第百四十五話:精神世界の海
アラハバキを介して宗一郎の精神世界に潜り込んだノエルとアーダル。
「……暗い。何がどうなっているのかしら」
ノエルが認識している世界は、闇に包まれている。
初めに自分の姿がどうなっているのか確認しようとしたが、自分がおぼろげな、もやのかかった人の形のした何かでしかない事に気づいた。
今ここが何処であるのかも確認する術はない。
アーダルも同様であった。
不確かな、人のような塊をお互いに見ていた。
「ノエルさん?」
「もしかしてアーダル?」
「僕たちどうなってるんだろう……」
気づけば、自分である塊が少しずつ闇に溶け込んでいた。
このままでは、精神世界に流れ出て呑み込まれてしまうかもしれない。
「どうしよう――」
『ノエル、アーダル。まずは落ち着け』
不意にどこかから声が聞こえた。
ノエルとアーダルの目の前に現れたそれは、金属の光沢を放つ人間であった。
「誰?」
『アラハバキと君達が呼ぶものだよ。今君達は、自分の姿すらおぼろげで、闇の中を漂っているように感じているだろう』
「そうなんです。どうすればいいんですか?」
『まずは認識から始めよう』
アラハバキは言った。
『今、君達は不定形の塊だ。そのままでは自我や意識もここに溶けだし、やがて一つとなってしまうだろう。まずは、自らの現実での姿を強く意識し、思い出す事だ。自分が何者なのか。自分が何であるのか。念じよ』
「自分が何なのか……」
ノエルとアーダルの精神体は、自らの姿を強く念じる。
すると、徐々に現実世界の自らの姿が形作られるようになってきた。
「わっ、急に形になってきた!」
「僕も。でもまだ体がふわふわ空に浮いてる感じがします」
『それは自分と精神世界の認識の折り合いをまだつけられていないからだ。ならば、どちらが上下であるかを定めよう。私のように立つのだ』
「地面も無いのにどうやって?」
『改めて言うが、ここは精神世界だ。現実世界ではない。強く念じよ。上下は自分が決めるものだと』
言われ、ノエルはアラハバキの姿を見てそれを基準とし天地を認識した。
すると今まで頼りなく水中を漂っていたクラゲのような体が回転し、見えない地面へと足を付き、着陸した。
アーダルも同じようにアラハバキと同じ高さの「地面」に着地し、直立する。
「アラハバキは精神世界に潜ってもすぐに自分の形を持って、確固とした方向感覚も持ってて凄いのね」
『宇宙空間を漂っている時と似ていたんだ。自分以外に基準とすべきものは何も無い。天地も無く、暗黒の中に時折瞬く星だけが頼りだ。星と自分以外に何も無く、自我をしっかりと保っていなければ、冷たい宇宙の中ではすぐに発狂してしまうだろう』
とはいえ、はじめに生まれた環境も異なり、人間という炭素生命体とも体のつくりが異なるから順応できたともアラハバキは言った。
何より、宗一郎と融合した事で精神の波長もわかり、あらかじめ精神世界に馴染んでいたからこそすぐに形を取れたとも。
天地を得ると、少し周囲を見渡す余裕も生まれてくる。
現在地を基準として、「上」の方向に目をやれば薄く青みがかった水面のように色づいているのが見える。
恐らく、あれが意識の表層なのだろう。
水面はまったく揺らめかず、静止している。
そしてノエルたちの周辺には、闇の所々から光と色が時折生まれては消えているのが見えた。
火山から噴き出すマグマのような激しく鮮やかな赤いものが噴出している所もあれば、深海の如く静けさを湛えた青のような領域もある。
他にも風になびく草原を思わせる緑の領域もあれば、陽気な春の日差しの如き穏やかなオレンジ色が差し込んでいる場所もあった。
『それらの色、光の一部に触れてみると、宗一郎のことが少しわかるはずだ』
アラハバキに言われるがまま、恐る恐るノエルはマグマに似たものに触れる。
すると、一瞬にしてノエルの中に流れ込むものが。
「なに、これ」
かつて宗一郎が故郷に居た時の事、父親が亡くなった折りに攻め込まれた故郷の苦い思い出、その時抱いた感情、思考。
そのすべてが流れ込み、知らぬ間にノエルは涙を流していた。
またアーダルは、深海の如き深い青に触れる。
アーダルの中に流れ込んでくるものは、哀しみ。
戦乱によって混乱した故郷を脱出し、命からがら逃げた先で母が狂い、母に罵られる日々。その挙げ句、失意の中死んでいった母に対する感情。
アーダルは胸を押さえ、うずくまった。
「ミフネさん、そんな事があったんですね……」
『周囲にあるものに触れると様々な感情や記憶の欠片に触れる事になる。迂闊に触れてはならないが、精神の動きや中に何があるかを調べる為には取り込んでみなければいけない時もある』
そう言って、アラハバキは虚空の闇そのものの一部を切り取り、「食べた」。
『宗一郎の意識の本体は此処には無いようだ。鬼神の意識のもな』
「鬼神も一緒に居るんだものね、当然か」
『奴が精神世界の何処かに罠を張っているかもわからない。宗一郎の意識本体を見つけるには慎重に潜って行かねばならない』
「ここはまだ精神の浅い部分なの?」
『そうだ。恐らくは鬼神に、宗一郎の精神は深い場所に押し込められたに違いない。深い場所に行くにつれ、精神世界からの浸食は大きくなる』
アラハバキは周囲に浮かぶ精神の残滓を取り込み、全身を覆う膜のようなものを作り出した。
『君達も防護服を作るんだ。自らの自我と意識を守る為にな』
言われるがまま、アラハバキにならって二人も防護服を作り出し、三人は更に下へと潜っていく。
潜っていく最中、泡のようなものが浮かび上がる。
泡もまた様々な色が付いており、その中には宗一郎の何らかの記憶の一部があるのだろう。
或いは、鬼神の記憶の欠片かも知れない。
更に潜っていくと、火山のように吹き上がっているものが見えた。
いや、それは火山ではない。
炎が蛇のように渦巻き、とぐろを巻いて時に天に向かって伸びている。
それが何匹も生まれては消え、消えては生まれている。
『あれは恐らく鬼神の意識の欠片だろう』
アラハバキは言った。
精神の波長が宗一郎とは全く異なるらしい。
炎蛇からは時折無数の目が生まれ、周囲をぎらぎらと睨みつけては口を開け、その口からはまた炎が吐き出されて新たな炎蛇が生まれている。
燃え盛る炎蛇の体から時折炎が落ちるが、その炎は粘着質でスライムのようにどろりとしていた。
闇の中に落ちた炎は、しばらくその場をとどまって焼きながら、消えていくと同時に虚空を作っていく。
穴が空いた精神はどうなるのか。
それはアラハバキにすら窺い知れない。
『あの炎蛇を刺激してはならない。気配を殺し、精神世界の波長と同化するんだ』
アラハバキがノエルとアーダルの手を握り、心を平らにする方法を二人の意識に流し込む。
精神的な修業を行っていない二人でも、アラハバキのおかげで宗一郎の精神の波長と同化し、炎蛇に気取られる事無くさらに潜っていく。
ゆっくりと海底に沈んでいくクジラの死骸のように、三人は注意深く潜り続け、ようやく精神世界の深部、底に降り立った。
白く細かい粒子の砂が敷き詰められたその場所は、砂の隙間から時折激しく泡が噴き出している。
「この下に宗一郎がいるような気がする……」
ノエルは、宗一郎の気配を感じ取ったようだ。
「どうやって探ります?」
『触腕を作り、砂の中を潜らせていこう。おおっぴらにはやらず、静かに、音もなくゆっくりとだ』
イメージせよ。
自分の手から、さらに糸が伸びるように。
自らの髪より細く、絹糸より細く、さらにアラクネの生み出す強靭な糸よりも細く。
糸を二つに裂き、裂いた糸をまた二つに裂き、更に細く目に見えぬ程の細さにする。
『宗一郎の意識は封印されている故、不確かであやふやな状態になっているはずだ。私はおぼろげにこの辺りに居る事しか感じられないが、君達なら宗一郎を感じられるはずだ』
砂の中に、意識の糸を潜らせていく。
時折触れる、宗一郎の感情や記憶の欠片がそのたびに二人に流れ込んでくる。
ノエルを助けるため、迷宮と寺院の往復を続けていた日々。
遺体安置所に訪れては安置されているノエルの体を眺め、その度に歯噛みし、いずれは蘇らせると誓っていた。
アーダルを助ける為に、不死の女王と対峙していた宗一郎。
卑劣な女王の罠に掛かりながらも、何とか彼女を死なせずに助け出すべく思考を巡らせていた時の事がアーダルに流れ込んでくる。
そして、師匠と呼ぶ貞綱との戦いの記憶。
記憶を失っているとはいえ、師匠と対峙する羽目になった宗一郎の苦い思い。
それらの生の感情、意識、記憶を更に取り込んでいく事で、宗一郎の精神と更に同調を重ねていく。
波長が何処から来るのか。
砂の中を進み、潜らせ、また進む。
闇の中を手探りで進むのとまるで変わらないが、確かな気配はある。
「見えた! 宗一郎!」
ノエルとアーダルが砂の中に埋まるものに触れた瞬間、繋がりを得た。
それは宗一郎の押し込められた意識そのもの。
二人が伸ばした糸が繋がると、心臓の拍動のようにそれは動き出した。
目覚めたのだ。
砂の中から光り輝く球体が浮かび上がり、不確かな形だったそれは、瞬く間に現実世界と同じ宗一郎の姿を取り始める。
「やった!」
三人が喜ぶのもつかの間、静けさを保っていたはずの精神世界が大きく揺れ動き始めた。
宙を見やると、虚空に無数の血走った目と牙を生やした口、そして炎蛇が三人を睨みつけている。
『時間停止の効果が切れたか!』
「どうするの!?」
――決まってる。鬼を、俺の中から追い出すまでだ――
* * *
そして現実世界においては、貞綱とフェディン王の戦いが繰り広げられていた。
しかしフェディン王には傷一つなく、貞綱だけが傷つけられ、消耗している。
「やれやれ。如何に最終的には自らの腕が勝負を決めるとは言ったものの、あの装備は桁違いにモノが良すぎるな……」
思わず口が零れる貞綱。
フェディン王が掲げた剣からは、貞綱がかつて放った奥義のような光が纏われていた。
「我が神器の前に、立ち塞がる者はなし。頭を垂れて跪くが良い」
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