第百四十三話:乱戦

 *ここから少しの間、三人称視点にて話が進みます*


 ノエルは歯噛みしていた。

 冗談じゃない、一体何のために苦労を重ねて迷宮の最深部まで来たのか。

 これじゃ全て水の泡じゃない。

 心の内で毒づいた。

 だが、ここで腐ってなどいられないとすぐに思い直し、鬼神と成り果てた宗一郎を睨みつける。


 三船宗一郎は、鬼神にその肉体を乗っ取られてしまった。

 全身が覆われた鎧の顔の部分が剥がれ、鬼の素顔が露わとなる。

 宗一郎の顔には違いないのだが、その額には大きな二本の角が生えていた。

 身長も二倍以上に伸びており、また肉体の筋肉量も遥かにボリュームがアップしているのが見て取れた。

 赤銅色の肌に変化し、口を閉じていてもなお牙が覗いている。


 鬼神は大きく息を吸い込み、そして吐いた。


「娑婆の空気は格別だ。長きに渡る雌伏の時を経て、今、我はついに目覚めん。実に喜ばしい日だ。そうは思わないか、宗成よ」


 首だけになった宗成は何も答えない。

 虚ろな瞳で、虚空を見つめるばかりである。


「お前がここに居たからこそ、宗一郎がここに来てくれたからこそ、我は完全なる形での復活を果たした。ここまで宗一郎を導いてきた仲間たちにも、感謝しなければならぬ」


 鬼神はノエルたち四人に目を向ける。

 完全に復活した鬼神に見られただけでも、蛇に睨まれた蛙になったかのような圧力を加えられているようにパーティは感じていた。


「どうした、ものの一つも答えられぬか」

「宗一郎は、どうしたの」


 ノエルが努めて冷静に言うと、鬼神はにんまりと笑った。


「我の中でゆっくり眠ってもらっている。死んでおらんから安心したまえよ、恋人よ。二度と目覚める事はないがな」

「貴様!」


 鬼神の言葉に貞綱の怒りが沸騰する。

 貞綱の体からは霊気が立ち昇り、体中を覆って分厚い膜を作り、霊気は更に天へと立ち上る勢いを見せる。


「克!」


 霊気を大太刀に送り込むと、白い光を帯び始めたかと思えばやがてサファイアの輝きに似た光へと変化した。

 霊気による刀。

 その輝きは神々しさすら感じる。

 魂の色にも似ている光は儚くも揺らめいていた。


「秘奥義・破邪顕正はじゃけんしょう


 上段に構え、振り抜いた刀から光の波が発射される。

 青い奔流が、光と同等の速度で鬼神へと襲い掛かった。


「舐めるな、小童が!」


 鬼神はほぼ同時に闘気による防護壁を作り出し、光の奔流を遮った。

 闘気の壁と光波のせめぎ合い。

 しばらく闘気と光波はぶつかり合いを続けていたが、やがてお互いに持つエネルギーを使い切ったのか、同時に消滅した。

 研究室がびりびりと揺れるほどの衝撃を残して。


「糞っ」

「ひと時だ。我にとってみれば少し目を瞑っていた間に、人間はこれだけの研鑽を重ねている。おちおちうたた寝もしていられぬ。いつ、また人間に首を落とされ、心臓を抜かれるか分かったものではない」


 破邪顕正を放った貞綱は、明らかに疲労困憊の様子であった。

 秘奥義はそれほどまでに消耗をもたらすのだろう。

 故に秘奥義、一撃必殺とも言えるのだが。

 だが無慈悲にも、鬼神には防がれてしまった。

 鬼神の体からは、依然として闘気が漲っている。

 あれすらも準備運動でしかないと言う風に肩を回し、首に手をやってゴキゴキと鳴らした。


「どのような死に様を迎えたいか申してみよ。出来うる限り叶えてやろう。それが貴様らへの感謝と黄泉路へ向かう為の、我の慈悲だ」

「神の座から追われた者が何を言うか。神々の沙汰を受けて地獄で反省していれば良いものを、天界へ再び向かおうなどと考えおって。儂らが貴様を地獄に送り返してやる」

「耄碌した爺の言う事は一味違うな。自らが決して成し得られない思い上がりを、口にできるのだから」


 鬼神は再び、右腕に青い炎を纏う。

 身構えるフォラスであったが、その時、研究室に更なる変化が起こった。


「むうっ」


 流石の鬼神も、振り返らずにはいられなかった。


 雷が落ちる轟音のような音がが響き渡ると同時に、現世と魔界を隔てる次元の壁が破れてしまったのだ。

 魔界のゲートは遂に現世へ開かれた。

 今か今かと待ち受けていた魔物たちは、始めて現世の大地を踏みしめる。

 魔物の群れの中心には、ひときわ目立つ影があった。


 それは二本の捻れた角を生やした、端正な容姿の貴族のようにも見えた。


 砂漠の国における裕福な人々が着ているような、絹などの上等な生地を使った服に加えて、金をふんだんに使った首飾りやベルト、蛇をモチーフにしたバングルなどを豪勢に身に着けているが、生来持っている気品によるのか全く下品には感じない。

 微笑みを湛えており、その笑顔には誰もが惹きつけられる印象を周囲の人々に与えるだろう。


 その雰囲気すら打ち消す程の禍々しさを、その影は放っていた。

 また右手には、青白く燃え盛る炎の鞭を持っている。

 魔界の炎を用いて作ったのであろうか。


「魔界より現世の皆さまへご挨拶致しましょう。私はアークデーモン。貴方たちの世界では貴族の立ち位置に居ると考えてもらえれば良いかと」

 

 穏やかな、しかしどこか不安を掻き立てる声。

 パーティはどこか、その声を聞いた覚えがあった。

 そしてノエルがハッと気づく。


「地下八階で聞いた声と同じだわ」

「覚えておいででしたか。そうです、私があの愚かな道化師の精神を操った張本人ですよ」

「それ以外にも色々と暗躍してそうな雰囲気をしてますね」

「忍者のお嬢様、大した事はしていませんよ。如何に私であっても、現世と魔界を隔てる壁を越えて干渉するには労力が要ります。せいぜい、魔物をどうにかして送り込むくらいでしょうか。しかし、次元を超える為の仕掛けの起動は上手く行きました。私が送り込んだ魔物以外にも、愚かな王が素材となる兵士達を大勢送り込んできたのですから」


 素材と聞いて、パーティは首を傾げた。

 一体何をアークデーモンは仕掛けたというのか。


「まだお気づきになられませんか。何故玄室ごとに、死体が山と積まれていたかを考えてみれば分かるものですが」

「まさか……」

「流石は魔術師のご老人。気づいたようですね。死体は等間隔に、ある規則を以て積み上げました。魔法陣を描くようにね」


 そこまで聞いて、他の仲間たちもピンときた。

 以前、ノエルたちが討伐したパズズが現世に来るとき、魔法陣の上に死体を置いていた事を思い出したのだ。

 大きな力を持つ悪魔は、必ず何かしらの生け贄を捧げられる事によって現世へと召喚される。

 アークデーモンはその術式を応用し、魔界と現世の壁を超える為の魔術へと応用したのだ。


「更に嬉しい事として、貴方達がここに居た鬼神とやらと戦ったエネルギーによって現世に繋がるゲートの次元の壁と封印が弱まったのです。壁を破るまではもう少し時間が掛かると思っていましたが、手間が省けましたよ」

「出てくるのは結構だが、貴様らは何のために現世に来たのだ」


 貞綱が問うと、アークデーモンは微笑みを湛えたまま答える。


「我ら魔族の悲願は地上を席巻する事です。故に貴方達、地上の生物は滅びの道を歩んでもらう運命となるでしょう」

「だからといって、はいそうですかとわたし達が受け入れると思う?」

「御尤もではあります。だから、我らに手を貸していただければ命は助けますよ。地上を支配するまではね」

「用済みになったらどうせ始末するのは変わらないんですね」


 アーダルが言うと、アークデーモンはそれが何かと言わんばかりに彼女を見下ろした。


「今すぐ消滅させても構わないのですよ。どちらにしろ、我らが地上を支配するのは運命なのですから」

「そう言い切れるのは大した自信じゃのう。ここで魔界へ追い返されるとは考えんのか」

「ご老人は大した魔術師であるらしい。このゲートを作り、己の愚かさを知って封印を施すくらいには。しかし、所詮は人間だ。私と貴方の力量の差を、まだ分かっていないのか」


 アークデーモンは、微笑みを湛えた表情から感情を消し、無表情へとなった。

 瞬間、パーティの面々が震えあがる程の殺意と威圧感を放ち始める。

 ノエルはあのパズズと対峙した時ですら、ここまでではなかった筈だと思った。

 必死で胃からせり上がってくるものを抑え、戦意を萎えさせぬように努める。


「さっきから聞いておれば、何をべらべらと喋っておるのだ貴様は」

「おや、鬼神様。貴方とは仲良くできそうだと思っていましたがね。目的は同じでしょう」

「違うな。我が望みは天界でのうのうと暮らす愚かな神どもに、我の拳を喰らわせ、思い知らせてやる事だ。地上を支配するのはその過程にすぎぬ」

「これは大きく出たものだ。どちらにしろ地上を支配する意思があるのなら、我らとは手を組んだ方が良い様に考えますが」

「地上を統べる支配者が二人も並び立つなど有り得ぬ。故に貴様らも、我が業火に焼き尽くされる贄となるのだ」

「頑固な御方だ。尤も、支配者は一人で十分というのはその通りではありますがね」


 二つの存在のやり取りを聞いていたパーティの面々は、密かに胸をなでおろした。

 ここで鬼神とアークデーモンがもしも手を組んだら、万が一にも勝ちの芽は無くなってしまう。

 三つ巴の戦いとなるか。

 そう感じていた時、さらに乱入者が現れる。


 研究室の重く分厚く頑丈な金属扉が、激しい勢いで吹き飛ばされた。

 扉は向かい側の壁にまで飛び跳ね、魔物を巻き込みながら石の壁に突き刺さる。

 扉を蹴り飛ばした本人は、魔界へのゲートが開いている事に目を輝かせる。


「ついに至った。我が願いは目の前に在る」

「影法師さん!」


 そして更に、遅れてやってきたものが一人。


「既に門が開いていたか。我が配下は全員死んでしまった。全く役立たずどもめ」


 全身を鎧に身を包み、ひときわ輝きを放つロングソードと盾を持って現れたのはフェディン王であった。


「伝説の騎士の装備か。宝物庫にあるとは言われていたが、こうやって本物を拝む事が出来るとはのう」


 フォラスが呟いた。

 

 伝説の騎士。

 かつてこの地域に訪れた一つの災厄となる存在を、たった一人で斬り伏せた騎士の事だ。

 名前は遺されていない。

 その時に身に着けていた装備には、神の加護による不思議な力が宿っていたとされる。

 剣は如何なる存在であろうとも容易く切り裂く。

 盾は如何なる攻撃であろうとも跳ね返し、持つ者を癒した。

 そして鎧は、如何なるブレスや魔術であろうとも遮り、装備者を守った。

 更にその籠手からは、全てを焼き尽くす強力な魔術を何度でも放つ事が出来た。

 何処にあったのか、何処から手に入れたのかは誰も知る由がないが、数百年もの間、ずっと宝物庫に厳重に封印されていた代物であった。

 

「しかし、門があり、更に魔物が出てくる状況になったことは歓迎すべきだな。邪魔者が大勢いるが、さてまずは何処から手をつけるか」

「どちらかが死んでいるものと思ったが、どっちも生き延びてここまで来るとはな」

「生憎、私はここで死ぬような定めではない。地上を支配するまでは死なぬのだ!」

 

 とは言うものの、フェディン王の性格をよく知っているフォラスからすれば、下手にこの場には突っ込んでこないのは明白であった。

 自らが危険になる事はあえて行わない。

 用心深い故に、誰かが弱ったらそこを突いてくるだろう。

 

 そして影法師はと言うと、既に魔物の群れの中に突撃している。

 ノエルたちには目もくれず、ひたすらゲートを目指している。

 魔物たちは突っ込んでくる影法師に向かって襲い掛かるが、影法師は次々と魔物を屠っていく。

 屠るたびに倒した者の魂を吸収し糧とし、更に力を得ているようにも見えた。


「さて、わたし達はどう動くべきか」


 混乱の渦の中から、更にはじき出されるものが一つ。

 

『うおっ』


 融合が解けたのか、アラハバキが鬼神の体から離れてパーティの下へ戻って来たのだ、

 彼は鎧のような姿から、人の形を模したかのような姿へと変わっていた。


「アラハバキ、大丈夫だった?」

『心配には及ばない。しかし厄介な事になった。どうするノエル』

「決まってる。宗一郎をもう一度目覚めさせるわ。何としても」

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