第百四十四話:サイコダイブ


 ノエルは鬼神を睨みつけ、叫ぶ。


「このまま宗一郎を鬼神のままになんて、絶対にしない!」


 瞳には決意の炎が燃え盛っている。

 宗一郎を必ずや目覚めさせ、鬼神を倒すのだと雄弁に語っていた。


「結構な啖呵だ。如何にして我を倒すつもりなのか、実に興味がある」


 鬼神は銘の無い野太刀を抜き、構えた。

 

 野太刀は幾度となく魔物を斬ってなお、その刃にはわずかな刃こぼれすらない。

 

 最初は何の変哲もない、大振りの刀である以外には普通の刀であったと三船家の伝承では伝わっていた。

 しかし、鬼神を斬り、その心臓を貫いてから野太刀に力が宿り始める。

 魔の者、あやかしを幾星霜にも渡って斬り続けてきた結果、明らかな呪力のようなものを刀は纏っていく。

 宗一郎の代になってからは更に、強力な魔物をたてつづけに倒して来た。

 神に近しい領域の者ですら斬れるほどに、刀は力を持った。


 それで人間が斬りつけられたらどうなるのか。

 誰も想像はつかない。

 増して、鬼神の闘気が流し込まれている刀は、さらに大きく長くなっていた。

 90cm以上あった刀身は、人一人ぶんにはなっている。


「勿論、僕もミフネさんを目覚めさせたい。でもどうやって? 鬼神を倒しちゃったら、ミフネさんも当然死にますよね。そして鬼神の魂と精神はまんまと抜け出して逃げちゃいますよ。その前に、鬼神を倒せるかどうかもわからない」


 アーダルの言葉ももっともであった。

 命を賭けて戦わなければ、鬼神には一太刀すらも浴びせられないだろう。

 だが、アラハバキは答えを持っていた。


『私が再び宗一郎と融合し、彼の精神世界にアクセスして働きかけられれば目覚めるかもしれない』

「そんな事が出来るの!?」


 ノエルが叫ぶ。


『可能だ。融合を果たした事により、彼の肉体、精神の波長は全て読み切った。だが、鬼神が表に出てきている間に融合を図ろうとしても、弾かれるのが落ちだ。鬼神を眠らせるなり、気絶なりさせられなければな』

「それは不可能だ。そんな手加減じみた真似を出来るような相手ではない」

「スリープの魔術が通れば可能性はあるじゃろうが、スリープが効くような相手には見えぬのう」


 貞綱とフォラスが言う。

 ここに居る誰もが思っているはずだ。

 殺すか殺されるかの極限の戦いの中で、気絶させるなどできるものかと。


『それでも、目覚めさせたいのならやるしかない。私はあきらめない。君達も同じ思いの筈だろう。宗一郎を失いたくないのなら』

「勿論よ。わたしを見捨てても良かったのに、宗一郎は長い時間をかけて蘇らせてくれた。今度はわたしが恩を返す番よ」


 ノエルは固く、竜骨の大槌を握りしめる。


『精神に呼び掛けるなら、やはり繋がりの深い者が語りかけるのが一番効果があるだろう。即ちノエル、君だ。私を介してサイコダイブし、宗一郎の目を覚まさせろ』

「無論そのつもりよ」

「……どこで奥の手を使うべきかと思案していたが、今この時をおいて他には無いな」

「フォラス殿。そのような手立てがまだあるのか?」

「貞綱殿よ。儂こそが時空を統べる魔術師フォラスである。時を遅く、時には早く、そして止める事すら可能だ」


 時を止める魔術。

 時は如何なる状況にあろうとも、先へ進むのみで前に戻る事もなく、また現在のまま留まる事もない。

 如何なるものにも平等に過ぎるものが時である。

 この老人を除いては。


「時間停止。時空を操る魔術における真髄の一つだ。この魔術は如何なるものであろうとも、逃れる術はない。しかし未だ、この魔術の構成は途上にある」

「途上、つまり未完成と言う訳か」

「左様。時を操るという行為、それ自体がこの世の理に反するものだ。未だ完全なる制御には至らぬのはひとえに、儂の力不足だ。現状、時を止める魔術は誰か一人の身を対象とする。広範囲に仕掛ける事はできない。効果は相手によって前後するが、恐らくは数分しかないだろう」

「数分でも、肉体と精神の働きを止められるのでしょう? ならばそれ以外に道はないわ」

「それだけではないぞ。遡行リターンと同じように、儂のマナは全て使い切ってしまう。魔術の使えない魔術師など木偶の棒と同じよ」

「その為にユグドラシルの雫を持って来たんですよね?」


 アーダルが言うと、フォラスは頭を指で掻いた。


「確かにそうなんじゃが、雫を飲んだからと言って即座に全回復はしないんじゃよ。儂のマナ容量が満たされるまでは三分くらい必要なんじゃ。容量が他の魔術師なんぞより遥かに大きいからの」

「その間、この場に居る敵を相手にしなければならないのは、某とアーダル殿になるわけですか。これは厳しいな……」

「僕もミフネさんの精神世界に潜ります」


 アーダルの言葉に対し、貞綱は虚を突かれたように目を見開いた。


「そなたもか?」

「勿論ですよ。僕だって、一緒にいた時間は短いですが、ミフネさんとは濃密な時間を過ごしました。なら、僕もサイコダイブすればもっと可能性は上がるはず」


 貞綱はアーダルに対して何か言いたげであったが、頭を振って言葉を呑み込んだ。


「承知した。ならば某一人でなんとか食い止めよう。しかし先ほどの戦いでの消耗が激しい。先にこの雫は飲ませてもらう」


 貞綱はユグドラシルの雫が入った瓶に口をつけ、雫を飲む。

 雫が喉を通り、胃の腑に辿り着くとそこから消耗した体力と、気力が体の隅々までに満ち溢れるのを貞綱は感じていた。


「何時まで囀っている。戦う準備は整ったのか?」


 鬼神は待っていた。

 律儀なのか、それとも奇襲するまでも無いという事なのか。

 恐らくは後者だろうが。


「折角、他の邪魔が入らない良い状況なのだぞ。乱入者のひとりが魔界からの連中を食い止め、もう一人の乱入者は様子を伺うばかりだ。臆病風に吹かれたのか知らんがな」

「あの王様なら、漁夫の利でも得ようとしとるんじゃろ。性根が姑息だからの。ま、戦いにおいて真っすぐにぶつかって来るのが必ずしも正しいとは限らん。あれも一つの戦い方じゃ」

「なれば、小心者は放っておいて貴様らと存分に戦いを楽しむとしよう」


 鬼神の闘気が一層膨れ上がる。

 研究室の誰もが一瞬、押し寄せる圧力に怯み、鬼神の方を見やるほどに。


「悪いがそなたとはまともには戦わんよ。その中に眠る若人の為にもな」


 フォラスは印を結び、詠唱を始めた。


「我が名において時空を司るものに命ず。眼前に立ちはだかる敵に流れる時を、そのひと時において固定、停止させ給え」


――時間停止――


 瞬間、鬼神の周りに見えない何かが渦を巻いて集まり、鬼神の体にまとわりつく。

 すると鬼神は構えを正眼の形にしたまま、毛ほども動かなくなった。

 肉体の働きはもちろん、精神の動きまでも止まっているのか、石像になったが如く微動だにしない。


「長くは持たんぞ。急いで準備せい!」


 フォラスの叫びと共に、アラハバキとノエル、アーダルが鬼神に近づく。

 アラハバキが再び鬼神と融合するため、その体を鎧のように覆いながら肉体との同調を図る。

 六角形の規則的な文様が浮かび上がり、穏やかにゆっくりと明滅を繰り返す。


『うまく同調できた。では君達も私の体に触れて目を瞑り、深呼吸を繰り返してくれ。そうすれば私を介して鬼神の精神の中に潜っていけるはずだ』

「宗一郎、今救い出してあげる」

「待っててください。必ず目覚めさせますから」


 二人はアラハバキの体表に触れ、目を瞑る。

 何度も深呼吸し、やがて瞑想に近い精神状態に入ると、彼女らは一様に地面に座り込んでしまった。

 

『うまくいった。あとは君達次第だ。頼んだぞ。フォラス殿、貞綱殿。申し訳ないがお任せします』

 

 アラハバキの言葉に、貞綱とフォラスは頷いた。

 即座にフォラスはユグドラシルの雫を口にし、マナの回復を図る。

 そして今一度、周囲の状況を確認する。


 影法師は今もなお、溢れる魔物の群れに対して影を駆使しながら大立ち回りを披露していた。

 アークデーモンは最初、魔物の群れに一人で突っ込むとは愚かだとほくそ笑んでいたが、すぐにその考えを改め、魔界の門の入口に立ち塞がっている。


「ここまで暴力の嵐そのものだとは思わなかった。人の身では考えられぬ」

「侮ったな。その男は半分は人に非ず。お主らと同じ魔の者の血を引いているとのことだ。そして、苛烈な程に自らを鍛え上げて来た。故に、たった一人でも万の軍勢に匹敵する」


 貞綱の言葉通り、魔物の群れは何時の間にやら薙ぎ倒され、死体は全て魔界へと送り返されている。


「貴様も我が進むべき道に立ち塞がるか。我が邪魔をするものには死、あるのみ」


 既に正気を失いかけているのか、影法師の目は赤くぎらついていた。


「如何に魔界と言えども、それなりの秩序はある。このような戦いに明け暮れる獣を侵入させるわけにはいかん」


 アークデーモンは炎の鞭を地面に叩きつけ、身構えた。



 そして残るはフェディン王。

 今が好機と見て、貞綱の前に立ち塞がる。


「魔界から現れた貴族はアサシンギルドの手練れと相対し、こちらに手を出す余裕はない。迷宮の主もまた動けず、冒険者らも同じ。一人だけを除いて」

「やはり動き出したか、フェディン王。貴様もまた魔の者と同じく、ここで葬らねばならぬ」

「そなたはシルベリア王国の暗部の手先であろう。最近、ネズミが我が国内をうろついているのは知っていた。シルベリア王国に戦争を仕掛ける前に、まずは足元をうろつく侵入者どもを掃除せねばならぬ」


 フェディン王はひざまずき、天に向かって剣の切っ先を掲げ、祈りを捧げた。


 すなわち、大地に囁き、天に祈り、魂を呼び覚ます為に念じる。


「イル=カザレムに伝わる武具よ、今こそその秘められた力を発揮する時が来た!」


 すると、フェディン王の身に着けている武具に天からの光が注ぎこまれ、一層輝きを放つように変化したのだ。

 剣は光を帯び、鎧にはうっすらと穏やかなオレンジ色のオーラを纏い、さらには盾は何かの障壁となるフィールドを展開している。

 籠手からは渦巻く炎の火花がちりちりと散っている。

 

「装着した武具の力を今、開放した。如何なるものが立ち塞がろうとも、誰も私を倒せる者は存在しない。この指輪の力もあれば、最早私は無敵だ!」

「果たしてそうかな? 戦いは装備のみによって決まる訳ではない。如何に素晴らしい武器を持っていようとも、最後に勝負を決するのは自らの腕次第だ」


 それぞれの戦いの火ぶたが、切って落とされようとしていた。

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