第百四十二話:続・鬼神との戦い
鬼神は今まではどれくらいの力で戦っていたのだろう。
小手調べ程度の力で、部屋への侵入者を全て葬って来たのだとしたら、恐るべき潜在能力としか言いようがない。
鬼神の折れた刀の
柄は白熱し、今にも燃え盛らんばかりに周囲の空気が陽炎のように歪んでいた。
そして、折れたはずの刀に新たな刀身が生まれたのだ。
熱を持ちながらも収束し続ける、実体のない刀。
それは恐らく、鬼神の闘気によって形作られていると思われる。
三船流においては霊気で何かを形作り、それを留め続けるという技は無い。
闘気の刀の長さは、大太刀の刀身の長さである三尺(およそ90cm)よりも二倍ほど長いと見られた。
おもむろに、鬼神は今まで片手で握っていた刀をはじめて両手で握る。
「三船流なる剣技の流派が何処から来ているのか、其方らに知らしめてやろう」
「三船流は我らが開祖が作り出したもの……いや、まさか」
「血脈に鬼を宿している宗一郎なら知っていよう。我らが内に眠る鬼が使う技こそが、三船流の源流である事を!」
鬼神は刀を振りかぶり、上段から振り下ろす。
刀身から発される闘気が収束した瞬間、嫌な予感が背中を走る。
「皆、横っ飛びで避けろ!」
声と同時に、刀から見えない無数の刃が閃いた。
斬撃の軌道上にあったものは全て切り裂かれ、斬撃の傷が無数に発生する。
扉まで到達した瞬間、鋼鉄製の分厚い扉には深く刀によって傷が刻まれた。
そして床は石造りにも関わらず豆腐の如く崩れ、さらに天井も一部が崩落する。
躱しきれなかったフォラスはわき腹を抉られ、膝を着いた。
他の皆は声に反応したものの、行動が一歩遅れたが為に何処かしらに刀傷を負っている。
「三船流の虚空牙、にしては範囲が広すぎる」
「元より我が使っていた技は、名などつけてはいなかった。だが今名付けるとすれば、鬼神滅閃とでも呼ぼうか」
言いながら、鬼神は一息に飛び込んで間合いを一気に詰めてくる。
刀を振りかぶりながら、猿叫を上げながら。
その気迫と殺気だけで、常人なら竦んで動けなくなるだろう。
一見すれば隙だらけの飛び込み斬りであるが、鬼神の人ならぬ膂力による跳躍は、一瞬で姿を消すように錯覚する。
さながら猿が次々と木々を移っていく時のように。
俺が認識した時には既に、鬼神は目の前に居た。
ぞわりと、産毛が逆立った。
この技は受けてはならぬと本能が告げている。
いや、鬼神の攻撃はどれも受けるべきではないのだが、特にこれはそうだ。
即座に背後に飛び退いた瞬間、地面に刀がめり込んだ。
そして轟音と共に石造りの地面が砕け、破片が撒き散らされる。
「くっ」
破片は何かが爆発した時と同じような速度で飛んで来るため、それらを更に刀で受け躱す事で精一杯だった。
前衛組のアーダルや貞綱も破片を受け、負傷して後方に下がる。
俺も急所を避けたものの、やはり石で損傷を受けた。
ノエルは即座に
「こんなに怪我ばっかりして、マナが持つか心配だわ」
「その心配はないだろう」
フォラスが言う。
目の前に
魔界への門から、濃厚に過ぎる魔素が吐き出され続けている限りは、魔素の枯渇を心配する必要はない。
しかし、鬼神の苛烈な攻撃にさらされ続け、回復を間断なく続ける事になった場合、一時的な魔素の枯渇はありうる。
そうなったら一気に全滅の危険性は高まるだろう。
やはり、自分の魔素の残量には気を配っておくべきかもしれない。
「奈落墜とし。似たような技は、三船流だと兜割とか言ったな」
鬼神が宗成の記憶をなぞりながら話す。
更に、鬼神は貞綱に殺意を向けた。
貞綱は大太刀を構え、霊気錬成の型・刹那を発動する。
肉体の限界を底上げし、鬼神の攻撃を読み取ろうとしている。
「噴!」
鬼神は貞綱に迫り、闘気の刀を振るう。
首。
次に、左右の肩口。
更に左右の太腿を斬り落とし、斬り上げようとする。
最後には胴を横薙ぎに一刀両断する斬撃。
一つ一つの動きは極めて単純だ。
だがそれが、無駄なく正確に目にも止まらぬ早業で行われている。
それも一呼吸の間に。
「溌!」
貞綱も霊気を帯びた刀で負けじと躱し受け流すが、その一連の流れには見覚えがあるようだった。
「色即是空、か?」
「我が連撃は名付けるなら
「ぬかせ!」
今見た技を、貞綱は即座に再現する。
刹那に寄る肉体能力の底上げがあり、更に貞綱だからこそ成しうる鬼神の技。
「人間如きが我の技を真似るつもりか」
猿真似と言えども、その技の冴えは侮れない。
鬼神は油断せず全てを受けきり、貞綱の腹に掌底を喰らわせて吹き飛ばす。
刀で受けたかに見えたが、更に衝撃波を放っていたらしい。
入口の扉まで吹き飛ばされ、今度ばかりは受け身を取る事もできずに強かに背中を叩きつけられ、呼吸すら出来ぬ痛みに身もだえている。
背骨を折ったか。
ノエルは即座に完全回復を貞綱に掛ける。
息を着く暇がない。
間が悪ければ誰かが死んでいても全くおかしくはないだろう。
「鬼神に成った事があるのなら、宗一郎、お前もこれらの技は使っただろう。だが我の技はこんなものではない。更なる奥の手を見せてやる」
本当の本気、と言う訳か。
鬼神は更に、息を大きく吸い込んで地面を強く、踏みしめた。
大地が揺れる。
そして同時に、刀を強く握りしめて天に掲げた。
闘気の刀は柄から青白い火花を散らしたかと思うと、刀身の根元から色が青に変わり始めたのだ。
鬼神が発する、地獄の焔。
刀身は青白く燃え盛り揺らめき、空気を焦がす。
そのまま鬼神は、上段から真っすぐ振り降ろすように刀を振るった。
刀身から発する炎が鞭のように伸び、しなって大蛇の如く俺たちに襲い来る。
「奥義・黒縄」
「アラハバキ!」
『承った』
叫びに呼応し、アラハバキが炎を遮る圧縮空気の壁を作り出す。
それでもなお、炎は壁を貫いて俺たちを焼こうと伸びてくる。
「奥義・無相」
炎の鞭を断ち切ったのは貞綱であった。
実体の無きものを斬る技。
炎の鞭を分断し、地面に炎の塊となって落ちてそれは消えていく。
わずかに目を見開く鬼神だが、次々と畳みかける。
今度は刀を地面に突き刺すと、ふつふつと地面の至る所から炎の柱が立ち昇る。
火山から炎蛇が生まれ出で、荒れ狂うが如く。
無相は刀の届く範囲しか斬る事は出来ない。
万事休すかと覚悟した時、突如無数の炎の柱は生じた時空の狭間によって呑み込まれ始める。
「魔術であれば魔術障壁で一挙に封じる事が出来るんじゃがのう、面倒じゃ」
フォラスが
それでも呑み込み切れなかった炎によって、圧縮空気と女神の抱擁による防御障壁があってもなお、地獄の炎は凄まじい熱量を以て俺たちに火傷を負わせる。
更に更に、鬼神はなおも俺に詰め寄って刀を振るう。
先ほど見た六道を仕掛けるつもりか。
一度見た技なら、対処は出来るはず。
首。
両肩。
両脚。
そして胴。
六連撃を躱し、受け、凌ぐ。
胴薙ぎを凌いだ所で終わった、かに見えた。
鬼神はそこで一呼吸を入れる。
『宗一郎、気を抜くな!』
アラハバキが吼える。
ぎらりと光る、鬼神の双眸。
まだ鬼神の攻撃は終わってはいない。
金的。
鳩尾。
喉。
そして額。
それぞれを狙った突き、斬撃、薙ぎ払い。
六に加えてさらに四の連撃。
「これぞ十悪なり」
アラハバキの叫びによって、俺はわずかな気のゆるみを引き締め、残りの四連撃を受けた。
しかし、わずかな気のゆるみが致命傷となりうる。
鳩尾を完全に貫かれ、ぽたぽたと腹から血が流れ落ちる。
「げふっ」
そこから止めを刺そうと、鬼神は刀を振りかぶった。
「させるか!」
アーダルが、影を生み出した。
そこから出でるものは、今まで相対した魔物たち。
「行け、影の群れよ。敵を薙ぎ倒せ」
影は意思をもって鬼神に襲い掛かる。
そしてフォラスもまた、
状況の不利を数の多さで凌ごうという腹積もりか。
如何に実力差があると言っても、鬼神に攻撃の暇を与えなければ良い。
召喚された魔物は、引きが良かったのか
敵を認識した上級悪魔は、
「むうっ」
炎を操る鬼神には、吹雪は一定の効果があるようにも思えた。
その間に俺は後方に下がり、ノエルの奇蹟の治療を受ける。
間一髪であった。
とはいえ、鬼神もさるものである。
吹雪を受けながらも前に進み、上級悪魔たちを一刀のもとに斬り伏せる。
並みの武器であれば傷一つ与えられないような上級悪魔の堅い皮膚と肉体を、豆腐のように容易く斬り裂いて行く。
影の群れもまた、鬼神滅衝の衝撃波によって形を崩され、瞬く間におぼろな影となって消えていった。
やはり、この程度のものでは足止めが精いっぱいか。
『宗一郎、このままではじり貧だ』
アラハバキが俺に言う。
「わかっている。突破口を開くのなら、対抗して俺が鬼神になるべきか」
『違う。今こそ試すべきだ。私と君の、融合を』
「どうなるかわからないが……鬼神になるよりは余程良いか」
『最低でも君の意識が残る事は保証する』
これは賭けだ。
だがこのまま戦って負けるよりかは、少しでも勝てる確率が上がる方法を試すより他はない。
「ならば頼む」
『承知した。これより融合のプロセスを開始する』
アラハバキはその体から発光しはじめたかと思うと、俺の体の表面を覆い尽くす。
皮膚にぴったりと張り付き、そして俺の肉体にアラハバキの細胞が浸透し始めた。
不快感は全くない。
ただ穏やかに、何かが身体に染みわたっていく実感だけがある。
「何、宗一郎、何が始まったの」
ノエルが唖然として俺を見ている。
他の三人も同様に、俺の変わり様に呆気に取られていた。
鬼神だけが、大きな口を更に歪めて笑っている。
「何か変わった籠手を着けていると思ったが、そういうカラクリとはな。西洋の全身鎧と、日ノ
身体が軽い。
自分の身体ではないかのような感覚。
もう一つの存在が自分と融合したのだから当然だが。
そして漲る活力が、丹田から湧き上がってくる。
これは鬼神になった時も同じだったが、同時に破壊衝動と殺戮の欲求も伴った。
今は違う。
純粋な力が漲っているのだ。
『宗一郎。出し惜しみはなしだ』
「無論、そのつもりだ」
悟りを得て涅槃に至る。
今の俺は、凪いだ水面の如き心持ちにある。
戦いに身を置いてなお、このような心になれたのは師匠との戦いをおいて他にはなかった。
二度目のこの境地に至れるとは。
――秘奥義・涅槃寂静・実相――
煩悩の無い、静かで安らかな世界に入り込む。
勝利への渇望も、自我すらも今は要らない。
純粋に見えるものだけを観る。
鬼神の動きが、未来が見える。
また、全ては空。この世にある存在に実体はなく、時の流れによって全ては変わりゆくものなり。
鬼神の精神や魂は何処にあるか?
次に何をしようとしているのか。
刀を片手に持ち替え、右手にはいつの間にか青白い炎を宿している。
「獄炎か」
俺が貪食の悪魔を倒すときに使った、鬼神の奥義だ。
するりと、俺は鬼神の懐へいともたやすく潜り込んだ。
虚を突かれた鬼神は一瞬動きを止めるも、すぐさま反応して剛剣を振りかざす。
刀の軌道が見える故、皮膚一枚でその軌道から半歩だけ身体をずらし躱した。
そして右腕を、肘から叩き斬る。
「!?」
鬼神は目を見開き、自分が斬られた事に唖然とする。
「まだだ」
『そうだ、ここで止まってはならぬ』
首を刎ね飛ばす。
心臓を貫く。
それでも鬼神の体はまだ動く。
なれば、両腕と両足を分断する。
そして胴をも四つに切り、さらに微塵に切り刻む。
潰し、更には魔術によって燃やし灰とする。
肉体はこれで滅した。
では魂と精神の在処は何処か。
刎ね飛ばした首に、それは宿っている。
だが、しかし。
首だけとなった鬼神は、虚空を見つめていた。
「死んだ?」
「いや、まだだ」
鬼神は神の一種であった。
宗成が話したように、肉体を滅してもなお精神と魂が生きているのなら、時を掛けて復活する。
ここで止めを刺さなければならない。
「……よく、おれを倒してくれた」
「正気に戻られたのですか、宗成殿」
「ああ。長きに渡って鬼神によって苦しめられた生から、ようやく逃れる事が出来よう。しかしあまりにも罪を重ねすぎた。たぶんおれは、地獄に堕とされるだろう」
「鬼神は、貴方の中から消えたのでしょうか。気配を感じません」
そう。
観えないのだ。
何時の間にか、宗成と共にあったはずの鬼神の魂と精神が、何時の間にかいない。
融合して一つになったからなのか?
それにしては何かがおかしい気がする。
「確かに俺の中からは居なくなった。しかし、それは俺の中に居る必要がなくなったからだ。鬼神はなおも存在する。宗一郎、其方の中の鬼神を倒さねば完全に滅したとは言えぬ」
この場に居た誰もが絶句する。
「其方は自らを殺さねばならぬ。自らの首に刃を突き立て、死なねばならぬ。それが三船家に生まれ先祖返りを起こした者の、宿命だ。だがもう遅かった」
宗成が言うと、
「この場に満ちる魔素と、今まで行われていた激しい戦いによって生まれた力によって、遂に其方に宿る鬼神は完全に目覚めてしまった」
封印が解けた事により、急速に俺の意識は浸食されていく。
黒く、視界が塗りつぶされて何もかもがわからなくなっていく。
何も見えない。
何処にいるのかもわからず、足元すら不確実になっていく。
永遠に眠れ。穏やかに。
誰かの声が聞こえた。
精神が尽きるまで、魂が果てるまで、安らかな闇に抱かれるがよい。
――これまでの復活までの道のり、実に長きに渡るものであった。だが、それまで手助けしてくれた仲間たちには感謝してもしきれぬ。故に捧げよう。安らかな死を以て――
俺の中の鬼神が、仲間たちに向けて言った言葉を最後に、俺の意識は闇に溶けていった。
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