第百四十六話:現実世界での戦い

 貞綱とフェディン王の戦いが繰り広げられている。

 だが、それはもはや戦いと呼べるものか怪しいものであった。

 ともすれば、子供が木剣を持って大人に立ち向かうのをあくび混じりにいなすかのような戯れに、傍からはそう見えた。


「霊気錬成の型・刹那」


 貞綱が再度、自らの身体能力を底上げする奥義を発動する。

 通常の三倍、いやそれ以上とも言われる霊気の循環を更に速める事で潜在能力を引き出し、肉体の限界を越える奥義である。

 その代わり反動もすさまじく、また発動してから継続する時間も瞬息より短い。

 しかし貞綱はこの奥義を十二分に習熟しており、一回の戦闘の間なら継続できる。

 それで身体能力をブーストしてもなお、神器を身に纏ったフェディン王には太刀打ちできていないのが現状だ。


 更に貞綱は、大太刀に霊気を送り込んでいる。

 霊気に覆われた刀は、白い光から青色の輝きを帯び始める。

 それは宝玉のサファイアに似た蒼い光。

 魂の色にも似て神聖な雰囲気すらも漂わせる。

 貞綱の集大成の奥義、破邪顕正。


「溌!」


 刀を振ると、蒼い光は奔流となってフェディン王に放たれる。

 どんな熟練の剣士や魔術師であろうとも、これに対抗する手段はない。

 光の速さで向かってくるものに、どうやって反応せよというのか。

 先読みでもして避けるのが関の山であろう。


 対してフェディン王はにやりと笑い、貞綱と同じように剣を振るっていた。


「ぬうっ」


 神器の剣は、破邪顕正と同じ輝きを見せたかと思うと、また同じく光の奔流を放った。

 ちょうど二人の真ん中の位置で、奔流同士の相殺が発生する。

 ぶつかりあう光の輝きはまともに見られぬほどに眩く、周囲に居る者すべてが目を覆わずにはいられなかった。

 やがて奔流は、大きな雷鳴の如き衝撃と輝きの残滓を部屋に残して対消滅する。


「ネズミの割りには大層な剣技を操るではないか。隣国の間者などで無ければすぐにでも召し抱えたい所であったがな。残念なものよ」

「生憎だが、それがしは貴様に仕える気は全くない」


 秘奥義を使った貞綱の顔色は酷く青ざめ、気力で立っているような状態だった。


「貞綱!」


 フォラスが貞綱をカバーすべく、プリズミックミサイルを放つ。

 虹色の七つの光は不規則な軌道を描きながらフェディン王に向かうが、一つが鎧に到達する前に見えない障壁が展開し弾かれ、霧散する。

 また他の六つの光も、左手に持つ盾を軽く振るう事でパリィされ、逆にこちらに向かってくる始末だ。


「やはり、無駄か」


 フォラスは反射されたミサイルをアンチマジックの障壁で弾き、霧散させる。


「この鎧と盾の前に、魔術は無力。鎧には常に魔術障壁が展開し、盾は如何なる攻撃をもはじき返す。無敵だ」

「ならばこれならどうか」


 フォラスは印を結び、詠唱する。


「汝の力を我は希う。時を司り、空間を操るものよ。我が眼前に立ち塞がる敵を、その力を以て縫い留め給え」


 身振り手振りと共に、フォラスの目の前に魔法陣のような図柄が浮かび上がる。


――空間固定――


 フェディン王の周囲の透明な箱のようなものが発生し、身動きが取れないよう固着させようとする。

 しかしフェディン王が装着している二種の指輪の、中指に着けている方が輝いた。

 指輪の放つ光が透明な箱を真っ二つに割り、箱は地面に落ちてガラスが割れたような音が響き渡った。


「それも無駄だ。私には時空と次元を操る指輪もある。確かに其方は稀代の魔術師だが、私には通じない。大人しく事の成り行きを見守っているがいい」


 フォラスは額に皺をよせ、苦虫を噛み潰した顔をするが、現状はフェディン王に通じる魔術が無い故に引き下がらざるを得なかった。


「噴!」


 秘奥義を破られてなお、果敢にフェディン王に立ち向かう貞綱。

 疲労の色は隠せないが、それでもなお一般の兵士であれば一刀の下に斬り伏せられる、嵐のような連撃を仕掛ける。

 だがその剣技すらも、フェディン王はやすやすと防いでいった。

 いや、防ぐばかりか徐々に自ら仕掛け、貞綱を圧倒し始める。


「馬鹿な、何故通じぬ」

「指輪を使い、事前に脳の処理速度、反射神経、動体視力を上げさせてもらった。加えて、この剣には剣豪の人格と技量が備わっている。ようやく其方の技に慣れてきたようだ」

「……全てが借り物、仮初めのもので勝負して勝って、それで嬉しいのか。それで胸を張れるのか」

「負け惜しみなら幾らでも吐けば良い。王たるもの、自らが抜きんでて強い必要など全くないのだ。必要ならば周囲の者を利用し、折角の有用な道具があるなら惜しみなく使うべきだ。兵士には代わりは幾らでもいるが、王に代わりはおらぬ。死んでしまえば国は終わりだ。故に、如何なる手段を使っても負けるわけにはいかぬのだ!」


 フェディン王の打ち込みが、更に激しくなっていく。

 既に貞綱は自ら仕掛ける隙を見出せなくなっており、防戦一方となっていた。

 急所を避けるので精一杯であり、腕や足には浅いながらも刀傷が作られていく。


 まだ目覚めぬのか、若。

 

 じわじわと、気づかぬうちに貞綱の心には焦りが生じていた。




 その頃、影法師とアークデーモンの戦いも佳境に入りつつあった。


「殺」


 影法師は一度、自らが作る影の中に溶け込んだ。

 そして影から再び浮かび上がってくるのは、無数の影法師を模した分身である。

 影で作られた本当の影分身。

 この中のどれかが本体であるのだが、全てが影を纏っているが為に一見しては区別がつかない。

 

「ほう。面白い手を使うものだ」


 アークデーモンは泰然とし、全く動かない。

 目だけを細め、どれが本物であるかを見極めようとしている。

 影が一斉にアークデーモンに向かい、襲い掛かった。

 無数の影が飛び掛かって来るのを、ひとつひとつ丁寧に鞭で防ぎ、捌いていく。

 その中の一つに、アークデーモンはわずかな違和感を掴み取った。

 首筋を狙った、跳び蹴りを放とうと跳躍している影。

 

「それか」


 アークデーモンは跳び蹴りを半身だけずらして躱し、鞭を持たない左手の方でその影の首根っこを掴んだ。

 流石に悪魔だけあり、その膂力は人間離れしている。

 片手だけで人を持ち上げ、吊るしていた。


「うまく殺気を殺していたが、最後の最後、私に向かってくる所でわずかに刺すような殺気が漏れたのを感じ取らせてもらった。惜しかったな」


 影法師の殺気を消す術は一流の暗殺者であろうとも気取れるものではなかったはずだが、そこは悪魔の中でも最上位に近い存在だけあり、気配を探る術には長けているのであろうか。

 掴まった瞬間、分身の影は音もなく消え去っていた。


 左手は冷たく白く輝き、影法師の胸から何かを取り出した。

 青くゆらめく火の玉に似たものが浮かび上がった。

 それは人の魂。

 アークデーモンは魂の熱を、少しずつ左腕から伝って奪っていく。


「ぐっ、があっ」

「苦しいか。私の左腕は等しく全ての生物の命を奪う。貴様の旺盛な生命力は、どれだけ私に力をもたらしてくれるかな」


 はじめはアークデーモンの左手を振り払おうと腕を掴んでいた影法師であったが、徐々に動きが鈍くなっていく。

 魂から火を、熱を奪われるにつれ影法師は徐々に老化を始めていた。


「ほほう、これだけ奪ってもまだ生きている。普通の人間ならとうに干乾びているというのに、貴様もまたどれだけの他者の命を奪って我が物としたのかな?」

「……そんなもの、とうの昔に数えるのを止めた」

「!」


 静かに呟いた影法師の言葉と同時に、アークデーモンの左腕からは血が噴き出していた。

 紫色の、毒々しい色の血が地面に零れ落ちる。

 生命力を奪われてなお、影法師は渾身の力と集中力を絞って影の刃を練り上げ、アークデーモンの手首を切断した。

 勿論、手首を斬られたからといって悪魔がその程度で死にはしない。

 即座に手首を再生し、ひとまず間合いを取るアークデーモン。

 絶体絶命の状況からは脱したが、影法師は自らの手がしわくちゃの老人になっているのを見て、舌打ちをした。


「今にもよろけて倒れそうな老人よ。抵抗など止め、私の一部となるがよい」


 アークデーモンが、炎の鞭を地面に打ち付ける。

 そこから煉獄の炎が飛び散ると、炎は柱となって天井まで立ち昇る。

 炎はまるで自らの意思を持つかのように、次々と立ち昇って影法師の下へと蛇のように向かっていった。

 影法師は避けようと一歩踏み出すが、思った以上に生命力を奪われた為か足取りすら覚束ない事に狼狽える。


 炎の柱が今にも影法師の足元から立ち上ろうとした瞬間、誰もが予期しない事が起きた。


 時間が止まっていた鬼神の体から、眩い光が発されたのだ。

 その部屋に居た誰もが目が眩み、動きを止めざるを得なかった。


「何が起こった!?」

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