて許せぬ。貴様らをここで全て滅してくれる』


 目と腕、足と牙が収束し、それはやはり見慣れた鬼神の姿を成した。

 しかしその大きさは想像を絶するほどで、例えるなら山を見上げる程の大きさとなる。

 足を少しでも上げ下ろしすれば、俺たちなど蟻を潰すに等しいだろう。


「貴様は一つ忘れている」

『何をだ』

「あくまで此処は俺の精神世界だ。先ほどはつけ込まれ、一気に支配されたが今度はそうはいかぬ」

『馬鹿め。人間如きが神に敵う訳がなかろう』

「長く生きすぎて脳髄が呆けたか。我が先祖に首を狩られ、心臓を貫かれた事を。人は神にも勝てる。俺一人では無理でも、仲間と力を合わせればな!」


 俺の言葉と共に、ノエルとアーダルがそれぞれ隣に回り、俺の肩に手を掛けた。

 そして背後にはアラハバキが回り、両手を背に触れ、念じ始める。

 三人の考えが伝わって来る。


「宗一郎、鬼神なんて貴方の敵じゃない。あの横っ面を張り倒してやりましょう」

「ミフネさん、僕は貴方と共に生きたい。だからあいつを、あの神様を名乗る奴を、やっつけましょう」

「宗一郎。ここはお前が支配する場だ。自らを信じろ。そうすればどこまでも強くなれる。何だって出来るようになる」


 ノエル、アーダル、アラハバキから精神の力が伝わって来る。

 そして俺は自らの感情を平坦にし、思考すら空とし、凪となった海のようにただ相手を観ている。


 涅槃の境地。


 全ては空也。

 ありがままに、あるがものを観る。

 

 俺の心には、鏡となって鬼神の考えている事が映し出されている。

 今、奴は何を成そうとしているのか。

 どのような思考を巡らせているか。

 恐怖を感じている。

 焦りを感じている。

 己が自覚は無いが、その萌芽は確かに心の片隅に小さく芽生えていた。


 鬼神の形となったものが、俺に襲い掛かって来た。

 その未来の軌道が観える。


 無数の腕を生やし、振るおうとしている。

 その腕で俺を引き裂いたら、それを呑み込み糧としようとしている。

 俺を吸収したら、仲間をも喰らって消滅させようとするだろう。

 

 俺は無数の腕が生えようとしている肩口に向かって跳躍し、練り上げた精神の野太刀を振るった。

 野太刀はするりと肩と腕の関節に滑り込み、腕は解体されるかのように斬り落とされる。

 腕を生やし、振るおうとしている前に斬られた事で鬼神は目を見開き、呆気に取られていた。


「なっ」


 次いで、鬼神のもう片方の腕を斬り落とす。

 腕を両方なくし、泡を喰っている所で俺は刀に光を宿した。

 それは師匠、結城貞綱が使っていた技。

 霊気の光波を飛ばすものである。

 鬼神を倒し、祓う為にはこれ以上ない技だろう。

 

 蒼い光が、刃に纏われる。


「宗一郎、行け!」


 ノエルが叫んでいた。

 

 俺の世界から、出ていけ。


「破!」


 刀から光波を放出する。

 光の奔流が迸り、鬼神の体に衝突した。

 奔流は肥大化した鬼神の山のような体を、少しずつ押し始める。


「ぬううううっ」


 やがて鬼神は宙に浮かび、奔流の流れに抗えず精神世界の深層から上方へと吹き飛ばされていく。

 はじめはゆっくりと、しかし徐々に速度がつき始め、やがて水の流れが岩を押し流していくように。

 勢いは留まるところを知らず、翻弄されていく。

 

「おのれ、一度ならず二度までも……!」


 鬼神の恨み節は遠吠えとなり、やがて聞こえなくなった。

 闇に包まれていた空間は徐々に闇がほころび始め、光が満ちていく。

 俺の中に巣食っていた悪しきもの影響が無くなったからだろう。

 非常に晴れやかな気分だ。

 

「やったな、宗一郎」

「ミフネさん! もう二度と起きないんじゃないかと思いましたよぉ」

「……宗一郎。これで借りを返せたかしら」


 それぞれの言葉が心に沁みる。

 特にノエル。

 ずっと心の片隅に、自分の為に俺が金と時間を費やしたのを負い目に思っていた節があるのを、俺は感じていた。

 今回の事で負い目がなくなったのならこれ以上嬉しい事はない。

 俺は三人を抱き寄せる。


「来てくれて、本当にありがとう。皆がいなければ、俺はずっと幻の風景の中で眠っていただろう」


 さあ、あとは目覚めて現実世界に戻り、けりをつけにいく。

 全ての元凶に。

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