第百四十話:三船宗成、あるいは鬼神
扉を蹴破り、中に入る。
フォラスの研究室。
そして鬼神が存在する部屋でもあり、なおかつ魔界への
如何なる光景が広がっていようとも、心を乱す事なかれ。
研究室はまず、思ったよりも広かった。
地下六階にあるフォラスの居室程度だと思っていたのだが、ゆうに王城の広間くらいはあるようだった。
左の壁際に寄せられた石造りの机に装飾性は一切ない。
研究を行う部屋に装飾など必要はないと言われればその通りなのだが。
机の上には、何らかの薬剤を混ぜる為と思われる器具の数々がある。
机の隣には木製の本棚があり、魔術に関する分厚い本がいくつも乱雑につめこまれていた。
もうひとつの、反対の壁際に寄せられた机の上には無造作に
遺物の価値が分かる者なら、垂涎の代物であろう。
部屋の最奥には、転移用の魔法陣と共に棺桶を思わせる黒塗りの頑丈な宝箱がある。
「あの中に、ユグドラシルの杖が入っておる」
門を閉じる為に、フォラスが是非とも手にしなければならない杖。
しかし、そこに辿り着くまでには障害が二つある。
一つは、魔界へつながる門。
迷宮と言う場所柄にしても、濃厚すぎる
門といっても勿論物理的な物ではない。
即ち、中空に浮かんでいる魔法陣の中に空間の断裂が生じ、その中から魔界の様子が見えているのだ。
あふれ出る魔素によって、門の周辺の空間は歪んでいるように見える。
魔界への門は、研究室の天井から床にまで高さが及んでおり、時折その門が振動している。
魑魅魍魎たちが門の外へ出ようと、何度も手を伸ばしたり体をぶつけたりしているためだ。
魔物の姿はこちらでも見かけた事のある
更にこちらで見かけた事のない異形も大勢いる。
ゆったりとした布を袈裟がけに着て、書物を携えた骸骨。ともすれば高貴な印象すら受けるが、その体から発される死の気配は強烈な怖気を覚える。
或いは、人と
蝙蝠の羽を背に速し、地上の何処を探しても居ないと思われる美貌を持った、裸の女の姿をした悪魔。
さらには馬に似た、背中から翼を生やし
または、鎧を着た騎士。
ただしその首は胴と泣き別れており、左手に自らの首を持っている。
六本の足を持つ重装鎧を着た馬に騎乗している。
首からは青紫の霧を発し、それに触れた小鬼などはあっという間に生命力を吸われ干乾びてしまい、絶命している。
いずれもこちらへ越えてしまったら、大混乱を巻き起こすであろうものばかりだ。
今は幸い、力が強大過ぎるがゆえに門が狭く通り過ぎる事が出来ないようだが。
だが気になるのは、地下八階にて道化師を倒した際に聞いた声の主であった。
護符を持ち、地下十階にまで到達できるだけの強さを持った道化師の精神を如何に乱し、洗脳したのか。
そして門をどうやって越えてきたのか。
高位の悪魔をこの世界に呼ぶには、門が開かないのであれば召喚を誰かしらに行ってもらう以外に俺は方法を知らない。
その時、魔界の門からすり抜ける小鬼の姿があった。
しかし、小鬼はすぐにもう一つの障害となる存在に頭を掴まれ、無慈悲に潰されて絶命した。
もう一つの障害、それは迷宮の主こと三船宗成である。
今はこちらに背を向けているので顔は見えない。
ただ後ろから見える姿は、既に人ではない事を伺わせている。
鎧兜を身に着けていた筈だったが、既に兜は無い。
上半身の甲冑は胸や肩のあたりには部分的に残されてはいるが、既にがらくた同然の有様である。
下半身は袴と布の脛当てを残して他にはなく、足は裸足であった。
得物は野太刀、あるいは大太刀と呼ばれるものを右腕に持っていたが、刀身が半分に折れてしまっている。
一見すれば満身創痍に思えるがさにあらず。
背後からでもうかがえる程に伸びた、額から生えているであろう二本の角。
肉体に傷は全くない。
普通の人間の二倍程の背丈があり、筋骨隆々な体をしている。
「この場に訪れる者など最早居らぬと思っていたが、名を聞こう」
宗成はこちらに振り向いた。
顔は俺にかなり似ている。
ともすれば親子、兄弟と思える程に。
その瞳は優しいが、どこか哀しみを湛えているようにも見えた。
過去に妻子を殺してしまったという罪悪感を、未だに胸の内に抱えているのだろう。
鬼に浸食された結果、金色に変貌している瞳は俺たちを目の前にしても光がなくどこか虚ろである。
「我が名は三船宗一郎。三船家の子孫である」
「三船? まだ我らが家は、数十年後に及んでも残っているのか」
「数十年? 既に三船家は五百年以上の歴史がございますが」
俺の言葉に、宗成は衝撃を隠せない様子で目を見開いた。
「自分がこの部屋に籠って以降、かように時が過ぎていたとはとても思えぬのだが如何なる事であるか」
「それについては、ひとえに儂の魔術に原因がある。この部屋に開いている門があろう」
「ご老人、あれは一体何なのだ」
「魔界へ繋がるゲートだ。儂はこのゲートを封じるため、ここまで赴いた」
「成程、道理で魔物があそこから漏れ出てくるわけだ。力が漲り、腹が減らないのもこの門から流れ出てくるマナ、とかいうもののおかげか。ここなら、おれと共に居る鬼の破壊衝動も満たされるのでちょうどよかったのだが」
「宗成殿。貴方は迷宮の主、鬼神とも呼ばれている。ひとえに来た目的は討伐するというのもあるが、貴方と会ってもみたかった」
宗成は俺の目的に目を丸くした。
「数百年前に故郷を追われ、外国に逃げて生きているとも知れぬ者をわざわざ追うとは、どのような酔狂さか、そなたはとんだ馬鹿者であるな」
「俺の中にも、鬼がいるのです」
その一言で、全てを察したかのように宗成はうなずいた。
「何故、先祖返りは起こるのでしょう。何故、俺たちには鬼に見紛う特徴が現れ、そして何故、鬼神の精神が目覚め、肉体を乗っ取ろうとするのか。何もかもがわからない。三船家の文献にも真相は書かれていなかった。故に貴方と会って、確かめるべきだと考えた。それが鬼を倒す手がかりに繋がるかもしれないと思って」
「なれば、三船家が鬼神の力をどのように得たのか、語らねばなるまい」
三船宗成は、こんこんと語り始めた。
”鬼神はかつて、現世とは異なる世界に住んでいた。いわゆる天界と人が呼ぶ世界、神々が住まう世界に居たらしい。
彼は天界の掟を破ったのだ。
地上に居る、ある生き物たちに神々の持つ叡智を授け、生きる助けとしたかったらしい。
だがそれは、他の生き物に対する優越となり、その生き物が地上を席巻する原因となってしまった。
現世の生態系の均衡を崩してしまったのだ。
神々が現世に介入するのは、意図せぬ要因によって世界の消滅を防ぐ時のみらしい。
故に彼は天界を追われ、地獄へ追いやられた。
地獄へ落とされる事で彼は神々に対する恨みと憎しみを募らせ、鬼神へと変貌してしまう。
それでも彼は、失意の底にいたかと言えばそうではなかった。
地獄に住まう者達を圧倒的な力で虐殺、嬲り殺しにし、その力を吸収し高めつつ、いずれ天界へ戻ろうと考えていた。
気が遠くなるほどの時が流れた。
そんな折、地獄と現世を隔てる時空の壁が引き裂かれ、現世と繋がる出来事が起きた。
神の一人の気まぐれによって生まれた巨人たちと人類の争いによって、偶然にも時空が引き裂かれる程の力が発生したらしい。
偶然の僥倖を得た鬼神は、すぐさま地上へと逃れ出た。
その結果、鬼神は
松原の地にて、鬼神は荒ぶる神として瞬く間に支配した。
そこに住まう人間たちを蹂躙し、喰らい、ひれ伏しさせて崇めさせ、周囲を絶望の中に叩き込んだ。
しかし人間もまた、支配されるばかりではなかあった。
肉体的にはか弱い存在であれども、彼らには集団を形勢し強者に立ち向かう姿勢と、如何なる不利をも覆そうとする智慧があった。
鬼神はある時、自分を奉る祭りが行われると伝えられ、とある神社に現れた。
酒や御馳走が振舞われ、鬼神も珍しくこの時ばかりは神々に対する恨みつらみ、怒りを忘れて上機嫌になっていた。
宴もたけなわの頃、生贄として一人の女子が差し出された。
鬼神は生贄の首筋に食らいつこうとしたが、牙を剥いて首に噛みつこうとした瞬間に違和感を持つ。
香水を付けて匂いを擬装していたものの、わずかに男の匂いがしたのだ。
気づいた時には既に遅かった。
生贄は女を装った戦士であり、懐に隠していた剣で心臓を一突きされ、更に首を落とされてしまったのだ。
鬼神はここで、肉体の死を得る。
更に戦士は、三船家の祖である
宗忠は鬼神の力を得ようと前々から考えていたらしく、腑分けした鬼神の体から心臓と肝を取り出し、かぶりついてその生き血を啜った。
血、心臓、肝を喰らったことで鬼の力の一部を得た三船家は、松原の地を鬼に代わって支配する。
人間などにやられるとは不覚を取った。
鬼神は悔いるが、仮にも神であった存在は肉体が滅しても魂と精神は未だ死んではいなかった。
精神と魂を更に分け、精神は三船家の血の中に潜み時を待つ。
鬼の力を得た人間はいずれ、人でなくなる存在となる事を意味する。
血の濃い、薄いはあれどもいずれ三船家の誰かが鬼へ転じるだろう。
元より永遠と同じ命を鬼神は持っている。
鬼に近い肉体を持つ者が生まれるのを見越して、鬼神はひたすら待ち続けた。
人間は強い。
なればその力、智慧すらも我が物として更に強くならねばならない。
天界へ至り、自分を堕とした神々どもを
宗成の言葉は、鬼神が放ったものと同じであった。
やはり鬼を喰らったが為に三船家は力をつけ、代償として鬼神の精神が血脈に寄生する形となる。
そして鬼に近い性質を持つ者は、やがて鬼に浸食され乗っ取られる。
乗っ取られかけているのが、俺と宗成だった。
「やはり鬼神が言っていた事は正しかったようです。ご先祖様」
「そなたに巣食う鬼神もまた、目覚めてしまっているのだな。おれはもうだいぶ、鬼神に浸食されてしまっている。最近は自分の意識を保っていられる時間も短くなってきた」
言葉と共に、徐々に宗成の肌の色が赤銅色に変化している。
牙も伸び、金色の瞳が爛々と輝き始めた。
深呼吸をすると、吐き出した息が酷く血腥い。
「浸食を図るは良かったが、その結果我が精神の中身までも奴に読み取らせる結果になるのは想定していなかったな」
完全に目が血走り、体からは鬼特有の闘気が立ち上り始める。
「貴様、宗成殿に潜む鬼神の一部か」
「如何にも。人間どもに一度は不覚を取ったが、今度はそうはいかぬ。お前の中に居る我が精神の分体を呼応させ、糧となってもらおう」
宗成、いや鬼神と成った者は叫び、闘気を迸らせた。
びりびりと空気が震え、研究室全体が震動し始める。
すさまじい殺気が俺たちに向けられ、それだけで戦意が萎えそうになる。
だが。
「人は何時だって遥かに手強いものと対峙してきた。此度の鬼も成敗して進ぜよう」
貞綱が刀を抜いた。
今回の為に特別に用意した、化け物を相手にする為の大太刀である。
「……怖いけど、逃げ出したいけど、でも、僕だってやらなきゃいけないんだ!」
「相手が鬼だろうが悪魔だろうが、冒険者がやる事は決まってる。目の前の敵をぶっ倒す、それだけよ!」
「ゲートを閉じる前の手慣らしとしては、少々手強いのう。だがこんな所で止まるわけにはいかないんじゃよ。覚悟してもらおうかの」
誰もが怯んだ様子を見せない。
皆、きっと鬼神の発する闘気と殺気に少なからず恐れを抱いているはずにも関わらず。
恐怖を心に抱えてもなお、立ち向かう事こそが真の勇気である。
「いざ、鬼退治へ参る」
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